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ウィルソンからキムヨナへの はなむけの言葉 【ATS2014記者会見より】
ソチ五輪で引退を発表したキム・ヨナの最後のショー、「All That Skate2014」が終わりました。
その最終公演のあとにおこなわれた記者会見の写真です。





みんな涙涙涙…ですね。特に、現役時代の前半には涙を見せることはほとんどなかったヨナさんが、真ん中で大泣きしています。韓国の記事によると、振付師のデビッド・ウィルソンが語った言葉を聞いて、キム・ヘジンなどほかの選手が泣きだし、それを見てヨナさんもこらえきれなくなったそうです。

そのウィルソンの言葉を、ファンフォーラムの方が韓国語から英語に訳してくださっていました(→こちら)。英語→韓国語→英語→日本語なので元の言葉からは若干ずれているかもしれませんが、とてもあたたかく、素敵な言葉でした――


彼女がお別れの演技をするのを見ていて、僕はほろ苦い気持ちになりました。
ヨナはこれから、人生で一番大事な時期を迎えようとしているんだと思います。
そして僕は今、ヨナのためにうれしく思う気持ちと寂しい気持ちがいりまじった感情を抱いています。
僕は彼女のことをとても誇りに思うし、今まで彼女と一緒に過ごしてきたことを幸せに思っています。
ヨナがATSショーで、自信にあふれ、おだやかに、美しく優雅に演技しているのを見られたことは、僕にとって大きな喜びでした。
すばらしい時間であり、人生の思い出でした。

これまで振付師として22年間やってきた中で、とりわけ特別だと思う人間関係が2つあります。ひとつは僕の親友であるセバスチャン
【←ウィルソン自身の振付師でもあったセバスチャン・ブリテンのことでしょうか?】、もうひとつがキム・ヨナとのものです。
ヨナを抱きしめたいです。称賛と励ましの気持ちをもって、「よくがんばったよ」と言いながら。

ヨナがトロントを去ったあと、僕は彼女のことがとても恋しくて、まるで赤ん坊のように泣いていた時期がありました。
僕の母がこんな話をしてくれたことがあります。
母が僕を育ててくれた理由は、僕を自分のそばに置いておきたいからじゃない、僕を世界に送り出すためなんだと。
これこそまさに、今僕がヨナに対して持っている気持ちです。
彼女の明るい未来を、彼女がどんな人生を送っていくのかを、僕はとても楽しみにしています。
これまでヨナとの間に結んできたパートナーシップは、僕にとってほかの何よりも大好きなものでした。

あなたの振付師としてあなたと一緒にいられたことは、僕の人生で最高の経験のひとつでしたよ。




ヨナが「トロントを去ったあと」、ウィルソンは寂しくて大泣きしていたと…。
名だたる選手と仕事をしてきたウィルソンですが、彼にとってヨナは特別な存在だったんですね。そしてヨナにとっても、引退のときに泣きながら抱き合うのは歴代のコーチではなく、振付師のウィルソンだった…。ちょっと感慨深いものがあります。

試合では鉄のメンタルっぷりを発揮してきたヨナですが、バンクーバー五輪での国と国民からのプレッシャーは半端なものではなかったと、のちにオーサーも語っています。そのオーサーとも気まずい別れ方をし、自分の意志に反して国のために現役を続けざるを得なかった中で、ウィルソンはずっとそばにいてくれた…。ヨナの演技は、質の高さとは別にいつも似たような印象という意見は確かにありましたし、私もほかの振付師とのプログラムを見てみたかったですが、ヨナとウィルソン――普通の「師弟関係」とはちょっと違う、特別な関係だったのかもしれませんね。

ショーの動画から、最後のプログラムとなった「Nessun Dorma」だけお借りします。


JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:アジア(日本以外)男子&女子 | 04:44 | comments(16) | trackbacks(0) | - | - |
エレーナ・イリニフ「ニキータが私の元を去ったのは初めてではなかった」前編
いつまでたってもアイスダンスにはまったく疎い私(汗)ですが、去年11月、GPSエリック杯を現地で見て、遅ればせながら惚れ込んでしまったのが、エレニキまたはイリカツこと、エレーナ・イリニフ&ニキータ・カツァラポフでした。
その後、ソチ五輪でみごと銅メダル! 来季からいよいよ世界チャンピオンを目指して!――とだれもが思っていた矢先のカップル解消。しかもニキータがほかの選手と組みたがっていたことを、エレーナは先日のワールドの直前に知らされたという…。
そんなやるせない事件から1か月たった5月7日、ロシアのサイト『sport-express.ru』にエレーナのインタビューが掲載されました。このインタビューを、北米のフィギュアフォーラム『Figure Skating Universe(FSU)』で、TAHbKAさんという方が英訳してくださったので、訳してみたいと思います。長いので、今回は前半のみ。それでもかなり長いですが、エレーナの人柄がわかるステキなインタビューだと思います。
(ロシア語がわからない上にアイスダンスの知識も乏しいゆえ、もしも間違いなどありましたら教えていただけるとありがたいです…<(_ _)>)

FSUの記事はこちら→Vaytskhovskaya's interview with Ilinyh `Katsalapov already left me once, 7 years ago' for sport-express.ru



エレーナ・イリニフ インタビュー
「カツァラポフは以前にも私のもとを去ったことがあったの。7年前に」【前編】


4月はじめ、彼女はパートナーを失ってしまった。世界ジュニアチャンピオンとなり、五輪で金メダルと銅メダルを獲得した後、彼女とずっとカップルを組んできたニキータ・カツァラポフが、違うパートナーと組む選択をしたのだ。彼女にとってこれはショックだった。けれども、それからひと月たって、イリニフはこう言った。
「私は長いこと、ニキータのパートナーの座を手に入れようとがんばってきた女の子だったわ。それはもう終わったの。もう人生の次の段階に進んでいかなくては。ぐずぐずと不必要なことをやっている段階ではないのよ」

彼女が10日間の休暇に出かける直前に、私はモスクワで彼女と会い、話を聞いた。

Q:あなたがアメリカ(のシュピルバンドとズエワのところ)で練習し始めた頃のことから聞きたいの。そもそもなぜアメリカに行くことになったの?
イリニフ:忘れたわ。知り合いに紹介されて、とかじゃなかったかしら。当時、私はパートナーを失っていた。ニキータが違う女の子と組むことになったから。つまり、今年のワールド後の出来事は、初めてのことではないの。今から7年前に同じことが起こっていたのよ。

Q:忘れた、と言ったわね?
イリニフ:なぜアメリカに行くことになったか覚えていないのよ。ニキータと別れたことはよく覚えているわ。私はたった13歳だったけど、ものすごくショックだった。

Q:ニキータとはどのくらいの期間カップルを組んでいたの?
イリニフ:最初は私も彼もシングル選手として、Natalia Dubinskayaに教わっていたの。ところが、彼と私の母親たちが、私たちはアイスダンスに転向するべきだと考えたの。せめてトライしてみるべきだと。ニキータはジャンプがあまり得意ではなかったしね。ちょうどロバチェワとアベルブフが学校をオープンさせた頃よ。
ニキータはいつも目立っていたわ。みんなの注目の的だった。すごく上手だった。だから私には、彼と組むべきかどうか迷う余地は全然なかったわ。それがすべての始まりよ。私はジャンプの練習をやめて、スケーティングやパートナーと演技することを学び始めた…すごく楽しかったな。

Q:主にロバチェワとアベルブフのどちらに習っていたの?
イリニフ:私たちのプログラム第1作目の振付けをしたのはアベルブフよ。彼との振付はとてもおもしろかったからよく覚えているわ。でも、残念ながらアベルブフは毎日リンクに立つことはできなかったの、ちょうど彼が新しいプロジェクトを始めた頃だったから。でも、彼が氷に立ったときは、もうすごかったわ。私たちは毎回、新しいことを山のように学んでいった。そんなとき、ニキータは私と別れることを決めたわけ。

Q:あなたに相談もせず?
イリニフ:私たちはいつも、些細なくだらないことでケンカしていたの。2人とも子供だった。ニキータは、私がパートナーとして物足りない、若すぎると考えていた。私のせいで自分の時間がむだになってるってね。ほんと、くだらないケンカだったわ。



Q:アメリカには誰と一緒に行ったの?
イリニフ:祖母とよ。母は私たちの生活を支えるため仕事をしなくてはならなかったから、ロシアを離れることはできなかったの。祖母と私はアパートを借りて、祖母は運転免許を取ったわ。イゴール(・シュピルバンド)とマリナ(・ズエワ)が教えている選手の中にロシア人の男の子がいて、その子と私でトライアウトをしたけど、うまくいかなかった。それで、私はまた1人で滑っていたの。
その頃、イゴールとマリナの元にはたくさんのシニア選手たちがいたわ。ベルビン&アゴストにバーチュー&モイア、デービス&ホワイト、チョックと彼女の元のパートナー、そしてシブタニ兄妹…。私は一番年下の選手の1人だったけど、イゴールとマリナは毎日、私のために時間をとって教えてくれた。2人はユニークなスケジュールを組んで、いろんな課題を与えてくれたわ。ポージング、振付、柔軟性、氷上でどちらかのコーチと練習し、その後もうひとりのコーチと交代、それからスピン・コーチやリフト・コーチと練習…。

Q:レッスン代はどこから出ていたの?
イリニフ:私の家族からよ。苦労はしたけど、それだけの価値はあったわ。すばらしい知識を吸収することができたと思う。

Q:アメリカにはものがあふれているわね。そんな中で買いたいものを買えるお金がないことは苦にならなかった?
イリニフ:子供の頃からつつましい生活をするのに慣れていたもの。私はカザフスタンで生まれて、両親は私が2歳のとき離婚したの。母はとても強い気性の人で、父の裏切りを許すことができなかったの。彼女は子供をつれて家を出た。だから、豊かな生活をしたことは一度もなかったわ。今はときどき、とても裕福な人たちと会う機会があるけど、そういう人たちって、お金がない生活がどんなものか理解することができないみたいね。私は自分の人生に何かが足りないと思ったことは一度もなかった。スケートやダンスやバレエのクラスが大好きだったし、イゴールとマリナと一緒にいることが楽しくてしょうがなかった。それに比べたら、ばかみたいな服を買えることが何だっていうの?
私の母はよく人に、この子ったら何かをおねだりしたことが一度もないのよ、って言うの。2人でショッピングに出かけても、私は何かを買ってほしいと言ったことはないわ。でも、母は私の心が読めるみたいで、私が何かのおもちゃを心からほしいと思ったときには、いつのまにかそのおもちゃは私の手の中にあったわ。
アメリカで暮らしているときには、遊びに行ったりするような時間はまったくなかった。すてきな家に住んで、車もあった。ほかに何がいるのかしら?

Q:おばあ様が車の運転を始めたときは怖かった?
イリニフ:祖母は車の運転なんて絶対いやだと言い張っていたわ。でもある日、とても年老いたおばあさんを見かけたの。たぶん90歳台ぐらいで、体がふるえ、しわだらけだった。そんなおばあさんが、松葉づえにつかまりながらレクサスまで歩いていくと、それに乗り込んで走り去っていったのよ。私は言った。「おばあちゃん、ほら! おばあちゃんは若いし、美人だし、なんだってできるのに、車の運転が怖いなんて言うわけ?」そしたら祖母は運転を始めたわ。
ソチ五輪の少し前、私は祖母をアメリカに呼んだの。とても来たがっていたとわかっていたから。1週間一緒にすごしたんだけど、これが天の恵みのような時間だったの。祖母とは今まで、まともな話をしたことは一度もなかった。とりたてて祖母と話すことなんてないと思っていたから。アメリカ滞在の最後の日、私は祖母をロシア料理屋につれていったの。2人でただおしゃべりして2時間すごしたわ。たくさんのことを教えてもらった。私自身のこともね。その会話のあとで、思ったの。私は母と祖母とはずっとすごく仲良しだったのに、ほんとになんでもない話しかしてこなかったんだなあって。

Q:英語はすぐに身についた?
イリニフ:ええ、英語はモスクワにいた6歳のときから勉強していたから。でも、それはアメリカ英語ではなかった。アメリカでは「元気?」を"How are you?"ではなく"What's up?"って言うんだと知ったときには、最初は混乱したわ。人の話すことは理解できても、どう答えればいいのかわからなかった。でも、みんな親切に助けてくれた。間違いを直してくれて、正しい言葉を教えてくれたの。だから、すぐにコミュニケーションがとれるようになったわ。(How are you?とWhat's up?が逆になっていましたね。マユさんご指摘ありがとうございます。訂正させていただきました!)

 

Q:カツァラポフがもう一度カップルを組もうと言ってきたときには、どう思ったの?
イリニフ:とってもうれしかったわ。そのしばらく前から、最高のコーチに教わることができているのはすばらしいけれど、みんなパートナーがいる中で自分だけダンスの練習や試合ができないことを居心地悪く感じていたのよ。シュピルバンドに、ロシアに帰ることになったと言ったら、彼は理解して支持してくれたわ。ニキータと私はお似合いのカップルだと言ってくれたのは、彼が初めてだった。まだ私たちが別れてもいないときだったのに。彼は即座に、「行きなさい。それが君の運命だよ」って言ったの。
ところが、モスクワに来てみると、ニキータはまだ何も決めていなかったの。トライアウトのようなものがおこなわれていた。たくさんの女の子をニキータと組ませてね。彼は私たち女の子の中から相手を変えて滑っていた。
そしてやっと、私たちはカップルを組めることになったの。ニキータと私でプログラムの振付をして、組んで最初の1年はとてもうまくいったわ。ロシアナショナルで4位になった。3位のカップルより私たちを世界ジュニアに派遣すべきだという声もあったわ。結局、コーチたちの判断でその年は派遣されなかったけど、翌年の世界ジュニアで優勝した。
その頃はたくさんの変化が起きていたわ。ジュニアレベルで競技している私たちを見て、バンクバー五輪にロシアの3枠目として出場させるべきだと言う人もいた。実際、ジャッジにはいい評価をもらっていたわ。すべてのエレメンツでレベル4だった。それでも、ずいぶん成長したとはいえ、私たちはまだ子供だった。いうまでもなくジュニアとシニアではプログラムも全然違うしね。だから、実際にシニアに上がって、期待どおりの成績を上げられなかったとき、私は悩み始めた。何が悪いのって。
そのとき、私はわかってきたの。シュピルパンドとズエワでさえ才能がすべてだったわけじゃない、長い年月努力をしてきたからこそなんだと。ある試合のとき、メリルが「私とチャーリーはもう16年一緒にやっているのよ」と言っていたのを覚えている。それを聞いた日、私は1日中感動していたわ。デトロイト・スケーティング・クラブの壁に、前歯のない口で笑っている(幼い時代の)メリルとチャーリーの写真がかかっていたことも、よく覚えているな…。
で、ニキータと私ね。ええ、2シーズンの間、私たちはいいプログラムに恵まれたし、素敵なリフトもやったわ。でも、それではチャンピオンにはなれないの。なにか明白に人目をひくなものでなければならない。でも、そのことを悟るまで数年かかった。経験を積み、ミスを重ねてから、ようやくわかったの。

Q:そんなにたくさんミスをした?
イリニフ:ええ、たっぷりと。それは私はかまわないの。他者の失敗を見れば学ぶべきことは十分学べると言う人もいるけど、結局そうではないのよ。つまり、練習後には必ずマフラーをしなくちゃならないことは、実際に風邪をひくまではわからない。食事やほかのことについても同じことが言えるわ。
ジャッジだって、自分の眼前で何年もかかって成長してきた選手と、ただぽっと出てきた選手とでは、評価も違うと思う。いくら才能がある選手でもね。
だから、客観的に見れば、私とニキータのパートナー関係は、今シーズン初めて本物になったのよ。去年の夏の練習のとき、2人の間には驚くべき調和ができていた。私たちは新しいリフトを練習し、すばらしい演技ができるようになった。言葉にしなくてもお互いのことを理解できた。強い絆で結ばれて、すべては2人で一緒にものにしてきた――そんな感覚だった。だからこそ、3月に起こったことはとてもつらかったわ。

(ああ、エレーナ(;_;)…後半に続きます…)

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:アイスダンス | 14:29 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
エレーナ・イリニフ「ニキータが私の元を去ったのは初めてではなかった」後編
エレーナ・イリニフ&ニキータ・カツァラポフの衝撃のカップル解消から1か月。ロシアのサイト『sport-express.ru』に掲載されたエレーナのインタビューの【後編】です。(前編はこちら
英訳(Figure Skating Universe)から日本語訳したものなので、若干のズレがあるかもしれません。それでも、“俺たちのエレーナ” の健気&一途&純情っぷりがひしひしと伝わってきますぜ…(;_;)



エレーナ・イリニフ インタビュー
「カツァラポフは以前にも私のもとを去ったことがあったの。7年前に」【後編】


Q:(ニキータ・カツァラポフとの)破局は、何か前ぶれがあったの?
エレーナ:いいえ。ソチ五輪の3日後にモスクワに帰ってきて、私たちはソチ後初めての練習に出たの。そのときの気持ちを憶えているわ。まるで空を飛んでるみたいな気分だった! メダルが取れたからどうとか、そういうんじゃないの。私たちが今まで長い間がんばってきたこと――猛練習とか、2人のスタイルや踊りや演技――それらがすべてうまくいき始めたのよ。お互いに言葉をかわす必要さえなかったわ。ただ見つめ合いながら、うっとりするようなエッジさばきをし、お互いが同じ気持ちでいることがわかる。とても楽しかった! そのときにはコーチさえ必要ない気がしたわ。
なのに、(さいたまワールドのために)日本へ発つ前日に、私はニキータが違うパートナーとトライアウトをしたことを知ったの。ショックだった。

 
ソチFD後、タラソワの元になだれこむエレーナとニキータ。すばらしい瞬間でしたね…(;_;)

Q:それを知って、コーチやニキータとあなたとの関係に変化はあった?
エレーナ:意外なことだけど、何も。誰もがまるでなにごともなかったかのようにふるまっていたわ。私は事情を知ってしまったことを誰にも告げられなかった。こわかったの。

Q:何がこわかったの?
エレーナ:たぶん心の奥底で、それが本当ではありませんようにと願っていたんだと思う。でも、やがて例の記事(2人のカップル解消とニキータのトライアウトについての記事)がインターネットにアップされてしまった。(ワールドの)SDの前日の夜にね。
私は即座にモロゾフに電話して、ワールドには出場したくないと言ったの。それから(ロシアの)連盟にも電話をかけた。連盟側は、記事は事実ではない、君たちの演技に悪影響を与えるために嘘を書かれたんだろうと言ったわ。だから、君は出場しなくてはならないと。

Q:でも、あなたはそれが事実だと知っていたわけね?
エレーナ:そうよ。私が理解できなかったのは、どうしてあんなに下手なやり方しかできなかったのか、ということなの。選手権大会の直前に、私に内緒でトライアウトをさせるなんて。“裏切り”という言葉は使いたくないわ。これはニキータの人生だし、彼が自分で決めたことだもの。でも、まともに考えたら、私たちはあのワールドで勝つべきだった。私たちが全力で取り組むべきことはそれだったのよ、優勝候補と言われていたんだもの。今までのキャリアの中で、私はどんなことについてもニキータを責めたことはないわ。でもただ一度、ワールドでのあの失敗だけは、彼は責められるべきだと思う。彼が何を考えてああしたのか、私は今でも理解できないわ。

Q:あなたの前のコーチ(モロゾフ)は五輪前に言っていたわね。もうロシアにいる気はないと。あなたたちのこれからのことについて、彼と相談した?
エレーナ:いいえ。五輪シーズンの間は私たちはとても忙しく、競技に集中していたから、ほかのことについて会話する時間はなかったの。私たちがユーロ、五輪、ワールドにあれほど万全の状態でのぞめたのは、それが理由だったと思うわ。ニキータのトライアウト相手についてのニュースは、私にひどいショックを与えた。私はなぜ日本に行くのか、わからなくなってしまったの。ワールドに出るか出ないかなんて、もうどうでもいいじゃないって。

Q:優勝できる可能性があったにもかかわらず、モチベーションを失っていたのね?
エレーナ:ソチ五輪で2つのメダルを取ったあとよ。まったく失くしていたわ。



Q:昔、(アレクサンドル・)ズーリンがあなたたちのコーチだった時代、ニキータが非常にまずい状況になったとき、ズーリンに助けてもらったことがあったわね。その出来事の後、ニキータはこう言った。「これから死ぬまでずっとズーリンに感謝する、僕はけっして彼を裏切らない」と
エレーナ:そうね。

Q:なのに、それから2、3か月後に、あなたたちはコーチをモロゾフに変更した。何があったの? 2人の親たちがそう決めたの?
エレーナ:もちろん、決定には親たちも参加したけど、それで親たちを責めるのは間違いよ。ニキータと私も、もう自分たちの言動に責任をもてる年齢になっていた。私たちも一緒に決めたことだったんだから。
私自身は、ズーリンと、彼が私たちのためにやってくれたすべてのことに、今でもとても感謝しているわ。世界ジュニアで優勝したのも彼がコーチだったときだし、私たちをシニアレベルに引き上げてくれたのも彼だった。私は彼とはとても仲良しだったから、別れるときはすごくつらかったわ。
私は試合に小さな聖像【…でいいのかな?英語ではiconです】を持っていくの。競技をしている間はいつもリンクサイドにそれを置くようにしているんだけど、ある試合のとき、それが許可されなかったことがあった。私はひどく落ち込んで、泣きそうになっていた。そしたら、サーシャ(ズーリンの愛称)が黙って私の手から聖像を取り上げると、彼のシャツのポケットに入れてくれたの。その大会で私たちは優勝した。そのときから、彼は私のお守りの番人になったのよ。試合の前に彼がポケットに聖像を入れてくれるたびに、守られるている気持ちになった。彼が与えてくれたあの気持ちには、これから死ぬまでずっと感謝し続けるわ。

Q:2010年にあなたとニキータはカップルを解消して、ニキータがヤナ・ホフロワと組むんじゃないかと、という噂が立ったとき、あなたはどう思った? 噂の影響はあった?
エレーナ:もちろんよ。トリノ・ワールドのSD後にミックスゾーンに行くと、記者たちは演技のことなど全然聞かず、「あなたのパートナーが来季ホフロワと組むのは本当ですか?」と聞いてきた。私は心の中で「まずフリーを滑らせて。聞くならそのあとに聞いてちょうだい」と思っていたことを覚えてるわ。かなりいやな気分だった。その時点で私とニキータはすでにけっこう長く組んでいたし、少しは実績を上げていた頃だったから。もちろん、力をつければつけるほど、目標は上がっていって、パートナーと一心同体だと思えるようになるんだけど。

Q:あなたはニキータと組んでいたころの話を、とても感情をこめて話すのね。そんなあなたを見ていると、これを聞かざるをえないわ。もしもニキータが戻ってきたとしたら、あなたはすべてを忘れて彼のもとに戻る?
エレーナ:私たちは2人一緒にいろんなことを経験してきた。なのに別れてしまったことを、私はとても残念に思っているわ。とりわけ、2人でソチ後の将来についてたくさん話し合っていたから。アイスダンスのトップのカップル2組が引退しようとしている今、私たちはようやくどんな目標でも持てるレベルに達したところだった。将来の計画がたくさんあったの。今はもう、2人の旅は終わったんだとしか思えないわ。
今はコーチの(エレーナ・)クスタロワのグループに入れて嬉しいの。ソチ五輪の前の短期間、ニキータと私は彼女の指導を受けたことがあって、そのときの指導がとても印象深かったの。モロゾフが何かの大会に出かけていて、私たちはほかに見てもらう人が必要だった。クスタロワは、そんなときに助けてもらうのにぴったりなコーチだったわ。彼女がリンクサイドに立って助言をしてくれるだけで、とてもためになった。彼女はほかのカップルのコーチなのに、まるで自分の子どもたちを教えるように私たちに接してくれた。そのおかげで、期待していた以上に向上できたわ。

Q:(ニコライ・)モロゾフが帰ってきたとき、そういう様子を見て彼は何か気にしていなかった?
エレーナ:彼が私たちのことをクスタロワに頼んだんだもの。ニコライは自分自身の仕事が大好きなの。昼夜なく1日中でも働ける人よ。ブレードの研磨もできるし、選曲や編曲も自分でできる。衣装のアドバイスもできるし、プログラムの振付もする。その一方で、こうしたことを全部自分ひとりでやろうとすると、各分野にはもっと優秀な専門家がいるんだってことを理解しなければならないの。特に高度なことが必要になった場合にはね。私はいつも、いろんな人に学べる機会があればその機会を楽しんでいたわ。
でも、モロゾフはすばらしい精神分析医でもあるのよ。ときには型破りな方法をとることもあるけど、すべては結果を出すためであり、彼はそこへ必ず到達するのよ。だから、私はある時点から、彼の気が1日に何度も変わることを気にしなくなったわ。とはいっても、まったく理解不能な行動に出ることもあるんだけど…。



Q:あなたのお母様が養子をとったとき、あなたはやきもちを焼いたりはしなかった?
エレーナ:全然。あれは急に決まったことだったの。つまり、前々から準備していたわけではないってこと。それまで2年間、母は友達と一緒に毎週末、孤児院をたずねていたの。主な目的は、子どもたちを経済的に助けるというよりも、生活のめんどうを見ること。例えば、料理が大好きな子がいたんだけど、今彼はシェフを目指して勉強しているわ。つまり、いい職につけるように指導してあげること。女の子たちには石鹸や化粧マスクの作り方など、女の子っぽいことを教えているわ。
やがて私は、いつかうちの家に養子にやってくる子がいるんじゃなかって、思うようになった。そう思うのが自然だったのよ。私は全然嫌じゃなかった。私は母に言ったわ。「うちの暮らしは今までよりもっと苦しくなるかもしれないけど、その子は孤児院よりうちにいるほうがずっといいでしょ」って。そういうわけで、私には2歳の弟ができたの。今は6歳になったわ。

Q:弟さんはスケートはするの?
エレーナ:ああ…彼にはぜひホッケーをやってもらいたかったんだけど…彼には全然その気がないのよ。ある日、彼のホッケー教室を見に行ったときのこと。先生がパックを投げたら、生徒たちがいっせいにそのパックを追い始めたのね。ところが、弟は一歩も動かない。私はリンクに飛びおりて、なぜ走っていかないのって言ったら、彼、大人みたいな顔で私を見て、「なぜ走るの? どこを走れっていうのさ? たくさん人がいるの、わからないの?」なんて言うのよ。

Q:あなたの新しいパートナー(ルスラン・ジガンシン)について、ご家族はどう思ってる?
エレーナ:ルスランとの最初の練習に母もついてきたの。母がなんて言うか、私はびくびくしてたわ。スケートで何か気に入らないことがあると、はっきり言葉に出して言う人だから。だから、私はすごくがんばった。途中で母のほうを見たとき、母はこっちを見てうなずいていたの。それがすごく力になった。たちまち自信がわいてきたわ。

Q:新しいプログラムにはもう取りかかっているの?
エレーナ:おおざっぱには。

Q:振付師はもう決まっているのね?
エレーナ:まだよ。私なりにどんなプログラムを滑りたいかアイデアはあるわ。それと同時に、目指す演技ができるようになるまでは、きっと大変だろうってこともわかってる。

Q:ソチ(の団体戦)で金メダルを取ったことで、人生の目標はかなったのかしら? 今後、新パートナーとどんな苦労があったとしても?
エレーナ:金メダルは自信を与えてくれたわ。でも同時に、金メダルには責任もついてくる。努力を怠ることは許されないわ。それに、フィギュアスケートにおける自分の目標を全部達成したとは、私はまだ思えていないの。

Q:今までのコーチはほとんど男性でしたが、今度は女性コーチ2人ね。
エレーナ:すごく楽しみよ! 女性コーチに教われたらなって思っていたの! 男性コーチはたいてい男子選手のほうに力を入れるものよ。それが彼らのなじみのやり方なんでしょうね。だから、男性コーチの元では男子選手のほうがよりうまくなるのよ。

Q:今は男性パートナーをリードしているのはあなたのほうよね。ふつうカップルでは男性がリーダーになるけど、今の状態はうまくいってる?
エレーナ:今の私たちの時点では、私のほうが経験を積んでいる、というのがお互いの理解になってるわ。ただし、女性としての経験からすると、パートナーに強く出すぎてはだめね。人生においても、スポーツにおいても、仕事上でもね。



…ああ、エレーナ、一途すぎる(;_;)
このインタビューを読む限り、エレニキ(イリカツと言う人もいるけど私はエレニキ派です…いや、「でした」か…)解散の理由はニキータにある、ということですね。エレーナとしては、ソチのメダルを経てとうとう本物のダンスカップルになれたんだ、と思った矢先に突然なぜ?これからのことも2人で話し合ってたじゃないの?…だったんですね。
今後ニキータ側からの記事が出れば、また印象も変わるかもしれないけれど、なんとなくもう出てこないのかなあ。それにしても、2人の関係においては、最初からニキータのほうが圧倒的に強かった、というのは驚きでした。(どう見てもエレニキの華はエレーナだったでしょ!)
とりあえず、新パートナーのルスラン君とうまくいきますように。祈ってるぜ、エレーナ!

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:アイスダンス | 04:39 | comments(14) | trackbacks(0) | - | - |
ジェフリー・バトル、振付師として一躍時の人に Skate Canadaインタビュー
羽生くんの「パリ散」とパトリックの「エレジー」。ここ2年間、男子フィギュアで最高点を競い合ってきた2大SPを振付けたのが、言わずと知れたジェフリー・バトルですね。最近はStars on Ice(SOI)の振付でも大活躍のジェフの記事が、スケート・カナダのサイトにアップされました。来季引く手あまたになりそうなジェフ、その結婚問題(!)にもさりげなーく触れてくれている記事です。

元記事はこちら→Jeff Buttle’s creative ideas come alive on the Stars on Ice tours 5/20/2014



「ジェフリー・バトルの創造的アイデア SOIで躍動」

すぐれた振付師は、「動きと型と技術とで音楽をつむぐ」ことができる。振付師はスケートのあらゆる要素を結び合わせて、ある一定の視点をつくりだす。すぐれた振付師の手にかかれば、観客は席から総立ちになったり、しーんとした静けさの中で席から動けないほど魅了されてしまったりする。
カナダはそういったことを可能にするすばらしい振付師をたくさん生み出してきたが、最近並みいる巨匠たちの仲間入りを果たしたのが、ジェフリー・バトルだ。2006年五輪銅メダリストにして2008年世界チャンピオン。芸術的な才能と音楽に対する繊細な感性で知られてきたスケーターだ。

その彼が今、重要人物になりつつある。

「ジェフは振付の世界における偉大な才能のひとりだと思うわ」自身も才能ある振付師のひとりであるサンドラ・ベジックはそう言った。
ベジックは、アンダーヒル&マーティニ、クリスティ・ヤマグチ、カート・ブラウニング、ジョゼ・シュイナール、タラ・リピンスキー、ルー・チェンなどのプログラムを手がけてきた。「ジェフがつくる作品は豊かで、独創的で、懐が深いのよ」
ベジックによると、バトルがつくるプログラムは、常にスケーターを向上させるものだという。「彼はすでにフィギュア界に大きなインパクトを与えたし、振付のレベルをぐんと引き上げたわ。彼の作品はフレッシュで、現代的、そしてエキサイティングなの。私は彼の大ファンよ」
彼女が出演しているカナダのスケート番組『Battle of the Blades』に、以前バトルも少し関わったことがある。本当はもっと手伝ってほしいのだが、彼が多忙のためなかなか実現しないという。シーズンのたびに依頼しているのだそうだ。

元全米女王のアシュリー・ワグナーは去年、Stars on Iceのツアーでバトルの魔法に触れる機会を得た。バトルはその年までの2シーズン、SOIでサブの振付師を務めていたが、この年に初めてメインの振付師を任せられた。バトルは去年も今年と同じくSOIのグループナンバーの全振付を担当しており、ワグナーはそのステップと振付をマスターするために猛練習しなくてはならなかったという。
「それをやることで、スケーターとしてすごく成長できる気がしたわ。だって、ジェフは一筋縄ではいかない振付師だもの。とても難しくて、挑戦しがいがあったわ」

バトルはもともと振付師になりたいとは思っていなかったという。以前はトロント大学で科学工学を学んでいた。ところが、1999年にデビッド・ウィルソンに振付を依頼するようになって、振付に対するウィルソンの情熱に感染してしまったのだという。
「ぼくもハマっちゃったんだよ」とバトルは言う。

バトルは現役時代から他の選手の振付を手がけていた。オンタリオ州バリーにある彼の実家に、2人の女子選手が下宿していたのだが、彼女たちのためにプログラムをつくったことがあった。やがて、韓国のある若い選手のフリーの振付を引き受けることになる。それがキム・ヨナだ。彼女が世界ジュニアで優勝した年のことだった。
「最初は言葉の問題があって難しかったよ」とバトルは言う。「でも幸いなことに、振付というのは実際にやって見せるものだからね。言葉は必ずしも必要ではないんだ」

そしていつの間にか、彼は男子フィギュアのトップ選手2人のSPを振付けることになる。羽生結弦とパトリック・チャン。2人は正反対のスケーターだ。そこでバトルは2人に対してまったく違うアプローチをとった。バトルが手がけたこれら2つのプログラムで、羽生とチャンはそのシーズン中ずっと、世界記録を塗りかえ合うことになる。この成功によって、バトルは一躍話題の人となった。

羽生のために選んだ曲は『パリの散歩道』。この曲が羽生そのものだと考えたからだ。バトルによると、羽生のスケートには「荒々しい奔放さ」があるが、同時に彼はシャイでもあった。
「そんな彼がリラックスして、プログラムを楽しんで滑っている姿を見るのは、本当に最高な気分だったよ。しかも、あれほどプレッシャーがかかる状況でね。あのプログラムは、もし彼が入り込まなければまったくボロボロになってしまうタイプのプログラムなんだ。彼はものすごく入り込んでくれたよ」

チャンの振付をしたきっかけは、チャンの母親がバトルに、ショパンの曲でエキシビションナンバーを振付けてほしいと頼んできたことだった。しかし、チャンにはそのスケーティングスタイルの力強さに見合った、もっとダイナミックな曲のほうがいい、とバトルは考えた。バトルが提案したのは、彼自身が2004-05シーズンのSPとして滑ったラフマニノフの曲に似た、同じくラフマニノフで、バトルが昔から滑ってみたいと思っていた曲だった。チャンはこれがたいそう気に入って、翌年SPとして作り直してほしいと頼んできたのだという。
「プログラムをつくるプロセスとしては理想的ではなかったかもしれない。切り貼りしてしまうと曲の魅力は落ちてしまうからね。でもこの曲の場合だけは、とてもよくフィットして、しっかりとまとまったものになったんだ」

手ごたえはごく最初のころからあった。
「こんなに短期間でこれだけの成果を得られるとは、思ってもいなかったよ」
そう話すバトルは今、SOIの振付で12人ものスケーターの動きを追っている最中だ。

このSOIツアーの仕事は肉体的にかなりハードなものだった。日本、カナダ、アメリカの各公演でグループナンバーの振付をすべて担当。日本での公演が終わると、日本ツアーに出演していた12人のスケーターのうち5人と一緒に飛行機でハリファックスに戻った。ハリファックスに到着したのは深夜。翌朝にはカナダ公演の練習にとりかかった。
「午後4時ぐらいになって、突然ものすごくヘバッてしまったんだ」だが幸い、日本ツアーから出演していたスコット・モイヤが、ほかの選手にステップを教えるのを手伝ってくれたという。

昨シーズンのバトルは大忙しだった。現役選手たちのために10〜12ものプログラムの振付を手がけた。今季はその数を減らして、プログラムの修正のほうに力を入れたいと考えている。彼は完璧主義者なのだ。SOIツアーが終わる前に、もう曲のリサーチを始めているという。

今はとりあえず、生活のバランスを取りたいと考えている。ずっと仕事漬けにはなりたくない。息抜きできる場所がほしいし、2月に結婚したばかりの夫、ジャスティン・ハリスと過ごす時間を大切にしたいと思っている。トロントでは趣味のアイスホッケー・リーグにも参加している。それまでアイスホッケーの経験はなかった。カート・ブラウニングと違ってアイスホッケー用のスケート靴を履いたこともなかったという。
「チームスピリッツが好きなんだ。以前は経験したことのないものだからね」

スコット・モイヤは、そのうちバーチュー&モイヤ組の振付をバトルに頼みたいと思っているそうだ。
「僕はずっと前からジェフのスケートの大ファンなんだよ」とモイヤは言う。「僕らが一番好きな演技は、2008年にジェフが世界選手権で優勝したのを目の当たりにしたときのものかな。彼はフィギュアのまったく新しい側面を探求してきたんだと思う。そして今は振付でまた新たな側面を探求しているんだ」

「彼はとても創造性豊かで、そのことはみんなが知ってる。でも彼はいつも、もっと自分を駆り立てて、さらに新しいことにトライするんだ。そして彼のやることは、人々にいろんなことを考えさせることになる。それこそ、今のフィギュア界でものすごく必要とされていることなんだよ」

そういうわけで、バトルの人生は当分安泰だ。間違いなく彼は今、必要とされている人間だから。

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きゃvネコ ジェフの同性婚って、もうとっくにオフィシャルになってたんでしたっけ!? 私はてっきり超機密事項かと思っていたので、記事でさらっと触れてあってすごくびっくりしましたよもう!! でも、もう公になったんでしたら遠慮なく言わせていただきます。
ジェフ〜、ご結婚おめでとう〜ハートハートハートハートハート

そんな新婚ジェフさん、去年からここまで忙しすぎたんでしょうね。来季は新プロの振付を減らしたいと…。でも!「曲のリサーチを始めている」という一文から、新プロが皆無ではないことがわかりますね!
どの選手の、どんなプロを手がけてくれるのか…ワクワクしながら情報を待っていようと思います!

とりあえず記事に出てきたジェフ振付のプログラムたちです。(動画主さま方、ありがとうございます)ヨナのこれ、今見てもすばらしいですね。羽生くんとパトリックは個人的に今季最高の演技だった(と個人的には思ってます)GPFとエリックから。どっちも圧巻だわ〜。







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カテゴリ:コーチ・振付師 | 13:25 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - |
高橋大輔 新エキシI'm Kissing Youを妄想で語る♪【追記あり・カザフ動画】
今日は独り言です。ポエム成分多めです。たいした意味もない記事になってしまうと思いますが、ここのところずっと気になっていたことなので。(なので、不快に思われる方はどうかスルーしてくださいね!)

そう、大輔さんが先日臨スポ(臨海スポーツセンター目標達成御礼フェスティバル)で披露した新エキシ「I'm Kissin You」のことです。この選曲を聞いたときから、私はずっと不思議に思っていました。なぜこの曲なんだろう。意図は何なのだろう、と。2007-08年に演じたロミオを、7年たってもう一度演じようというのかしら?



そして…たぶんフィギュアファンならほとんどの人が、羽生くんの2シーズン前のフリー「ロミオとジュリエット」を思い出してしまうと思うんです。ミシェル・クワンや、大輔さん自身が口にした中庭健介さんなど多くのスケーターが使ってきた曲だし、羽生くんの場合はメドレーの中の1曲でしかありません。でも、羽生くんのファンなら彼があのプログラムにすごく強い思い入れを持っていることを知っていますし、特にファンではない人だって、あの強烈な印象を残したニースワールドの記憶がまだ鮮明なはず。実際、北米系のフォーラムで、「この曲といえばミシェルと羽生を思い出す」と書いている人がいました。そんな“リスク”を犯して、なぜ大輔さんはこの曲をソチ五輪後初のプログラムに選んだのだろうと。

中庭くんの曲」という言葉には、もしかするとほんのちょっぴり羽生くんへの対抗意識のようなものがあるのかしら? それとも、大輔さんにとってそれは“リスク”なんかではまったくなく、ただ純粋にこの曲で滑りたかったのでしょうか。とにかく、大輔さんの意図が知りたくて、ここのところすごく気になっていたんです。

実際に臨スポで演技を見た方は、ディカプリオのロミオを演じるというより、純粋にこの曲を表現するプログラムだったとおっしゃっている方が多いようですね。私も実際に演技を見ればちょっとはわかってくることもあるかもしれないと思い、今日から始まるデニス・テンのショーで演じてくれないかなと、すごく楽しみにしているんですが。(そもそも、このショーのテレビ放映情報が全然入ってこないので、ストリームや動画で見れるかどうか怪しいんですが!)

でもその前に、昨日のニュース番組でこの「I'm Kissin You」の演技をほんの少し、断片だけですが見ることができました。(動画主さま、さっそくありがとうございます。大輔さんの演技は0:35あたりから)



これは…やっぱりロミオではなさそうかな? 少なくとも一般的なロミオ像を演じているわけではないような気がします。なぜなら、ここで演じられているのは「恋い焦がれ、恋に苦しむ中世の若者」ではなく、「葛藤をかかえた現代の大人の男」のようだから。

そこで、この曲の歌詞を男性の言葉で訳してみました。自己流なのでネットなどに出回っている訳詞とは違う部分もあるかもしれませんが、そのへんはどうかご容赦ください。


"I'm Kissing You"

Pride can stand a thousand trials
The strong will never fall
But watching stars without you
My soul cries


プライドは千もの試練に耐え
強い意志はけっして倒れはしない
でも、あなたなしで、たった1人星空を見つめていると
僕の魂は泣いてしまうんだ


Heaving heart is full of pain
Oooh, oooh, the aching
'Cause I'm kissing you, oooh
I'm kissing you, oooh


高鳴る胸が苦しくてしかたがない
ああ、そうだ、この痛み
だって僕は今、君に口づけしているから
君に口づけしているから


Touch me deep, pure and true
Gift to me forever
'Cause I'm kissing you, oooh
I'm kissing you, oooh


僕に触れてくれ、深く、純粋に、心の底から
永遠に僕のものになってくれ
だって僕は今、君に口づけしているから
君に口づけしているから


Where are you now
Where are you now
'Cause I'm kissing you
I'm kissing you, oooh
 

君は今どこにいるの
君は今どこにいるの
だって僕は今、君に口づけしている
君に口づけしている



冒頭の「プライドは千もの試練に耐え、強い意志はけっして倒れはしない」…これ、まるで大輔さん自身を表しているみたいじゃないですか? もちろん大輔さんだけでなく、トップ選手はみんなプライドと強い意志を持って戦っているんだと思いますが、その後の「涙」「苦しみ」「痛み」。
キャリアを終えるかどうかという大切な時期に、次々と不運や不調が重なって、不本意で苦しい自分。プライドはある。ちょっとやそっとじゃ倒されない意志の力もある。それでも愛するスケートから手を放したくない。求め続けていたい。だからこそ、大輔さんはこの曲を選んだのかもしれないな、と。

…これ以上妄想でポエムってもしょうがないですね!(汗)
大輔さんの意図は大輔さんにしかわからないですし。いつか自分の目でこのプログラムが見られる日まで、ああでもないこうでもないと妄想し続けることになりそうです。いや、もしかすると演技を見ても永遠にわからないのかもしれないけど…。


【追記
デニスショーでの大輔さんの「I'm Kissing You」の動画を撮影・アップしてくださった方々がいらっしゃいました! すばらしい画質とアングル! 動画主さま方、どうもありがとうございます<(_ _)>





早速リピートさせていただいて思ったのは…これはやはりロミオではないんだな、ということ。そうではなく、高橋大輔という人そのものなんだなあと。
そして、臨スポでは「色気ダダ漏れ」という感想が多かったようですが、私はもっと内面的な演技のように感じました。人を誘いこむ色気よりも、人を(あるいは何かを?)求めずにはいられない「孤独」というか…。
羽生くんのロミジュリとはまったく別物だと感じました。どちらが上とか、どちらが優れているとかではなく、表現したいもの、演技の方向…すべてが違うもの。
まだ若干滑り込みが足りない気もしますが、動きの美しさとこの存在感はさすがですね。これからショーのたびにどう深みを増してくるのか、楽しみにしたいと思います。


【追々記】
デニスショー2日目の大輔さん「I'm Kissing You」のリンクです(動画主さん、ありがとう〜)→
格段に力強さとキレを増して、初日とはまったく違う印象ですね! 1日でここまで持ってくるとは、う〜ん、さすがだわ。
 
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