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アダム・リッポンくんロングスピーチ全文
あああ、ひと月以上ブログを放置してしまいました。仕事やら何やらで上海ワールドの前あたりから時間がまったくとれず、そうこうしてるうちに今季の競技も終了。スケーターさんも世のスケオタさんもどんどん先へ進んでいるというのに、国別の録画もほとんど見れてないし、買ったスケート誌も読めないまま積みあがっていくばかり…。
そんなていたらくなのに、その間、訪れてくださった方には本当に申し訳ありませんでした。忘れずにいてくださってありがとおおおお〜ううう(;_;)

で、やっと少し時間が取れそうなので、過去に気になってはいたけれど翻訳できなかった記事も含め、ぽつぽつ訳していきたいと思います。とっっっくに既出で、いまさら何?という記事もあるかと思いますが、自分的にカタをつけておきたいという気持ちもあり…どうかお許しくださいまし<(_ _)>

さて、そんなリハビリからの復帰第1弾は、アダム・リッポンくんのスピーチです。アダム、5月2日に米国スケート連盟主催のディナー・パーティの席上でスピーチをしたんですね。その場に出席していたらしいアンジェラ・ワン選手がこんなつぶやきをしていました。
  「アダム・リッポンのスピーチに感動のあまり涙。なんてことなのよ。」

そのスピーチの全文がアダムの公式ブログに掲載されています。聞きやすいように短いセンテンスに区切りながら、わかりやすい言葉を選んで話しています。かなり長いですが、ひとりの選手がオリンピックにどれほどのものを賭けているのか、ひしひしと伝わってくるスピーチです。

英語全文は→こちら



2015年5月2日、アダムは米国スケート連盟のGoverning Council(運営評議会)で開かれた「アスリートとOBのためのディナー」の席でスピーチをおこないました。アダムは去年から米スケ連のアスリート諮問委員会(Athletes Advisory Committee)の一員になっていますが、その委員会のピラー・ボスリー議長の依頼を受けたものです。以下はスピーチ全文。これまでの彼のスケートの歴史が、彼自身の言葉でまとめられています。

*     *     *     *     *

今夜、ここ、Governing Councilでスピーチをする機会をいただけて、とても光栄に思っています。僕はこれから、オリンピックについての自分の夢と、それが今の自分にとってどんな意味を持つのか、話してみたいと思います。ここまでの1年間は、まさにジェットコースターのよう(にアップダウンの激しいもの)でした。けれども、その中から自分自身についてたくさんのことを学びました。そんな僕の物語をお話ししたいと思います。僕がスケートを始めた頃からずっと親しくさせていただいている皆さんの前で、今日このスピーチができることは、僕にとって本当にすばらしいことです。

僕は6人兄弟の一番上です。母はシングルマザーです。僕が他の選手とちょっと違うのは、僕の家族にはフィギュア界に関わりのある人間が誰ひとりいないこと、それでも僕はフィギュア界にいる、ということなんだと思います。
僕がスケートを始めたのは、10歳の誕生日を迎える直前でした。僕はもともとペンシルバニア州生まれなので(家族は今でもここに住んでいます)母は毎年、僕らをスケートに連れていくのが常でした。僕はそれが大嫌いでした。無理矢理リンクを2週させられて――それだけで約1時間もかかってしまうんですが――その時点で僕はもう、母にソフト・プレッツェルと温かいココアを買ってよ、とおねだりしていたんです。
何かが変わったのは1999年の冬のことでした。もしかすると、いわゆるミレニアム騒動のせいだったのでしょうか? 理由はわかりませんが、この冬、何かが起こって、僕はリンクから離れられなくなったんです。あまりにもスケートが好きになってしまい、誕生日のプレゼントとして、地元のリンクのスケートクラスに通わせてもらうことにしたほどした。

ここで何年か早送りします。初めて、自分はオリンピックへの夢に近いところにいるんだ、と実際に感じたのは、最初の世界ジュニアのタイトルを取ったときでした。それまで努力してきたことが、すべて報われた気がしたんです。たぶんこのときやっと、人々が僕の母のことを、「わが子を長年、家の外で生活させるなんて頭がおかしいんじゃないだろうか」と思わなくなったんだと思うし、父が息子にとってスケートは趣味ではないんだと初めてわかったのも、このときだったと思います。自分でも、僕は夢にむかって正しい道を歩んでいると感じられた時期でした。
翌年、世界ジュニアで2度目の優勝をすると、その次の年にはバンクーバー五輪の補欠に選ばれ、四大陸選手権で初優勝し、世界選手権では6位入賞を果たしました。



その後の4年間は僕の時代になるはずでした。そのままソチの表彰台まで波に乗っていけるんだと思っていました。バンクーバーの次のシーズンには、最初の試合となったジャパンオープンで、エフゲニー・プルシェンコと高橋大輔を抑え、男子部門で優勝しました。
その後の4年間は僕のものになるはずだった。ほかの誰でもなく自分がその責任を負っているんだと感じていました。その時期、僕は初めて、試合に出るたびに自分がメダルの最有力だと感じるようになったのです。それまでとは全く違うプレッシャーがありました。みんなをがっかりさせてはいけない、それが自分の義務なんだと感じていました。みんなが期待するような結果を出せなかったら、それは惨敗なんだと思うようになりました。試合でひとつでもミスをしたら、家に帰って、何が悪かったか考え込むようになりました。僕は自分が、人々が僕に対して持っているイメージを裏切っているように感じました。たくさんの不安を抱えながら、それを誰にも打ち明けることができなかったのです。

その後の約2年間は浮き沈みがありました。それでも、次の五輪シーズンが来る頃には、すべてがいい方向に進みつつあるように思えていたんです。そのシーズンのGPSで、初めて試合で4回転を降りました。スケートアメリカでクワド・ルッツを、NHK杯でクワド・トゥを降りたんです。練習でも何もかもうまくいっていました。けれども、コーチのラファエル・アルトゥニアンに、全米選手権まであと2週間というときに、僕がもう固くなり始めていると指摘されてしまったんです。
その年の全米は、僕にとって転換点になるはずでした。ショートもフリーも完璧に滑って、タイトルを取り、初の五輪行きを決めるはずでした。「全米でノーミスで滑るんだ」と、本当に強く思っていたんです。とにかく自分が完ぺきな演技をすることにものすごくこだわっていた。だから、実際に滑っている最中、その夢が自分の指の間からこぼれ落ちていくのが、比ゆ的な意味でも、また文字通りの感覚としてもわかってしまいました。
2014年の全米選手権は、僕がそれまで経験した中で最悪の試合になりました。全人生をかけてオリンピックの出場権を得ることを目指してきたのに、あのざまだった。オリンピックチームの一員になると誓って4年、僕はオリンピックの夢を絶たれ、自分の演技を恥じていました。フリー後、自分が大失敗してしまったと知りながら、キスクラでラファエルの顔を見たときのことを覚えています。
その後3日間、僕はずっと泣いていました。人生で一番大事な試合が終わってしまって、たくさんの友人たちがオリンピックをつかんでいくのを眺めていた――そのとき、はっきりとわかったんです。僕は彼らと一緒には行けないんだと。
 
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カテゴリ:北米男子 | 10:44 | comments(22) | trackbacks(0) | - | - |
TSL フィリップ・ミルズ インタビュー Part1 (主に町田くん関連部分)
おなじみのTSL(The Skating Lesson)から、あのフィリップ・ミルズ先生のインタビューがアップされました。
ミルズ先生といえば今やすっかり町田樹!…ですけど、もともと体操選手からバレエダンサー、そしてフィギュアの振付師に転じた方で、ミシェル・クワンやサーシャ・コーエン、アシュリー・ワグナーなど主に女子シングルの数々のスター選手の振付をされてきた方。TSLのジェニー(ジェニファー・カーク元選手)も昔、振付してもらったことがあったんですね。来季はマックス・アーロンをバレエダンサーとして変身させることができるかどうかも注目です!
そんなミルズ先生のロングインタビューのPart1から、主に町田くんとアーロンくん、そして振付全般にかかわる部分を抜粋して訳してみたいと思います。私が聞き取れた範囲なのでヌケ、漏れ、ミスなど多々あるかもしれません。また、申し訳ありませんがミルズ先生の経歴や北米女子選手たちについての部分は割愛させていただきました。
ミルズ先生、私が思っていたよりもずっと気さくで、チャーミングで、エネルギーにあふれた方でした。よろしければ一度元動画も見てみてくださいね。表情豊かで、めっちゃお茶目で、テンション高い! そして、言いたいことや考え方が非常に明瞭な方だと思いました。

元インタビュー動画は→Part One of our Interview with Phillip Mills May 12, 2015



The Skating Lesson: Interview with Phillip Mills Part One

デイブ:フィリップ・ミルズさんにはジェニーも振付してもらったことがあるんだよね?

ジェニー:そう、2002シーズンのはじめごろの話よ。バレエを取り入れたプログラムを作ってもらったの。私はバレエは苦手だったけど、フィリップとの振付は楽しかった。彼がリンクに降りてきて、一緒にシミー&シェイキー(ゴーゴーダンス)をやったのを覚えているわ(笑)。2人でバスルームの鏡に何時間もむかって、メイクアップの指導を受けたこともある。スモーキーアイ(黒やグレーでしっかりと陰影をつけたアイメーク)のつくり方を教わったの。とても個性的で楽しい人よ。ここ20年のフィギュア史でユニークな活躍をされてきたわ。今季はマックス・アーロンに振付していて、どんな成果が出るか楽しみね。ここ数年の町田樹との仕事はすばらしかったわ。

ミルズ:僕を招いてくれてありがとう。ずっとこれに出演してみたいと思っていたんだ。楽しみだよ。
(中略)
バレエダンサーからフィギュアスケート振付師に転向して、シングルの選手の振付を多く手がけるようになったとき、カルロ・ファッシ(イタリア生まれの元選手。コーチとして北米の選手を数多く育てて殿堂入りした)に、こう言われたんだ。「テニスを教えるならラケットを握らなくちゃ」って。それで、自らスケート靴を履くようになった。
だが、滑ってみたら派手に転んでばかりなんだ。僕が一番苦手だったのはバックのクロスだった。バレエの「ターンアウト」(股関節を外向きに開いて足を180度開くこと)が身についていたせいで、両足を並行にしてステップを踏むことができないんだよ。それで、自分のためのエキササイズを始めて、基本的なスケーティングやブレード使い、ターン、チェックなどを習い始めた。その後、このエキササイズをセミナーにして、スケーターやコーチ向けに教えることになったんだ。要は、昔自分が習ったことを教えているんだよ。

ミルズ:マックス・アーロンが最近、あるインタビューで、このセミナーのことを話していて、わくわくしてしまったよ。「スリーターンが正しく滑れるようになっておもしろい。グライドしている感じがするようになった(=滑るようになった)んだ」と言っていた。これは本当にすばらしいことだ。こうしたことを学ぶのは時間がかかることだからね。

ミルズ:町田樹とは3年間、一緒に仕事をしたんだけど、まず彼のマインドセットを変えなくてはならなかった。なぜなら男子トップスケーターというのは、ジャンプをメインに考えがちなものだからね。でも、樹のマインドセットを変えるのは簡単だった。彼にはその素地があったから(he was ready=彼は受け入れる準備ができていた、という感じです)。
1年目のシーズンは、彼に主に2つのことを変えてもらいたいと言った。1つめは呼吸、2つめは着氷のポジションだ。すると彼は、「それはどちらも結構ですので、ただ振付をお願いします」と言うので、私は了解して振付だけをおこなった。彼はまあまあの成績をあげたが、ワールドには出場できなかった。すると2年目のシーズンに、コーチと一緒に僕のところへ来て、「すべてあなたの言うとおりにします」と言うんだよ。それで僕も、「よし、じゃあやってみよう」と。そこから僕のクラスに出てもらうようになったんだ。バレエクラスみたいに毎日おこなうクラスだ。今マックスにも出てもらっているんだけど。
このクラスで、僕は樹にあることをやってもらった。すべての動作を、彼が得意な方向と不得意な方向の両方向でやってもらったんだ。例えばクワドや3Aの入りを、最初は右ききの方向で、次は左ききの方向でやらせた。ジェニー、君もバレエクラスに出たからわかるよね。バレエダンサーはこれを猛練習して、観客がこのダンサーは右ききなのか、左ききなのか、わからないようになるまで努力するんだ。ターンもピルエットも両方向でできるようにね。この練習はフィギュアスケートで大いに役立つものだと、僕は考えている。多くの選手は自分がどちらのターンが得意かもわかってないからね。

(中略)

デイブ:あなたの振付は細部まで非常に精巧につくられた、凝ったプログラム、という特徴がありますよね。「フィリップ・ミルズのプログラム」といった場合、どんなイメージを人々に持ってほしいと思いますか?

ミルズ:まず第一に僕が思うのは、あるプログラムを見て、これはフィリップ・ミルズのプログラムだとは思ってほしくない、ということなんだ。それが僕のトップ・プライオリティ(優先事項)だ。なぜなら、振付というのはスケーターのためのものであって、僕のためのものじゃないからね。
不幸なことに、僕は音楽がかかると動きが見えてしまうんだ。なぜかはわからない。家族と店の中を歩いていたり、エスカレーターに乗っているときに音楽がかかっていると、妻のミシェルに「やめて」って言われるんだよ(笑)。自分では自分の体が動いている自覚はないんだよ。子供たちにも「パパ、ダンスはやめてよ」って言われてしまう。だから、車を運転してるときは音楽は一切かけない。音楽がかかっていると休めないんだ。音楽がかかっていると動きが見えてしまうんだよ。まあ、これはラッキーな才能と言えるかもしれないけどね。
でも本当に、「ああ、フィリップ・ミルズらしいプログラムだ」とは思われたくないんだ。それが一番ぞっとすることだよ。なぜなら、僕が僕自身を繰り返している、ということになるからね(←repeating myself=ややわかりにくいですが、各選手に合わせるのではなく毎回自分のしたいことをなぞっているだけ、ということかと思います)。それはしたくない。僕がやりたいのは、選手や観客やジャッジ、そして君たちみたいな批評家などに、彼らをインスパイアするプログラムを提供すること。それが僕の義務だと考えているんだ。彼らが感じたいもの、見たいものを創り出すことが僕のトップ・プライオリティーなんだ。

ミルズ:例えば、樹の「ラベンダーの咲く庭で」は、テーマはまったく違うものだけど、僕は人々がこのプログラムを見て、これは自分の助けになるプログラムだと思ってくれたら、と願っているんだ。僕はいろいろなものにインスパイアされながら、それぞれのスケーターにふさわしいプログラムを与えようとしている。そのスケーターの芸術面を伸ばすだけでなく、競技的にも成功できるような、そして可能ならば世界をインスパイアできるようなプログラムをね。そのプログラムによって、スケーターがただアスリートであるだけでなく、アーチストにもなれるようなものを作りたいんだ。そして、僕が思うに、町田はそれをなしとげた。僕にとって、これまでの教え子の中で彼がベストだ。この3シーズン、彼と仕事ができてとても幸運だったよ。

デイブ:あなたはスケーターに、振り付けたとおりの動きやつなぎを崩さないよう、厳しく指導することで知られていますが、スケーターはある段階でジャンプを降りることでパニックになってしまい、振付を省いてしまいがちなのでしょうか?

ミルズ:そう思うよ。これはノービスからシニアの五輪レベルの選手まで、あらゆるレベルの選手に言えることだと思うんだけど、ジャンプをプログラムに入れ始める段階になると、混乱し、パニックになってしまうんだ。ここでも出てきた2人のトップスケーターの例を挙げよう。
 
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カテゴリ:町田樹 | 16:46 | comments(12) | trackbacks(0) | - | - |
TSL フィリップ・ミルズ インタビュー Part2 (今回も町田くん部分を中心に)
Part1のアップから10日も経ってしまいましたorz......今さら感たっぷりではありますが、TSL(The Skating Lesson)によるフィリップ・ミルズ先生インタビューのPart2です!
Part1と同じく町田くんに関する部分を中心に、アシュリーやマックスについて、そのほかバレエや振付についてなど、独断ですみませんが個人的に興味深かった部分をピックアップして訳してみました。あの「ダイヤモンド」の名言も、最後の最後に出てきますよ!
今回もかなり長いですが、じっくりとどうぞ〜。

元インタビュー動画→Part Two of our Interview with Phillip Mills  May 12, 2015



The Skating Lesson: Interview with Phillip Mills Part Two

デイブ:アシュリーの「ブラックスワン」はあなたの代表作のひとつですね。アシュリーが「ブラックスワン」を滑ると知ったとき、アメリカのファンの多くは大喜びでしたが、じつは僕は懐疑的でした。アシュリーはバレリーナタイプではないし、デリケートというよりタフなスケーターだから。でも結果的には、あの腕の動きが特徴的なスパイラルシーケンスなど、彼女にとってトレードマーク的なプログラムになりました。なぜアシュリーにあのような、文字通りバレエ的な振付をしたのですか? そしてアシュリーがそれを滑りこなせると、なぜ思ったのでしょう?

ミルズ:「ブラックスワン」をやりたいと言ったのはアシュリーのほうだったんだ。彼女がクラシカルなタイプではないことは僕もわかっていた。彼女はジェニー・カークではないからね(笑)。
僕は「OK。じゃあやろう」と言ったけれど、アシュリーにただ「ポールドブラ」(腕の運びの意。あるポジションから他のポジションへ腕を運ぶ動き)をやらせたり、バレリーナみたいな立ち方をさせるまでに、どれほど時間がかかったことか! 一番恐れていたのは、僕のバレエ時代のファンがこれを見て「OMG! ミルズはどうしちゃったんだ!」と言ったらどうしようかということだった(笑)。だって、彼らは一目見ればわかってしまうからね。でも、アシュリーはバレエ的な動きを意欲的に学んでくれたし、みごとにやりこなした。すばらしいことだったよ。
でも、彼女がスケート靴で「パ・ド・ブーレ」(爪先立ちで脚を交互に細かく踏みながら移動する動き)ができるようになるまでには、ものすごく時間がかかったよ。ステップの途中にブーレの振付を、バレエでオディール(黒鳥)がやっている位置に入れたんだ。ジャッジに背を向けて爪先立ちでステップを踏む、あそこだよ。

ジェニー:あの爪先立ちのところと、(手を羽のように動かす)スパイラルでは、いつも観客が沸きましたよね

ミルズ:あのスパイラルのアイディアは、タッタッタッタッというリズムから思いついたんだ。映画「ブラックスワン」の中で主人公の背中から羽が生えてくる。スタッカートのリズムでね。そこからあのスパイラルを発想したんだ。
アシュリーが彼女自身の芸術性に目覚めてくれた、そのお手伝いができたことは非常にわくわくしたよ。彼女がその後もそれを持ち続け、いい演技を続けているのを見て、僕もすごく嬉しいね。



ミルズ:(デイブ氏に「アシュリーって女王様的な性格ですよね?」と言われた後の流れで)アシュリーについて僕が指摘したい一番すばらしいところ。それは、去年のさいたまワールドで町田樹がショート1位、総合2位になったとき、アメリカ人で一番最初に僕に祝福の言葉をかけてくれたのは、アシュリーだったんだ。わお! なんて素敵な人なんだ。本当に感動したよ。

ジェニー:スケーターと振付師は、最初に1週間ほどかけて振付を終えてしまうと、残りのシーズンはほとんど会わないことが多いですよね。振付が途中で変わってしまわないように、スケーターと振付師はもっと頻繁にやり取りし合うほうがのぞましいでしょうか?

ミルズ:マックスと彼のコーチたちに、僕はこう言ったんだ。「これ(僕の振付)を成功させようと思うなら、年に2回しか会わないというわけにはいかないよ」と。「なぜなら、僕は君のスケーティングも大きく変えたいと思っている。君のクロスはまるで走り回っているみたいな感じがするからね」そう言ったんだよ。クロスというのは美しい高級ワインのように、深く、ニュアンスにあふれてなくてはならない。“よっしゃー!これからクワドだー!”(笑)みたいに力まなくても、パワフルであるべきなんだ。

ミルズ:トップスケーターたちは、振付師に高いお金を払うなら、もっと頻繁に振付師に会う機会を作って、プログラムに常に注意を払うべきだと僕は思うよ。それはスケーターにとっても、振付師にとっても大切なことだし、もっと重要なのは、観客のためにもぜひそうするべきだ。観客に彼らをインスパイアできるような作品を提供するのが、われわれの義務だからね。もっとたくさんの人にフィギュアスケートを見に来てもらいたいから。

ミルズ:この3年間、僕は樹との仕事で日本を何度も訪れたけど、日本人には本当にびっくりしたよ! 彼らはフィギュアを愛しているんだ。日本ではフィギュアというものがとても身近なもので、オフィスで働いているような普通の人々が見に行くんだよ。フィギュアがとてもポジティブなものとして宣伝されているからだろうな。日本人にとってスケーターはロックスターなんだ。

ミルズ:僕が教え子のトップスケーターたちに必ず言っていることがある。それは「ファンを大切にしなさい。そうすれば、ファンはきみたちを大切にしてくれる」。練習で非常に調子が悪かったときは、特にそうなんだ。スケーターがリンクから出たら、そこで子供たちが目をキラキラさせて待っている。そんなとき、笑顔を浮かべて、サインをしてあげて、「フィギュアは好き?」とか何かひとこと言ってあげなさいと。なぜなら、調子が悪かったのはファンのせいじゃないからね。このことを樹にも言っていたんだ。
で、去年のワールドのとき、樹がコーヒーを飲みたいと言いだしたことがあった。僕らはコーヒーショップまで歩いたんだが、距離にするとたぶん5メートルそこそこだったのに、そこを歩くのに30分もかかったんだよ。なぜなら日本人ファンたちがわーっと追いかけてきて、「きゃ〜」「写真撮ってください」「写真撮ってください」(笑)ってなったからさ!
でも、これは大切なことだと思うんだ。スケーターは多くの人にとってセレブなのだから、偉ぶってはいけないし、(ファンに対して)時間を惜しんではいけない。ときどきは暴走するファンもいるけど、それは動物の習性だからね。

ジェニー:アシュリーは以前、彼女がソーシャルメディアから受けた批判について語ったことがありましたね。SNSにはスケーターにひどい言葉を投げつける者もいます。現代のSNSへの対処の仕方について、あなたはスケーターにどんなこと言うのですか? 試合中、例えばショートが終わって明日はフリーという時にFBやツイッターをチェックする選手もいますよね。それは、SNSがスポーツに身近になった今、正しいことだと思いますか?

ミルズ:SNSは今のトップアスリートに最もダメージを与えるもののひとつだと、僕は考えているんだ。SNSが現代社会の一部になっていることは僕もわかっているよ。僕らはうまく付き合っていかなくてはならない。
樹と組んで2年目、僕は彼に「SNSから完全に手を引いてほしい」と言ったんだ。FBもなし。ツイッターもなし。「君は君のアートに集中しなくてはならない。君の言葉は演技に注ぎ込むべきだ。氷上で表現しなさい」と。彼にそう言った理由は、SNSがあまりにも有害だからだ。同じことをマックスにも言っているんだけど、アメリカでは日本よりもSNSをやめにくいかもしれないね。彼は「わかりました、控えます」と言ってくれてはいるよ。SNSは有益な面より有害な面のほうが大きいと思う。
ここが日本とアメリカのスケート文化の大きな違いのひとつだと思うんだけど、日本のSNSはスケーターを持ち上げてくれるんだ。(アメリカでは)誰かが何かよくないことをすると、SNSでよってたかって批判する傾向があるけれど、人はSNSの中でもっとポジティブになれる可能性があると思うんだ。特に選手が演技で失敗してしまったときに、ひどいことを言う必要なんてない。選手はすでに傷ついているんだから。もっと「大丈夫だよ」「あたなはすごいんだから」「次はうまくいくよ」と言ってあげたほうが選手にははるかに有益なんだ。
 
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カテゴリ:町田樹 | 04:27 | comments(30) | trackbacks(0) | - | - |
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