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フローラン・アモディオ ユーロの花道 icenetworkインタビュー
2か月以上もご無沙汰してしまいました。遅ればせすぎますが、明けましておめでとうございますゆう★アセアセ

いやー、NHK杯、GPF、全日本という遠征3連戦と仕事の山がばっちり重なったのが運のツキでした。過去2回の海外観戦ではいずれも観戦記も書けなかったので、今年のGPFこそ書くぞ!と思っていたんですが、そんな暇などあるどころか体を壊してしまう始末で。このトシにして人生初の入院まで経験してしまいましたわ!( ̄∇ ̄)
結果的に録画は見れないわ、SNSも追えないわ。全米全加ユーロもほぼ見れてない…>< 観戦のせいでスケート見れないって本末転倒すぎますよね。
Twitterなど追っていると、つい雰囲気であの試合・ショーも行かなきゃ、この番組も録らなきゃ、などとなってしまいがちだけど、本来私は家で地味〜にして、ネットやテレビで試合だけ追ってればいい人だったはずなんですよ。来季はできるだけ自分のペースを守っておとなしくしていようと思っています(できるのか!?)
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さて、入院生活中は目を悪くしていたもので文字はあまり読めなかったんですけど、幸い動画は見れてまして。公式動画やすかさずアップしてくださるup主様方のおかげでユーロ男子もちょっと見ることができました。
で、アモ(とモロ)。

…泣きましたよ、病院のベッドで。

今季のフリーはちょっと暗めの曲だったけど、ユーロのために大好きな曲に戻したんですね。2012年にSPで使っていた「メモリーズ・オブ・ソブラル」。これに映画のサントラをくっつけてモロゾフが振付し直したんですね。
それにしても、あんないいアモディオくんを見たのは久しぶりでした! 最近はスピンでずさーっとコケたり、得意のステップでも悲しそうな顔だったりと割と悲惨な映像が焼きついていたんですけど、クワドは降りるし(加点はちと気前よかったけれど)、スピンでもコケないし、悲しげな顔じゃなくめっちゃ笑顔だし、最後の2A降りたときは嬉しさで演技やめそうになってるし、最後のスピンではもう演技やめちゃってるし、モロはフェンスにつっぷしてるし。
もう病院の枕ビショビショでしたよ! 私の人生初の入院の思い出は、アモとモロと共に焼きつけられることになったのでした。



そんなアモディオくんのロングインタビューです。もうとっくに訳も出ていると思いますが、すごーくいいインタビューなので記念に私も訳してみました。
インタビュアーはジャン・クリストフ・ベルロさん。この方いい記事が多いけれど、アモくんの率直さと生真面目さが伝わってきてすごくよいです。インタビューはSPが終わった翌日、フリーの少し前におこなわれたもののようです。
にしても、モロと別れてなかったらどうなってたんでしょうねぇ…。

元記事はこちら→Amodio wants to say goodbye the best way he can Posted 1/28/16

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「アモディオ、自分にできる最上の方法でさよならを言いたい」

2か月前、フローラン・アモディオは、2016年ヨーロッパ選手権が現役最後の試合になると発表した。2011年にスイス・ベルンで開催されたヨーロッパ選手権で優勝を飾ったときには、次世代のスターと思われたアモディオ。だが、ソチ五輪のシーズンが始まる直前の2013年春に、当時コーチだったニコライ・モロゾフと師弟関係を解消。その後は精彩を欠いていった。
そんな彼が、現役最後の試合についてicenetworkに語ってくれた。

IN:SPでは観客はあなたの演技に大盛り上がりでしたね!

アモ:ここの観客はすばらしかったです。僕が演技を始める前から、もう歓声を送ってくれていました。そして、演技後の大喝采は本当にすごかった。気持ちがとても揺さぶられましたよ。観客はあのプログラムを楽しんでくれたし、僕も楽しかった。ここであんな演技ができたことに感謝しています。ノーミスだったし、感情もたっぷり込められたし、観客は僕の演技から何かを心に残してくれたと思います。ご存知のように、それが今までずっと僕の一番の目標だったから。あのようなすばらしい瞬間に立ち会うために、僕は滑ってきたんです。

IN:最初から最後まで完璧なSPでしたね。クワドだけが惜しかったですが。

アモ:このSPは良いプログラムだけど、クワドは入れていないんです。もしクワドを入れられたら、まったく違う結果になっていたでしょうね。僕のサルコウは3回転止まりなんです。このことは残念です。クワドは僕のキャリアを通して最大の問題だったと思う。クワドさえものにできたら僕がどこまで行けたか、きっとみんなわかっているでしょうね。現役をやめるのはそれが理由なんです。
ここ2年間、懸命に答えを出そうとしていたのは、僕がまたトップクラスに返り咲いて、2018年のオリンピックでメダル争いができるかどうか、という問いでした。答えはノーです。今や大差がついてしまった。自分には1つのプログラムで4本のクワドなど降りられる気がしないんです。無理だとわかっていることに挑戦して、人生の2年間を失うわけにはいきません。その2年は自分の将来を構築するために使いたいんです。

IN:現役引退はもう確定なのですか?

アモ:引退は本当なの?ってみんなが聞くんですよ! だから僕はこう言うんです、もう僕にとっては次のページがめくられようとしているところなんだって。今まで自分がやってきたことには、すべて心から誇りを感じています。でも、ここ2年は自分に負担をかけすぎたような気がします。今の僕には、毎日全力で戦えるだけの強さがもうないと感じているんです。

IN:引退の主な理由は、技術的に限界を感じたからですか?

アモ:フィギュアの技術は僕を地獄につき落としました。なぜなら僕はそれをマスターすることができなかったから。そのせいで僕はたくさんの問題を抱えることになってしまった。技術を習得できなければ、その先に進もうとすることさえできないんです。僕が過去に勝つことができたのも、当時は技術的に問題がなかったから勝てたんですよね。

IN:それでも、あなたはアーチストであり続けました…

アモ:この2年は、音楽とダンスが大好きだったから滑り続けていたんです。もし技術だけだったら、もっとずっと早くやめていたでしょうね。
ニコライ・モロゾフと別れたとき、僕はアーチスティックな感動を失ってしまったように感じていました。僕にとっては、観客が立ち上がって喝采するような感情よりも、今回のSPみたいな気持ちを表現するほうがやりやすいんですよね。このユーロで自分が好きな曲を選んだのはそんな理由から。氷の上でまたあの感動を味わうために選んだんです。今回の2本のプログラムは、僕が心から楽しんで滑ることができるプログラムなんです。【*大喝采されるような感情よりも今回のSPみたいな…というくだりは、ドラマチックで激しい表現よりも軽やかで愉快な表現のほうが自分に合っている、ということかなと思います】
今夜のフリーは、セバスチャン・ダミアーニの「ソブラルの思い出」(ソブラルはアモディオが生まれたブラジルの都市)と、セルジオ・メンデス作曲の映画「Rio」のサウンドトラックのメドレー。「ソブラルの思い出」は2012年に初めて滑って以来、ずっとショーで滑り続けてきた曲です。
今回のユーロでの目標は、SPとフリー2本のプログラムを100パーセント、濃密に、そして心から表現しきること。アーチスティックな面においては、自分は人並みよりちょっとは優れたものを持っているのかな、とは思っています……技術面ではもうそうではなくなってしまったけれど。他の一部の選手たちが、表現面では僕ほどではないのに僕よりいい点をもらっている――そんな事実を受け入れるのは非常にきつかったですね。

IN:自分のことをクリエイター(創造者)でもあると思いますか?

アモ:何かを創造することは好きです。でも、僕はいつの間にか創造性も失ってしまっていたんです。フィギュアでは創造性がとても大切です。僕が常に目指していたのは、フィギュアスケートを前進させること、そのつど何か新しい風を吹きこむことでした。
それがファレル・ウィリアムスの「Happy」をSPに選んだ理由です。これは現代の、とてもすばらしい曲。この曲を聴いた途端、これで何か新しいものを創り出せると感じたんです。今世の中で流行っている音楽をフィギュアでも使えるはずだと、僕は常に考えてきました。このSPは人々を――フィギュアのことを何も知らない人々をも惹きつけています。僕が知る限り、ですけどね。僕は過去の音楽に固執するのは好きじゃない。フィギュアを新しいタイプの音楽に開放したいんです。

IN:今回はあなたのご家族もここブラティスラバにいらしているんですよね。

アモ:そうなんですよ! 両親も来てるし、恋人も来ています。そしてニコライも。

IN:(最後の試合だという)感情の高ぶりにはどう対処されているのでしょう?

アモ:ものすごい感情の高ぶりは、エピナルで開催されたフランス選手権で経験したんです。その経験のおかげで、このユーロでは感情に揺さぶられることなく、試合への集中力を保つことができています。これは僕にとって最後の機会なのだから、台無しにはしたくない。これまで試合でいつもそうだったように、高い集中力をキープしています。これが最後の演技であることはわかっているけれど、今朝はふだんの試合の日と同じように朝を迎えました。特別なユーロになることはわかっています。でもそれ以前に、まずは試合ですからね!

IN:最後の演技のためにニコライの元に戻ったのですね?

アモ:ええ、それは僕の夢の一部でした。ニューヨークへ戻って、再び彼と組むと決めたんです。ニューヨークのリンクでは、昔と変わらずみんな精力的に練習しているけれど穏やかな、僕の好きな雰囲気がただよっていました。
SPの直前と演技中は、ニコライと僕との間に感情的にすごく高ぶるものがありました。自分のキャリアを彼と一緒に終えることができるのはうれしいです。だって、主だった試合はみんな彼とともに経験してきたんですから。
ニコライのチームを離れたのは、僕にとってものすごく大きな過ちでした。僕の人生のたくさんの部分が彼とつながっていたんです。僕の頭の中にはいつも、「彼にもう一度電話するんだ」とささやく声が聞こえていました。でも、それには時間が必要だった。自分自身を完全に制御できて、彼と別れて以来味わってきたすべての傷が癒えるまで、待ちたいと思ったんです。
ニコライは僕の家族も同然でした。考えられる限り最良の方法で僕を導いてくれた。彼を通して、そして彼のおかげで、最初のメダルをはじめとして、あらゆるものを見いだすことができました。
考えると、僕にはふたとおりのキャリアがありえたと思うんです。ひとつ目は夢のような華やかなキャリア。もちろん浮き沈みはあったでしょうけど。輝かしいキャリアだけど最後には悲惨な終わり方をする。ふたつ目は正反対のキャリアです。考えられる限り最悪の始まり方をするんだけど、最後は…最後はどうなるでしょうねえ。僕のキャリアはすさまじい戦いの連続でした。顔面にたくさんキックを受けてきました。倒れては起き上がってきた。与えられたチャンスを全部台無しにするわけにはいけないと思っていた。楽な道のりではなかったけれど、ひとつ目のキャリアよりもはるかに“spicy”(刺激的な)なキャリアであることは確かですよね!

IN:今後は何をされるつもりですか?

アモ:ジャーナリズムのクラスに通う予定です。とてもやりたかったことなんです。マスコミの世界が好きで。マスコミは常に変化します。僕はいつも新しい情報に接していることが好きなんです。
少し前に、自分の将来のことやどんな職業につきたいのか考え始めたとき、すぐにジャーナリズムが心に浮かびました。最初はテレビの仕事がいいなと思っていたけれど、今はラジオに気持ちが向いています。ラジオにはいろんなことを創造できるチャンスがあるから。僕は課題に挑んでいくことが好き、学ぶことが大好きだから、きっと自分に向いた職業だと思うんです。今年になって集中訓練コースで働き始めたんですが、自分の考えが正しかったことがわかりました。
そして、もちろんショーで滑り続けたいと思っています。スケートは今でも僕の人生でとても大きなものですから!

IN:このヨーロッパ選手権での目標を聞かせてください。

アモ:フリーでもSPのときと同じように、観客との絆を感じられたらいいなと思っています。そうしてリンクを去ります。自分のやったことに誇りを持ってね。
僕はヨーロッパ選手権ではいつもツイてるんです。(アモディオは2011年に金メダル、2012年に銅メダル、2013年に銀メダルを獲得している)僕にとっては、いろんなことがこの大会から始まってきました。メダルうんぬんではなく、この最後の試合を美しく終えたいです。それができたら、最高の形で「ありがとう」と「さようなら」が言えると思うんです。



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そして、迎えたフリーの演技がこれだったんですね。
 

 
モロ〜〜(;_;)

ふだんはほとんど自撮りもしくはかわいい愛娘とのツーショしか上げないモロが、インスタに熱いメッセージを。
「君とはすばらしい思い出がたくさんあったね! 僕ら2人の関係は僕の人生でとても大きな部分を占めているし、そのことを嬉しく思う。君のことを本当に誇りに思うよ!」

 
モロはソチ五輪でアイスダンスの世界にほとほと疲れたそうですが、シングルの世界にまた戻ってきてほしいなあ。今のフィギュア界にはモロ成分が足りないと最近感じるようになりましたわ。
そしてアモ、ジャーナリスト志望なんですね。彼の第二の人生に幸あらんことを! そしてアイスショーで今まで以上にノリノリで腰をふりまくるのを楽しみにしていますDocomo_hart

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
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