カート・ブラウニング プロ20周年インタビュー【後編】@ Absolute Skating
カナダのレジェンド、カート・ブラウニングのロングインタビュー「後編」です。(前編はこちら
今回はその天才的な(?)振付手法の話から、解説者としての話、さらに今のスケート界やスケーターの話まで、あいかわらずのマシンガントーク炸裂です!長〜いですが、じっくりおつき合いください。

もと記事はこちら→Kurt Browning - twenty years a pro and still going strong



「カート・ブラウニング:プロ20年を経てなお現役」【後編】

Q:あなたはこれまで100以上ものプログラムを滑ってきましたが、今でもどんどん新しいアイディアやコンセプトがわいてくるんですね。なぜ常にインスピレーションを受け続けていられるんでしょう? アイディアはどこからわいてくるんですか?

カート:正直に言うと、僕の場合そんなに深いアイディアじゃない。ただ音楽を聞くと自然に浮かんでくるんだ。たとえば、僕がずっと転んでばかりいるプログラム(「Slippery Side Up」)があるけど、寝っころがって目を閉じてあの曲を聞いていると、転んでは立ち上がろうとして、また転んでは立ち上がろうとするイメージが浮かんできたんだ。曲をもう一度かけても同じことが起こったのさ。

Q:最近はほかの振付師に頼むことが減ってきましたよね。自分のプログラムを自分で振り付けることが増えているように思えますが。

カート:まあそうだね。でも僕はただ、自分がやりたいことを形にしようとしているだけなんだ。意図的に他の振付師を拒んでいるわけではないよ。ウィーバー&ポジェの振付もしているリンダ・ガルノーにやってもらったこともあるし、帽子のプログラムは主にジェフリー・タイラーによるものだ。全体をまとめたのは僕だけど、コンセプトを考え出したのは彼だからね。でも「Trust in Me」については、自分の中ですごくクリアにイメージが浮かんだんだ。“僕を信頼してほしい”というタイトルだけど、見ている人が信頼してはいけないような、あやしい人物を演じたいと思った。騙されてはいけないよ、と。

Q:1980年代のヒットソングを使った、ハビエル・フェルナンデスのエキシビション(「エアロビック・クラス」)。あれはあなたの振付ですが、ファンに大人気でしたよね。あのプログラムはどのように誕生したんですか?

カート:ブライアン(・オーサー)とハビに頼まれたんだ。おかしな(funny)プログラムを作ってくれって。僕は「fun or funny?」とたずねた。「楽しい」と「おかしい」は違うからね。彼らは「おかしなプログラムがいい」と答えた。そこで僕は目を閉じて、ハビのどんなところがすばらしいか、考え始めたんだ。彼は声がすばらしい。アクセントもすばらしい。北米人からすると、あのアクセントは必須要素だ。じゃあ、彼の声を入れるべきだって考えた。
次に、「おかしいものとは何か?」を考えた。で、80年代の音楽はおかしいじゃないかってことになった。それから、これは僕の妻のソニア(・ロドリゲス)がスペイン人でダンサーだというところから出てきたんだと思うけど、ハビは踊れるだろうか?闘牛士を演じられるだろうか?って考えた。そうして、なぜだかこう思ったんだ。ハビがすごくおかしいといえば…そうだ、エアロビクスだ、って。よくわからないけど、ただそう思いついたんだよ。

振付師のサンドラ・ベジックはこのプログラムが大嫌いだったんだ。彼女は僕とブライアン・オーサーの面前で、これ嫌いよって言ったことがある。でも、彼女が嫌いと言ったのは、untrained(素人くさい、未熟)だから、という理由なんだ。確かにハビはしっかりと作りこんではいなかった。もともとの振付には、もっときめ細かい凝った動きがたくさんあったんだ。ユーモアというのはきめ細かくないといけないものだからね。ところがハビはそのあたりをきちんとやっていなかった。だから、サンドラがそう言うのも僕はわかるんだよ。
それでも、任務を果たすことはできた。ハビとは何者なのか、人々に示すことができたからね。みんなあのプログラムを見て、ハビがどんな人間か、強く感じることができたと思うんだ。そう、彼は今や「ハビ」、「スーパーハビ」だよね。あのプログラムはすごく彼の役に立ったと思う。それに楽しかったしね。すごく楽しいプログラムだった。



Q:ここ数年、あなたはどの選手にも競技用のプログラムの振付は絶対にしない、というポリシーを貫いていますね。でも、きっと依頼はたくさん来るんでしょうね。ポリシーのわけを説明してもらえますか?

カート:2つの理由があるんだ。ちょっと変わってるかもしれないけど。自分が手がけたプログラム(を滑っている選手)の解説をすることには、いい面もあるんだろうと思う。人々に伝えるべき内部情報をもっているわけだからね。でも、よくない面もあるんだ。見る人にとって解説者は公平でなくちゃいけないから。実際にはもちろん僕らだって公平ではない。カナダ人だし、友達関係もあるからね。
でも、それは理由のひとつにすぎないんだ。僕が競技プロを引き受けない大きな理由は、競技プロの振付ができるほどルールを知ってるわけじゃない、ということなんだ。当の選手にとっても、これはよくないことだよ。僕はほかの人にちょくちょく指導してもらいながら振付せざるをえないから。そして、これには時間もかかる。とほうもない時間がね。僕にはそんな時間はないんだ。本当にストレスがいっぱいなんだよ。僕は今、生活のいろんな方面から引っ張られていてね。
とにかく時間はないわ、そんな振付を楽しいとも思えないわ、ほんとに「三振、アウト」って感じだったんだ。僕がスケートをするのは楽しいからさ。みんなにもスケートを楽しんでほしい。ところが、これ(競技プロの振付)は楽しくなかったし、選手にとってもフェアじゃないと思った。だから、もうやめてしまったのさ。

Q:あなたは長年フィギュアの解説をされてきましたが、オリンピックの解説は今回が初めてでしたね。いかがでしたか?

カート:オリンピックについて自分の考えや意見を言うなんて、ものすごく責任重大なことだ。僕はこの仕事を重く受け止めて、自分のベストをつくそうと努力した。苦労したのは、フィギュアスケート的には今回のオリンピックは波風の立たないものではなかったこと――まあ、いつだってそうなんだけどね。そのせいで、できれば話題になってほしくなかった話題について、かなり多数のインタビューに答えなくてはならなかった。それでも、ソチという場所はすごく気に入ったし、すばらしい経験だったよ。幸運にもまたやらせてもらえるチャンスがあったら、僕はきっと飛びつくね。[*カートの言う“話題”とは、大議論が巻き起こった女子の採点問題や、カナダ男子悲願の金メダルが取れなかったことなどを指すのかなと思います]

オリンピック解説で心がけていたこと、そして時に難しいなあと思ったのは、自分語りにならないようにしなくちゃ、ということだった。オリンピックの現場で起きていることだけを伝えなきゃ、と思っていた。じつは、ツイッターでこんなことを言われていたんだ。「なぜあなたはすぐ自分のキャリアの話を持ち出すの?」って。僕だって持ち出しすぎないようにはしていたけど、でも僕がこの仕事を頼まれたのはそのためだろう? オリンピックの舞台に立って、これから自分の人生が変わっていく…それがどういうものなのか、僕は知っているんだ。でもスケートは水物で、どっちに転ぶかわからない。そんなときには自分自身のキャリアを引き合いに出すしかないんだよ。それでも、僕は「ごもっともです。あまり頻繁に持ち出さないようにしますよ」って返事をする。言われたことにいつも賛成できるわけじゃないけど、とりあえずツイッターの人たちに「はいはい、そうですね」と言っておくこともあるよ。意地悪な意見であっても、いいアドバイスもあるからね。

Q:最近はショー出演や解説や振付だけでなく、いろいろなことでいつも大忙しのようですね。ほかにどんなことを抱えているんですか? 何か課外活動でも?

カート:僕の課外活動は、僕の2人の子どもたちだと思う。今までよりもっと家にいられるように努力しているんだ。この1年は忙しかったよ。「雨に唄えば」をより多くの観客に披露するために――自分自身このプログラムを楽しんで滑りたいと思っていたし――ショーの数を増やしていたから、忙しくなるのはわかっていた。最後に「雨に唄えば」を滑ったのは3月の「Art on Ice」ヨーロッパツアーだったんだけど、怪我のせいであまりいい演技はできなかったな。その後もいろんな誘いを受けているけど、かなりのショーをことわっているんだ。ことわることは、実際やてみると思っていたより簡単だった。これまでいいキャリアを送ってこれてありがたいと思っている。今はもっと家ですごすべき時期なんだ。

Q:現在の競技スケートについての質問です。今季はシングルとペアでも歌詞入りの曲を使えるようになりますが、これについてどう思いますか?

カート:歌詞が導入されることで、僕ら(解説者)が話すべき話題が増えることは確かだね。ただ、演技中に解説するという点では、やっかいごとが増えることになる。スケーターが演技しているのにかぶせて解説をするのは難しいものなんだ。僕らがどんなに有意義なことを言おうと、演技を邪魔しているだけだからね。今度はさらに歌詞まで邪魔してしまうことなる。見ている人はエキシビションほど歌詞に注意を払うことはないだろうと思うけど、解説者としては乗り越えなければならないハードルが増えることになるね。

僕がどう思うかって? 楽しみにしているよ。でも、プログラムによってはとても効果があるだろうけど、歌詞が命取りになる場合もあるだろう。それがすごく心配だよ。ただし、アイスダンスを見ている限り、歌詞に気をとられることはめったにないから、この点については僕は楽観視してるけどね。

Q:先日、ISUのチンクワンタ会長がフィギュアスケートについて大胆な変革を提案しましたね。この改革案についてはどう考えますか?

カート:その質問にはひとつの答えじゃ足りない。論文が必要だよ。もしも僕がその質問に的確に答えられるほどフィギュアについての知識をもっていたら、自分が会長に立候補しようとするだろうね。でも、一般的な原則として、フィギュアスケートのことはフィギュアスケーターが運営すべきだとは、単純に思うよ。

Q:スケーターはよく、子供のころ刺激を受けた選手は誰?と聞かれますが、あなたが今、刺激を受けている選手は誰でしょう?

カート:今かい? まずテッサとスコット、特にスコットだ。なぜなら僕と同じく男子スケーターだから。そして彼の演技を見ていると、この人こそ氷上で本当に演じることができる人間なんだなあ、と感じるんだ。スケーティングスキルは突き抜けているし、氷上に特別な時間をつくりだすこともできる。驚くべきペアスケーターで、超一流の選手だよ。彼には刺激をたくさんもらっているよ。それとジョー(ジョアニー・ロシェット)にも。彼女はどんどんうまくなるからね。本当にいまだに向上している。僕はそういうスケーターが大好きなんだ。
ほかにはどうだろう? ジャンプという面ではたくさんの選手がいるよ。僕は大のユヅ(羽生結弦)ファンなんだ。ユヅ、パトリック、そしてハビ。この3人の子たちにはほんと、「わーお!」ってなるよ。芸術性という面ではどうかな? 僕はシェイリーン(・ボーン)のスケーティングが大好きなんだ。彼女は常に僕のリストに入っているね。ジェフ(リー・バトル)も、振付的にとてもすごいことをやっていると思う。彼はこれから、フィギュア界で重要な一角を占めていくことになるだろうね。キーパーソンになるだろう。彼にはこれから長い振付のキャリアが待っているし、大いなる成功が待っていると思うよ。



てれネコ …長い長いマシンガントークにおつき合いいただき、ありがとうございました〜!
本当に話し出したら止まらない感じですね。カートと飲み屋でスケート談義とかできたら楽しいだろうなあ。ただし、このトークをキャッチできる耳が必要ですけど(^_^;)
「スーパーハビ」の振付の話を読んで思ったのは、カートは理屈や理論で振り付けていくんじゃなくて、曲を聞くと勝手にイメージがどんどんわきあがってくるんですね。かなり感覚的というか、天才肌の人なんだなあ。確かにこの発想には競技プロの振付は合わないのかもしれませんね。
最後の写真は、美しい奥様と息子くんたちとカート。お世辞でなく本当にかわいいです、息子くんたち。「生活のいろんな方面から引っ張られていてストレスがいっぱい」と言うカートさん。ただ多忙なだけでなく、何か事情があるのかな、とちょっと心配になってしまうのは考えすぎでしょうか…。

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カテゴリ:北米男子 | 12:07 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
カート・ブラウニング プロ20周年インタビュー【前編】@ Absolute Skating
暑いですね! めったに風邪をひかない私ですが、よりによってこの猛暑の中風邪を引いてしまいまして。夏風邪はお腹にくると言いますが、本当にめっちゃ来ちゃいました…消耗した〜。みなさんもどうぞお気をつけて!

さて、カナダのレジェンド、きカート・ブラウニングきのロングインタビューがAbsolute Skatingに掲載されていました。
今年、プロに転向後20年になるそうで、これまでのプロとしてのキャリアのこと、今のスケート界のことなどなど、たっぷりと語ってくれています。今年4〜5月の「Stars on Ice」カナダツアーの合間に取ったインタビューだそう。

…すみません! 最初に言い訳してしまいますが、カートさん、相変わらずのマシンガントークで! とにかくガンガンまくしたてているのが文字から伝わってくる文章なので、正しく意味を取れていないところもあるかもしれませんが、どうかお許しください。もし誤解・誤訳など気づかれたら教えていただけるとありがたいです〜(←毎回このパターン(^_^;)

かなり長めのインタビューなので、前編と後編の2回に分けて掲載したいと思います。まずはプロフィギュアの世界について語った前編からどうぞ〜。

元記事はこちら→Kurt Browning - twenty years a pro and still going strong



「カート・ブラウニング:プロ20年を経てなお現役」【前編】

20年前、カート・ブラウニングは正式にプロに転向した。五輪の出場資格をもつアマチュア選手を引退して、プロとしてのスケートに専念することにしたのだ。
現役時代の彼のキャリアは、どこから見ても成功にいろどられたものだった――世界初の4回転ジャンパーであり、世界選手権では金メダル4回に銀メダル1回、五輪に出場すること3回――だが、プロとしてのキャリアはさらに別次元だ。以前開催されていたプロフィギュア選手権では圧倒的王者。その後もスケーター・解説者・振付師としてフィギュアスケートに多大な貢献をし、優れたアーチスト、エンターテイナー、そして革新者として広く知られている。プロになって20年の今でも、アジアやヨーロッパ、北米の数々のショーで精力的に滑り続けている。
そんなカートが、「スターズ・オン・アイス(SOI)」カナダツアーの忙しいスケジュールの合間に、自分のキャリアについて、そしてスケート全般について語ってくれた。

Q:プロ20周年おめでとうございます! 20年も精力的に滑り続けることになるだろうと、自分で予想されていましたか?

カート:いやいや、そんなこと思ったこともなかったよ。でも、それは無理だろうと思っていたからじゃない。そんな心配をする必要がなかったんだ。スコット(・ハミルトン)が滑り続けている姿を見ていたし、ブライアン・ボイタノだって僕より年上だけどずっと続けていた。ヨゼフ・サボフチクだって、ブライアン・オーサーだってそうだった。しかも、今名前をあげたうち2人はまだショーで滑っているんだから。ね、僕はまだ一番お兄さんってわけじゃないんだよ。

Q:プロとしてのキャリアで一番のハイライト(輝かしい思い出)は何でしょう?

カート:ショーが終わって飛行機に乗り、きれいなスチュワーデスから飲み物をもらう瞬間だね。それと、スコット・ハミルトンやタラ・リピンスキー、スティーブン・カズンズ(イギリスの男子選手。1992年から3度五輪に出場)、ゴーシャ・サー(1993年と95年に全米選手権で優勝した旧ソ連出身のアイスダンス選手)やそのパートナーのレネー・ロカ、クリスティーン・ヒューとダグ・ラドレ(カナダのペア選手。2人で1988年と92年に五輪出場)、クリスティ・ヤマグチにカタリナ・ビット…そんなすごく偉大な人たちと、一緒に飛行機で飛び回ったことだね。みんな大スターたちだ。僕らはスターだったんだよ。本物のスターだった。そんなライフスタイルを知り尽くしていたんだ。
申し訳ないけど、最近の子たちがけっして味わえないような生活だった。いや、今の子たちだってみんなすばらしいスケーターだよ。今年のSOIトロント公演には1万人の観客が入ったんだ。みんな確かにスターだし、人気者だ。でも、当時とは全然違ったんだよ。当時はすごい熱気だった。

でも、今年のSOIは、十数年ぶりにあの熱気に一番近いものを感じたショーだった。リンクにただよう雰囲気がね。バンクーバー五輪後ではなく、今年のSOIがそうだったんだ。パトリック(・チャン)は本当に特別だった。彼のスケーティングは特別だった。そしてテッサ(・バーチュー)とスコット(・モイヤ)も特別だった。そう、今年は昔の雰囲気にちょっぴり近いものがあったんだ。プライベート・ジェットはなかったけどね。
でもまじめな話、ショーが終わったら送迎用のプライベート・ジェットが待ってたんだぜ。とんでもない。とんでもない話だよ。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでSOIの公演をしたこともあった。ブルース・スプリングスティーンみたいな本物の有名人がわざわざ僕らを見に来てさ。この先、フィギュアスケートがあの当時の半分でも有名になることって、僕が生きているうちにあるのかなって思うよ。



Q:韓国ではどうでしょう?

カート:韓国ではそれを感じたね。ただ、僕は熱気を作り出した側のひとりではなかった。あれは韓国で創り出された熱気だった。自分がその一部になれてうれしかったよ。けっして忘れない経験だと思うし、ずっとスケートを続けてきたおかげでキム・ヨナの時代にリンクの中心に立つことができて、ほんとに幸運だったと思っているよ。そうだね、あれもハイライトのひとつだ。[*カートは2011年と2013年のAll That Skateショーに出演しています]

他のハイライトといえば…個人的な思い出がたくさんあるよ。まだ4回転が希少価値だった時代に、たまにショーで4回転を跳んだこと。トリプル・アクセルを降りたときには、いつだって大興奮した。その後3日間、宙に浮いているような気分だったものだよ。まあ、僕の個人的な思い出にすぎないんだけど。
でもほんとに、たくさんの思い出が幾重にも重なっているんだ。例えば、「トラスト・イン・ミー」(カートがSOIで滑るプログラムのひとつ)でいい演技ができたときは、自分とお客さんの間に何かが生まれるのを「感じる」んだ。それがハイライトなんだろうな。もしひとつだけ選ばなくてはならないとしたら、それなんだと思う。僕はずっとそれを追い続けているんだ。あのプログラムを滑りながら、観客が僕と一緒に盛り上がっていくのを感じる…「ハイ」になる瞬間。僕はそれを求めているんだ。それが自分に必要なもの。そうだよ! それがおそらく最高のものなんだ。観客と一緒にビリビリ盛り上がって、調和していく。しかも、それがリアルだとわかってる。「〜と思う」じゃない、わかっているんだ。それが僕が求めているもの。それが僕の「ハイ」だ。

Q:あなたがプロとして活躍してきた20年の間に、プロフィギュアの風景は大きく変わりましたね。北米で人気が頂点に達し、その後衰退して他の国々に移っていくところを見てこられました。このことについてどう思いますか? プロフィギュアはスケーターや、フィギュアスケート、フィギュアファンに何をもたらしてくれるのでしょう?

カート:今の質問の最後の一文を聞いて、僕の胸に響いてくるものがあったよ。それを聞いて思ったのは、今はプロフィギュアなんて存在しないも同然だってこと。少なくとも20年前の、プロスケーターだけの大会が16000人もの観客を集めた時代のプロフィギュアとは違うんだ。グランプリ・シリーズが始まったときが、プロフィギュアが本格的に凋落し始めた頃と一致するような気がする。このふたつ(GPSとプロフィギュア)にはなんらかの因果関係があったんだろうなと思わざるを得ないよ。それに、ちょうど1990年代に華々しく活躍したスケーターが、みんな引退し始める時期でもあった。そのせいもあっただろうね。

あの時代がもう終わったことはわかってるよ。でも最近は、ワールドや五輪のタイトルをもっていないスケーターも、お互いに協力し合って、勢いをつけてきているんだ。才能があって、自分の何かを見せたいという気持ちをもったスケーターたちが、演技を披露できでる手段を見つけつつあるんだ。簡単なことじゃないけど、フィギュアファンにぜひ目をとめてもらえるといいな。世の中には本当にすばらしいスケーターがいるんだから。

プロフィギュアが他の国に移っていることについては、まあ、フィギュア人気というのは世界中を移っていくものだからね。それでもまだ、人気の中心は現役選手であって、プロではないと思う。マオ(浅田真央)とヨナが、彼女たちが手にした名声をどう使っていくのかは、楽しみなところだね。ヨナはもう滑ることを完全にやめたという話を聞いたけど、もしそれが本当なら、エンターテイメントとしてのフィギュアの成長にとって、大きな打撃になるだろうな。

Q:プロスケーターの試合が成立する余地はまだあるでしょうか?

カート:今はないと思う。プロスケーターと定義できるスケーターが十分にはいないからね。才能あるプロスケーターたちがいることは認識されてきていると思うし、若手の振付師にとっては、このインターネットの時代が力になっていると思う。インターネットは彼らが知識を得たり、自分の実力を世の中に示したり、人々に認知されてフィードバックを得たり、という場になっている。これはフィギュアスケートにとって助けになっていると思うよ。動画を初めて見て、「へえ、このスケーター、いいじゃない!」ってなるような、すばらしいスケーターはたくさんいる。そんなスケーターたちにSOIに出てもらうのもいいだろうね!
今問題なのは、僕らの時代にくらべてアマチュアの選手たちがお客さんの目に触れる機会が少ない、ってことなんだ。1年で100回も公演すればたくさんのことを学べる。今の現役選手は僕らの頃よりたくさんの試合には出ている。だからある意味、彼らはすでにプロフェッショナルなんだけど、彼らには試合が何より大事だから、試合以外のことはちょっと二の次になってしまうんだ。僕らが全盛の頃は、SOIの第2部でどんなプログラムを滑るかは、五輪のフリーで何を滑るかみたいな、それほど重要なことだった。プロだけのイベントが成立するほどチケットが売れるスケーターは、今はそれほどいないと思うな。
(後編へ続く…)


ちなみに今年のSOIよりファン撮影動画「Trust In Me」→
SOI2014のプロモーション動画→

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四葉のクローバー マシンガントーク、きちんと通じているでしょうか…?
いやーしかし、カートが語る20年前の北米でのフィギュア人気、というかスケーターのセレブっぷり、すさまじいものがありそうですね。あのレジェンドたちがプライベートジェットの機内で、きっとシャンパンでも飲みながら(←イメージです)夜な夜なつるんでいたとは…
そして、思わず今の日本でのフィギュアの過熱ぶりを思い浮かべてしまいました。今から20年後、私たちも「あのころはたまアリに18000人も詰めかけて、毎日テレビでスケーターの姿を見ない日はなかったんだから」なんて言うようになるんでしょうか…。

【後編】では、「スーパー・ハビ」振付の裏話(?)や、振付に対する思い、今のスケート界についてのお話etc...が出てくる予定です!


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カテゴリ:北米男子 | 16:52 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
ナムくん、新プロでシニアに本格参戦! GoldenSkateインタビュー
現・世界ジュニアチャンピオンにして、カナダのホープ、ナム・ニューエンくん。(日本のメディアでは名字を「グエン」と表記することもありますが、私は一応現地読みに近い「ニューエン」を使っています。でも、そろそろグエン派がメインになるのかしら…)
先日はファンタジー・オン・アイス新潟公演に出演して、世界のトップスケーターと共演。元気いっぱいの写真もたくさん残していってくれました。このところのナムくん、TwitterやInstagramで積極的に情報発信してくれて、(オカン目線ではちょっと心配なこともあるけれど…)ファンにはありがたい限り。そして、これからカナダ、そして世界のトップ選手になっていく姿を目撃していくことができるんだと思うと、すごく楽しみな存在です。

そんなナムくんの最新記事がGoldenSkateにアップされました。新潟からカナダに帰ってすぐ、コーチのオーサーと一緒に受けたインタビューのようです。

元記事はこちら→No more “cute factor” for Canada’s Nam Nguyen  July 11, 2014



「もう ”かわいい” は卒業したナム・ニューエン」

カナダのナム・ニューエン(グエン)は、新シーズンのはずみをつける初戦として、「Thornhill Summer Skate」(8月14-17日)に出場する予定だ。さらにその後、新しく開設されたシニアB級大会の「Skate Canada Autumn Classic」(オンタリオ州)に出る可能性もあるという。
「どうなるかはカナダスケート連盟の判断によるんだけど、僕はすごく出たいと思っていますよ」と、ナムは話す。

ナムは、オンタリオ州トロントを練習拠点としている2014年世界ジュニアチャンピオン。今秋はGPアメリカ大会と中国杯に出場予定だ。
「GPSのあとはオンタリオ州キングストンでカナダ・ナショナルがあります。(来年3月の)上海ワールドに出られたらいいな、と思っているんですけど、そのためにはナショナルでいい結果を出していい演技ができるかどうか、ですよね」

ナムは現在16歳。今年は2本の新プログラムを披露する。SPはニーナ・シモン(アメリカのジャズシンガー)の「Sinnerman」、振付はジェフリー・バトル。フリーはニーノ・ロータの「 La Strada(道)」、デビッド・ウィルソンの振付だ。
「デビッドが『道』を聞かせてくれたとき、僕はすぐにものすごく気に入ってしまったんです。高橋大輔が2010年のオリンピックで滑った曲だし、ジェフも2002-03シーズンに使っていましたからね。もうひとつこの曲が気に入った理由は、すぐに自分にしっくりきた曲だから、ということもあるんです」

世界ジュニア以降8センチ近くも背が伸びたという。今年はいろいろな経験を積みたいと考えている。
「それと新しいプログラムでいい演技をして、世界に僕の力を見てもらいたいですね」

ナムはブライアン・オーサーの教え子だ。今は4回転サルコウの練習中で、「Thornhill Summer Skate」までには(プログラムに入れる)準備ができていると思う、と話す。
「クワド以外では、3Aに入るスピードをもっと上げるための練習をしています。今は3Aは安定して跳べるようになったので。それと、もっとGOEをもらえるように、スピンのスピードを上げてポジションの質を高める練習もしています。まだスケーティング全般でスピード不足なのはよくわかっていますから」

「ジャンプに入るトランジション(つなぎ)にも力を入れているんだ」と、オーサーは話す。「ジュニアからシニアに上がるのは大変なことだからね。僕らは常に前進している。常にたくさんのポイントに注意を払い続けているよ」

ナムはまだ若いけれど、GOEのことはよく理解している。今年の世界選手権でも、トップ選手たちはジャンプやスピンでとても高いGOEをもらっていることがわかったという。
「今はもうシニアとしてやっているのだから、自分のジャンプとスピンの全体的な質を高めて、少しでも得点が取れるようになりたいと思っています」と、ナムは言う。「特に力を入れたいのは、ジャンプの入りと出のスピード、それにジャンプの空中姿勢とスピン中の姿勢です。ジャッジの人たちにとって、子供みたいに見えたくない。僕は力強いジャンプとスピンができるんだってことを示したいんです」

「僕が初めてナムのコーチになって以来、彼は身体的にずいぶん成長したよ」とオーサーは言う。「少なくとも25センチは背が伸びたと思う。かなりの成長だよね。オリンピックとかGPFとか、僕がどこかへ出かけて帰ってくるたびに、彼が変化していることに気づくんだ。もう “かわいい成分” はなくなった。彼は青年になろうとしているんだ」
(*オーサーの言うcute factor「かわいい成分」についてはこちらで)

ナムは最近、日本の「ファンタジー・オン・アイス」に参加して、羽生結弦や安藤美姫、ステファン・ランビエール、ハビエル・フェルンナンデスらと一緒に公演した。
「日本ではすっごく楽しかったです。僕のスケートを応援してくれるファンの人もたくさんいるし!」とナムは話す。「すばらしいお客さんの前で演技できたのは、僕にとって貴重な経験でした。新しい友達がたくさんできましたし、あんなすごいスケーターたちと共演できたのは、本当に光栄だったな!」

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エルモ ナムくんの新SPもジェフ振付なんですね! 今年は振付を減らしていくと言っていたジェフですが、これで判明している今季のジェフ振付は、羽生くんSP、ジョシュアSP、キーラSP(持越し)、そしてハビエルの「Black Betty」もひょっとするとジェフ?と言われているのを合わせると、けっこうありますね。ただし全員SPですね。どんな意図があるのかジェフに聞いてみたい気がします。 
そして、こちらがナムくんSPの曲→ 昨季のSPもジャズ(小塚くんSPと同じ「Unsquare Dance」)でしたが、今季のは黒人女性ボーカル入り。モダンでソウルフルで、ずいぶん大人っぽい曲ですねぇ。フリーの「道」とあわせて、今季のナムくんはパフォーマーとしても上を目指しているんだなあという感じがすごくします。
もちろん、課題にあげているスピードやパワー、そしてクワドも習得し始めているようですし、今季どんな成長をとげてくれるのか、目が離せませんね!

とはいえ、こんなかわいい素顔も見せてくれるから、ついつい弟キャラ目線で見てしまうんですが〜。


でも、遥ちゃんと並ぶとこんなに背が高くなっているんですね。今後どんどん青年になっていくんでしょうけど、お茶目で明るい性格はそのままでいてほしいな。

そして、織田くんとこんな動画も!

これ、なんて言っているのか謎だったんですが、Twitterでフォロワーさんに教えていただきました。(ここでお礼を言うのもナニですがその節はありがとうございました!)
  "Froyo fo sho what's up swag!"
Froyoというのは、今、北米で大人気のフローズンヨーグルト(チョコレートやドライフルーツなどトッピングを山のようにかけで食べるのが北米流)の名前だそうです。fo shoはfor sure。what's upは「どうだい」「よお」ぐらいの挨拶。swagはイカしたヤツとか最高なヤツとか、まあ日本語でいえばあんまり意味なく「ヤバい」ぐらいのスラング。
「なんつってもフローヨーだぜ、よろしくだぜ!」てな感じでしょうか? 子どもの遊び(笑)につきあってあげてる27歳織田くんの包容力がすごいです(*^_^*)

*トップ以外の写真と動画はすべてナムくんのインスタグラムから。

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カテゴリ:北米男子 | 12:16 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
もうカナダの未来を託された? 世界ジュニア王者ナムくんとオーサー会見

みごと2014年世界ジュニア・チャンピオンとなったナム・ニューエンくん。カナダでは「パトリック・チャンの後継者!」「4年後の平昌五輪ではついにカナダの呪いをやぶってくれるのか?」と一気に期待が高まっている様子。
そんなナムくんですが、世界ジュニアを終えて、さいたまワールドに向かう前のあわただしい期間に、本拠地のトロント・クリケット・クラブで公開練習と記者会見を開いたようです。会見にはもちろんオーサーも同席。その会見についての記事です。「ソチ後」はもうすでに始まっているんですねー!(怖)

元記事はこちら→Nguyen’s world junior title shows future of Canadian figure skating is bright THE CANADIAN PRESS ON MARCH 18, 2014.

*ナムくんの名字は、とりあえず本人が言っているのに近い「ニューエン」でやってます。「グエン」「イングエン」諸説あるようですが…。



「ナム・ニューエンの世界ジュニア優勝で、
 カナダのフィギュアの未来は明るい」


2010年バンクーバー五輪のエキシビションに出演したとき、ナム・ニューエンは11歳だった。チェックのズボンと大きな丸めがねをつけて観客を魅了した、ちっちゃな神童だった。
フィギュアスケートの未来の象徴、という役割での出演だった。

その「未来」がこんなに早くやってくるとは想像もしていなかった、とナムは言う。世界ジュニア選手権の優勝からまもない火曜日、ナムは記者たちの前でこう話した。
「ほんとびっくりですよ。僕はオリンピックのリンクに立ったけど、ただエキシをやっただけだったから。でも、あれがきっかけになって、多くの人が僕の存在を知ってくれたと思います。その日から今まで、僕は一生懸命練習してきたし、その間に多くの成果もあげてきました。そして今、世界ジュニア・チャンピオンとして、こうやって話しているのだから」

ナムはトロント出身の15歳。トロントのクリケット・クラブで記者会見がおこなわれたこの日、彼はリンクでトリプルアクセルをやすやすと連発していた。この1年間で15センチ以上も身長が伸びたそうで、今シーズンの初期にはなかった大人っぽさも身につけ始めた。

ブルガリアのソフィアで開催された世界ジュニアでは、ショートとフリーの両方でノーミスの演技をし、フリーでは2本のトリプルアクセル――パトリック・チャンでさえ何度か足をすくわれてきたジャンプだ――に成功して、みごとタイトルを取った。世界ジュニアに出場できる上限より3歳も若い年齢での優勝だ。
「フリーの得点を見たときには、信じられない気持ちでした。国際試合であんなに高い点が出たのは初めてだったから…。(演技を終えて)キスクラに座ったときには、頭の中にたくさんのことが押し寄せてきました。“僕はすごい演技をしたんだ”とか、いろんなことを考えていた。そしたら得点が出て、“オーマイゴッド。信じられない!”って」

ナムの激動のシーズンはまだ終わりではない。来週には、東京で開催されるシニアの世界選手権にカナダ代表として出場するからだ。
そこにチャンは出場しないが、最近ではますますチャンと比較されることが多くなっている。
「僕が次のパトリック・チャンになるかもしれないって言う人もいます。ものすごく光栄なことだと思っているんです。彼は世界選手権3連覇の五輪銀メダリスト、それってものすごいことだから」

ナムがフィギュアスケートを始めたのは5歳のとき。チャンと同じように、もともとはホッケーのスケーティングスキルを磨くためだったという。
「パックを追いかけるより、ジャンプやスピンのほうが気に入ったんです」
その後、カナダ選手権のジュブナイル、プレノービス、ノービス、そしてジュニアの各レベルで優勝。そのすべてで最年少チャンピオンだった。

ナムは2012年の夏に、ブライアン・オーサーの指導を受けるため、バンクーバーからトロントへ移った。五輪銀メダリストに2度輝いたオーサーは、ソチ五輪では羽生結弦を、バンクーバー五輪ではキム・ヨナを、それぞれ金メダルに導いている。
クリケット・クラブでの火曜日の会見で、オーサーはこう語った。
「ナムが僕のとこに来たとき、僕は言ったんだ。“よーし、かわいい要素はもう卒業だ”って。確かに楽しくてかわいい演技だったよ。だれもが“わあ、彼ってかわいいわね”と言っていた。“でも、君もこれからは大人にならなくちゃならない。そういうスケートをしなきゃいけなんだよ”そう言って、僕らはそっちの方向を磨くことにしたんだ」
「ジャンプだってそうだ。彼のジャンプはひょろっとした小さなジャンプだった。ノービスやジュニアではそれで通用するけれど、シニアに上がったときには、滞空時間の長い大きなジャンプが跳べなきゃならない。リンクを広く使うこと、そしてスピードも必要だ」

ナムがトリプルアクセルを習得したのは、今年の1月になってからだった。この1年ちょっとで身長が140センチから165センチまで伸びたという。この急激な成長期が悪影響をもたらしていた。[*これ、原文どおりなんですが、140→165じゃ25センチ増ですよね。上にこの1年で15センチ伸びたとあるので、ここは間違いかなあ…と思うのですが]
「アスリートにとって、これは大変なことだよ。両親など彼の周囲にいる人間にとっても、このプロセスを理解するのは大変なんだ。それでもがんばって乗り越えなきゃならない。ナムは急に背が伸びたからね」と、オーサーは言う。「フィギュアはバランスと調整が必要とされる競技だ。そんな中で急に背が15センチも高くなってごらんよ。その上、思春期になって体も変化していた…。でも、ナムは我慢強かった。がんばって乗り越えようとし続けたよ」

ナムとオーサーは、もう4回転ジャンプに目を向けているという。これから春から夏の間に4回転に取り組んで、可能なら来シーズンのプログラムに入れたいと考えている。
「ナムは新しいジャンプに対してちょっと怖がってしまうところがあって、あとから“あれ、うまくいったじゃん”って自分でびっくりするタイプなんだ。高飛び込みのようなものさ。台の上に立って、飛び込む。そしたら、すっかり楽しくなって、もう一度台に登っている自分に気づく、そんな感じさ。今はクワドを少し恐れているけど、今やらなきゃいけないことはよくわかっているんだ」

オーサーによると、ナムは一度マスターしたジャンプはめったに失敗しないタイプだそうだ。この日の練習でクリーンなトリプルアクセルを立て続けに20本ほどもきめたのは、そのためなのだろう。
「彼の場合、しばらくは成功と失敗を繰り返して、なかなかうまくいかない。だけど、突然マスターしたと思ったら、完全にマスターしてしまうんだ。アクセルもそうだった。手に入れるまで時間がかかるけど、一度手に入れたら身につけてしまうのさ」

ナムはその日、ノースビュー・ハイツ中等学校で2時間の授業を負えてから、練習に来ていた。今学期は2クラスしか受講していない。じつはソチ五輪に選ばれる可能性を考えて、秋の学期も同じく2クラスしか取っていなかったという。
両親はふたりともベトナム生まれ。父のソニーはエンジニア、母のスーはビジネスアナリストの仕事をしている。9歳の妹のキムもクリケット・クラブでスケートを習っている。

ナムを“フィギュアスケートの未来”と呼ぶのは必ずしも大げさではない、とオーサーは言う。
「これから新しい選手たちが出てくるだろう。世界ジュニアで4位か5位に入った選手たち――今後目にすることになるのは彼らだと思うよ」オーサーはそう話す。「今、変化が起きようとしているんだ。変化は誰が予想していたよりも早く起きつつある。ナムにとって、ジュニア王者としてシニアの世界選手権に行くこと――このことが彼を上のレベルに引き上げてくれるだろう。そして、彼ならそれにこたえるスケートをしてくれると思うよ」

オーサーによると、ナムは体の成長と同じぐらい急激に、自信と成熟を身につけてきた。もともとは世界ジュニアで5位に入ることを目標としていたが、この世界ジュニアに向けてカナダを発つ段になって、急きょ目標はメダル、さらに表彰台の真ん中に立つことに変わっていたという。
「ソフィアに着いたそのときから、ナムはすべての公式練習で好調さと安定感と力強さを見せていたんだ。そんな様子をジャッジたちも見ていたよ。ほかの男子選手はみんな、つまずいたり転倒したり乱調だった。一方ナムは、毎日の練習のたびにしっかりと自分をコントロールしていたんだ」

ソチでの羽生の成功に続いて、カナダ人選手の教え子がすばらしい成果をあげていることに、オーサーは誇りを感じているという。ヨーロッパ選手権で優勝したスペインのハビエル・フェルナンデスも、彼の教え子だ。
「いい気分だよ。なぜカナダ人選手を育てないんだって、ちょっと批判されていたのはわかっていたからね。でも、ナムを含め、みんな僕の指導を受けるためにやってきた選手たちだ。僕は仕事をこなしているだけ、自分がやるべきことをやっているだけだよ」
「それでも、カナダのジャケットを着ることができて、カナダ人選手にも成果を出させることができて、誇らしい気持ちだよ。特にナムにね。彼には輝かしい未来が待っている。僕は誇りをもってカナダのジャケットを着るよ」

わずか19歳で五輪金メダリストとなった羽生、そしてフェルナンデス。そんな選手たちと一緒に練習していることは、ナムのために大いに役立っている、とオーサーは言う。
「彼らの姿を見ること。彼らがどんな練習をし、どんな責任を果たしているのかを目にすること。技術的な面だけとっても、その高さやスピード、カリスマ性を見ることで、それらの一部はナムに伝わっていくんだよ」




クリケット・クラブでの記者会見で語るナムくん。ふだんはお茶目で笑顔いっぱいなナムくんですが、か〜な〜り緊張してますねーw 今は技術的要素を磨くと同時に、ナムくんならではの個性やスタイルをつくっていこうとしている、とオーサー談。


バンクーバー五輪のエキシは残念ながら探せなかったのですが、その前年の2009年四大陸選手権エキシにゲスト出演したナムくん。4:10あたりからパトリック・チャン(若い!)にエスコートされて出てきます。なるほど、かわいいのはいい加減にしろとオーサーに言われたそうですが、これはかわいいわ!

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カテゴリ:北米男子 | 18:09 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
ジョニー・ウィアー、現役引退。 Johnny's World「氷」全訳

もうとうにご存知の方も多いと思いますが、アメリカのジョニー・ウィアー選手が、とうとう現役からの引退を表明しました。
彼が定期的に連載しているブログ「Johnny's World」に、その「引退表明文」ともいう言うべき文章がつづられています。
文章力の高さには定評のあるジョニーですが、これが本当に美しく、文学的な色彩豊かな文章なんです。私ごときにはとうてい手に負えない文章であることは十分わかってはいるのですが、なんとかジョニーの意志の一端だけでも伝えることができればと思い、全文訳してみました。
読みづらいところがあれば、すべて私の訳のまずさゆえです。また、もし何かお気づきの点があればご指摘いただけるとありがたいです。
少々長いですが、じっくり味わっていただけたらと思います。

元記事→Johnny’s World: The Ice OCTOBER 23, 2013 By Johnny Weir


Johnny's World 「氷」    


 17年前、凍えるように寒かった。17年前、猛烈な吹雪のため、何かもかもが雪に埋もれていた。17年前、「アーミッシュの大地」ペンシルバニア州では、猛吹雪が訪れると1週間は家の外へ出られなかった。除雪車や凍結防止用の塩をまく散塩車にも忘れ去られた土地だったからだ。17年前、晴れ間が訪れると、荒涼としたトウモロコシ畑にはった氷が、午後の日の光をあびてキラキラと輝いた。17年前、僕の足は初めて革と鋼(はがね)におおわれた。[←スケート靴をはいた、の意] 17年前、僕は氷の上に初めて足をふみだした。フィギュアスケートのイメージからかけ離れたこんな環境で。それでも、頭から足の先まで全身に夢をまといながら。

 17年の間、僕の家族や近しい人たちは、僕の旅のために犠牲をはらい、祈り、拍手を送り続けてくれた。僕の母は、ペンシルバニア州の小さな村で生まれた少女が、ふつうなら見る機会さえないような光景を目にしてきた。若い時代の僕は、そんな母とごく近い目線で気持ちを通じ合わせることができた。初めてモスクワの赤の広場を見た母の、目の輝き。初めてフランスでクレープを食べた母が、おいしそうにすぼめた口。中国の万里の長城をのぼったときには、母の眼鏡は汗で曇り、スロバキアのバンスカー・ビストリツァでは2人して夜遅く、採掘トンネルの中を迷いながら歩いた。リンクではフェンス越しに手を伸ばして抱きしめてくれて、いい結果が出たときも悪い結果が出たときも、一緒に泣いてくれた。そして――おそらく聞こえていたのは僕だけだったと思うが――僕が氷に立つたびに叫び声をあげてくれた。その声が聞こえていたことを、僕は今日にいたるまで母に打ち明けたことはない。声をあげるのをやめてほしくなかったからだ。母に世界を見せてあげられることは、僕にとってすばらしい授かり物だった。母が誇れるような息子になってあげられるよう、懸命に努力した。

 母と僕が世界中を飛びまわる間、弟と父は長いこと、一歩離れたところから見守ってくれた。僕らが参列できなかった葬儀に出たり、母と僕がノルウェーにいる間にはスキー旅行に出かけたり、家族の一員だった犬たちの世話をしてくれた。すべては、僕が夢を――家族以外の人にはとうてい理解できないだろう夢を――追いかけられるように、やってくれたことだ。フィギュアスケートは僕の子供時代から多くのものを奪ったけれど、幼い弟の面倒を見るよろこびをほとんど経験できなかったのもそのひとつだった。父はずっと健康問題をかかえていたのだが、そばにいて励ましたり、家の中のことを手伝ってあげる時間が十分なかったため、それがどういう問題だったのか本当に理解してあげることはできなかった。子供時代から父と弟のことは大好きだったし、2人も僕を愛してくれたけれど、大人同士として深く理解し合うことはできなかったような気がする。

 父と弟は、トリノ五輪に続いて、僕の2度目のオリンピックとなったバンクーバー五輪も見に来てくれた。2人は声援を送ってくれ、ジャッジが僕のためにちゃんと仕事をしていないと不平の声をあげてくれた。特に弟は、僕を誇りに思う気持ちと、僕のことをつらく思う気持ちが強すぎて、途中で会場の外へ出ざるをえなかったほどだ。フィギュアスケートはこんな風変わりな方法で、本当の愛とはどんなものなのか、僕に教えてくれたのだ。

 コーチたちには、また違う愛があり、別の意味で励みになった。彼らはオフアイスでもいろんな方法で僕を指導してくれた――車の運転のしかたや、ロシア料理の正しい作りかたを教えてくれた――が、それ以上に自分に自信をもつこと、自分を信じることを教えてくれた。才能とは神様が与えてくれたものと言う人もいれば、努力からだけ生まれるものだと言う人もいるけれど、才能に身をささげて努力すれば、最後には必ず報われることを、コーチたちは教えてくれた。僕はこれまでのキャリアの間ずっと、数々の失敗や産みの苦しみによって、彼らの心を傷つけてきた。この世界を僕に与えてくれたことへの感謝の気持ちを、僕は彼らにどう伝えればいいのか十分わかっていなかった。そのせいで、他のだれよりもコーチたちを傷つけてきたと思う。ひとりのコーチには子供から青年になるまで、もうひとりのコーチには後半の二度の現役時代の両方でお世話になった。彼らが僕に与えてくれた知識と情熱は、双方が宇宙的ともいえる感覚で通じ合っているときにだけ経験できる、本当に貴重なものだった。そんなすばらしい関係を2度も持てたことだけでも幸運なのに、僕の場合はさらに愛にみちた関係でもあったのだ。

 まるで他人に起きたことのように自分のキャリアについて書くのは、非現実的な感じがする。そして、こんな言葉を実際に書くことも。「僕は現役フィギュアスケーターを引退します。」

 このコラムを書いている間ずっと、僕は泣いていた。悲しいからじゃない。練習にあけくれた日々が懐かしいからでも、転倒したことや緊張して頭が爆発しそうになったこと、いつも空腹だったことや、勝利の喜びや敗北の苦しみをもう味わえなくなるからでもない。僕が泣いているのは、この人生を形作ってきたさまざまな思い出のためなのだ。僕に初の全米タイトルをもたらし、やっと自分を信じられるようになった、あの得点が出るのを、キス&クライでじっと待っていた瞬間。母と叔母をつれて外国の空港を歩いていた、あの時間。そして、スケーターやコーチたち、ジャッジ、ファン、その他もろもろのクレイジーな人間たちと、世界を旅して回ったこと。僕らはみんな、クリーンないい戦いとふさわしいチャンピオンを見たいと願っていた。僕らはしばしの間一か所で立ちどまっては、みんなが一緒に作り出す空間のパワーを楽しんだ。フィギュアスケートにかかわる人々だけじゃない。高校の同窓生だったり、大学時代のクラブの仲間だったり、友人だったり、僕を支援したり相談にのってくれたり、そんなすべての人たちが、僕は恋しい。

 29歳で引退すると言っても、ふつうの人にはなかなか理解しにくいだろう。僕が引退したからといって、フィギュア界にとっては衝撃でも何でもないことはわかっている。でも、めったにフィギュアを見ない人たちからすれば、僕はこの競技を代表する顔のような存在にはなっていた。だから僕は、「現役から引退する」と表明するたびに、あわてて言い添えるのだ。この体がもつ限りスケートは続けていくと。そして、フィギュアという競技における自分の存在を、オリンピックとスポーツを生き続けさせてくれる若い世代の新しい才能たちに、手渡していくことを。僕は老人ではないけれど、チャンピオンであるということは、自分の時代がいつ終わるのかはっきりわかっている、ということなのだ。

 最初に氷に足をふみだしてから17年がたった。今まで何千回も転倒し、何万回も回転してきた。「国の宝」から「面汚し」まで、ありとあらゆる呼び名をつけられた。一生の数回分に相当するほど充実した人生を送ってきたし、エリートビジネスマンやセレブもかなわないほど多くのチャンスに恵まれてきた。勝ったこともあれば負けることもあったが、そんな中でも自分を見失うことはなかったし、この世界から自分が何を得たいのかわからなくなることもなかった。それが僕の青年期の人生において、最もすばらしい成果だったと信じている。17年前、どうしてそう思ったのか正確に説明することはできないけれど、僕は自分が魔法にみちた人生を送るだろうとわかっていた。それがフィギュアスケートだったのだ。僕はこの世のすべての人に、その人にとって無上の喜びを見いだし、どんな犠牲をはらってでも追い求めたいと思うものを手にしてほしいと思っている。願わくば、そんな機会を2度持っていただければ、と思う。なぜなら、そういう機会はあっと言う間に終わってしまうものだし、時には報われないものだから。

 17年前、僕は凍てついたトウモロコシ畑から、この物語を始めた。物語はまだまだ終わらないけれど、この章はもう終わりだ。僕はこれからも自分の居場所を探し続けるだろうし、かつて訪れた場所や出会った人々、自分がどこから来たのかを、忘れることはないだろう。朝、目が覚めて、「練習に遅刻してしまう」と思わないようになるまでには、まだかなり時間がかかるとは思うけれど、世界に向けて僕の全身全霊をささげてきたあの魔法の思い出を、僕は二度と忘れないだろう。そして最後に、17年前にあのトウモロコシ畑でかいだ空気の匂い、なめらかな氷にきらめく太陽の光、そのとき僕の心にわきおこった感情を、僕はけっして忘れない。

 数々の思い出をありがとう。

                        ジョニー・ウィアー 2013年10月23日


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カテゴリ:北米男子 | 17:25 | comments(31) | trackbacks(0) | - | - |
ジェイソン・ブラウンのicenetworkブログ その.献Дぅ愁鵑硫
ここのところ怒涛の記事アップが続いている、おなじみのIcenetwork.com。新プロ情報もうれしいけれど、そんな中、ほっこりする記事がアップされていました!
今季シニアのGPSにデビューするアメリカのジェイソン・ブラウン選手が自らつづったブログです。どうやら今後もシリーズ化していく予定のよう。第1回の今回は、本格的なシーズンinを前にこの夏をふりかえってくれています。

元記事はこちら→Jason the dream: Brown recaps hectic summer Posted 8/29/13 by Jason Brown



Jason the dream「大忙しだった夏をふりかえって」
プログラムの初披露、休暇旅行、Champs Camp参加など


2年連続世界ジュニアのメダリストとなったジェイソン・ブラウンは、この秋、シニアの国際大会にデビューする。その後は、全米選手権に出場して五輪チームの一角をねらう予定だ。そんなジェイソンが、今シーズンを通して、icenetwork.comのためにブログを書いてくれることになった。

夏のトレーニング

もう夏のトレーニングが終わってしまったなんて、僕にはショックだ。時間はあっという間に過ぎてしまった気がするけど、秋の始まりをとても楽しみにしているよ :) [←横向き笑顔。英語の顔文字ですね] この夏に起こったさまざまな変化をふりかえってみると本当にびっくりするほどだけど、すべてがベストな形で進んだと思う。僕がものごころついて以来ずっと、コーチのコリ・アデ先生はスケートの「夏合宿」をやりたがっていたんだ。オンアイスとオフアイスの練習とか、いろんなレッスンがあって1日中スケート漬けになるような…。それをこの夏、コリは僕らの新しい拠点であるモニュメントで実現させたんだ。
コロラドでとても素敵だと思うのは、人々が活動的で健康的でアウトドアっぽいライフスタイルを日常生活の中に取り入れているところなんだ。そういう雰囲気って刺激になる。早起きしてランニングしたり自転車に乗ったりしたくなるんだ。山の景色は美しいし、天候はすばらしいし、高度の高さは身体づくりにとてもためになるしね。僕は2週間スケートから離れてからコロラド・スプリングスに引っ越してきたんだけど、はじめは耐性ゼロからのスタートだった。そこから少しずつスケートに戻っていったけど、プログラムの練習を開始したときには、きつくてステップをやりきることさえできなかったんだ。今季のフリーはとてもハードだから、十分に練習できたと思えるにはもっと時間が必要だろうけど、最初の状態を考えれば、ここまでできるようになったことを誇りに思っているよ。

BROADMOOR OPENとGLACIER FALLSに参加して

僕の今季初めての試合は、コロラド・スプリングスで開催されたBroadmoor Openだった。この大会に出場するために移動をまったくしなくていいのは、なんだか不思議な感じがしたよ。僕にとって、シーズン第1戦というのはいつも、試合がどんな感じだったか思い出させてくれるものなんだ。もちろん感覚を忘れてしまっているわけではないけれど、たった6分の練習だけでアドレナリンをたぎらせながらジャッジの前で演技をするのがどんな感覚なのかは、実際に試合をやって初めて取り戻せるんだ。
今年、ほかの年と違って初めて取り組んでいるのは、試合ごとに少しずつ3回転ジャンプを入れていく、ということ。たとえばBroadmoor Openでは、予定しているジャンプ構成どおりにはやらずに、わざといくつかのジャンプを2回転にしたんだ。Glacier Fallsでは3回転を少し増やしたけど、やっぱり構成どおりには跳ばなかった。そうするとプログラムがより滑りやすくなるんだよね。こんなふうに夏の試合にのぞめて、すごくよかったと思っているよ。
あと、夏の試合というのは、シーズン中はめったに会えない、アメリカ各地の友達に会える絶好の機会なんだ。そんなみんなに再会できたり、声援を送ったり、それぞれ一生懸命取り組んでいるステキな新プログラムを見れたりするのが大好きなんだ。

ちょこっと夏休み

Glacier Fallsでフリーを滑った後、2日間だけの夏休みが始まった。家族と一緒にカリフォルニアですごせて、ものすごくうれしかったよ。特に今年は故郷を離れて以来だったし。カヌーをこいだり、自転車で海岸沿いを走ったり、ベニス・ビーチの店をのぞきながら散歩したり、プールサイドに寝そべってリラックスしたり、太陽の光と家族のだんらんを体中に浴びたりしてね :)
休暇は楽しいけれど、正直に言うと、この2日間というのが僕にとってはリラックスして英気を養うのにちょうどいい期間だったと思う。2日目の終わりごろには、僕はリンクに戻って大好きなスケートをし、オリンピック・シーズンに向かうために次のステップに入るのが、待ちきれなくなっていたんだ。

コリの子供たちとの旅

(コーチの)コリには今、2人の子供がいる。3歳のアテナちゃんと4か月のカイアちゃんだ。おかげで移動の旅はちょっとばかり大変なものになっている。赤ん坊にミルクを飲ませながら年上のほうを飽きさせないようにしたり、コリの両手がふさがっているときにベビーカーを苦労して折りたたもうとしたり、いつもアドベンチャー状態。そういうのはすごく楽しいし、手荷物検査から飛行機の席につくまでずっと笑いっぱなしだよ。
コリたちと同行していた最近の2回の旅の間に、ものすごくおかしなことがあったんだ。僕らが空港の中を歩いていると、通りすがりの人がこんな声をかけてきた。「あなたがたのお子さんたち、とってもかわいいわね!」とか「こらこら、パパが飛行機に乗せてくれるまで待ってなきゃだめだよ!」とか。こんな言葉にどうリアクションすればいいっていうんだい!? 一番ショックなのは、たった8年前にはコリと二人で移動してると親子と間違えられていたこと。なんで僕が息子から夫になっちゃったわけ!?
僕は絶対にコリの子供たちの父親ではないけれど、いつか僕も、2人みたいにすばらしい子供の父親になりたいと思っているよ。

スターとの遭遇

僕は、有名アスリートだけでなくトップレベルのスケーターがそばにいると、ものすごくぽーっとして緊張してしまうタイプなんだ。手の平に汗をかいて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、ほとんどいつも、何も話せなくては後悔しての繰り返しなんだ。この夏はそういうことがたくさんあったんだけど、中でも2つのできごとについて書いてみようと思う。
最初は、ルームメイトと一緒に夕食に出かけたときのこと。クリストファー・ディーン [懐かしのトービル&ディーン組の男性のほうですね] がお子さんたちと一緒にいたんだ。僕は「こんにちは」って話しかけようかどうか、ずーっと悩んでいた。結局話しかけなかった。それを今日になってもまだ後悔している。僕らの隣のテーブルに座っていたんだよ! ぼくはすっかりドギマギしちゃって、そっちに顔を向けることさえできなかったんだ、ははは。
次は、カリフォルニアのアーテシアのリンクでGlacier Fallsのための練習をしていたとき、ミシェル・クワンを見かけたんだ。僕が滑っていたら、ミシェルがリンクにやってきたんだよ。僕は速効で練習をやめて、壁ぎわのコーチたちのところへ行って、言ったんだ。「どうしよう、壁から離れられる気がしないよ!」って。もちろんコーチたちは僕を壁から離れさせたけど、ジャンプを跳ぶときと降りたときには、ミシェルのほうに顔を向けられなかったよ。練習が終わって、リンクの外でママと話しながらストレッチをしていたら、ミシェルと彼女のお姉さんのカレンがすぐそばを通りかかった。僕は全身固まってしまった。2人と写真を撮りたいって死ぬほど思っていた。ただ挨拶して、あなたを尊敬してますって言えば話は簡単だったのに、僕は動くことも声を出すこともできなかったんだ。
このエピソードの教訓はこうだ。これを読んでいる人は、もし好きなスケーターや尊敬する人がいるなら、写真やサインをお願いしたり、ただ「こんにちは」って言うだけでもいい、そんなチャンスがあったら決して逃さないでほしいってこと。なぜなら僕の経験から言うと、ずーっと後悔することになるからね。
 
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カテゴリ:北米男子 | 12:48 | comments(7) | trackbacks(0) | - | - |
ジョニー・ウィアー、ラジオでソチ五輪ボイコット反対をうったえる
6月末、ロシアで成立した反同性愛法(同性愛プロパガンダ禁止法)。
先日、この問題についてジョニー・ウィアー選手が書いたコラムの翻訳記事をアップしましたが、この記事に、なんとふだんの10倍ものアクセスをいただいてしまい…。
かなりビビッてしまったと同時に、このまま放っておくわけにはいかないぞ、ジョニーのためにもできることをしなくっちゃ!…とは思うものの、次々出る記事に翻訳がまったく追いつかず(泣)

この法律に関して、IOC(国際オリンピック委員会)は「ソチ五輪には影響を受けないという約束をロシア政府からもらった」などと言っていましたが、その後、ロシアのスポーツ相が「アスリートであれ観光客であれ、この法律に触れた者は刑罰の対象になる」とあらためて宣言。(これを伝えるABC News動画に、ジョニーも短時間ですが出演しています→こちら
しかも、ここへきて例のスノーデン容疑者をめぐるアメリカとロシアの対立から、アメリカでのソチ五輪ボイコット論がまた再燃し始めたようなのです。

相変わらず沈黙しているフィギュア界をよそに、ジョニーはここ数日間、精力的にメディアに登場して、「ボイコット反対」を訴えている模様。以下はそのうちのひとつ、ニューヨークのWYNCというラジオ局の番組に出演したときのものです。とりあえず私の耳で聞き取れた範囲で訳してみましたが、漏れ・ミスもあるかと思うので、ざっと内容だけ把握していただけたらと思います。

ラジオ番組「WYNC News」のサイトへのリンクはこちら→Olympian Johnny Weir Says Russian Olympic Boycott Is Misguided




WYNCニュース
「五輪アスリート、ジョニー・ウィアー。五輪ボイコットは誤りだ」


司会:ニューヨークのLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)コミュニティーのメンバーが、ロシアの反同性愛法への抗議のため、ロシア製品の不買を始めました。ゲイバーの中にはロシアのウォッカを出さない店もあり、さらにソチ五輪のボイコットまで呼びかけ始めました。しかし、フィギュアスケート選手のジョニー・ウィアーは、アスリートたちはソチへ行き、世界を魅了するべきだと訴えています。
1980年にもアメリカは、ソ連のアフガン侵攻に抗議するため、モスクワ五輪をボイコットしました。結局、戦争はその後9年間続いたわけですが、あなたがソチ五輪ボイコットに反対なのは、やはり効果がないからなのでしょうか?

ジョニー:僕がボイコットに反対する理由はいくつかある。まず、利己的に聞こえるかもしれないけど、僕はアスリートで、人生のすべての日をオリンピックに出るために捧げてきた。幸いこれまで2度出ることができて、今回が3度目のチャンスになるわけだ。
また、僕はロシアが好きで、子供のころからロシアの文化や言葉を学び、ロシア語を話す。自宅でも夫との会話は英語とロシア語が半々だ。ソチ五輪でキャリアを終えることができたらすばらしいと思っている。
そういったことを考えても、僕はオリンピックを政治的なものだと思ったことはない。オリンピックは平和な時、アスリートの技にうっとりと魅了される時、各国が武器を置いて平和を尊ぶ時だと思ってる。これらの理由から僕は、アスリートにとっては、ボイコットは間違っていると考えている。
そして、ロシアと世界中のLGBTコミュニティーにとっても、僕らがソチ五輪の場に存在するほうが、そこに不在でいるよりもはるかに強い影響力をもつだろうと固く信じている。僕のような人たち、オリンピックに出場してゲイコミュニティーをサポートしたいと考える人たちは、「僕はあなたたちをサポートします」「あなたたちの味方です」「変化をおこすためにあなたたちと共に行動します」と言うために、現地に行かなければならないんだ。
五輪をボイコットすることは愚かなことだと思う。それでは、ただ目を背けることにしかならないから。ロシア製品やアルコールの不買運動も、アメリカにいて自分にできることをする手っ取り早い方法だろうけど、それでは本当に損害を与えたい人に損害を与えることにはならない。ウォッカを飲まないことによって、ロシア国会や大統領に損害を与えることはできない。ロシアの工場や産業で働く人を傷つけ、ロシアのLGBTが属している一般民衆の所得に損害に与えるだけだろう。

司会:LGBTのライフスタイルを否定する国でオリンピックが開催されることで、LGBTのアスリートたちはどんな試練に直面すると思いますか?

ジョニー:正直に言うと、LGBTの冬季五輪アスリートはそれほど多くはない。僕はそのひとりだし、Blake Skjellerupという優れたスピードスケート選手もいるけど、他は知らないんだ。スポーツ界では同性愛のアスリートがカミングアウトすることはそんなに一般的ではないから。
でも僕は最近、サンクトペテルブルクでスケートの演技をするための招待を受けたところなんだ。サンクトペテルブルクは反同性愛法が誕生した街だ。ロシアの状況がどれほど変わったのか見ることができる初めてのチャンスになる。僕はロシアの人々に対して深い尊敬の念を持っている。物事がどう変わったのか、自分で見てきたいと思っている。
そして、僕について言えば、僕が僕自身でいることに関しては何の問題も感じていない。自分が信じることを口に出すのを恐れたこともない。
もちろん、ロシアへ行ったからといって、わざわざレインボーカラーの旗(LGBT運動の象徴とされる7色の旗)を振るつもりはなく、ふだんどおりの僕でいるつもりだ。僕がロシアに行くことで、いくらかでも状況を打開する手がかりになればいいなと思う。
もし僕が逮捕されるとしても、身の危険がふりかかっても、僕は自分が理由があってそこへ行くことを知っている。僕のコミュニティー、僕の兄弟姉妹を助けるために行くんだと、僕は知っている。


2009年ごろ、モスクワに立つジョニー

 「ボイコットは意味がない」には私もまったく同感です。しかし……ジョニー、近々ロシアでのショーに招待されているんですね! 逮捕される危険を覚悟で、あえて行くと。
うーん、応援したい気持ちはもちろんだけど、あまりにも孤軍奮闘でだいじょうぶなのか?という気持ちも……。とにかく無事で!


[追記] 招待されているというアイスショーは10月なんですね。seEKさん、情報ありがとうございます。ジョニー自身がこちらのコラムの最後の段落でも書いていますね。
「ロシアのウォッカのかわりに他国のウォッカを飲みつつ傍観しているより、僕は現場に行ってコミュニティーをサポートしたいと思ってしまう。僕にもしものことがあったら、僕の母と夫にそう伝えてほしい」ジョニー……。


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