インタビュー 「ハビエル・フェルナンデス 歴史になる」後編
昨日アップしました『International Figure Skating』8月号のハビエルくんインタビュー(前編)の後編です。今回は、大躍進した昨シーズンのこと、故国スペインやこの五輪シーズンなどについて語っています。

元記事:International Figure Skating  volume 19, issue 4, August 2013
"Javier Fernandez  Gliding Into History"  Story and photos by Susan D. Russell


「ハビエル・フェルナンデス 歴史になる」後編

予想していなかった勝利


 フェルナンデスの昨シーズンは、GPS第1戦カナダ大会で、現世界王者パトリック・チャンを倒すという歴史的優勝で幕を開けた。スペイン選手がGPSでメダルを取ったのはこれが初めてだった。
 だが第2戦のNHK杯では4位だった。「日本ではよくない試合をしてしまったよ。勝った次の試合は、プレッシャーがかかることがあるんだよね」22歳のフェルナンデスはそう語った。「トップレベルで戦い続けて、常に表彰台をねらっている状態というのは、ただ試合に出て滑っているよりもはるかに疲れるものだ。表彰台のチャンスがあるときって楽じゃないんだ。ずっとハードなんだよ」
 フェルナンデスは2年続けて、グランプリ・ファイナルに進んだ唯一のヨーロッパ選手となった。ショートでは5位、フリーでは首位だったものの、総合では4位となった。
 その1週間後に3度目のスペイン選手権のタイトルを取ると、今度はクロアチアのザグレブで開かれるヨーロッパ選手権に照準を合わせた。
「2012年のヨーロッパ選手権ではメダルを取れなかったからね。だからファイナルの結果があっても、今年のユーロでは僕はメダル候補ではなかったんだ」

 ザグレブでは最高のスタートが切れたわけではなかった。スケート靴が空港で行方不明になってしまい、やっと手元に届いたのは競技が始まる前日だった。公式練習を満足におこなえなかったにも関わらず、ショートは2位につけた。攻めに出たフリーでは技術と表現の両面でしっかりした演技を見せ、総合で2位を20ポイント以上引き離す274.87(パーソナルベスト)を出し、優勝をさらった。
「スコアが出たのを見て、高得点が出たことはわかったんだけど、自分がヨーロッパ・チャンピオンになるんだってことは、そのときでさえ頭になかったんだ。ただこう思ってた。“わあ、すごいぞ。自分がやってきたことは正しかったんだ”って。僕にとって最高の瞬間だった。今までのキャリアのクライマックスだったよ。あのスコアは僕には十分すぎるものだった」
「僕が勝てたのは本当にものすごいことだったよ。とってもとってもうれしかった。ヨーロッパ選手権のタイトルを取ったことは、僕にとって、僕の家族にとって、そしてスペインで僕を応援し、フィギュアを見てくれている人たちにとっても、ものすごく重要なことだったんだ」
「表彰台に立っていると、客席の最前列に両親がいるのが見えたんだ。メダリストたちがリンクの周回を始めると、僕は真っ先に両親のところへ行ったよ」言いながら、フェルナンデスは微笑みを浮かべた。「母は泣きだしてしまい、父も泣きそうになっていた。僕のことがとても誇らしいと言い、よくやった、これからもがんばりなさい、あなたが一番なんだから、と言ってくれたんだ。すばらしい瞬間だったよ」

(出典)

 ヨーロッパ選手権での優勝によって、自分の肩にかかるプレッシャーが大きくなったことは認めている。「ユーロのタイトルを取ると、スペイン人は誰でも、来年も取るんじゃないかと思ってしまうんだ。でも来年取れる保証はどこにもない。試合のたびに、何が起こるのか予想なんかできないんだから。1位になれるかもしれないし、最下位かもしれない。すごい演技ができる可能性もあれば、そうじゃないことだってある」
「たとえいい演技ができても、僕のあとの選手がもっといい演技をするかもしれない。ほんとにわからないものなんだ」
 オーサーは教え子の勝利がもつ重要性を理解していた。ヨーロッパ選手権が終わるとすぐに、彼はフェルナンデスをカナダに帰らせるのをやめ、スペイン行きの飛行機を手配した。
 マドリードでのメディアの過熱ぶりはすさまじかったよ、とフェルナンデスは振り返る。「スペインは夏季五輪を招致しようとしているんだ。そこで、僕はソニア・ラフエンテ  [スペインの女子選手。2013年ヨーロッパ選手権では7位] と一緒に、Feria de Madrid(コンベンションセンター)に招かれて、招致を支持するサインをしたんだ。会場ではフェリペ皇太子とレティシア皇太子妃にもお会いできた。すばらしい体験だったよ。僕にとってはスペイン王室は誇りなんだ」

歴史的瞬間

 3月に開催された世界選手権では、ショートで7位と大きく出遅れてしまった。フリーの滑走順は15番。最終グループのひとつ前のグループで、自分のあとに滑る選手は9人もいる。表彰台はとうてい無理に違いないと、フェルナンデスはあきらめていた。
 だが、その晩の試合展開は、だれをも驚かせるものだった。演技を終えた後、フェルナンデスがあとの選手の演技を見ていると、ひとりまたひとりと、自分より下の順位になっていく。結局、彼のスコアを越えたのは2人だけだった。意外や意外、フェルナンデスは3位となったのだ。
「かなりいい演技ができたのは確かだったけど、ぼくのあとには優秀な選手がたくさん残っていたからね。僕はバックステージに座って競技を見守っていたんだけど、目の前で彼らがみんな自分より順位を落としていくじゃないか。信じられなかったよ」
「やがてパトリック・チャンが演技を終えて、僕は彼と一緒に座っていたんだ。僕はこう言った。“ねえパトリック、もし僕が3位になったら、自分がどうなっちゃうかわからないよ。ここで死んでしまうかも。心臓発作を起こしちゃうかも”って。本当に死にそうだったんだ」
「最後の選手が滑り終えると、僕はもう、“オーマイゴッド。いったい何が起こったんだ?”って感じだったよ。あれは精神的にすごく疲れたな。神様が僕にものすごいチャンスを与えてくれたんだなって思ったよ」フェルナンデスは笑いながら言った。

「おもしろいシーズンだったよ。常にトップでいるのは誰にとってもすごくハードだ。肉体的にも精神的にもね。いつも表彰台に立つのはとてもきついことなんだ。ひとつのミスで結果ががらりと変わってしまう。僕はいつも言ってるんだけど、フィギュアスケートっていうのは完璧かどうかなんだ。誰だってジャンプは跳べるし、スケーティングもできる。要は、誰がより優れているか。ある特定の日に、誰がほかの選手よりも完璧に近い演技ができるかだと思うんだ。僕はそういうふうに考えている」
「表彰台に立つたびに、僕は信じられない気持ちになるんだよ。涙を流す選手もいるけれど、僕の場合は毎回、すべての感情が消えてしまって、ただ信じられないだけなんだ。うまく説明できないんだけど」

新しいシーズン

 新シーズンに向かっては、フェルナンデスと彼のチームは、頭を使いながらオリンピックの準備を進めていく計画だという。
「ソチで一番いいコンディションでいられるように、ペース配分をしていくつもりなんだ」と彼は言う。「五輪以外の試合はどうでもいいわけじゃないけど、ピークを五輪に持っていけるように、それ以前にはピーキングしないようにやっていく予定だ。五輪の場にベストの状態で立てるように、自分を前進させていきたいと思っているよ」
 夏のはじめ、フェルナンデスはスペインに戻って家族と休暇を過ごしたが、その直前の5月上旬の1週間で、デビッド・ウィルソンと新しいプログラムの振付をおこなったという。 [←余談ですがここ、原文ではnew programsとなっているんです。SP/フリーの両方を指すのかどうか…。フリーはカート・ブラウニング振付という情報が出ていますが、その後ほかの記事が出てこないので何か気になるんですよねぇ]
「たった数日のうちにプログラムの振付をするのは、とても大変なことも多いけれど、休暇に発つ前にかなり形にすることができたんだ。そのあと自分で曲をかけて練習できるようにね。だから、トロントに戻ったとき、もし変更や修正が必要な点があれば、すぐに取り掛かれるんだよ」
「スペインにいる間、スケートは2週間休んでいた。その後、練習を再開したけど、いつものシーズンよりはゆったりした内容でやっている。氷となじんでいられる程度にしているんだ」
 今シーズンの彼のGPSは、NHK杯とロステレコム・カップだ。「世界選手権で3位に入ると苦労するんだよ。上位2人と同じ大会には出られないから。僕はカナダ大会に出たかったんだけど、パトリックが出るから無理だったんだ」
 
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インタビュー 「ハビエル・フェルナンデス 歴史になる」〜以
またまたハビエルくんの記事ですみません
しかも新情報でも何でもないんですが(^_^;) アメリカのフィギュア雑誌『International Figure Skating』8月号に掲載されたハビエルくんのインタビューがなかなか味わい深いものだったので、ぜひご紹介したいなあと思っていたんです。
インタビューが行われたのは今年の6月頃、おそらくドリーム・オン・アイスで来日する少し前ぐらいだと思われます。けっこう長めなので、2回に分けてアップしたいと思います。1回目の今回は、子供の頃からトロントに移るまでのお話です。

 元記事:
  International Figure Skating
  (volume 19, issue 4, August 2013)
 "Javier Fernandez  Gliding Into History"  
  Story and photos by Susan D. Russell

「ハビエル・フェルナンデス 歴史になる」〜以

ハビエル・フェルナンデスがフィギュアスケートの世界に入ったとき、自分がいつか国際大会の表彰台のてっぺんに立ち、母国のスケート史を次々と塗りかえる日が来ようとは、彼は想像すらしてなかった。
スペインのスターにとって、昨シーズンは特別なものだった――

 男子フィギュア選手の多くがそうであるように、ハビエル・フェルナンデスがフィギュアを始めたきっかけは、姉にくっついてリンクに行ったことだった。
「姉のラウラがテレビでフィギュアの大会を見て、自分もやりたいと言いだしたんだ。それがすべての始まりだった。僕はただ姉のまねをしたんだ」ハビエルはふりかえってそう言った。「ラウラは柔軟性が高くて、とても美しいスケーターだったよ。シングルの選手としてヨーロッパ選手権や世界選手権に出て、その後アイスダンスに転向した。でもそこで大学に入る決断をして(引退し)、今はコーチをやっているんだ」
 当時スペインでは、多くの人がフィギュアは女子がやるスポーツだと考えており、フェルナンデスも子供時代、同性の友達から数えきれないほどからかわれてきた。
「みんな、フィギュアとバレエは女の子のものだと思ってたんだ。でも、スポーツが男子だけとか、女子だけである必要なんてないだろ? もし女の子がサッカーをやったら? スポーツはみんなのものだ。子供のころって周囲の声を気にするものだけど、僕はこの時点で気にするのをやめたんだ」
 フェルナンデスの両親は、何でも好きなことをやるよう常に励ましてくれたという。「あなたがこのスポーツがやりたいならどんどんやりなさい、ふたりはそう言ってくれたんだ」
「スケートを始めた一番最初の日から、僕はスケートが大好きになったんだ。確か6歳のときだったと思う。8歳になって、自分が本当にスケーターになりたいかどうかよくわからなくなって、2、3週間リンクから離れてほかのスポーツをやってみたことがある。サッカーとかテニスとかね。でもスケートがすごく恋しくなっちゃって、戻ってきたんだ。それ以来、二度と離れたことはないよ」
 ふりかえると、友達と遊んだり、スケートのせいでできなかったことはたくさんあった。でも今は、スケートを続けてきた価値はあったと思っている。
 初期のころには、Ivan Saez、Carolina Sanz、Jordi Lafargaといったスペイン人コーチの指導を受けていた。練習リンクは、マドリードのすぐ隣にあるマハダオンダという街のリンク。その後、スペイン北部のハカという街に移り、約1年半ここで練習をおこなった。
 フェルナンデスがフィギュアのトップの世界と初めて触れ合ったのは、ロシアの伝説的コーチ、アレクセイ・ミーシンが主催する夏の合宿に参加したときだった。
 はじめのころは世界に出ていきたいなんて全く考えていなかった、とフェルナンデスは言う。「スケートをトップレベルで考えたことなんて全然なかったよ。いや、どんなレベルでもね。基本的に、ただ趣味として滑っていたんだ」
 ジュニア・グランプリ・シリーズに初出場したのは、オランダの大会で、順位は23位だった。これはある理由から忘れることのできない大会になったという。
「僕の前に滑った選手がひどい出来だったんだ。すると、スペインのスケート連盟の人がやってきて、僕の父がこう言ってたと言うんだ。“なんてこった、もし息子がこんなまねをしたら、俺は死んでしまうぞ”って。そしたら、僕はその選手と同じぐらいか、もっとひどい出来だったんだよ」フェルナンデスはそう言いながら笑った。「もうグダグダで、転倒とステップアウトの連続で、本当に最悪だった。フリーのディダクションが5か6だったんだよ。あれはすっごくおかしかったな」



人生の転機

 2008年、彼はニコライ・モロゾフが主催する夏の合宿に参加した。そのとき17歳だったフェルナンデスにとって、これは人生を変えるできごとになった。
「その合宿でニコライに、僕があんまりいい状態じゃないのが伝わったみたいでね。その頃僕は、壁にぶつかっているような気がして、何をすればいいのかわからなかったんだ。合宿の終わりに、ニコライとのミーティングがあった。彼は僕にはとても才能があると思うと言い、アメリカに来て自分のチームに加わらないかと言ったんだ。びっくりしたよ」
「その夏、彼の合宿に参加したときには、自分が国際的な選手になるなんて夢にも思ってなかったんだ。で、彼の教え子のすごい選手たちがみんな集まってきたのを見て、目を丸くしてしまった。ニコライに感想を聞かれて、僕は言った。“ワオ、これ、ありえないよ!”って」
 モロゾフは、自分のチームに入るかどうかその場で決めるよう彼に迫ったという。「僕は思った。これは世界トップクラスのコーチに教わる、またとないチャンスなんだって。僕の人生で本当に重要な決断だった。僕は“はい”と答えた。両親に話したのは国に帰ったあとだったけど、問題は全然なかったよ。両親はいつも僕を支持してくれるから」
 それから2週間後、フェルナンデスはアメリカのニュージャージー州ハッケンサックに移り住んだ。
「僕は17歳で、家から離れて暮らすのはそれが初めてだった。まさに“新世界”だったよ」フェルナンデスは笑顔で言った。「ラッキーだったのは、僕のコーチのひとりにアメリカでの仕事のオファーがあって、彼も一緒に来てくれたこと。彼と1年近く2人で暮らしたんだ。彼が一人暮らしのコツやいろんなことを教えてくれたんだよ」
「スペインを離れるぐらいで、もしかすると成功できるかもしれないって考え始めたんだけど、まだ自分はそこまでの選手じゃないと思っていた。まわりにいる選手のほうがはるかに優れていたから、僕にはとうてい無理だと思っていた。それがその頃の気持ちだよ。でもその後、試合に出続けて、少しずつ上に上がっていって、ある日自分にこう言ったんだ。もしかしたらできるかもしれないぞ、ひょっとすると不可能じゃないかもしれないぞって」
 転換点になったのは2008-09シーズンだった。ヨーロッパ選手権で9位、世界選手権で19位になり、2010年冬季五輪の枠をスペインにもたらしたのだ。スペイン男子が五輪に出場するのは、1956年のDario Villalba選手以来、54年ぶりのことだった。
 バンクーバー五輪でのフェルナンデスの結果は14位。Villalba選手と同じ順位だった。
 
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カテゴリ:ハビエル・フェルナンデス | 16:01 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
ハビエル・フェルナンデス、新プロはジャズとジャズ!
ついに来ました、ハビエル・フェルナンデス選手の新プログラム情報!



5日ほど前に、ハビくんが所属するIMGのエージェントのデビッド・バーデン氏が、インスタグラムに新プロのごく短い動画をアップしていましたが、昨日から今日にかけて、ついに曲名が正式に発表されました。
スペインのフィギュア情報を発信しているHielo Espanolというサイトがスペイン語で「独占発表」! スペイン語→英語への自動翻訳→さらに日本語訳で申し訳ありませんが、ざっと内容だけまとめてみました。

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SPは「Satan Takes a Holiday」で再びのジャズ。(→元記事
曲はアメリカのトランペット奏者でバンドリーダーのラリー・クリントンが1937年に作曲した「Satan Takes a Holiday」。1980年代半ばにロビン・カズンズがこの曲で滑ったのを覚えている方も多いだろう。生き生きとした楽しいジャズナンバーで、ハビエルが2シーズン前に滑り、好成績を上げたSP「I Love Paris/Petit Fleur」の路線を受け継ぐプログラムだ。
[追加情報]振付はデビッド・ウィルソン。

フリーは「Peter Gunn/Harlem Nocture」でジャズ&ブルース。(→元記事
振付は世界王者に4度輝いたカート・ブラウニング。サックスの音色が印象的な、現代的でダイナミックなブルースとジャズの曲を使う。
前半の曲はブルースで、ヘンリー・マンシーニ作曲の、テレビドラマ「ピーター・ガン」サウンドトラック。「ピーター・ガン」は1958〜1961年に放映されたブレイク・エドワーズ制作のドラマで、ジャズを愛する私立探偵が主人公。その後、ブルース・ブラザースが映画化して有名になった。
後半の曲はジャズで、アール・へーゲンによる「ハーレム・ノクターン」(ルイ・プリマ指揮のバージョン)。
ハビエルのキャラクターに合ったエキサイティングな編曲だ。
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…というわけで、なんとSP、フリーともジャズ路線。しかもフリーは、あのカート・ブラウニング振付なんですね。これはびっくり! カートさん、もう競技プロの振付はしないと言っていたはずですが、それほどハビくんに魅了されてしまったってことでしょうか!?
【訂正】フリーの振付はカート・ブラウニングではなくデビッド・ウィルソンだそうです。(じつはJapan Open 2013の前後におこなわれたハビエルくんのファンミーティングに参加させていただいたのですが、その席でハビエルくん自身がそう言ってました。申し訳ありません、訂正させていただきます)

このSPで、エージェントさんが上げていた動画というのがこちらです。(この動画に「フリーですよ」というコメントがついていたせいで、もー個人的に大変だったわけなんですが、それは置いといて…)

曲はこちらですね。(バージョンはおそらく違いますが)


そして、1980年レークプラシッド五輪金メダリストのロビン・カズンズさんの演技というのがこちら。

 
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カテゴリ:ハビエル・フェルナンデス | 10:40 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
オーサー組のフェルナンデス、羽生…チャンに対抗できるか!?
公式練習のレポもどんどん入ってきてますね、2013年ワールド。気になる日本男子ですが……初日の練習ではあんまり調子がよくないとか? うぐぐぐぐ……まあ、明日の練習、そしてなんといっても本番では、びしっと気合が入った演技を見せてくれるに違いないですからねっ、ちっとも心配してませんけどねっっっっ(泣)。

さて、戦前の予想では、ほとんどの関係者が「パトリック、フェルナンデス、羽生」を3強としてあげていましたが、こちらの記事でもそれは同じ。ただし、「パトリックvsフェルナンデス羽生組」という構図みたいです。
目新しい情報はありませんが、ブライアン・オーサーの人柄がよくわかっておもしろかったので、ぜひ。Free PressのRyan Pyetteという記者が3月11日付でアップした記事です。
 

「ブライアン・オーサーの教え子たち、パトリック・チャンに挑む」
 
カナダのフィギュアスケートの血統は、今週ちょっとおもしろい展開を見せることになる。
パトリック・チャンは、ロンドンで開催される世界選手権で、今年はじめにエルビス・ストイコからさずかった貴重なアドバイスを頭のすみに置きながら滑るだろう。
カート・ブラウニングは、水曜日からCBCの放送席に入って、そのチャンの動きを逐一分析することになるだろう。

では、ブライアン・オーサーは?
彼は、ワールド2連覇中のチャンを王座から追い落とす可能性が最も高いと思われる、2人の選手を指導している。ヨーロッパチャンピオンのハビエル・フェルナンデス(スペイン)と、日本の「衝撃の十代」羽生結弦を、トロントのクリケットクラブでコーチングしているのだ。

「2人は彼(チャン)に対抗できるよ。それは確かだね」
月曜日、会場のバドワイザー・ガーデンズでフェルナンデスが最初の練習を終えたあと、「カナダの伝説」と呼ばれるオーサーはそう語った。
「まあ大丈夫さ。これが僕のやるべきことなんだから、カナダ人選手のコーチをしていないからといって、罪悪感を感じるとかそういう問題じゃないんだ。1988年(のカルガリー五輪)ではカナダ人振付師が(アメリカの)ブライアン・ボイタノの手助けをしていたから、これでおあいこだね」
そう言って、オーサーは笑った。
「これが仕事なんだから。僕はスケートが大好きだし、スケートを教えることが大好きだからこれをやってる。今はこうして才能ある選手を教える機会に恵まれている。そんな選手を指導することができるのはコーチの夢なんだよ。すばらしいことさ。どの国の選手かなんてどうでもいいんだ」

カナダではすでに大スターであるオーサーだが、フィギュアスケートがまだそれほど人気がない国にもこの競技を普及させている。
1月にフェルナンデスがヨーロッパ王者となって歴史を作ったとき、オーサーは即座に、フェルナンデスの役割が増したことを感じたという。
「彼が優勝した瞬間、僕は彼のチームのリーダーに言ったんだ。飛行機の予約を変更して、すぐにマドリードに戻り、2日間メディア対応にあてるべきだと。なぜならスペインのメディアはフェルナンデスを国に迎え入れ、彼のことを詳しく知るべきだと思ったからさ」
「それは彼のためにもなるし、フィギュアというスポーツ、スペインのフィギュアスケート、そしてスペインという国のためにもなる。スペインには今の経済の状況から立ち直る景気づけが必要だからね」
フェルナンデス自身が認めていることだが、フィギュアはスペインではまだ大した存在ではない。人気を高めるためには、これから彼がたくさんのメダルを獲得しなくてはならない。
それでも、彼は今回のスペイン行きではVIP待遇を受けたし、スペイン人の若者としては最高の特権を得た――サッカーのレアル・マドリード対バルセロナの試合の特別席だ。
「彼はチームのオーナー席に座ったんだ。インタビューを受けたりしてね。そして彼がピッチに出ていくと、選手全員が自分のサインを入れたユニホームを彼にくれたんだ」オーサーはそう語った。「彼にとっては夢が現実のものになったような感じさ。そして、そういう注目をあびることを、彼自身けっこう気に入っているんだ。まあ、気に入らないわけがないけどね」

フェルナンデスは、オーサーの地元であり生まれ故郷であるカナダで、常に期待にこたえてきた。2年前ミシソーガでおこなわれたスケートカナダではスペイン人初となる歴史的なグランプリメダルを獲得し、昨年秋ウィンザーで開催されたスケートカナダではパトリック・チャンを破っ(て優勝し)た。
こうした結果がカナダ人にとってより印象的であることを、彼はコーチのオーサーのせいで十分わかっている。オーサーの元教え子であり、オリンピック金メダリストのキム・ヨナがそうだったからだ。
「彼は偉大なチャンピオンだったんです」とフェルナンデスは言う。「ここカナダでは人々がふつうに彼に話しかけてくることがよくあるし、彼もみんなに気さくに接します。誰もがそれが当然だと思っている感じです。彼は今でもブライアン・オーサーなんですね。どんなに昔のことだって関係ないんです。でも、僕にとっては彼はコーチ。コーチと選手として一緒に練習して、それが終わればそれぞれの生活を送っています」

彼は現在、羽生とともにオーサーの知識を学んでいるところだ。
「今のところ、うまくいってるよ」とオーサーは言う。「2人一緒の練習もうまくいってるし、お互いに助け合ってる。同じストレスを経験し合えるチームメイトがいると、プレッシャーもいくらか減るんだ。同じ船に乗ってる仲間同士としてね。少なくとも、同じ日に調子を崩すということはないよ。フェルナンデスがまったくダメな日は、結弦が彼を助けてやる。逆もまたしかりだ」
「みんなが同時に調子を崩したら、 'Oh, God' って感じ…大変になるけど、あの2人は一緒に仕事していて本当に特別な子たちだよ」
今週、どちらかの教え子がすごいことをやってのけたら、きっとすばらしいことになるだろう。

今年はなんといっても、カルガリー五輪の有名な「ブライアン対決」から25年になる年だ。このとき、オーサーはライバルのアメリカ人選手、ブライアン・ボイタノに負け、2位に終わったが、最近、その苦い思い出のあるフロリダにまた来ませんかという、善意の招待を受け取ったという。
「ボイタノからは何も聞いていないが、招待は確かに受けたよ……ブライアンの金メダル25周年を祝いに来ませんかって。たぶん行かないだろうな」
オーサーは大笑いしながら言った。
「ちょっと本気なのかいって思ったよ。ほんとにこの僕を招待するつもりなのかいって」
オーサーはパーティで座をしらけさせる(=空気の読めない)人間ではないのだ。
でも、今週のワールドでは、彼は王のパレードに雨をふらせる人間になるかもしれない。


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 最後の「王」というのは、もちろんパトリック・チャンのことですね。

「どの国の選手でも関係ない、スケートが好きだから」・・・・・・なるほどそうなんですねぇ。だから、どの国の選手であっても自分の教え子にはものすごく入れ込むのですね!
そして、ハビエルくんがユーロで優勝した途端、即座にとった行動にもびっくり。カナダに帰るのをやめて、急きょスペインに帰国させろ、ただしメディアに与えるのは2日間だけだ!って、おっちゃん、さすがやで!!

ところで、twitterで教えてもらった情報によると、オーサーは「フェルナンデスは来季、フリーでクワド4本いけると思うよ」などと発言した模様。ナンデスって〜!!???
さて、気になる公式練習ですが、パトリックはやはりかなり好調なよう。フェルナンデスもまあまあのようですね。あーもう、練習情報が気になりすぎるのでこのへんで・・・・・。

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