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たらのフィギュアスケート日記大好きなフィギュアスケートについて語っています。
男子シングルに偏る傾向あり。 たまに海外記事も翻訳してご紹介します。 |
2022年冬季五輪レース、終わりましたね。北京には本当におめでとうございます!…なんですけどね、個人的にはデニス・テンくんがもう何年も前から、ずっとずっと一生懸命がんばってきたのを見てきたからなあ。彼の努力が報われたらいいな、と思ってました。
北京、アルマトイ双方ともたくさん苦労・努力してきたんだと思うけれど、選考というのはむごいものですねぇ。
しかし! 投票の前の最終プレゼンテーションの場に立ったデニス、本当に立派でした! あのスピーチを世に残しておかないのはもったいないです!
というわけで、聞き取り訳やってみました。例によって聞き間違い、誤訳などなどあるかもしれませんが(もし気づいたら教えてください〜<(_ _)>)、あの超ド緊張の場面で会場をヒューマンなやわらかい雰囲気でつつみこんだスピーチの、その雰囲気の一端だけでも伝わりましたら幸いです。
ではどうぞ〜。
*IOCからアルマトイのプレゼンの動画がアップされました。デニスのスピーチは27:32あたりから。
貼りつけができない設定のようですので、リンクだけ。→こちらです。
「バッハ会長とIOCメンバーのみなさん、紳士淑女のみなさん、おはようございます。
ローザンヌでの私のスピーチでは、まず歴史のお話をしましたが、今日、私たちも歴史を作っています。なぜならカザフスタンが史上初めてIOCにファイナルプレゼンテーションをしているのですから。この歴史的瞬間に参加できて誇りに思います。
歴史は勝利者たちによって書かれると言います。それは正しいのかもしれませんが、勝利という言葉をひとつの定義だけで見るのは間違いだと思います。私たちは全員、この招致運動そのものがとてつもない勝利だと確信しています。ここクワラルンプールで、みなさんと一緒に、この場所に立てていることが勝利なのです。
さて、あるちょっとした秘密をお伝えしたいと思います。アスリートとして、私は今日、ある勝利を手にしました。もしもこのコンペティションで勝てたなら、もっと意味を持ってくるであろう勝利です。この会場を見渡すと、スポーツに貢献されてきたたくさんのお顔を拝見することができます。皆さんにはそれぞれ、スポーツがどれほど自分の人生を変えたか、どれだけの名声を手にしたか、語る言葉があるでしょう。スポーツも名声をもたらします。
ここで私自身の歴史をお話しさせてください。私は小さい頃、よく言えば「とても活発」な子供でした。私の両親は違う言い方をするでしょうけれど(笑)。私はいろいろなスポーツをやっていました。空手にテコンドー、テニス、水泳、飛び込みなど。けれども、みなさんがご存知ないことがあります。私が最初に何かの賞をいただいたのはスポーツではなかったのです。合唱隊で歌を歌ったことでした。あ、誤解なきように。私は今でも歌が好きですし、かなり上手でもあるんですよ(笑)。でもその当時でさえ、私は自分のエネルギーを注ぎ込むべきもの、自分が成功を目指すものはただひとつ、スポーツだけだとわかっていました。
私は17年前、5歳のときにスケートを始めました。そうだ、ところで、この話を最近、あるIOCメンバーにお話ししたんですが、彼は笑ってこうおっしゃったんです。「デニスくん、わしはきみよりも年寄りのネクタイを持っているよ」おもしろいお話だなと思って(笑)。(会場で笑顔の役員たちが映る)17年前のカザフスタンでは、リンクは冬場しか営業していませんでした。屋外リンクだけだったからです。冬のカザフというのはかなり寒いのです。それがこの国に本物の雪がたくさんたくさん降る理由のひとつです。やがて、カザフ初のショッピングモールが建設されました。その中に屋内リンクがありました。初めてスノースーツを着ずにスケートができるようになったのです。
その最初の頃、私はスケートの試合のことなど何も知りませんでした。私はジャンプを跳ぶための器具もついていない(←この辺あやふやです)古いスケート靴をはいていました。 私は競技用のスケート靴さえ持っていませんでした。私が持っていたのは、側面の革がふにゃふにゃになってしまい、ジャンプを跳ぶには柔らかすぎる、古い靴1足だけでした。これを改良するために、私の父はペットボトルを半分に切って、靴の両サイドにつけて、ジャンプを跳べるようにしてくれました。【←読者の方が私のあやふや訳を直してくださいました。ジャンプが飛べる競技用の靴がなかったため、ペットボトルを半分に切ったものを靴の内側に入れて足首を補強した、ということなのですね。桃象さん、どうもありがとうございます!<(_ _)>】
その後、8歳のときには私はロシアのオムスクで、初めて国際大会に出場しました。そこへ行くのに列車で3日かかりました。私はまだペットボトルがついたスケート靴をはいていて、練習場所はショッピングモールのリンク、プロのコーチもいませんでした。それでも決勝に進めたんです。自分でもびっくりしたことを覚えています。同時に、ロシアの子供たちのスケート靴を見て、自分の靴を恥ずかしく思ったことも覚えています。果たして結果は? なんと優勝したのです。そこから歴史が始まりました。
こんなことを長々とお話ししたのは、2022年アルマトイ五輪が私にとって、そしてカザフスタンにとって、どれほど重要なのか説明するためです。現代はもう17年前ではありませんが、今もなおこの国では若いアスリートたちを育てるためにもっとよい環境が必要なのです。どうしてこんなことをお話ししているのかって? なぜ私の話が重要なのかって? それは、私たちの国が冬季スポーツにおいてどんなことを成し遂げられるのか、そして、もしもふさわしい資源と機会さえあれば、この国にはどれほどの能力があるのか、よく示す実例だと思うからです。それが私がこの招致運動に参加することにした理由だったのです。
私はヒーローなどではありません。ただ自分のオリンピックの夢を追いかけてきただけです。私はオリンピックを夢見るたくさんのカザフスタン人アスリートの一員として、ここに立っているのです。そして、どこかの凍りついた湖の上で、ペットボトルに支えられた靴をはいて、たったひとりで滑り回っていたあのちびっ子のために、ここに立っているのです。ご清聴ありがとうございました。」
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いっさい紙を見ないどころか、その場で即興で話しているんじゃないの?と思ってしまいそうなナチュラルさ。さすがに緊張していたと思いますが、あの場でジョークで会場をなごませつつ、自分の個性も出しつつ、こんなにやわらか〜く話ができるのは(もちろん英語も流暢!)本当にすばらしかったです。
ネクタイの話をしたとき、会場に居並ぶお偉いさんが笑顔になっていたのがよかったですね。デニスのフレンドリーさ、頭のよさは、あの会場のだれの心にも響いたんじゃないかしら? デニスのスピーチだけで票が動くほど甘いもんではないでしょうけれど、デニスに代表されるカザフチームの雰囲気のよさは、きっとIOCにも、テレビで見た世界の人たちにも、とてもいい印象を残したと思います。