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挑戦は続く 羽生結弦インタビュー@GoldenSkate
NHK杯4位。つま先でGPFに引っかかった五輪チャンピオン。NHK杯を終えた羽生くんが、中国杯からここまでを振り返ったインタビューがGolden Skateにアップされました。聞き手は、おなじみのフィギュアジャーナリストのタチアナ・フレイドさん。中国杯とNHK杯の両方で羽生くんの戦う姿を見てこられたタチアナさんらしい、スケーターに寄り添った優しい視線が伝わるインタビューです。
ただし!時間がなくて超特急の雑訳です(゚∀゚;) 何かと問題あるかと思いますが、とりあえずご了解ください!

元記事はこちら→
Olympic Champion Hanyu keeps up the challenge



「五輪チャンピオン・羽生は挑戦を続ける」

日本の羽生結弦は昨シーズン、わずか19歳にして五輪金メダルとワールドタイトルを手にして、フィギュアスケートの頂点に到達した。だが、彼の新シーズンのはじまりは、ここまで決してたやすいものではなかった。

先月はじめに行われた中国杯で、全日本選手権2連覇中の羽生は、フリーの6分間練習中に中国のハン・ヤンと衝突した。この事故は世界中で大きく報道され、アスリートの安全についての議論を巻き起こした。

その瞬間、羽生もハン・ヤンも後ろ向きに滑走しており、お互いが見えなかったという。
「まず膝がぶつかったんだと思います」そのときのことを、羽生はそう振り返る。「彼の膝が僕の太ももにぶつかって、僕は左脚1本で立っている状態でした。そのショックと衝撃で、僕はその場に倒れこんでしまいました。このとき、僕は腹部を氷に打ち付けて、呼吸ができなくなったんです。脳震盪とかそういうものだとは、とっさに思いませんでした。自分では頭を打った感じはなかったんです。頭もはっきりしていましたし、意識もあった。ただ呼吸ができなかったんです」

彼はあごを縫うけがをし、ほかにも裂傷を負って出血していた。それでも彼はリンクに戻ってきた。頭に包帯を巻き、まるで負傷した兵士のように、再び戦場におもむいたのだ。演技では5回転倒したが、後悔はしていないと彼は言う。
「そのとき、僕は滑りたかった。だから僕が決断したんです。なにもかも、あれでよかったんだと思います。みんな(ファン)も僕があの状態で『ファントム』を滑ったことに感動してくれたと思います。みんなが僕を応援してくださっている姿が見えて、ものすごく感激しました。それが僕がキスクラで泣いてしまった理由です。得点が出て、みんな僕に声援を送ってくれて…それがすごく嬉しかったんです」

中国杯でなんとか2位に踏みとどまった羽生は、翌日に日本に戻ると、10日間の休養を余儀なくされた。
「スケートはなし、練習もなし。ただゴロゴロして、寝て、テレビを見ているだけでした。初めてリンクに戻ったときは、ものすごい痛みがありました。激しい痛みがやわらいできたらすぐに練習を始めました」

羽生は、この事故を何度も何度も見直すことになった。なぜなら、この件はテレビで繰り返し放送され、新聞やネットでも頻繁に取り上げられたからだ。演技を続行した彼の決断をめぐってさまざまな議論がかわされたが、羽生はその議論を十分認識しているという。
「いろんな意見を耳にしましたが、あれは僕が決めたことだったんです」羽生はそう明言した。「僕の決断に賛成の人もいれば、反対の人もいました。ブライアンを非難する人もいた。これは僕にはとてもつらく、悲しいことでした。ブライアンもきっと、そういうコメントにはすごくがっかりしただろうなあと思います」

事故から3週間後、NHK杯に出場した羽生は、当然まだ好調とはいいがたい状態だった。4位に終わり、GPFの切符をぎりぎり手にした。クワドを失敗し、他にもミスが相次いだ。ただし、公式練習や6分間練習では質のいいクワドを何本も跳んでいた。
「100パーセントとは言いませんけど、自分は回復したと思っています。気持ちも戻ってきました。僕が犯したミスの原因は、僕自身の問題でした。怪我のせいにするつもりはありません。これが今の自分の実力なんです」

オーサーコーチは、すべては練習不足のせいだと感じているという。
「秋ごろ、彼の腰に問題が起きたせいで、しばらく練習を休まざるをえなかったんだ」オーサーはそう話した。「きちんとした練習ができていなかった。そんなときに中国杯で衝突が起きて、さらに後退することになってしまった。だから、NHK杯ではほんのわずかでも向上が見られることを期待していたんだ。練習の状態を見ただけでも、前進はあったと思っているよ」

オーサーが言うには、五輪チャンピオンが新シーズンを迎えるのは常に難しいものだという。羽生にとってこの件はいい学びの経験になっただろうと、オーサーは感じている。
「僕らは広い視野で物事を見ているんだ。広い視野というのは、もちろん全日本選手権とワールドだよ。今回の件は彼にとって、練習を少しステップアップさせるいいきっかけになったと思うよ」

時差の多い地域の移動を避けるため、羽生はNHK杯後は日本にとどまり、GPFへの準備をすることになる。
「ブライアンはすぐに練習スケジュールを送るよ、と言っていました」羽生はそう話す。「確かに、練習時間はあまり十分とは言えないですね。僕は(NHK杯で)負けました。2つの(GPSの)試合でたくさんの課題が見えてきましたし、これから挑戦していかなくてはならないこともわかってきました」

羽生にとって、すべては挑戦だ。自分自身に挑戦し続けることこそ、彼があれほどの成功をおさめた後もなおモチベーションを維持できる理由なのだ。

「プライドとか、自分への誇りとか、そんなんじゃないんです。(再び)チャレンジャーになれること、これがすごく大事なんです。今シーズンはプログラム後半にクワド(4T)を入れようとしていますが、今のところまだ成功していません。努力を続けて、こういった新しい課題をクリアしていきたいと思っています。それでも、健康がすごく大切なことには気づかされましたね。ブライアンはいつも言うんです。君の体が一番だよって」

12月7日に20歳を迎える羽生。五輪金メダリストになった後も、自分ではまったく変わっていないつもりだ。だが、時にはメディアやファンから寄せられる注目の大きさに、対処しきれなくなることもあるのだと、彼は打ち明けた。彼は何よりもまず、アスリート――全力で競技し、演技にうちこむスケーター――でありたいのだ。

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エルモ いいインタビューですね。単独インタだったかどうかわかりませんが、羽生くんも何度も同じことを聞かれているだろうに、とても丁寧に答えています。
私が印象的だったのは、最後の「彼は何よりもアスリート、スケーターでありたいのだ」という一文。中国杯でもNHK杯でもリンクサイドで取材しているタチアナさんの姿がテレビに映っていました。きっとタチアナさん、今の羽生くんが置かれている状況を2つの会場で身をもって理解したのではないでしょうか?
そしてもうひとつ、メディアと「ファン」の注目がつらくなる、という羽生くん自身の言葉。彼を応援するのでなく「消費」するのは、ここらへんでちょっと自重したほうがいいんじゃないのかな、と思うのです。もちろん自戒をこめて、ですけどね…。



お ま け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

twitterでちょっと話題になってました、羽生くんフリー演技後のキスクラでのオーサーとの会話。
BS放送で副音声の会場音にして、かつ音量マックスにしてもまだ聞き取りにくいところはあるんですが、一応私も聞き取りにトライしてみました。
細かいところはわかりませんが、だいたいこんな感じだったかと…。



【点が出て「暫定1位」とアナウンスされた後、カメラがちょっと引く】
羽生:Ok...
オーサー:Ok.

【羽生、うんうんとうなずいていたが、だんだん悔しそうな顔になって】
羽生:I want to do one more.... I want to do one more!(もう一回やりたい…。もう一回やりたいです!)←正しくはonce moreですがおそらくone moreと言っているような気がします
【ドン!ドン!と音が入るのは靴をけっている音でしょうか?】
オーサー:Right into there?(あそこ=リンクにってことかい?)←オーサーはたぶんI want to go one more.と聞いたんだと思われます
羽生:Yeah.(うん)
オーサー:Right now?(たった今から?)

羽生:I can!(僕にはできます!)
オーサー:I know you can, haha.(君ならできるだろうね・笑)
羽生:...oh my god.(…あーあ)


実はこの会話を聞いて、かーなーり安心しました。落ち込んでもいないし、疲れ果ててもいない。「ミスの原因はメンタルだった」とわかっているからこそ、今すぐやり直したい!そしたらもっと跳べてたはず!なんですね。まあ、実際にはすぐにもう1回滑る体力はなかったでしょうけど、この言葉、きっとGPFにつながっていくと思います。
そして、オーサー…お疲れ様でしたーw

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:羽生結弦 | 16:09 | comments(40) | trackbacks(0) | - | - |
一歩ずつ進んでいく 小塚崇彦インタビュー@GoldenSkate
もっと早くアップしたかったんですけど、いろいろと取り紛れてしまいまして…。
12月2日付けでGolden Skateに掲載された小塚くんインタビューです。いつ、どこで取られたインタビューかは書いていませんが、ライターのKondakovaさんはロシア関係が多い方のようですし、ロステレコム杯でフリー終了後におこなわれたものではないかと思われます。
インタビューは日本語通訳を通してのもののようですが、丁寧に言葉を選びながらとつとつと語る小塚くんの口調が伝わってくるような英文だと思います。文中には「元ワールド銀メダリスト」「元全日本チャンピオン」などの経歴がたびたび挿入されていますが、煩雑になるので省略させていただいています。

元記事はこちら→One step at a time for Japan’s Kozuka By Anna Kondakova


「小塚、一歩ずつ進んでいく」


2014年スケート・カナダでSP演技中の小塚崇彦…いい写真ですねぇ、これ。

昨シーズン、日本の小塚崇彦は、彼のキャリアで最も大きな失望を味わうことになった。全日本選手権で3位になったものの、オリンピック代表には選出されなかったのだ。そのことを今でも引きずっているのだと、彼は打ち明けた。だが、25歳の小塚は、今はそれを乗り越えようと決意しており、ロステレ杯での演技は自分が立ち直るきっかけになるものだったと考えている。

「オリンピック代表になれなかったことには、すごく落胆しましたね」と、小塚は認めた。「目標まであと1歩のところまで来ていたのに、逃してしまった。そのことが今シーズンの自分のスケートにも影響している気がします」

わずかでも立ち直る助けになったことのひとつが、日本で開催された2014年世界選手権への出場だったという。
「世界選手権の代表に入れたことは、僕にとってすごく大きなことでした。あそこで他の選手たちがそれぞれ全力でがんばっている姿を見たこと、それが僕を前に押し出してくれたんです。僕は自分に言いました。『お前はここにいるんだ。やるしかないだろ!』って。今やらないでどうする、と思いました。僕のまわりのだれもが本気でやっていた、だから僕もやったんです。あの試合で僕にあの演技ができたのは、自分がそう望んだからというよりも、あの雰囲気に背中を押されたからだったと思っています」

世界選手権では6位という、まずまずの結果を出せたが、その後、五輪後のシーズンを迎えるにあたって次なる試練が立ちはだかることになる。
「8月まではすべてが順調だったんです。気分もよかったし、スケートに自信が持てて、調子もよかった。このまま前に進めると思っていました。アイスショーに何回か出ましたが、そこでもいい演技ができていました」

ところが、その後すべてがボロボロと崩れていった。
「やるべきことをやって、一生懸命努力しているのに、次から次へと怪我に見舞われたんです。まず首の痛み。腰の痛み。足首を怪我して、さらに肩にも問題が起こりました。いつも必ずどこかを痛めている状態でした。自分ではまったくわけがわかりませんでした。前に進みたいのに、それができない。スケートに集中することができなくなってしまったんです」

この状態は9月から10月いっぱいまで続いた。そのせいでJapan Openとスケート・カナダでの演技に影響が出て、それぞれ6位と8位という結果に終わってしまった。

こうした苦境にあってもなお、小塚は4回転ジャンプを跳ぶことをあきらめなかった。クワドなしでは、今月12月の末におこなわれる全日本選手権で表彰台を狙うことができないと、わかっているからだ。
「それは去年も同じでした。できないなら、出場する意味はないんです」

クワドはモチベーションを保つためにも大切なものだと、小塚は感じている。じつはスケート・カナダを棄権することも考えたという。
「当然、9月、10月ごろにはクワドをきれいに降りれていませんでしたから。現在もまだ、成功率は今ひとつです。もうずいぶん以前から、僕はクリーンなクワドをしっかり跳ぶことができていないんです」

だが、モスクワで開かれた2014年ロステレ杯で、小塚はようやく、4回転を着氷することに集中することができたと感じたという。
「自分の中に新しい何かを感じたんです。それのおかげで自分のエネルギーのすべてをクワドに注ぎ込んで、がんばり続けることができる、そんな何かを感じたんです」

小塚はSPで、クリーンではなかったもののクワドを着氷して、3位につけた。フリーではクワドに2度挑戦し、どちらも転倒して総合6位に落ちてしまったが、それでもスケート・カナダの8位よりは順位を上げた。

次の目標は、全日本選手権でSPとフリーをノーミスで滑ることだという。怪我はあるものの、そのほとんどは大した怪我ではないんですよ、と彼は言う。
「腰の怪我だけはやっかいなんですけどね。腰にはもう何年も悩まされてきました。これは治しようがないんです。コーチや、そのほか僕の身体をケアしてくださる方々がいて、僕のサポートをしていただいています。そんな方々への感謝を表すためにも、今は自分のスケートに全力集中しなくてはならないと思っています。自分にはできる、と思っています」

小塚にはトヨタ自動車からのサポートもある。
「トヨタには僕のスポンサーになっていただき、僕が練習しやすい環境を作っていただいています。トヨタが僕を選んでくださったのは、社員の方が向上心を持ち続け、一生懸命努力されるように、僕にお手本になってほしかったからだと思うんです。粘り強く、強い気持ちでかんばることのお手本として」
「だから、スケート・カナダとロステレ杯であまりいい演技ができなかったことがくやしいです。お粗末なお手本になっちゃいましたね。でも、みなさんの力になれるように、これから努力を続けて、全日本でいい演技がしたいんです」

小塚は現在、中京大学の大学院に籍を置いている。
「生体力学(バイオメカニクス)を勉強しています。ただし今は休学中なんですけどね。講義には出ていませんが、データはすべて自分のコンピューターに保存してあるので、研究は再開できるでしょう」

スポーツ史、特に日本におけるフィギュアスケートの歴史にも興味があるという。
「僕より以前の世代の選手たちのこと、彼らが経験したさまざまなことを学んで、その経験を自分のスケートを向上させることに生かしたいんです。モスクワ(ロステレ杯)では、ロシアの有名なコーチであるスタニスラフ・チュクを記念したポスターが貼ってありました。僕にはすごく興味深かったですね。日本とロシアのフィギュアスケートは密接な関係があると思うので。僕の祖父は連盟の役員で、ロシア語と中国語を話す人でした。若いときはロシアの大会に出場したり、通訳を手伝うことも多かったんですよ」

全日本選手権が終わった後は、特に決めているプランはないと、小塚は言う。
「今年は出場が決まっている試合をしっかりこなしたいと思います。その後どうなるかはわからないですね。例えば冬季ユニバシアードに出たい気持ちはありますけど、基本的にはしっかりと体調を整えて、努力を続けていくだけだと思っています」

ただし、2018年五輪の可能性を完全に排除するつもりはないらしい。
「これから4年の間に何が起こるかなんて、僕にはまったく考えられないです。ただ1歩ずつ、進んでいくだけですね」

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エルモ ここのところ、日本でも取り上げられることの少なかった小塚くん。(あるいは彼自身、この狂騒的なフィギュアブームの中で表に出るのを避けているのでしょうか?)
ソチを逃した後モチベーションがかなり落ちていたとか、スケカナの時には足を痛めていたらしいとか、断片的な情報は入るものの、なかなか彼の内面を知ることができなかったので、これはありがたいインタビューでした。
それにしても、小塚くん、海外インタビューでやっと腰(股関節)のことを口にしましたね。海外のフィギュア記事や掲示板で話題になるときも、「彼は沈んでしまったのか」とか「もうピークを過ぎたらしい」などと言われるばかりで、股関節の怪我のことはほとんど認知されていないんですよ。そういうのを見るたびに、彼も怪我なら怪我、靴問題なら靴問題とはっきり言えばいいのにぃ、と歯がゆくなるんですが、小塚くんは極力言わない人なんですよね…。
状態は必ずしもいいとは言えないようですが、気持ちは前向きだと知ってホッとしました。全日本に向けて、できる限り最高の状態にもっていけますように…祈っています!

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:小塚崇彦 | 18:41 | comments(22) | trackbacks(0) | - | - |
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