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パトリック、バンクーバーでは子犬だった。ストイコのコメントにケビン情報も。

もう激しく今さらなんですが、あけましておめでとうございます! 今年もこんな感じで出遅れてばかりの1年になりそうですが、どうかどうか、よろしくお願い申し上げまする!!m(__)m

というわけで、もう全米選手権もとっくに始まり、カナダも今週末だし、あれ、もうユーロも来週じゃん!!!という今日この頃(真っ青)。 海外記事もバンバン入ってきてまったく追いつけないのですが、とりあえず目についたものをぼちぼち訳していきたいと思います。
まずはThe Canadian Pressというところが配信したパトリック・チャン選手についての記事です。

元記事はこちら→Patrick Chan is a different person from the "puppy" at the Vancouver Olympics




「パトリック・チャン、バンクーバーのときは“子犬”だったが今は違う」

4年前のバンクバー五輪のとき、自分はまるで「ペット預かり所の子犬」みたいだったよ、とパトリック・チャンは言った。初めてパーティーに出かけて、みんな何てかっこいいんだ、何て自由なんだと、目を丸くしていたティーンエイジャーだったと。
「すっごくエキサイティングだったよ。“すげー、クールなものがいっぱいだ! かっこいいウェアもあるし、ジムもすぐ近くにあるし” って感じだった。いろんなものがそろっていて何でも自由に使えたんだ」
カナダの国内選手権が始まる直前の木曜日、チャンはそう語った。

チャンは、去年の大晦日に23歳になったばかり。だが、バンクーバーで5位に終わったときには「ヘッドライトを浴びた鹿」(びっくりして何もできないこと)だった彼も、今はまったく違うゾーンにいるベテラン選手になっている。昨年春にはコロラド・スプリングスからデトロイトに拠点を移したが、それは今まで一緒に暮らしていた母のカレンから自立することでもあった。このことが彼の成熟を早めてくれたようだ。
「ソチにはもっと普通な状態でのぞめると思うよ。今は1人で暮らしているからね」とチャンは言う。「1人暮らしのワクワクを味わえているんだ。食料品店に行って、“今日はオレオを買おうかな”、“今日はアイスクリームにしようかな” ってね」
「今は自分がやりたいことが完ぺきにコントロールできているんだ。だから今度のオリンピックには、しぶしぶ合宿に行かされるみたいなのとは正反対の、とてもいい気分で行けると思うよ」

チャンは今週開かれるカナダ選手権で7連覇をめざしている。世界選手権で3連覇をなしとげて以降、彼はソチの(金メダルの)最有力選手となった。11月のGPSフランス大会ではショートとフリー、そして総合で世界最高点をたたきだし、2位の羽生結弦に31点もの大差をつけて優勝した。
羽生はカナダ人のブライアン・オーサーをコーチとして、トロントを拠点に練習している。チャンは、ソチでもっとも手ごわい競争相手になるのは羽生だろうと予想する。19歳の羽生は12月のGPFでチャンを破り、ショートではチャンの記録を上回る最高点を出した。

だが、羽生は母国の福岡で滑ったのだから、とチャンは指摘する。
「ソチは彼にとって初めてのオリンピックだし、日本開催でもない。オリンピックはぼくら全選手にとって公平な場になると思う。でも、僕は誰のこともあなどるつもりはないよ。ダイスケは苦しいシーズンを送ったけど、彼には何か特別なことができる力がある。ハビエルもそうだし、デニスだってそうだ」

世界チャンピオンに3度輝いたエルビス・ストイコは、今シーズン、男子の試合を注視してきたという。ソチはチャンと羽生の一騎打ちになるだろうと、彼は予想している。
「羽生にはワクワクさせるものがあるんだ。予測不可能だし、新鮮さを持っているからね。一方、チャンには成熟がある」

「パトリックは集中力を高めていく必要があるだろうね。他選手の力が以前より彼に近づいてきているから」とストイコは言う。「僕が見るところ、今は倒すべき相手は羽生だ。彼は絶好調だからね。でも、パトリックは経験を持ち合わせている。オリンピックを経験しているし、3度の世界チャンピオンだ。プレッシャーに負けないように集中を切らさないことだね」
「今度のオリンピックはバンクーバーじゃない。カナダじゃないから、少しは気が楽だろう。それでも、その1週間はとにかく集中力を高めて、いろいろなものに飲まれないようにするべきだ」

ケビン・レイノルズも、ソチのメダル候補に名を連ねたい選手だ。だが、カナダ男子2番手である彼は、6か月にわたる苦しい靴トラブルの後、今やっとシーズンデビューを果たそうとしている。
23歳のレイノルズは、昨年春の世界選手権で5位に入賞した勢いを維持したいところだった。だが、新しく買ったスケート靴は、特注であつらえたにもかかわらず、彼の細いかかとには大きすぎた。彼のシーズンはそこでいきなり中断されることになってしまった。

「靴は今でも100パーセントではないけれど、ずいぶんいい感覚にはなってきているよ」とレイノルズは話した。「今できるスキルは自分の満足いくレベルではないけれど、今週のカナダ選手権をなんとか乗り切って、ソチでもなんとかやっていきたいと思っている」
「理想的な状況ではまったくないよ。カナダ選手権がシーズン最初の試合で、ソチ五輪もうすぐそこ、30日後に迫っているというのはね。経験のために、なんとか試合に出ておきたかったとすごく思う」

レイノルズはGPSを2試合とも欠場し、練習でもクワドを含む高難度のジャンプをまったく跳べない状態だった。
昨シーズン使っていた靴を履き古して以降、今のものがもう9足目か10足目になるという。12月には特注品を作るためにイタリアの靴メーカーを訪ねたことさえあった。
「そのときにはかなりフラストレーションがたまっていたよ。2試合目のGPS欠場を決めたところだったから。五輪シーズンに自分にできることは何でもやりたかったんだ」

その後、昨シーズンの靴に戻してみた。手元にあった、特注品ではないRisportの靴だったが、この1足が完ぺきにフィットしたという。
「まるで繊維だけって感じなんだ」とレイノルズは言う。「もうカラカラで何も残っていない感じだよ」

カナダの五輪枠は、男子とダンス、ペアが各3枠。女子が2枠。ソチに出場する国では最多だ。カナダスケート連盟は日曜日に五輪代表を発表する予定だ。(以下ダンスとペアについて略)

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てれネコ 写真はカナダのスケート連盟がTwitterにアップしたもの。各選手への共同インタビューがおこなわれたようですね。このインタビューをもとに記事がいくつも出ているようですが、とりあえずパトリックの言葉一番拾われていると思われるこちらの記事を掲載してみました。

それにしてもパトリック…羽生羽生言われてさすがにイラついたでしょうか?「彼は初の五輪だし、ソチは日本じゃない」などと! 他に、「ロンドンワールドでも表彰台に上がらなかったしぃ〜」と言ったという記事もありました。祝・パトリック節復活ですね!!
ところで、今季いろんなインタビューで自立した自分を強調しているパトリックですが、「オレオもアイスクリームも自分の好きなように買えるんだ!」というのが、ものすごくカワイイですね!(今までよほどお母様が厳しかったのでしょうか?)
そしてケビン…(;_;) 状態は今もよくなさそうですが、なんとかがんばってほしいです!

ひとつごめんなさい。ケビンの最後のセリフですが、じつはちょっとあいまいなのです。原文はこうです。
 "They feel like tissue basically," Reynolds said. "There's no life left in them."
古い靴なので革がカチカチになっている、という意味かなあと思ったのですが、今ひとつ自信がなく…。もし異論がありましたら、どうかよろしくご教示くださいませ!m(__)m

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:パトリック・チャン | 16:45 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
アシュリー・ワグナー、4位からソチ代表に選出。USA TODAY記事

ドラマでいっぱいの全米選手権が終わりましたね。
はあー…。
今季の全日本ほど涙々…な大会はないと思ってたんですけどね。全米もうれしい涙と悲しい涙がいっぱいの大会になりましたね。
アメリカの大衆紙「USA TODAY」のクリスティン・ブレナンという記者が、このドラマいっぱいだった全米のいろんなシーンを記事にしていますので、少しずつ訳してみたいと思います。
今日は絶望の涙から一転、ソチ代表に選ばれたアシュリーについての記事です。



元記事はこちら→Ashley Wagner faces the music about expectations by Christine Brennan, USA TODAY Sports 11:33 p.m. EST January 12, 2014
 

土曜の夜、アシュリー・ワグナーがどれほどひどい演技をしたか、そしてどれほど幸運にもアメリカのソチ五輪代表に選ばれたのか、最もよくわかっている人間がいるとすれば、それはアシュリー・ワグナーだ。
「私は心の準備はできていました。きっとみんなに、“なぜあなたが代表になったの? いったいどんな理由で? 理解できない。あなたはここにいる資格はない”と言われるだろうと思っていたんです」

4位に終わりながら、ソチ代表の3人のうちの1人に選ばれた日曜日、アシュリーはそう言った。
「それを受け止める準備はできていたんです。でも、私はこんなふうに言う準備もできていました。“よし、一番つらい部分は終わった。私は代表になれたんだから、いつまでもあの演技のことでくよくよしていてもしょうがない。そんなことをしても自分にとって何の役にも立たないのだから。強くたくましい1人のオリンピック選手になれるように、自分を駆り立てていかなくては”と」

この2年間、アメリカ女子選手で最も華やかな経歴と豊かな経験を積んできた22歳のワグナーは、ニュースメディアの記者たちを相手に、50分近くにおよぶ会見に応じた。何ひとつ言い訳せず、すべてを説明し、“リンクで結果を出せなかった弱虫の意気地なし”という非難を受け止め続けた。
「私はみんなが見ている場で強い姿を見せることができませんでした。みんなが見ている前でしっかり強い姿を見せることができる人が、スケートでは必要とされているのに」

全米2連覇中だったワグナーにとって、これは以前も経験した道だ。昨年の全米のフリーでも、彼女は今年と同じじように2回転倒した。しかし、そこから立ち直って、2013年世界選手権では堂々の5位入賞を果たした。
「そういうパターンができちゃってるのかもしれませんね」ワグナーは笑いながら言った。「今年も去年と似たパターンになってくれたらと思います。今回は自分の中の一番悪い部分が出てしまいました。この全米はすごく重要な大会だったため、神経がすり減ってしまっていたんです」

オリンピックへの出場をつかむことは、オリンピックで競うことよりも大変なのだと、彼女は感じたのだという。同じことを過去にも多くの選手が口にしている。
「全米選手権は他の試合とはまったく別物なんです」と彼女は言った。「ソチに行けるのは、本当におまけみたいなものです」

フリーで何が問題だったのか、ソチまでの3週間半の間に分析するつもりだと、ワグナーは語った。フリー演技中は足がひもでつながれたような感覚になり、ジャンプが重く感じていたという。
「ちょっと自分で考えて、いろいろ変えていかなくてはと思っています。細かいところで」



アシュリーほど率直でさっぱりとした性格のアスリートはそういない。以前、ロシアの反同性愛法に抗議する発言をしたこと、また五輪の広報活動に参加したことなどが、この全米選手権の前に重荷になっていたかどうか聞かれると、彼女はひるむことなく答えた。
「全然そんなことはないです。すべてよく考えてから引き受けたことですから。ただし、反同性愛法については例外でした。あの場合はよく考えるまでもなく、ただ思ったことを口にすればよかったので」

この全米選手権の期間中、練習を終えてリンクサイドに引き上げてきた彼女に、レインボーフラッグ(ゲイの権利を主張するシンボルとして使われる7色の旗)を持った人々が近づいてきたことがあった。
「たくさんの人が私にありがとうと言いに来たんです。LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)のコミュニティーの人たちから応援してもらえて、すごくうれしいです。でも、私が何か特別なことをやったわけでもないんですけどね。ただ思ったことを言っただけだったんですが、それが大切なことだったみたいです。でも、その人たちの応援がとにかく熱心だったし、発言してくれて誇りに思いますなんて言われて、私はよけいに(スケーターとしての)原点を見失わないようにしなきゃと思ったんです。それが私のなりたい姿ですから」

ソチのアメリカ代表としてのワグナーの価値は、世界で経験を多く積んでいるからだけではない。自己中心的になりがちなフィギュアスケートという競技で、リーダーにふさわしい資質のせいでもある。特に、今度の五輪では初めて団体戦(2月6日から開催)が行われる。

女子フリーの日、ワグナーがリンクに出たのは、ちょうどクリスティーナ・ガオがミスの多い演技を終えたところだった。ワグナーは向きを変えて近づいていくと、クリスティーナをハグした。私は26年間フィギュアの取材をしてきたが、人生で最も大切な演技の前にあんなことをした選手を今まで見たことがない。「あの瞬間、彼女は私の友達でしたから」とワグナーは言った。

4位に終わったあとの表彰式で、ワグナーはまた同じことをした。自分を打ち負かした3人の若いライバルたちの前で足を止め、全員と数秒間ずつ言葉をかわしたのだ。彼女にとっては悔しい瞬間だったはずだが、最も長い時間をかけて言葉をかけたのは、彼女にかわってナショナル・チャンピオンになったグレイシー・ゴールドに対してだった。
「おめでとう。今夜のスターはあなただったわ」
と彼女は言った。

間違いなくワグナーはオリンピック選手だ。その役割のために生まれてきた人だと思う。


 ブレナン記者がアシュリー選出の理由を説明しています。きっと「4位だったのになんで選ばれたの?」という声も多いんでしょうね。アメリカの選考基準は全米だけでなく、彼女は基準からも実績からも代表にふさわしい。アメリカの連盟はまったく正しい決断をした、と言っています。記者会見にのぞむ素顔のアシュリーがめちゃくちゃ美しいです…。

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カテゴリ:北米女子 | 19:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
長洲未来、3位でも五輪代表には選手されず。USA TODAY記事

演技後の絶望の涙が、翌日にはうれし涙に変わったアシュリー。そして、一転して失意の涙にくれることになった未来ちゃん…・゜・(ノД`)・゜・
昨日、アシュリーの記事をご紹介したUSA TODAYから、今日は長洲未来ちゃんについての記事です。
(彼女はアメリカ選手なので、本当は「ミライ・ナガス」と書くのが適切なんでしょうけど、ここでは「長洲未来」でいきたいと思います)
 

元記事→Mirai Nagasu left off Olympic team despite placing 3rd  by Nancy Armour, USA TODAY Sports 9:28 p.m. EST January 12, 2014
 


 

長洲未来の4年前の活躍は、それ以降の不振を払拭するには十分ではなかった――

長洲は全米選手権で3位につけたが、アメリカのソチ代表からは落とされた。選ばれたのは下位のアシュリー・ワグナーだった。
長洲はアメリカスケート連盟を通して声明を出した。
「この決定にはがっかりしています。決定に同意することはできませんが、連盟がくだした決定は尊重しなくてはなりません。私を応援してくださったすべての人に感謝していますし、私のスケートのキャリアの中で今後起こることを楽しみにしています」

日曜日の夜、彼女はエキシビションで演技をし、観客の大歓声に迎え入れられた。
その日の少し前、スケート連盟のパット・セントピーター会長は今回の決定を次のように説明した。
「今回の全米選手権は、アメリカのソチ代表を決める唯一の選考基準ではありません。選考は、ここ2年あまりの大会の結果や成績を考慮してのものでした。ワグナーはアメリカ女子選手の中でトップの条件を持っているのです」

表彰台にのった4人の選手のうち、フリーで大きなミスがなかったのは長洲だけだった。フリー後の会見で、長洲はこう言った。4年前に五輪で活躍した経験が選考にプラスに働くことを願うと。
まだ16歳だった2010年、彼女はバンクーバー五輪で4位につけた。その元気なキャラクターと明るい笑顔、持って生まれたすばらしい才能で、アメリカ女子の次のビッグスターと期待された。
「今、私が自慢できるのは、オリンピックを経験したただひとりの選手だということだけです。だから、難しいのはよくわかっています」
発表前の土曜日、長洲はそう語っていた。

だが、フィギュアスケートでは昔を懐かしんでいる場合ではない。長洲に情状酌量の余地があったとしても、彼女はそれを打ち消してしまうほど期待外れの結果を重ねてきたのだ。
いや、彼女にも輝いた瞬間はあった。過去3シーズンは毎年少なくとも1つのGPSの大会でメダルを取ってきたし、バンクバー五輪の1か月後に開催された世界選手権では、ショート1位になったこともあった。

そして、この全米選手権のフリーでは、彼女はただただすばらしかった。観客に魅力的な視線を送ってオープニングポーズを取ると、007のプログラムで会場中をうっとりさせたのだ。
「2010年以降、見られなくなってしまっていた未来の姿がそこにはあったわ」とワグナーは言った。

長洲のジャンプはなめらかで大きく、バスケ選手もうらやむような跳躍のゆとりがあった。スピンの軸は完璧で、ポジションも複雑だった。
だが、長洲の最大のよさはその表現力だ。ノッているときの彼女はプログラムを身をもって体現する。リンクの氷から彼女の頭のてっぺんまですべてがつながり、1つのエレメントがどこで終わって次のエレメントがいつ始まったのかわからないほどだった。
「とてもうれしいです。本当に言葉にできないほどです」長洲は演技後、そう話した。「こう滑りたいと思っていた演技ができました。ほんとにすばらしいスケートができました。…お客さんもあんなにノッてくださって。ほんとにすごくうれしい。ちょっと言葉が出てこないです。自分にこんなことができるとは思ってもいませんでした。本当に言葉になりません」

だが、これほどすばらしい演技を見ると、彼女が今まで無駄にしてきた数々の機会がよけいに思い出されてしまう。ショート首位だった2010年の世界選手権では、フリーで10位にさえ入ることができず、総合7位に沈んでしまった。
それ以降、彼女は世界選手権の代表に1度も選ばれていない。過去2年の全米選手権ではともに7位。今シーズンはGPSロシア大会で銅メダルを取ったが、その前のNHK杯では8位だった。

新アメリカ女王となったグレイシー・ゴールドはこう話した。
「ミライのことをとても誇りに思っています。とても苦しかった2年間を経て、この大会で3位につけたんですから。アメリカには4人の、いいえ5人ものすばらしい女子選手がいます。最後に選ばれたのがアシュリーとポリーナと私だったんです」
 


一世一代の好演技だったフリーの「007」。キスクラで順位をコールされ、表彰台確定と知ったときの素直なよろこびようが、今はただただ悲しい(;_;)


すみません、限定公開動画なので本当は掲載するべきではないのかもしれませんが、この美しいエキシをとどめておきたくて…。申し訳ないですがアップさせていただきます。動画主様すみません…。
未来ちゃんエキシ、高画質版を上げてくださった方がいらっしゃいましたので、貼りなおさせていただきます。ほんとうに悲しく美しいエキシですね…。

JUGEMテーマ:フィギュアスケート

カテゴリ:北米女子 | 16:29 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
アグネス・ザワツキーとその家族が目指した五輪。New York Times記事

珍しく2日続けて更新してしまったので、ちょっとひと休みしようかなと思っていたんですが……あまりにも感動的な記事を読んでしまい、半徹夜で訳してしまいました。ニューヨーク・タイムズ傘下の「International New York Times」のサイトにアップされた、アグネス・ザワツキー選手についての記事です。
全米選手権で11位に沈んだアグネス。選手にはそれぞれドラマがあるんだと思いますが、彼女にこんなバックグラウンドがあったなんて、私は全然知りませんでした。ちょっと長いですが、最後まで読んでいただけたらうれしいです。

元記事はこちら→Struggle to Reach Olympics Is the Family’s, Too  By JULIET MACUR  January 12, 2014


全米選手権で娘の演技を見守るジョランタ・ザワツキー(中央)

「オリンピックをつかむための苦難は家族のものでもある」

日曜日、アメリカの五輪代表が発表され、グレイシー・ゴールドはカメラに向かって微笑んでいた。彼女を見ていると、こういう輝かしい場面の裏には悲痛な影の部分があることを、つい忘れそうになってしまう。

ゴールドはアメリカ・フィギュア界の新女王であり、ソチのヒロインにふさわしい優れた才能の持ち主だ。だが、彼女のような成功物語の裏で、数えきれないほど多くのアスリートが国内選手権でオリンピックの夢に届かずに終わってしまうのだ。

あと一歩で届かない選手もいるだろう。3位になりながら代表の3枠に選ばれなかった長洲未来のように。あるいは、遠く及ばなかった選手もいるだろう。去年と一昨年の全米選手権で銅メダルを獲得し、代表入りを有望視されながら、今年11位に終わったアグネス・ザワツキーのように。

そんな選手たちを見ると、オリンピック選手になるために何が必要なのか、その努力の結果として何を手にできるのか、わかってくるような気がする。例えばザワツキー。彼女の家族は、ほとんど無一文のところから、彼女のオリンピック出場のためにすべてを犠牲にしてきた。

トップ選手だと年間8万ドル以上もの費用がかかるフィギュアスケートの世界で、ザワツキーは異例のバックグラウンドをもつ選手だ。彼女の母親のジョランタは、そのことを痛いほどわかっている。

「私たちはブルーカラーです。王女様などではないの」とジョランタは言う。「ええ、簡単な道のりではなかったですね、私たちにとっては」

ジョランタ・ザワツキーはポーランド系の移民で、ベビーシッターや掃除婦、高齢者の在宅介護などの仕事をしてきたシングルマザーだ。年齢は49歳。アグネスが生まれる直前の、今から19年前にアメリカに移住してきた。アグネスが3歳のときに夫と離婚。生活のため、週7日間働かざるをえなくなった。アグネスは、父親がたずねてきてくれることはあまりなかったと記憶している。ジョランタによると、父親はアグネスが10歳のときに亡くなった。死因はドラッグとアルコールの過剰摂取だという。

そんな環境の中でも、ジョランタは娘にまっとうな生活を送らせようとした。フィギュアスケートの教室に通わせてやることも、そのひとつだった。アグネスは5歳のとき、一般向けの安いフィギュア教室を開いていたシカゴのリンクに通い始めた。そこで、才能を見出された。

ジョランタが1日10時間以上働く間、「スケートママ」の役目を果たすのはアグネスの祖父だった。工場労働者だった祖父は、退職後、車でアグネスの送り迎えをした。孫の食事をつくるのはアグネスの祖母だ。彼らはみな一緒に暮らし、家ではポーランド語で会話していた。

家族に支えられて、アグネスはぐんぐん力を伸ばした。それにつれて出費も増えた。スケート靴は1足600ドル。靴につけるブレードも同じような値段だ。特別あつらえの衣装は1着2000ドルほどもする。さらに移動にかかる交通費に、バレエ教室やコーチへの支払い、リンク使用料。高名な振付師の場合、ショートで6000ドル、フリーで9000ドルもの振付料がかかる。

「そんなお金がどこから来てるのか、私は全然知らなかったの」とアグネスは話す。「魔法なのかな?って」

それは魔法ではなかった。強い意志の力だった。ジョランタは、ポーランドのアウシュビッツに近い山あいの小さな町に住んでいた少女時代、やはりスケーターを夢見ていた。だが、彼女の家は貧しく、スケートを習うため大きな街に通うことなどできなかった。娘にはそんな不自由はさせまいと、ジョランタは自分に誓っていた。

2008年、アグネスとその家族は、シカゴからコロラド・スプリングスに引っ越した。トップコーチであるトム・ザカライセックのコーチングを受けるためだ。「彼らには本当にわずかな予算しかなかったよ」とザカライセックは言う。しかし、そんな金銭的なストレスがアグネスのスケートに影響することは決してなかったという。

この引っ越しが実ったのは、2年後のことだった。アグネスは全米ジュニア選手権で優勝し、世界ジュニア選手権で2位に輝いたのだ。そのおかげでスケート連盟からいくらか援助が受けられるようになった。

このときようやく、アグネスは理解した。自分がここまで成功できたのは魔法のせいなどではない、母親の超人的な努力のおかげなのだと。

「ごめんね、お母さんにそれほど犠牲を払わせていたなんて」アグネスは母親に何度も何度も謝ったという。

すると、ジョランタは答えた。「いいえ、犠牲なんかじゃないのよ。私が自分で決めたのだから。あなたのためにそうしたかったの」
 

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カテゴリ:北米女子 | 07:27 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - |
どうなるロシア男子!? プルシェンコvsコフトン
ヨーロッパ選手権の真っ最中ですが、ロシア男子のソチ1枠をめぐって、ユーロの舞台、ブダペストでもかなり話題になっているようです。
ロシア男子のソチ五輪出場枠は「1」。今季のGPSで結果を出してGPFにも進み、さらに先月、ロシア選手権でプルシェンコをやぶって優勝したマキシム・コフトン選手が有力なのかと思いきや、そう簡単にはいかないのがおそロシア…。
エフゲニー・プルシェンコ選手が「いや、自分を出すべきだ」と発言し、ロシア内ではソチでメダルをねらうにはプルシェンコのほうが、という声も強いようです。



残念ながらロシア語の記事はさっぱり読めないので、英語圏の記事になりますが、まずは現在どんな状況なのか、ユーロの男子SP後にアップされたカナダのCBCの記事から、プル&コフトンの部分だけ抜き出してみたいと思います。

元記事→http://olympics.cbc.ca/news/article/javier-fernandez-takes-commanding-lead-european-championship.html

ヨーロッパ選手権に出場しているロシア男子は3人とも、微妙な立ち位置にいる。彼らがここでベストな結果を出しても、ソチ五輪に出場できるロシアの1枠に入るには不十分かもしれないからだ。

ここ10年間、ロシア最高の男子スケーターであり続けてきたエフゲニー・プルシェンコは、1月21日に、ロシアスケート連盟から派遣された委員会の前で非公開のテスト演技をおこなうことになっている。ここで彼がカリスマパワーを発揮すれば、(プルシェンコがソチに出るべきだと)委員会を納得させてしまうかもしれない。

プルシェンコは最近、コフトンを批判している。昨年の世界選手権でコフトンが下位に沈んだためにロシアが1枠になってしまったと言い、コフトンには海外での経験が不足していると指摘しているのだ。しかし、先月のロシア選手権では、コフトンはプルシェンコに勝って優勝した。

この問題についての不安がヨーロッパ選手権での演技に影響したか(コフトンはSPでミスが出て暫定4位)と聞かれると、コフトンはそれを否定した。
「僕はどんな挑発やコメントや噂話にも耐性をつけなきゃならないんだ」ロシアの「R-Sport」の記者に対して、コフトンはそう話した。「僕がスケートをしている限り、こういうことは今後もずっと起こるんだ。だから、僕にとってはどうでもいいのさ」


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コフトンくんのコメントが哀れすぎる…(;_;)
プルシェンコはロシアのインタビューで、「自分が団体戦に出て、個人戦はコフトンに譲るよ」と言ってみたり、「いや、やっぱり個人戦にも自分を出すべきだ。コフトンは経験不足だし、彼がロシアの枠を減らしたのだから」などと発言しているそうで。やはりプルシェンコも必死のアピールということなんだと思いますが、なかなか強烈ではあります^^;
で、それなら僕もアピールさせてもらうよ、ということなのかどうか、コフトンくんは最近、Twitterのプロフィールを "Член Олимпийской сборной России" (Member of the Russian Olympic team) と書き換えて、これがまたロシアの連盟の反感を買ったそうで…。

ただし、実際問題として、怪我もち・手術明けのプルシェンコが団体戦と個人戦をすべて1人で戦うのはさすがに無理だろうということで、コフトンと分け合うことが可能なのかどうかが焦点になっているようです。
以下はおなじみのIcenetworkから、その辺りを分析した記事です。ちょっと話がややこしいのですが…。

元記事→http://web.icenetwork.com/news/2014/01/17/66781884/the-plushenko-case-to-skate-or-not-to-skate?tcid=tw_share

ブダペストで開かれている2014年ヨーロッパ選手権。そこに、ロシアの皇帝エフゲニー・プルシェンコの姿はないものの、リンクのあちこちでは彼の話が議論になっている。たくさんのスクリューやプラスチックが埋め込まれた彼の背中は大いに話題を呼んでいるが、最も問題になっているのは、プルシェンコが五輪に出るのか出ないのか、ということだ。

ロシアにとって、状況はやや複雑だ。というのも、ロシア男子の五輪枠がたった1枠だからだ。おそらくロシアで一番有名なアスリートであるプルシェンコを出すべきか? あるいは、知名度では大きく劣るものの将来性抜群の18歳、マキシム・コフトンを出すべきか?

ブダペストでみんなが理解しているのは、プルシェンコは団体戦の出場を希望しており、個人戦はコフトンにゆずろうとしている、ということだ。しかし、ルールに従えばこれは不可能だ。ルール上は、プルシェンコが団体戦のショートとフリーに出るなら、個人戦のショートとフリーにも出場しなくてはならない。

ISU(国際スケート連盟)のオッタビオ・チンクエンタ会長は、ブダペストで定例会見を開いたが、ロシアの記者から質問が相次いで、会見の多くはプルシェンコ問題に費やされることになった(プルシェンコの名前そのものは出されなかったが)。

「ある選手が怪我のため出場できないという診断書が届いたらどうなるのか?」
「診断書はそれぞれの国で発行されたものでいいのか? それともIOC(国際オリンピック委員会)またはISUの医者が書いた診断書でなければならないのか?」
「期間中に故障したり病気になったりした場合と、長年かかえている故障が悪化した場合とでは扱いは違うのか?」

チンクエンタはすぐさま最後の質問に答えた。団体戦に出るチームは、できる限りその国の最強のメンバーでなければならない、と。
「もしその選手が長年同じ故障をかかえているのなら、その選手を出場させるべきではない」


チンクエンタは、ISU事務局長のフレディ・シュミットの助けを借りながら、ISUコミュニケーション第1844号にそのことが明記されている、と答えた。
コミュニケーション第1844号にはこう書かれている。
「個人戦に1人(または1組)しか出場できない国の場合、2月5日に開かれる団体戦ミーティング後は補欠の選手(またはペア)を出場させることはできない。例えば、もしも診断書があっても、団体性のショートに出た選手(またはペア)を、怪我や病気を理由にフリーでほかの選手(またはペア)と交代させることはできない」
「個人戦(男子、女子、ペア、ダンス)のエントリーについては、2月10日午前10時に開かれる個人戦ミーティングが終わる時刻までなら、上記と同じ理由(怪我または病気)によって選手の入れ替えを決定することができる」
「入れ替えが決定した後はそれを取り消すことはできない」

つまり、団体戦の場合、2月5日のミーティング以降は選手の入れ替えはできない、ということになる。
「その時刻を過ぎれば、どんな診断書も無効になる」と、チンクエンタは言った。「その場合、そのチームは4人(組)ではなく3人(組)の選手の合計得点で争うことになる」

ようは、プルシェンコが団体戦のショートに出て、フリーを欠場せざるをえないことになった場合、ほかの選手を出すことはできず、ロシアの男子は空席、ということになる。これはロシアチームにとっては痛手だ。

そうすると、次は質問はこうなる。「プルシェンコは団体戦に出場後、健康上の理由から個人戦を欠場し、かわりにコフトンが個人戦に出ることは可能なのか?」

ルール上では、それはできない。特にロシアの場合は不可能だ。なぜなら、コミュニケーション第1844号に書かれているように、かわりに出る選手は「出場資格のある選手としてすでに現地いる」者でなければならない。そして、ロシア男子として出場資格のある選手は1人のみ、プルシェンコかコフトンかどちから1人になるからだ。

だが、会見でのチンクエンタの回答を聞くと、実際の答えはそれほど明快ではない。
IOCが定めた2014年冬季五輪のための「遅延選手代替原則(Late Athlete Replacement Policy)」でも、それほど厳格には決められていないようだ。そこには次のように書かれているからだ。「緊急の健康上の問題が起こったとき、またはケースごとに査定されるその他の例外的な状況になったとき、同じ競技の同じカテゴリーに限って、IOCは選手の入れ替えを許可する。ただし、これが適用されるのは、その競技の連盟と協議し、IOCまたはIOCの医療専門家によって適切とみなされた場合のみである」


「ケースごとに査定される」というところに、可能性はわずかにある。もしそうでなければ、出場資格をもち団体戦に出場する選手は、病気や怪我をしても、2月5日以降はほかの選手に個人戦をゆずることができなくなってしまう。
例えば、2006年のトリノ五輪では、アメリカのミシェル・クワンが怪我のため出場できなくなり、第一補欠だったエミリー・ヒューズが急きょ飛行機でトリノに飛び、出場することができた。こうしたケースはソチ五輪では不可能になってしまうからだ。

プルシェンコの問題はまだ完全に解決されとはいえず、さらに解明していかなくてはならないだろう。

選手本人の安全も議題にされるだろう。もしもプルシェンコの背中に埋め込まれた金属類が彼の身体の安全や彼の将来をおびやかすリスクがあるならば、プルシェンコ自身も、ロシアのスケート連盟も、ISUも、彼を五輪に出場させる前によく考えなくてはならない。
 

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うーん、わかりにくい! なんだかわかったような、わからないような!?(私の訳がまずいせいでしたら申し訳ありませんm(__)m)
一生懸命まとめてみると、団体戦では、選手交代できるのは競技2日前の2月5日までなので、ショートとフリーで選手を替えることは不可能。それなら団体戦にプルを出し、個人戦にコフトンを出すことはどうかというと、建前上は望ましいことではないが、ルールを細かく見れば不可能ではないかもしれない、ということでいいんでしょうか?

そしてやはり、ロシアにとってプルシェンコは、五輪に出せるものなら出したい選手なんですねぇ。
21日にプルシェンコだけを対象にした非公開のテストスケート(非公開、というのがまた…!)をして、代表は25日に発表されるんだそうです。
コフトンくんがこのユーロで優勝、あるいは僅差で2位ぐらいにつけられれば、強いアピールになると思いますが、ギリギリ表彰台ぐらいではどうなるのか…。
どっちにしろ、今夜のフリーでがんばって、強いコフトンを見せつけてほしいです!


【追記】……ということで、ユーロ男子終わりましたね。コフトンくんは結局5位。しかも、ユーロに出ているロシア男子3人のうち最下位という、ソチへの見通しとしてはけっこう最悪の結果になってしまいました・゜・(ノД`)・゜・
ボロノフさん、メンショフさん的には本当にめでたいし、個人的に大好きなハビエルくんが復調の2連覇を達成!というのに、なんだか気分が晴れません…ううう(;_;) どうなるんでしょ?

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カテゴリ:ロシア&ヨーロッパ男子 | 20:04 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
ハビエル・フェルナンデスのお気楽インタビュー in ブダペスト

ロシアの男子はやはりプル様に決まりましたが、いろいろあった各国の選考騒動で疲れ切った心に、一服の清涼剤はいかがでしょうか?
というわけで、ヨーロッパ選手権の公式サイトにアップされたハビエルくんのインタビューです。これがなんともいい具合に力の抜けたインタビューで、ハビちゃんのラテン男な魅力と癒しパワーがいかんなく発揮されているんですよ〜。ではエンジョイ!

元記事はこちら→SUPERJAVI USES HIS GOLD WINNING SKATES IN SOCHI AS WELL



「スーパーハビ、ユーロで金メダルを取ったスケート靴でソチにのぞむ」

日曜日の朝、3人のスペイン人と3人のハンガリー人が、1台の車に乗って出かけた。スペイン人の1人は、ヨーロッパチャンピオンのハビエル・フェルナンデス。同じくスペインの女子選手で、フェルナンデスと仲良しのソニア・ラフエンテも一緒だ。私たちはこの美しい都市ブダペストを観光してもらいながら、この1週間のことやこの街の印象、彼の個人的なことなどを聞きたいと考えていた。
その日は小雨模様で、屋外リンクでスケートするにはあまりいい日ではなかったが、ハビエルはこのツアーを楽しんでくれた。ただし、前夜の疲れから少々眠たそうではあったが。
ツアーに同行したのは他にスペイン人ボランティア、カメラマン2人、それに運転手だった。

Q:ヨーロッパ選手権に出場したこの1週間はどんな印象でしたか? 金メダルに輝いたこと以外に、何かご感想は?

ハビエル:僕にとってすごくいい1週間だったよ。金メダル以外で最高だったのは、お客さんだ。熱心に応援してくれたし、スペイン人のファンもたくさん来ていた。大会前は緊張していて、それを克服できたことは個人的にもうれしかった。それを含めて、すべてが完ぺきだったよ。



Q:2年前にシェフィールドで行われた2012年ヨーロッパ選手権と比べてどうでしたか? あの時は緊張してうまく演技できなかったんですよね。でも、今回は緊張を乗り越えて、ショートもフリーもいい演技ができましたね。何か練習方法を変えたのでしょうか? フィジカルだけでなくメンタルな面でも?

ハビエル:うまくいく試合もあれば、そうはいかない試合もある。シェフィールドのときは、スケジュールにもリンクの氷にも最後まで慣れることができなくて、悲惨な出来になってしまった。でも僕は、過去の悪い試合のことは忘れるようにしているんだ。いつまでも覚えていたら、次の試合ではもっと悪くなってしまうからね。過去のことは忘れて、ただ前へ進むようにしているよ。

Q:昨日(土曜日)はあなたの両親がスペイン人ファン全員を招いて、金メダルを祝ってシャンパンで乾杯したんですよね。なるほど、スペイン人の選手とファンとジャーナリストは、ほかの国とは違う関係で結ばれているというのは本当だったんですね。なぜなんでしょう?

ハビエル:それが僕らの性格だからだと思うよ。僕らはほかの国の人々よりオープンで、何かパーティーがあればすぐ参加してしまうんだ。それに僕らはみんな知り合いだからね。スペインではフィギュア選手やファンはそう多くないし、誰か新しい人が入ってきたら、元からいたファンが僕らに紹介してくれる。そうやってみんな家族みたいになるんだ。もし僕がスペイン人じゃなかったら、こんな性格ではなかっただろうな。

Q:「英雄広場」に着きました。あなたはエキシビションで「スーパー・ハビ」、スペイン国旗の色をまとった正義の英雄を演じていますよね。自分が英雄だと思う点はありますか? あのエキシのプログラムを選んだ理由は?

ハビエル:自分が英雄だなんて全然思わないよ。あのプログラムは自然にあんな形になったんだ。最初は、プログラムの途中で正義のヒーローに変身する予定はなかったんだ。ところが、ボニー・タイラーの「I need a hero」の曲を聴いてから、そう変更することになった。そのときには振付はもうできあがった後だったんだけどね。
「正義のヒーローはどんな衣装を着るべきか?」これについてはたくさんのアイディアが出てきて、ひとつにまとめていった。振付はカート・ブラウニングだけど、顔の表情やナレーションは俳優に指導してもらったんだ。録音スタジオで曲を編集したり僕の声を入れたりするのは、すごく楽しかったな。すばらしい体験だったよ。




Q:あれはあなたの声なんですよね。スペイン人が英語で話す場合、強いスペイン語なまりになることが多いですが、あのナレーションでもそうですよね。わざとなまりを強調したんですか?

ハビエル:あれは僕の自然ななまりだよ。変なのはわかってるけど、あれを気に入ってくれる人が多いからさ。だから僕らは、あれをエキシビションに使ったらおもしろいだろうなって思ったんだ。まあ、もっと練習すればもっときれいな発音になれるんだろうけど、これを変えるつもりは全然ないんだ。僕のアクセントはいろんな人やほかの選手たちによく笑われるけど、でもカワイイって言ってくれるからね。

――ハビエルはヨーロッパで最大の屋外リンクに行き、見物人やカメラマンの前でスピンを回って見せてくれた。

Q:どうでした? 氷の具合はどうです? こういうリンクで試合をしたいとは思いませんか?

ハビエル:とてもよかったよ! 本当に大きいね、びっくりしたよ。こんなリンクが身近にあったらいいだろうな。屋外リンクにしては氷の状態もかなりよかったし。でも、こんなに大きなリンクで試合はしたくないよ(笑)。きっと疲れ果てちゃうだろうから。でもエキシビションにはすごくいいと思うし、練習にもいいだろうね。

――ハビエルはスケート靴を脱いだ。それをカメラマンのトーマスが手にとって眺めている。

ハビエル:近づきすぎないほうがいいよ。死んでしまうよ。

Q:臭い消しに何か使っているんですか?

ハビエル:いいや、何も。それにその靴は使い込んだものだからね。ふだんは1年に1回靴を替えるんだけど、今年は新しい靴になじむことができなかったんだ。それで前に使っていた靴をもう一度使ってみた。そしたら思っていた以上に具合がいいんだ! たぶんソチでもこの靴を使うと思うよ。

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カテゴリ:ハビエル・フェルナンデス | 13:16 | comments(15) | trackbacks(0) | - | - |
長洲未来選手からのメッセージ
全米選手権で3位になりながらソチ五輪に選ばれなかった長洲未来ちゃん。そのわずか10日後に出場した四大陸選手権では、残念ながら10位に終わってしまった未来ちゃんですが、昨日こんなツイートをしていました。
 
アイコン写真がアグネス・ザワツキー選手とのツーショットなんですね。
「時間があったら私の考えを読んでくださいね(笑顔)」という短いツイートと、facebookのページへのリンク。そのページにはこんなメッセージが書かれていました。比較的わかりやすい英語なので、ぜひ原文で読んでいただきたいです(上のリンクから飛べます)が、一応訳してみたいと思います。


全米選手権の後、私に応援の気持ちや言葉を届けてくれた、仲間のスケーターやフィギュアファンのみなさん。この機会にみなさんにお礼を言いたいと思います。アメリカのソチ五輪代表と、日本で開かれる2014年世界選手権代表に選ばれなかったことは、私にとってものすごく残念なことで、今でもなかなかうまく消化できないでいます。

ボストンの全米では、自分の最高の演技をすることができました。自分の演技と、銅メダルを授与されたことは、誇りに思っています。

2010年のバンクーバー五輪は、私にとって生涯最高の思い出のひとつで、4位という結果を誇りに感じています。それから4年間、もう一度五輪代表になって、あの続きを再開させることが私の目標でした。

今回、代表に選ばれなかったことはとてもショックでした。2014年五輪にも世界選手権にも選んでもらえなかったアメリカスケート連盟の決定には、今でも困惑しています。いつかこの決定のショックを完全に消化できるようになったとき、それは私の中の炎をきっとまた燃え上がらせてくれることでしょう。私の五輪への旅はここで終わりではありません。今後、練習を続行し、スケーターとして成長し、レベルアップして、もう一度アメリカの五輪代表になるという夢を実現できるよう、努力を続けたいと思います。とりあえずは、五輪と世界選手権の補欠としてやらなくてはならない練習に、今すぐ戻るつもりです。

なんといっても、私はグレイシーとポリーナとアシュリー、そしてチームUSAのほかの選手たちのために、2014年五輪での幸運を祈りたいと思います。自分の国を代表して五輪に出場することは、アスリートの人生で最大の名誉であり、最高の経験のひとつです。そこで彼ら全員が活躍し、すばらしい時をすごせるよう祈っています。私も彼らの姿を見て、応援していきたいと思っています。



がんばれ、未来ちゃん! 私も応援してるよ! :)

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カテゴリ:北米女子 | 08:59 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
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