カムバック宣言から、フィンランディア杯でみごと現役スケーターにかえり咲いたジョニー・ウィアー。残念ながら4位という結果でしたが、おなじみのフィギュアライター、タチアナ・フレイドさんが試合後のジョニーにロングインタビューをおこなっています。これがまたまた非常に中身が濃くて…(タチアナさん、ほんとにエネルギッシュですね!)
かーなーりの長文になりますが、訳してみましたのでどうぞ!
「ウィアー、“お馬さんショー”復帰へ」
(お馬さんショーとは何かって?それは読んでのお楽しみ…)
今年2月にジョニー・ウィアー(アメリカ)が現役復帰を宣言したとき、多くの人が、どうせ自己PRのためのスタンドプレーだろうと思っていた。ソチ五輪のプレシーズンとなる今年はカムバック宣言があいついでいるが、実際にはどうなるのか、ファンはいつもどおりシーズンが進むまで待っていなければならない。安藤美姫(日本)はごく最近GPシリーズの欠場を決めたし、エヴァン・ライサチェク(アメリカ)も怪我のためスケート・アメリカを棄権することになった。エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)はヨーロッパ選手権に専念するため意図的にGPシリーズへの出場を見送った。
過去3度全米王者に輝いたウィアーは、2010年バンクーバー五輪後に現役を退いて以降、、アイスショーや芸能関係のイベントに出たり、歌手デビューしたり、本を出版したり、結婚したりと、多忙な日々を送ってきた。そんな生活に比べたら、過酷な練習の日々に戻ることは、必ずしも魅力的ではないはずだ。ウィアー本人でさえ、最初は現役復帰を考えることなど想像すらしなかったという。
「バンクーバーの後、競技スケートはもう1分たりともやりたくなかったんだ」彼はそう打ち明けた。「でも、家で料理する生活を2年もやったら、どんなことだって起こりうる。オリンピック以降の2年半に自分がやったことはすべてすばらしいことばかりだったけど、選手として競技すること、それが自分に与えてくれるものというのは、ほかには比べようのないものなんだ」
そのとおり、ウィアーは復帰を果たした。今月上旬の2012年フィンランド杯に出場したのだ。やや精彩を欠き、4位に終わったが、キャリアで初めてショートとフリーの両方で4回転に挑んだ。
「ずいぶん久しぶりだったよ。競技用の照明に照らされたリンクに立って、“アメリカ合衆国、ジョニー・ウィアー選手”というアナウンスを聞いたのは。ずいぶん長いことなかったことだったからね。圧倒された。強烈だったな」
「バンクーバー以降、僕は悠々自適だった」28歳のウィアーは冗談めかして言った。「スケート以外の仕事に打ちこんで、そんな生活を心から楽しんでいた。でも、フィギュアスケートに勝るものはないんだよね――強い決意とモチベーション、過酷すぎるほどの練習。シーズンインに備えるために、体重を8.5キロも落としたんだ。大変だったよ」
ウィアーはすすんでメディアに話をし、大会の直前でさえリラックスしているように見えたが、試合本番では緊張にさいなまれた。
「自分で思っていたよりもっとずっと緊張してしまったよ」2008年世界選手権銅メダリストは打ち明けた。「僕は緊張してても集中は失わないんだ。緊張しているときは、怒っているような顔がしやすくすなる。[←攻撃的、威嚇的な表情というニュアンスだと思います] そんな顔をしていれば周囲に緊張を悟られないからね。でも(この試合のときは)脚がガチガチになってしまった。現役の場に戻ってくるのは、おそらく今までのキャリアで一番困難なことだったと思うよ」
それでも、後悔はないという。
「わかってるんだ。僕が最初に復帰を宣言したとき、多くの人はこんな感じだったよね。“なんで復帰なんかするんだ? 何のためだろう? 宣伝のため? ほかのアメリカ人選手たちのように、復帰する復帰すると言ってばかりで結局しないんじゃないか?” だから、自分がファンやスタッフたちとの約束を守ってスケートすることができて、自分ですごく誇りに思っているよ」
結局フィンランドでは大満足の演技はできなかったが、第一歩を踏み出せたことがとてもうれしいという。
「(フリーの)プログラムを滑り終わったとき、僕はすごく興奮していた。観客も興奮していた。ボロボロじゃない、まあまあの演技ができたからね」ウィアーはさらに言った。「僕はみんなに感心してほしかったんだ。ただ復帰しただけでなく、すごいと思ってほしかった。その目標が果たせたかどうかはわからないけど、自分のためになることはたくさんしたよ。この大会では両方のプログラムで4回転にチャレンジすることができた、ダウングレードになろうがなるまいがね。とにかく、僕は4回転を跳んだんだ。プログラム後半に3Aをコンビネーションで跳ぶこともできた。いい面も悪い面も両方あったね」
「正直、この2年半の間に、現役の緊張状態に戻りたいと思ったことはないよ。演技するときやショーに出るときは、今でもまだ緊張するんだ。ごく自然なことだよね。緊張しないということは、そのことを大事に思っていないってことだから。でも、試合にのぞむこの緊張感というのは、いくら小さな大会であっても、ひどいもんだよ。世界で一番いやな気分だし、正直まっぴらごめんだよ。でも、僕はそこへ自分を置いて、向き合わざるをえなかった」
「全体的には、僕はこの大会からポジティブなエネルギーをもらえたと思う」彼はそう言ってから、プルシェンコが2010年と2012年のヨーロッパ選手権でみごとな復帰劇を見せたことについて語った。
「僕はジェーニャ・プルシェンコじゃない。復帰していきなりロシア選手権やヨーロッパ選手権で勝つなんて、僕にはできない。彼と同じ戦い方は 僕にはできないよ。僕には彼とは違う魂があり、エネルギーがあるんだから。もちろん彼がやってきたことはすごいと思う。でも僕の場合は、(復帰は)もっとゆっくりしたペースになるだろうね」
ウィアーは冷静だった。フィンランディア杯に出るにあたって、完璧な結果になるだろうとは思っていなかったという。
「もう一度試合に出て、みんなに示したかったんだ。ごまかしやトリックなどではなく、僕は本当にまだスケートをしているってことを。僕は本当に戻ってきた。本当に現役として戦う用意ができている。僕の演技や成功したジャンプ、失敗したジャンプについて、人がどう言おうがどうでもいいんだ。大切なのは、みんなの話のネタができたってこと。僕は約束どおりのことをしたんだ。つまり、ファンのために戻ってくるってことをね」
実際に、アメリカや日本、ロシアから多くのファンが、ウィアーを見るためにフィンランドにやってきていた。
「うれしかったな。ショートでもフリーでも、滑り終わったら観客からあんなリアクションがもらえたなんて。観客の多くが遠くから来てくれた僕のファンだったけど、僕の復帰を知って応援しようとしてくれたフィンランドのスケートファンもたくさんいた。ロシアやアメリカやフィンランドの国旗が振られているのを見るのは、すばらしい気分だったよ。みんな僕をリスペクトしてくれたし、僕がすぐに完璧なスケートができるわけじゃないこと、僕にはまだ課題があることを理解してくれた。そう、観客はそれをわかってくれていた。それが一番うれしいんだ」
復帰を宣言した当初は、それが何を意味しているのか、ウィアー本人でさえちゃんとはわかっていなかったという。
「宣言したのは2月だったけど、“よし、これは現実だ。自分は本当にやるんだ” と認識するまでしばらくかかったよ。たぶん初めてプログラムの通し練習をした6月になって、ようやく認識できたと思う。自分は本当に競技に復帰するんだってね」
復帰のプランについては、家族やコーチ、夫、少数の友人などに相談していた。
「僕にはごく限られた、親しい人たちがいるんだ。僕が慎重にその話を持ち出すと、だれもが賛成してくれたよ。(コーチの)ガリーナは、ぜひやるべきよ、準備が整ったらいつでもリンクで待ってるわ、と言ってくれた。夫は、実はだれよりも強く背中を押してくれたんだ。君の才能は魅力的だ、スケートをしてその才能をみんなに見せるべきだってね。復帰にあたっては、彼に励まされた部分が大きいんだ」