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ネイサン・チェン 今季の目標はJGPFとシニアワールド!@Golden Skate
えーと……約1か月ぶりの更新です(;_;) 旧シーズンにはこんなヘタレブログを訪れていただき、誠にありがとうございました。ああ、旧シーズンの名シーン振り返りとかお気に入りプログラム特集とかやりたかったのにできなかった…涙
今シーズンはもうちょっとがんばりたい(って毎年言ってますが…)と思っていますので、今シーズンもどうかよろしくお願いいたします<(_ _)>

さて、ネイサンです。先日新フリーを披露したばかりの、アメリカの神童ネイサン・チェン。彼が苦難に満ちた昨シーズンを振り返り、今シーズンへの意気込みを語った記事がGolden Skateにアップされました。新フリーの振付はあの方だったのね…。

元記事はこちら→Glacier Falls next stop for Nathan Chen



「ネイサン・チェン、次のステップはグレイシャー・フォールズ」

2014年世界ジュニア銅メダリストのネイサン・チェンは、この1年、不運と度重なる怪我に悩まされてきた。それでも彼は、品位と強い意志をもって昨シーズンを乗り切り、全米選手権ではシニアデビューも果たした。

ラファエル・アルトゥニアンとナディア・カナエバをコーチとしているチェンだが、去年の夏からずっとかかとの怪我を抱えている。昨シーズンの前半には、さらに腰と背中をつなぐ筋肉も捻挫してしまった。この結果、JGPクロアチア杯では2位になっていたものの、予定していたもう1試合を棄権することになった。シーズン後半に備えて時間をかけて怪我を癒すためだった。
「左足のかかとの内部にある成長板(growth plate)が、まだ完全には閉じきっていないんです」とチェンは話す。「ジャンプを跳ぶたびに…特に4Tを跳ぶたびに、この成長板にかなりの負担がかかって、少し開いてしまうんです。疲労骨折に似た状態です」

不運なことに、このかかとの怪我は、初めてシニアとして出場した2015年全米選手権の1週間前になって、さらに悪化してしまった。
「全米の2週間前にはかなりいい状態で、自信もあったんです。曲かけでもすごくうまくいっていました。ところが突然、痛みが悪化してしまって。その翌週には、試合に出れるかどうかさえわからない状態でした。“ここまで頑張ってきたじゃないか、なんとか滑りきるんだ”そう自分に言い聞かせました。もう順位どうこうではなく、ただ試合を最後までやりきることだけを考えていました」

グリーンズボロで行われた全米選手権では、SP、フリーともに構成を落としたプログラムでのぞんだ。シニアデビューとなったこの大会、結果は8位だった。
「あれ以上の演技は僕には無理でした」この5月に16歳になったばかりのチェンは、そう話す。「痛み止めのせいで気分が悪く、何度も吐いていました。そのせいでエネルギーをかなり失ったような気がしていたんです」

全米後は2週間の休養をとったが、2015年世界ジュニア選手権のために必要な練習ができるレベルまでには回復できなかった。前年の2014年世界ジュニアでは銅メダルに輝いている。
「タリンに到着した頃には、体調的にはまずまずだったんです。ところが、腰と背中の感覚は悪くなかったけれど、かかとはダメでした。試合にのぞむのに十分な状態ではないことはわかっていました。医者にトゥジャンプとアクセルとサルコウは跳ぶなと言われていたので、全米から世界ジュニアまでの間、それらのジャンプの練習はほとんどできていなかったんです」

精神的には全米前より上向きではあったものの、身体的には万全とは言えない状態だったという。
「正直言って、世界ジュニアで勝ちたいと思っていました。でも100パーセントの状態ではなかったから、勝てないだろうとわかっていたんです。このときもまた、試合を乗り切ることが目標になってしまいました」

SPでは、3A転倒と3F-3Tの3Fにエッジエラーがついたものの、堅実な演技を見せた。2つのスピンとステップでレベル4を獲得して、69.87でSP9位につけた
「3Aの前はばかみたいに慎重になっちゃいましたね。フリーでは順位をねらえないことはわかっていたけど、SPよりいい演技がしたい、それだけを考えていました」

フリーでは、1つ目の4Tはステップアウト、だが次の4T-2Tはなんとか着氷した。その後6つの3回転ジャンプをすべて降り、質のよいスピンとステップを決めて、143.98でフリー4位。総合213.85点、表彰台まではわずか1.6点だった。
「あのフリー演技にはかなり満足しています」チェンは、試合を乗り切ってほっとしたという。「本当に大変なシーズンでした」

世界ジュニア後まもなく、チェンはコロラドスプリングスにあるオリンピック・トレーニングセンター(OTC)を訪れた。ここで4週間みっちりリハビリをおこなうとともに、強化トレーニングを受けたという。
「もう昨シーズンのことは忘れて、新シーズンに向けて前に進みたかったんです。ひとつ学んだのは、基盤をしっかりしなきゃならないということ。また、怪我をしないためには、練習や試合のときに十分なウォームアップとクールダウンが必要なことも学びました。僕はOTCに行くまでは体力を強化する環境なんてゼロに等しいぐらいだったけれど、今は体力トレーニングを実践・指導してくれる人がいます」

世界ジュニア以降、身長が6センチ以上も伸びたという。かかとの成長板の怪我は今後約1年で完全に治るだろうと、チェンは考えている。現在おこなっている練習について聞くと、次のように話した。
「今はすべてのエレメンツの改良と、表現面での向上を目指しています。ジャンプは全種類跳んでいますが、特にアクセルをたくさん練習しています。もうひとつ強化したいのはスピードです。スピードを出すことができれば、演技構成点もちょっと上がるんじゃないかな」

新シーズンのプログラムについては、SPは昨年の〈マイケル・ジャクソンメドレー〉(「Smile」と「Smooth Criminal」ナディア・カナエバ振付)を継続する予定だ。新フリーはサンサーンスの交響曲第3番「オルガン付き」、ニコライ・モロゾフの振付だ。
「ニコライがこの曲を選んでくれました。プログラムを練習しながら、曲をどんなふうに解釈できるか、楽しんでやっているところです。最初はちょっと地味な曲かなと思ったんですけど、今はとても気に入っていますよ。滑るたびに曲にどんどん入り込めている気がしています」

この新フリーを、先日おこなわれた2015年ブロードムア・オープンで初披露した。この大会でチェンは優勝したが、今シーズンの初試合だったため、SP・フリーともに構成を落としてのぞんだという。SPでは4T-3Tと3Lzを決めたが、3Aは転倒した。フリーには6つの3回転ジャンプのほかに4Tと3Aを1つずつ入れた。
「僕にとって今季第1戦だったから、自分の演技には満足しています。もしこれが世界レベル、国レベルの選手権試合とかだったら、もちろん今回の演技では全然満足していなかったでしょうけどね。振付の先生方のおかげで、SPもフリーもよく考えられたプログラムになっていますが、まだすべての面を修正しなくてはならないし、その後、難しいエレメンツを加えていく予定です」

チェンの次の試合は、今月下旬にカリフォルニア州アナハイムで開催されるグレイシャー・フォールズ(Glacier Falls)だ。
今シーズンの目標を聞くと、チェンはこう答えた。
「今年はシニアの世界選手権に出られたらいいですね。もっと実質的な目標としては、JGPFには絶対に出たいと思っています。1シーズン通して健康体でいること、そして自分の実力をすべて発揮できるシーズンにしたいです」

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kyu 本当に、本当に、大変なシーズンだったんですねぇ。
成長板というのは骨の先端にある「骨端(こったん)軟骨」のことで、骨が成長し続けているうちはこの部分が開いていて、痛めやすいのだとか。あと1年で成長期も止まってくれるだろうと、ネイサン本人は考えているようですね。



ものっすごくキツかったという今年の全米でのSP。演技が終わってキスクラに向かうとき、「おえっ」ってなっているように見えますが、痛み止めの副作用だったんですね。
でもこのSP、彼の音楽性や天性のリズム感が生かされた、とても楽しいプログラムなので、継続はうれしい。このときはクワドも3Aも抜いていますが、体調が万全ならここに高難度ジャンプがびしびし入ってくると思うと、わくわくします。

ついでに、この全米でのフリー。この体調でここまでやるとは! 彼のガッツの強さをまざまざと見せてもらいました。演技後アルトゥニアンに「You're a man!」(よくやった!おまえは男だよ!)って言われてますね(;_;)



そして、音声があまりよくありませんが、ブロードムア・オープンで披露された今季の新フリーです。衣装は旧フリーのものですね。



個人的な第一印象は…「全然印象に残らないわ、これ…」(ううう、ネイサンくん、ごめんなさい)
昨季のショパンでも、アメリカでは「エレメンツだけで演技が棒」なんていう声もあったのに、なぜもっと地味な曲を選んだの?と思っていたら、モロゾフの選曲・振付だったとは!
モロゾフにとっては久々の有名シングル選手の振付じゃないでしょうか? それにしてもネイサンとモロゾフってなんだかイメージ対極なんですけど。変衣装で顔なでするネイサン? モロゾフと熱い抱擁をかわすネイサン? うーんうーん…。
おそらくまだエレメンツ確認が主な目的だったのでしょうし、SPと対照的なプログラムをという意図もあるんでしょうね。それにしてもネイサン自身が最初に感じたという言葉どおり、 bland(地味な、味気ない、つまらない、といった意味^^;)な印象…。
しかし! きっとこれから凝り凝りの振付をどんどん入れてくるんでしょうし、モロゾフと組んだ意図も今後明らかになってくるに違いないわ!! というわけで、今後の進化を楽しみに待ちたいと思います。
まずはステイ・ヘルシー、無病息災で! そして念願どおりJGPF進出を果たせるよう、JGPでの戦いぶりに注目していきたいと思います。早くエントリー出ないかなあ〜。

アメリカのSun Valleyで7〜9月に開催中のショーに出演したネイサン。昨季のエキシかな?衣装は安定のシンプルカジュアル(写真はこちらから)


JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:北米男子 | 14:04 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - |
ステファン・ランビエール 振付、ショー、スケート学校…@Icenetwork
近年ショースケーターとしてますます輝きを増し、アジアでの怒涛のショー出演を終えたばかりのステファン。そんなステファンのインタビューが、先週Icenetworkにアップされていました。
振付の仕事も目白押しで、いったいいつ練習してるんでしょ?と思っていたら、「休暇はほぼゼロ」だと。やっぱり美しい白鳥は水面下で懸命に足を動かしているんですねぇ。

元記事はこちら→'I prefer investing in my sport and my art' Posted 7/15/15 by Vladislav Luchianov




ジュネーブやローザンヌ、ベルンといったスイスの街角で、有名なスイス人スケーター、ステファン・ランビエールと遭遇するのはかなり難しいだろう。別に彼がファンから逃げ隠れしているわけではない。彼の毎日、毎週、毎月のスケジュールが、大きな空港のフライトボード並みに立て込んでいるからだ。ひとつ違うのは、ランビエールのボードには「遅れ」や「欠航」の文字はないということ。まるでスイス製の腕時計のように、すべてがきっちりと時間どおりに進んでいるのだ。

この夏、ランビエールはあちこちの国々で複数のアイスショーに出演している。旅の合間をぬって、世界のトップスケーターのために新しいプログラムの振付もおこなっている。カロリーナ・コストナー、エリザベータ・タクタミシェワ、デニス・テンもその1人だ。彼の教え子たちは、ランビエールと一緒に氷上で数日過ごすだけで、彼のクリエーティブなエネルギーが自分の体内に流れ込んでくるのを感じるのだと言う。

「ステファンは技術を巧みにあやつることができるの。ただただ天才だと思うわ! 彼は一緒に仕事をしていてとても楽な人で、楽しい時間だったわ」
世界チャンピオンのタクタミシェワはそう言う。彼女はスイスに1週間滞在して、ランビエールと共に新しいSPとフリーの振付をおこなった。

2006年トリノ五輪銀メダリストのランビエールは、豊かな創造力と、フィギュアへの強い愛情を持っている。彼はコーチングや振付師だけでなく、さらに活動の場を広げている。アルプスの中心地にある村シャンペリーで、スケート学校「スイス・スケーティング・スクール」を創設したのもそのひとつだ。将来的にはトップレベルの選手たちのトレーニングセンターになれば、と彼は願っている。開校は今年の8月。多くのスケーターが夏の合宿に訪れる予定だ。

ランビエールはIcenetworkとのインタビューで、忙しいスケジュールの調整法や、トップ選手たちとの仕事、スケート学校のことや若い選手へのアドバイスなど、さまざまな話をしてくれた。

IN:すごいスケジュールですが、ステファン・ランビエールという人は1年のうちわずかでも休息は取れるのでしょうか? 孔子に「自分の好きなことを仕事にしなさい。そうすれば一生“仕事”をしなくてすむから」という言葉がありますが、あなたはこの言葉に従っているのですか?

ランビ:そうですね、ある意味ではそうなのかもしれません。現役引退後、僕は幸いにもショースケーターや振付師、コーチ、ショーのプロデューサーや演出家など、フィギュアスケートにおける自分の夢を実現する機会をたくさんいただいてきました。大好きなことを仕事にできるのは恵まれたことです。でも、かといって“仕事ではない”というのは違いますね。ものごとが偶然起こったり、問題が自然に解決したりするのをただ待っているわけにはいきません。僕は毎日仕事をしています。休暇はほぼゼロです。でも自分で選んだことに後悔はまったくありません。成功を目指して仕事をするほうが満足感はより大きくなるものです。

IN:昨シーズンのスケート界について、全体的な印象や感想を教えていただけますか? また、振付師としてどの選手の演技が最も気に入りましたか? その理由は?

ランビ:オリンピックの翌シーズンというのは、いつも見てもおもしろいものです。新しいスケーターが上位を狙えるチャンスが増えますからね。選手にとっても、他のシーズンより振付面、技術面で冒険ができますし、今後のシーズンに備えて自分のポジションを確保することができます。【←この選手は注目だなと認識してもらう、という意味だと思います】昨シーズンは多くの選手がうまく対処したと思います。
振付という点では、パパダキス&シゼロンのSPとフリーの両プログラムが最も印象的でした。どちらも非常に美しく、2人の素晴らしい技能と個性的なスタイルに完璧にマッチしたプログラムだったから、彼らがランキングを大きく上げたのはまったく当然なことでした。宮原知子も僕のお気に入りの1人です。彼女のフリー「ミス・サイゴン」は非常に優雅で、強力なプログラムでしたね。

IN:2012年のインタビューであなたは、「今はプログラムの難度が過去に例がないほど高いレベルになっている。だが、不幸なことにそのせいで芸術性がやや失われている」と述べていましたね。あれから3年の間に変化はあったでしょうか?

ランビ:選手は多くのルールに適応し、レベルを取ろうとしなくてはなりません。そんな状況で独創的であろうとするのは、ますます難しくなっていると思います。ルールは毎シーズン変わりますし、テクニカル・パネルが注目するポイントもどんどん新しくなって、どの選手もそれを取り入れようとします。その結果として、ほとんどのペアとシングルの選手が同じようなリフトやステップ・シークエンスやスピンをやることになってしまいます。
2014-15シーズンの場合、それはスピンへのイリュージョンの入り【イリュージョン・スピンはいわゆるウィンドミル・スピンの別名だそうです。ウィンドミルスピンのようにフリーレッグを斜めに傾けてスピンに入ること】でした。しかも、ほぼ半数は出来がよくないのです。
ただ、そんな中でも、数字のことをちょっと忘れて、いい演技をして観客やジャッジに感情を伝えることができたら、それはきっと伝わるのです。そんな演技は自分でわかるもの。選手はアスリートとして、自分がメダルを取れそうだ、勝てそうだ、というときは自分でわかるんです。幸い、このことは今も昔もずっと変わらないんですよ!

IN:アメリカのサマンサ・シザリオは表現力や独創性で知られる選手でしたが、この5月に21歳で引退を発表しました。自分の持ち味(観客のために演技することや、音楽を生き生きと伝えることなど)は現在の新採点システムでは得点にならないから、とうことです。今後、このような理由で若くして引退する選手が増えると思いますか?

ランビ:増えることはないと思いますね。スケーターはアスリートです。みんな勝ちたいんです。そして、勝つためにはルールを受け入れ、制約がある中で最大の力を尽くさなくてはなりません。もちろん、現状が合わないと思えば、いろんな選択肢を取るのは選手たちの自由です。引退の理由は選手によってさまざまあっていいと思います。個人的には、これからもアイスショーが発展していってほしいと思いますね。ショーこそスケーターが本当に自由になれる場所だから。もしISUがうまく調整してくれれば、プロ選手による試合もいい選択肢になるでしょうね。

IN:最近では、2015年世界チャンピオン、エリザベータ・タクタミシェワの新しいSPとフリーの振付を手がけましたよね。彼女との仕事についてどうでしたか?

ランビ:リーザとの仕事は本当に楽しかったです。彼女は現時点で技術的に最強であるだけでなく、心の中に熱い炎をもっている人です。彼女の目を見ればとても負けず嫌いなことがわかります。フィギュアにおいて、強い個性というものは非常に大切なのです。彼女とはSPとフリー両方の振付をやりました。SPの曲は明らかにできませんが、フリーはグリーグの「ペール・ギュント組曲」(Edvard Grieg's Peer Gynt suite)です。
彼女のコーチであるアレクセイ・ミーシンは、教え子のプログラム作りに熱心にかかわろうとする人です。もうちょっと選手の自由にやらせてあげたらいいのに、とは思うけれど、それが彼のやり方ですし、僕は彼を大変尊敬しています。
リーザとの振付の仕事はとても楽しかったですね。リンクの外でも一緒に過ごして、プールに行ったり、モントルーの湖畔を一緒に散歩したりしました。1週間の振付作業の結果、非常に高度でありながらも、リーザの長所を生かすことができる、強力な2本のプログラムができあがりました。今シーズンの彼女の演技を見るのを楽しみにしています。

IN:この夏、他にはどんな選手と仕事されているのでしょう?

ランビ:春から夏にかけて、今年は限られた時間しか作れませんでしたが、それでも数名の選手たちと仕事することができました。シャンペリーでリーザに振付をしている間に、ミーシンのもう1人の教え子であるアレクサンドル・ペトロフにもSPを振付けました。
デニス・テンとカロリーナ・コストナーも1週間、振付に来ましたよ。デニスには、ショパンのすばらしいピアノ曲を使ったプログラムを作りました。彼が滑るのを見るのが待ちきれないですね。このプログラムが競技用プロになるかもしれません。
僕にとって最高だった出来事のひとつが、カロリーナの新エキシを作ったことでした。曲はアルビノーニの「アダージョ」(Adagio in G minor)。彼女のスケートには本当に感嘆しています。そのポジション、軽やかさ、腕の動きの美しさ。まったく別次元の人ですよ。
 
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カテゴリ:ロシア&ヨーロッパ男子 | 14:39 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
福間洸太朗さんat「ネパール復興支援コンサート」聴いてきました。
昨日7月26日、福間洸太朗さんat「ネパール復興支援コンサート」(東京・国分寺市)聴いてきました!
初めて生で聴いた福間さんのピアノがすばらしく、Fantay on Ice神戸と羽生くんの話も出てきましたので、レポと感想を憶えている範囲で少しだけ書いておこうと思います。



会場は東京郊外の西国分寺駅に近い国分寺市いずみホール。東京でも少々マイナーな(失礼!)地域なので、なぜ国分寺?と思っていたのですが、福間さんがこちらのご出身だったのですね。福間さん以外の方々の演目も素敵で、会場の雰囲気もとてもあたたかく、すばらしいコンサートでした。

今回のチャリティコンサート、主催の「ネパールの子どもを支援する会」代表の増田加代子さんという方が司会をされていたのですが、まずネパールの現状とこのコンサートについて説明がありました。
ネパールはアジアで一番、世界でも3番目に貧しい国で、子どもたちも働きながらその日の食べ物を食べるのがやっと。飲み水は井戸に頼る人が多いのですが、その井戸が数メートルの深さしか掘られていないため、日本の下水並みに汚れた水しか取れず、飲み水で命を落とす子供たちもいる。その現状を知った増田さんたちは、国分寺を中心に寄付を集めて、ネパール各地に深い井戸を掘ったり、学校を作ったりといった活動を16年前からされているのだそう。
そこに今回の大地震。支援物資をもって現地に向かったけれど、とてもひどい状況で、緊急に何かしなくては、と企画されたのが今回の「ネパール復興支援コンサート」だったそうです。増田さんも地元・国分寺の方で、福間さんのことを小さい頃から知っていて、自称(?)「福間さんを応援する会」の代表でもあるとか。そのご縁で出演が決まったそうですが、もともと今回のコンサートは7月22日だけの予定だったのですが反響がものすごく、急きょ昨日の25日に追加公演を決定。短期間での決定だったのに、福間さんはじめ出演者のほとんどが追加出演を快諾されたのだそうです。

コンサートの第1部では、地元の合唱団がネパール民謡やドイツの歌曲を歌ったり、地元の子どもたちによるダンス、ネパール人女子留学生でダンサーの方のネパールダンスなど。合唱にはネパール人男子留学生の方の太鼓の伴奏も。
特に、地元の創作ダンス・サークル『Joyダンスクラブ』の子どもたち10名による創作ダンスがとても印象的でした。空爆を受けたネパールの村にサーカスがやってきた、というストーリーで、メインダンサーをつとめる女の子がとっても可愛くてダンスも上手。10名の中には小学校低学年ぐらいの小さな子もいましたが、みんな笑顔で、特訓を受けたというネパールのダンスを一生懸命踊っているのが素直に胸を打ちました。終演後はロビーで募金箱をもって立っていました。みんな、小さい頃から目的意識があって偉いなあ。(とフィギュア観戦にばかりうつつを抜かしている我が身を激しく反省…。これはスケーターさんたちに対しても同じなのだけど><)

第2部では、まずロシア人声楽家、ヴィタリ・ユシュマノフさんが、みごとなバリトンでロシア民謡「カチューシャ」やイタリア歌曲、そして日本語で「夏の思い出」などを熱唱。日本が大好きで、現在日本に住んでいるそうで日本語がとても上手(しかもイケメンでいらっしゃる)。終始にこやかな笑顔を浮かべながら歌っているのがとても印象的でした。
司会の増田さんいわく、「ヴィタリさんは福間さんの親友でもあるので、洸太朗さんファンのみなさん、今後ヴィタリさんもよろしくお願いしますね〜❤」とのこと。9月にオペラ「ドン・カルロ」に出演予定だそうです。

そして、いよいよ福間洸太朗さんの登場です!
少しラインストーンが入った白いドレスシャツに黒ズボン。ちょっとだけ内気そうな、上品な物腰でお辞儀されると、まずは1曲目、エルガーの「愛のあいさつ」。会場のお客さんへのあいさつだったのでしょうね。
弾き終わると、立ち上がってマイクを握られて、「今日はリストとショパンを演奏します。2人は年は1つ違いですが、対照的な人生を送りました。リストは数多くの作品を残し、演奏のほか教育など幅広い活躍をした人でした」(←ずいぶんはしょっています。実際はもっとたくさんのことを、丁寧でやさしい語り口で語ってくださいました)
まずはリストの「愛の夢第3番」。フィギュアファンにはおなじみすぎる曲ですが、とってもすばらしかった。実は私、子どもの頃ピアノを13年ほど習っていたんですが、もうピアノの道はあきらめると決めて(だいだいそれほどの才能もなかったのですが、ぐずぐず続けていたのでした)最後の発表会でこの曲を弾いたんです。それ以来この曲は何度も聴いてきたのに、福間さんの演奏を聴いているとおこがましくもその時のことが急激によみがえってきて、胸に感傷の嵐が吹き荒れてしまいました。
福間さんの「愛の夢」はとても華やかで、音がキラキラしていました。そしてスローパート、特に最終盤のパート(真央ちゃんの「愛の夢」における最後のスパイラルのあたり)をものすごく丁寧に、一音一音じっくりと弾いてらしたのが印象的でした。超絶技巧の難曲でなくても、ピアノってこうやって愛をこめて弾くのね、と改めて感じ入りました。
リストの2曲目は、まさしく超絶技巧の代表曲「ラ・カンパネッラ」。こんな曲になると素人の感傷の入る余地なんてなし。もう圧巻! 素人耳ですが、ちょっとしたミスもほとんどなかったんじゃないでしょうか? 特に高音の繊細で美しいこと! ふつうは演奏が終わって一呼吸して拍手をするものだけど、このラ・カンパネッラでは福間さんが弾き終わるや否や、フライング拍手が巻き起こりました。すごかった!

立ち上がって「この曲を弾くと汗かいちゃうんです…」とハンカチで汗をふきふき、ショパンの解説を始める福間さん。「雨だれのプレリュード」「バラード1番」「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」の3曲です。
「ショパンはリストと対照的に作品数が限られ、生涯病気がちで39歳の若さで亡くなりました。『雨だれ』は、マジョルカ島で雨音を聞きながら愛人ジョルジュ・サンドの身を案じ、愛人を失ったら自分はどうすればいいのかという不安を抱いた、その不安が表現された曲です。『バラ1』には、戦火に見舞われていた故郷ポーランドへの悲しみと戦争への怒りが表現されています。そして最後のポロネーズとは『ポーランドの曲』の意味で、本当に明るく美しい曲です」(ううう、もっと美しい言葉でたくさん語ってくださったはずなのに…壊滅的な記憶力…><)ショパンの人となりまで伝わってくるような、素人にもすごくわかりやすく丁寧な解説。福間さんの誠実さと、楽曲の魅力を少しでも伝えたいという気持ちが伝わってきます。
その「バラード1番」。最初の一音からゾクッとしちゃいました。福間さんのピアノって、とても華麗できらびやかなんです。でもその音の間から、喜びとか悲しみ、せつなさなどいろいろな感情が立ち上ってくる。演奏中の福間さんは、時折音を口ずさむかのように唇を動かしたり、重厚な和音を奏でるときには天を見つめるように頭上をあおいだり…。けっして大げさな身振りではなく、あれほど高度な大曲を弾いているのに優雅とさえ言えるほどなのですが、それでも演奏中に浮かべる豊かな表情を間近で見られたのはとても嬉しかったです。それにね、その横顔が美しいのですよ!
(しかし、今回は開場前から長い列ができていて、完全に出遅れてしまったため、手元があまり見えない席だったのが失敗だったな…ううう、せっかくなのにもったいなかったです><)
そして、やっぱり思い浮かべてしまうのは羽生くんの「バラ1」。本当にあちこちツギハギで編集されていたのだなあと。ジェフが選んだ部分は、曲の中でも激情やもの悲しさが漂うパートばかりだったのだと改めて再認識。そして、この原曲を短時間で羽生バージョンに合わせ、ショーのクライマックスで弾いた福間さん、神業! 本当に大変だったでしょうねぇ!

演奏後、ふたたび増田さんが登場されて、しばし福間さんとトーク。といっても、この増田さん、とてもエネルギッシュで、立て板に水のごとく話される方で、話の3分の2は増田さんだったかな。とにかく福間さんは子どもの頃からかっこよくて、足も速く運動会でも目立っていたそう。(推測ですが増田さんは以前、教育関係の仕事をされていたのかな? ご自身が担当された読書感想文コンクールで福間さんが1等賞を取ったこともあったそう)それに性格も素直で、親御さんもすばらしくて…。褒められるたびに、照れたようにいやいやいやと首をふる福間さん。「あら、ごめんなさい、長くなっちゃって」と言う増田さんに、福間さん、「大丈夫です。半分ぐらいしか聞いてませんから」とボソッともらして笑いが起こる場面も。
Fantasy on Iceの話を始めたのは増田さんのほうでした。「先日もね、アイスショーに出られたんですよね。鈴木さんや安藤さんとコラボレーションをされて」ここで増田さんが取り出しのは仙台のお菓子「萩の月」の小箱。(増田さんは「月のしずく」とおっしゃったので、そんなお菓子があるのかと検索しちゃいましたよ^^; おそらく勘違いだったんでしょうね)神戸で羽生くんが出演者のみなさんに配ったものを、福間さんから1ついただいたのだそうで、「羽生くんは洸太朗さんの次の次に好きな人ですからね。サインしてもらえたらもっとよかったんですけど〜」と、だんだんテンションが上がってくる増田さん。ところが、神戸初日の放送はご覧になっていたものの楽公演で「バラ1」コラボがおこなわれたことを知らなかったらしく、「次は絶対羽生くんとのコラボを実現させてくださいよ。必ずよ!」と若干暴走気味。とうとう福間さんがさえぎって、「ええと、ちょっといろいろ訂正させてください(笑)。コラボはもうやったんですよ」と、神戸でのことを話し始められました。
内容としては福間さんがツイッターで書かれていたこととほぼ同じで、もともとフィギュアが大好きで、ジュネーブでステファン・ランビエールと共演したのが最初だったこと。神戸では氷に穴があくアクシデントがあり、製氷中に「何か弾きましょうか?」と自分からスタッフに持ちかけたこと。その演奏中、羽生くんがリンクサイドに出てきて演技の振りをしていたこと(ご自分は気が付かず、後から聞いたそう)。その夜、ホテルでの食事中に羽生くんから「コラボをやってもらえませんか?」と言われ、喜んで快諾したものの、かなり編曲されているので動画を見ながら苦労して音合わせしたこと。それでもあのような機会をもらえてとても光栄だったことなどなど。時間がおしていたのに、神戸でのことを丁寧に話すその笑顔に、あのショーを本当に特別なものと思ってくださっているのだなあと感じました。

これでお開きかと思ったとき、増田さんが「もう1曲お聞きになりたいでしょう?」と言うものだから、会場大拍手。
ふたたびマイクを握った福間さん、「ストラビンスキーの『火の鳥』を弾きます。火の鳥=フェニックスは奇跡を起こす鳥です。ネパールのみなさん、そして会場に来てくださったみなさんに奇跡と幸福が訪れるよう、祈りをこめて弾きたいと思います」シンプルだけど力強い言葉。福間さんが東日本大震災からちょうど4年という日の海外公演で、アンコールで震災への哀悼の曲を弾いている動画を先日見たばかりだったんですが、こういう思いをずっと抱き続けている方なんですね。
そんな福間さんの願いがこもった「火の鳥」、本当にすばらしかった! フィギュアではまたまたおなじみの曲ですが、私の脳内では町田くんがあの衣装で舞い踊っていましたよ…。
 
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カテゴリ:観戦・ショー・イベント | 16:29 | comments(11) | trackbacks(0) | - | - |
福間洸太朗「アイス・レジェンド2014」インタビュー @Absolute Skating
すみません、FaOIはテレビで見ただけなのに、1回チャリティコンサートに行っただけなのに、今ごろ福間さん沼にずぶずぶハマってしまってる私ですが、みなさんお元気でしょうか(゚∀゚;)

ステファン・ランビエールのこちらのインタビューでも話題に出てきた、ステファン初のセルフプロデュース・ショー「アイス・レジェンド2014」。昨年12月18日に開催されたこのショーのレポが、なぜか半年以上もたった今月6日に、Absolute Skatingにアップされました。
リハーサル風景から各スケーターのプログラム解説まで詳細かつ長大なレポなのですが、この記事の最後に福間さんの単独インタビューが掲載されていました。ショーの前日のリハーサル中に取られたもののようですが、これが思いっきりスケート愛にあふれた、すごくフレッシュなインタビューなのでした〜。見落していた自分、バカバカ!><

元記事はこちら→Ice Legends 2014 July 6, 2015 By Reut Golinsky
この記事から福間さんのインタビュー部分のみ訳してみました。



「福間洸太朗、チャレンジする用意はできている」

アイス・レジェンド2014では、スイス人アーティストのランビエールと、日本人アーティストで才能あふれる若きピアニストである福間洸太朗が、美しいコラボレーションをおこなった。2人は、音楽やスポーツやアートは異なる文化同士を近づけることができるのだと証明してくれた。筆者は、リハーサル中に洸太朗と話すチャンスを得た。スイスについて、音楽について…そしてフィギュアスケートについて、とても興味深いおしゃべりをすることができた。

Q:このショーは日本とスイスの国交樹立150年を記念したものですね。あなたとスイスの間には、個人的にどのようなかかわりがあるのですか? それはいつ始まったのでしょうか?

福間:僕が最初にスイスを訪れたのは2000年の夏のこと、音楽の勉強のためヨーロッパへ移り住む1年前のことです。フランスのクールシュベルにある音楽学校に入学する前に、3日間ジュネーブの知人の家に滞在したんです。短い滞在でしたが、街の美しさと洗練された雰囲気にはとても感銘を受けました。それから数年たって、ジュネーブやモントルー、クラン、チューリッヒ、ベルンといったスイスの都市で演奏をするようになって、美しいものをさらにたくさん知るようになりました。

Q:では、フィギュアスケートとかかわるようになったきっかけは何だったのでしょう? あなたは熱心なスケートファンなのですよね?

福間:正確にいつ、とは憶えていないんですが、テレビでフィギュアスケートを見ていた記憶はあります。特に、伊藤みどりさんが銀メダルを取った1992年アルベールビル五輪のことはよく覚えています。家族全員でテレビを見て、大声でみどりさんに声援を送ったものです。彼女は冒頭のトリプルアクセルでは転んでしまったけれど、プログラムの終盤でみごと成功させました。あれは驚異的だったな。
でも、じつはそれ以前に、僕の父は30代の初めの頃、今は高名なコーチである佐藤信夫先生にフィギュアスケートを習っていたんです。ごく短期間だったらしく、ジャンプもスピンもできませんでしたが、僕がたぶん5、6歳の頃、父はリンクに僕を連れていってくれて、基礎的なことを教えてくれました。そういうわけで、スケートには個人的に強いかかわりがあるんです。僕は前に滑るか、後ろにゆっくり滑ることしかできないけれど、スケートを見るのは大好きですね! もっと滑れたらいいんですけど!
だから、僕にとってこのショーの舞台にいられること、このプロジェクトに参加して、ワールドクラスのすばらしいスケーターたちとコラボレーションができることは、言葉にならないほどうれしいことなんです。
もうひとつ、1994年に日本の幕張で開催された世界選手権で、佐藤有香さんが優勝したときのことも覚えています。当時、僕は12歳でした。それがスケートを熱心に見始めるきっかけになったのかもしれないな。1995年の世界選手権ではルー・チェンが、翌年はミシェル・クワンが優勝したことも覚えています。これには強いインパクトを受けました。

Q:あなたが口にするのは女性のスケーターばかりというのがおもしろいですね。

福間:そうですね、男子の試合も見ていましたよ。これは本心なんですが、僕が一番好きな男子スケーターはステファンなんです。スケートの芸術性という点で、彼は音楽のすべてを大事にしています。彼が滑るのを見ていると、自分が弾いているわけでもないのに、音楽が聞こえてくる。これはとても特別なことなんです。
スケートの技術的な面においては、エルビス・ストイコが強く印象に残っています。試合で4-3のコンビネーションを跳んだのは彼が最初でしたよね。1996年から97年のシーズンに。僕はその試合をテレビで見ていて、すごくびっくりしてしまいました。そして(1997年世界選手権で)2位はトッド・エルドリッジでしたよね。そう、その頃はとても熱心にスケートを見ていた時期でした。
ところが、2001年に、僕はパリに留学するために日本を離れました。日本でもかなり本気でピアノを習っていたのですが、自分がプロのピアニストになれるかどうか自信がなかったんです。日本から出てしまえば、もうそれ以外の職業のことを考えるすべはありません。プロのピアニストになるために、僕は自分にできることをすべてやりました。そのためとても忙しく、それ以降の数年間はフィギュアの試合はまったく追えませんでした。2004年に荒川静香さんが世界選手権で優勝したとき、僕はフィギュアに戻ってきたんです。2006年のトリノ五輪は全部見ましたよ! それ以来、時間があるときは必ず、YouTubeかテレビでほとんどの試合を見ています。

Q:試合やショーを生で見たことはありますか?

福間:はい、一度だけショーに行ったことがあります。去年の7月、ステファンが幕張のショーに招待してくれたんです。【筆者註:福間洸太朗は今年、このショー「ファンタジー・オン・アイス」にピアノ奏者として出演している】プロのフィギュアのショーを生で見たのはあのときだけですが、すごかったですね! アーティストとしても非常に刺激をもらいました。もちろんテレビで見ていてもすばらしいけれど、生は全然違います。スケーターたちから感情やエネルギーがものすごく伝わってくるんです。

Q:音楽を聴いてそこから受け取るものは人によって違いますよね。動きを感じる人もいれば、色彩を感じる人もいます。あなたの場合は?

福間:僕も動きが見えることがありますし、色彩や、時には今までに訪れたことのある特定の場所の景色が見えることさえあります。音楽を聴くとき、僕はいろいろなことを想像します。僕にとって欠かせないことなんです。そしてそれが、ステファンをとても尊敬している理由でもあります。彼が音楽を表現している様子を見ると、いろんな風景が思い浮かぶから。ただ「振付でこうやれと決まっているからやる」とか「ここでジャンプ飛んで、ここでスピンして」じゃない。彼は僕らに何かを伝えようとしています。物語を伝えようとしているのです。
もちろん、このショーに出ているスケーターは、ステファンだけでなく全員が音楽を大切にしているすばらしい方ばかりです。だから、個人のプログラムだけでなくフィナーレの群舞でも、みなさんと仕事をするのはとてもおもしろいですね。

Q:ステファンにどれか1曲滑ってほしいと頼めるとしたら、どの曲を選びますか?

福間:それは美しい質問ですね。でも、答えるにはもっと時間が必要だな…。個人的にはロマンティックな曲で滑るところが見たいけれど…でも、彼の得意なもののひとつはコントラストだと思うんです。ゆったりとしたパートがあって、それがとても速く、激しくなっていくような曲かな。彼にはすばらしいスピードもありますからね。じつは、実際に彼に会ってみると意外に背が低いことにびっくりしました。滑っているときの彼はものすごく大きく見えますから! あの体の動かし方が彼を大きく見せているんでしょうね。

Q:フィギュアのショーがコンサートとかなり違うことは、もうおわかりでしょうね? 騒々しくなることもあるし、曲の途中で拍手や歓声が起こることもあるかもしれません。そういったことに対して対策はされていますか?

福間:ええ、大いに違うでしょうね。苦労するだろうなと予想しているのはそれだけではありません。まず、もちろん気温です。これほどの寒さの中で弾くのは初めてですからね。観客からのノイズもあります。スケーターがジャンプやスピンをしたときに起こる歓声。音響もコンサートホールとはずいぶん違います。ほかに何かあるかな? そうだ、今日は大丈夫だったんですが、昨日鍵盤を触ってみるとぐしょ濡れだったんですよ! きっとリンクの湿気のせいでしょうね。すごく滑りやすくて、怖かったですよ!
このショーで僕は全部で8つの曲を弾くんですが、おもしろいのはスケーターの意見やアイディア、音楽への考え方がそれぞれ全く違う点です。たとえば、(安藤)美姫には、演技中のある特定のポイントで自分と目を見合わせてほしい、と言われました。プログラムの前半はゆっくり弾いて、後半はだんだん速く弾いてほしいと言う人もいます。サロメ(・ブルナー:ステファンの振付師)には、ガーシュインの「3つの前奏曲」について、第2楽章からつながる部分に数節、数音足して、プログラムの尺を長くしてほしいと頼まれました。そこで僕は数音足して、ステファンが予定された場所でスピンを終えて、そこから次のパートに入れるようにしたんです。原曲が長すぎて、僕がカットしなくてはならなかったこともありました。
だから僕は、曲にものすごく神経を使って、ふだん弾き慣れていない新しいバージョンに意識を集中していなくてはいけないですね。あまり考えないで原曲のまま弾いてしまったら、スケーターは困惑してしまうでしょう。「これは何? これでどう滑れって言うの?」と(笑)。
アイスショーで演奏することは、とてつもなく大変なチャレンジです。でも、僕はその用意はできていますし、明日チャレンジできることが楽しみでたまらない! 誰にとっても、とても貴重な、とても刺激的なショーなのです。
 
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カテゴリ:ロシア&ヨーロッパ男子 | 03:36 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
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