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小塚崇彦の新EX 「サウンド・オブ・サイレンス」
今日はポエム成分多めです。若干キモくなると思われますが、どうかお許しください。
半年ほど前にこのブログを始めてから、小塚くんのことを書くのはほとんど初めてになります。
この動画のナレーションにもあるように、「思うような結果が出ず、悔しい思いをした」昨シーズン。
世界銀メダリストになって手にした自信と、思わぬ障害に悩まされ続けて自信を失いそうになる苦悩。その両方がないまぜになった、複雑な表情を浮かべていたことが、昨シーズンは多かったようが気がします。

その彼が、静かに、それでいて力強く、リンクに戻ってきました。
The Iceで初披露した新エキシビション・プログラム。その動画がThe Iceの公式チャンネルにアップされています。(中京テレビさん、いつもありがとう!)
曲はサイモン&ガーファンクルの1967年のヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」。振付は佐藤有香さん。
もうとっくにご覧になった方も多いでしょうけど、これ…好きだわー!!!


(アップしてくださった方ありがとうございます<(_ _)> 右下のフキダシをクリックすればコメントが非表示になります)

スポットライトの白い円だけが浮かぶ無人のリンク。その外側の暗闇からイーグルで入ってきて、円の中央に立つ…それだけで、ものすごく陳腐な言い方ですけど、「せつない」みたいな気持ちがこみあげてきて…いやあ、困ったもんです、ははっ。

少し前のインタビューで、小塚くん自身「歌詞に惚れた」と言っていましたが、この曲、じつはすごく不思議な歌詞なんですよね。若干おぼつかないところもありますが、できるだけ原文に素直に訳してみましたので、英語の歌詞全文とともに掲載してみます。

Hello darkness, my old friend              
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping            
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain   
Still remains
Within the sound of silence

こんにちは暗闇くん、僕の古くからの友達
また君と話しに来たよ
なぜならある幻影がしずかに忍びよってきて

僕が眠っている間にその種を落としていったから
僕の頭の中に植えつけられたその幻影は
まだそこにある
沈黙の音の中に

In restless dreams I walked alone 
Narrow streets of cobblestone             
Neath the halo of a street lamp            
I turned my collar to the cold and damp       
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence 

落ち着かない夢の中、僕はひとり歩いた
石だたみの狭い通りを
街灯の下の円い光の中で
湿った冷気に僕はコートのえりを立てた
そのとき夜を引き裂くまばゆいネオンの光が
僕の目を射抜き
その「沈黙の音」に触れた


And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more           
People talking without speaking             
People hearing without listening
People writing songs that voices never share   
And no one dared
Disturb the sound of silence
                
裸電球の光の中、僕は見た
一万もの、いやもっと多くの人々の姿を
意思を述べることなくただしゃべっている人たち
耳を傾けることなくただ聞いている人たち
決して歌われることのない歌を書いている人たち
沈黙の音をさえぎろうとする人は
誰一人いなかった

"Fools" said I, "You do not know
Silence like a cancer grows                
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you
But my words like silent raindrops fell
And echoed                            
In the wells of silence                     

「愚かだな」と僕は言った。「君たちはわかっていない
沈黙が癌のようにむしばんでいくことを
僕の言葉を聞いてくれ、僕が君たちに諭すことを
僕の腕をとってくれ、僕が手を差し出すから」
だが僕の言葉は雨粒のように音もなく落ち
沈黙の井戸の中で
こだましただけ

And the people bowed and prayed
To the neon god they made                 
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming             
And the sign said                        
"The words of the prophets are written on the subway walls
And tenement halls"                      
And whispered in the sound of silence         

人々は自分たちが作り出したネオンの神に
頭を垂れ、祈りをささげていた
するとネオンサインに警告の言葉が浮かびあがった
光の文字で書かれたのは
こんな言葉だった

「預言者の言葉は 地下鉄の壁や
安アパートの廊下に書かれている」
沈黙の音の中で、小声でそう告げていた


うーん、言葉はやさしいのに難しいなあ。
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カテゴリ:小塚崇彦 | 12:53 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
ジョニーは本気で戦闘モード!
ロンドン五輪たけなわの今日この頃ですが、おなじみのicenetwork.comでは新シーズンに向けた記事が続々と…。もう8月。グランプリシリーズ初戦まで、気が付けばあと2か月あまりですもんねぇ。ご、ごくり…。
今シーズンの目玉になること必至のジョニー・ウィアー。その近況、新プログラムなどについて、8月2日付でアップされた記事のご紹介です。

元記事はこちら→Make no mistake: Weir is serious about winning By Lynn Rutherford
 
「誤解なきよう。ウィアーは本気で勝ちにいっています」
戦闘モードに入った新婚アイドル、ソチ五輪をねらう


ジョニ・ウィアーはバタフライからキャメルスピンに入った。インサイドにチェンジエッジしてから、フリーレッグをつかんでドーナツスピンのポジションに入る。2、3回よろよろと回ってから、転倒。
数分後、再びトライ。また転倒した。

ウィアーは言った。「(6点満点の)旧採点システムの時代には、スピンは簡単そうにやるようにって教わっていたんだ。ところが今は、自殺でもしようとしているかのように見えなくちゃならない。これがかなり壁になっているよ。子供がやるようなことを一生懸命練習してるんだからね。インサイドエッジで、体をさかさまにひっくり返すとかさ」

ウィアーのコーチ、ガリーナ・ズミエフスカヤは、旧ソ連時代のウクライナで腕を磨いただけあって、容赦はない。

「それがルールだもの。変えることなんかできないでしょ。さっさとやりなさい」
 
過去3度全米王者に輝いたジョニー・ウィアーが、今年1月、現役復帰を発表したとき、スケート関係者やファンから浴びせられたのはちょっと冷ややかな反応だった。ロゴTVで来月から放送が始まる「Be Good Johnny Weir セカンド・シーズン」の宣伝かも、とか。「ピープル」(セレブのゴシップ雑誌)の常連でいたいだけだろう、とか。どうせ2、3か月やったらやめるんだろう、とか。

それから約7か月後、7月2日で28歳になったウィアーは、ニュージャージー州ハッケンサックのIce Houseで、2007年から指導を受けているズミエフスカヤの厳しい視線のもと、1日2セッションの練習をおこなっていた。最近の練習を見てみると、3回転ジャンプはすべて取り戻し(3A-3Tを含む)、4T-3Tは安定して着氷できるところまであと少しというところまで来ている。4T-3Tは、ウィアー自ら、この秋の復帰にあたってプログラムに入れなくてはならないと考えている要素だ。
 
「もし僕がEXしか滑らないんだったら、アメリカのスケート連盟は僕をGPSロシア大会(11月9〜11日)に派遣したりはしないよ。本当に力強く復帰するためには、要求されていることをしっかりやらなくちゃならない。そこにクワドも含まれるんだ」
 
そう、誤解してはいけない。ジョニー・ウィアーは本気なのだ。

「もちろんよ。彼はがんばっているわ」ビクトール・ペトレンコ、オクサナ・バイウルといった五輪チャンピオンを指導してきたズミエフスカヤは、そう言った。「とても熱心に練習してますよ。ちゃんとジャンプを入れたプログラムを滑っています。数か月前に4Tを跳べるようになって、そのあとスケート靴を変えた(のでしばらく跳べていなかった?)けれど、最近また跳び始めているわ」
 
スポットライトを浴びるのが好きな男にとって、それはいくぶん気合のいることだった。2010年バンクーバー五輪での感動的な演技のあと、ウィアーはひっぱりだこだったが(「Be Good Johnny Weir」や著書「Welcome to My World」などなど)、その彼がレッドカーペットに背を向けて、もっと質素な生活に身を投じざるをえなくなったのだ
 
「最初のころは大変だったよ」と彼は言う。「この生活に入って1か月半か2か月ほどたったころ、ちょっと耐えられなくなったんだ。ファッションショーに行ったり、セレブっぽいことがしたくてたまらなくなってね。でも、そのころ(休暇で)アルーバへ行ったんだ。帰ってきたらすっかりリフレッシュできていたよ」

チェコのミハル・ブレジナは、ズミエフスカヤの義理の息子となったペトレンコをコーチとして、ハッケンサックで練習をしているが、ウィアーの姿にはびっくりしているという。

「いやほんとだよ、彼はメダルをねらえると思うよ」2012年世界選手権で6位だった22歳のブレジナは言う。「トリプルアクセルはしっかりしてるし、プログラムもすばらしい。時々クワドで失敗してしまう以外は、すべてをそなえているよ」
 
2010年バンクーバー五輪では、ウィアーのチームメートであり古くからのライバルでもあるエバン・ライサチェクが、クワドを入れずにロシアのエフゲニー・プルシェンコを破り、金メダリストとなった。だがその後、ISUは4回転ジャンプのポイントを増やし、不完全な場合でもポイントが出やすくなるようにした。2012年の世界選手権では、上位4人は全員、最低1回の4回転ジャンプを成功させている。
 
まだ試合でクワドをクリーンに決めたことはないウィアーだが、クワドが最大の難関だとは思っていないという。もっと難しいのはトランジション――ステップなど要素間のつなぎの動きのことで、PCSに大きく影響を与える――だと彼は言う。
 
それが僕の最大の弱点であり、ジャッジが突いてくるとしたらそこなんだ。以前にもジャッジにはそこをやられたしね。だから今は、あらゆる要素の前後にトランジションを入れている。つなぎがないとは誰にも言わせないよ」
 
そのための練習は着実で中身の濃いものになっているが、時に中断せざるをえないこともある。6月には中国のショーに出演したし、同じ6月にFood Networkの番組収録のためロサンゼルスに1週間滞在したこともあった。
 
「僕はお金を稼がなくちゃいけない。生活費の支払いがあるからね。ハッケンサックの人々にはとてもよくしてもらっていて、リンクに寄付もしてもらっているんだ。でも、僕はガリーナにコーチ料を支払わなくはならないし、そのほかの生活もある。僕がみんなに言っていることがあるんだけど、それはフィギュアスケートのためにまた貧乏になるつもりはない、ってことなんだ」
 
「僕は幸い、テレビ番組やいろんなイベントに出演してくれって頼んでくる人たちがいて、それはすばらしいことだと思ってるよ。練習時間は奪われるし、ロサンゼルスでの1週間はガリーナとまったく会えなかったけどね。その分のつけは、リンクに帰ってきたときに払わなくちゃならない。でも、本当に必要な時には(スケートとセレブ活動の)両方ができる強さが、僕にはあるんだ。もちろん、GP前には番組の仕事はしないつもりだけどね」
 
彼はたいがい、週5日はシンプルなルーティンにのっとって過ごしている。午前中と午後に1時間半ずつの氷上練習。ふつうは午後3時で練習を終えて、トレーニングコーチの家でピラテス。その後、1月2日にニューヨークで民事婚を挙げた夫、ビクター・ボロノフが待つ自宅に帰ると、家では率先して家事を楽しんでいるという。
 
「料理をして、掃除をして、夫とワンちゃん(日本産のチンで名前は“Tema”)のお世話をしなきゃならない。僕は強迫神経症ぎみで、なんでも整理整頓され、無菌状態じゃないと気がすまないんだ。毎日忙しいよ。おかげでよく眠れてる」
 
公私の区別ははっきりしている。ジョージタウン法科大学出身の夫ボロノフは、で最近ニュージャージーの司法試験を受けたばかりだが、ウィアーの練習を見に来ることはほとんどないという。

「彼がここに来たことはあるわよ、たぶん2回ね」とズミエフスカヤは言う。

「僕が仕事を家に持ち込みたくないことを、彼はわかってくれてる。だから、家のドアをくぐった瞬間から、僕らはフィギュアスケートの話はしないんだ」ウィアーはそう語る。「6月は大変だったな。僕はひと月家を空けていたし、彼は洗濯も料理もまったくできないからね。できるようになってほしいとは思わない。なぜなら、そういった家事がちゃんとできるのは僕だけだからね


                                     コーチのガリーナ・ズミエフスカヤと。

ウィアーが最後に出た試合は2010年のバンクーバー五輪だ。自ら「柔らかく悲しく、とても感動的」なプログラムと評したフリーの「Fallen Angel」で、「人生最高の演技」を披露した。だが、ジャッジは評価はそうではなく、順位は6位。この結果に彼は衝撃を受け、その後のインタビューではそうした心情を率直に語っていた。

今はもう、「柔らかく悲しい」路線ではないらしい。

戦士としての僕を見てもらいたいんだ。僕は怒りにかられた、情熱的な戦士なんだ」と彼は言う。「フリーのプログラムのタイトルは“フェニックス(不死鳥)”。女性弦楽グループのエスカーラ(SarabandeとRequiem)と、バイオリニストのエドウィン・マートン(a Chopin selection)の曲をつなげたものだ。自分が大好きな、いい刺激を受ける曲を選んだんだ。古典的な音楽ではあるけれど、僕らのプログラムのアレンジぶりを見れば、“ああ、またか”とは誰も思わないはずだよ」

ショートはとびきり活発で楽しいプログラム。ウィアーのアイドルであるレディー・ガガの曲を使ったものだ。振付はおもにウィアー自身とコーチでおこなったが、ほかの専門家の力も力を借りている。

ニコライ(・モロゾフ)がステップ部分だけ担当してるわ。彼は採点システムに対応するのがとてもうまいんです」と、ズミエフスカヤ。「ジョニーは非常に優れた身体の持ち主で、音楽への感応がすばらしいの。私が思うに、彼は振付師のとおりに演じるのではなく、自分自身の感情でプログラムを作ったほうがいいと思うわ」

ニコライはアドバイザーだ。それ以外については、僕はフリーエージェントなんだ(←*すみません、この部分あいまいです)」ウィアーは言った。「本当は夏の初めごろにデビッド・ウィルソンに見てもらいたかったんだけど、彼は超多忙だし、僕のスケジュールも合わなくて。結局、このショートは僕とガリーナで作ったんだ

GPSで出場予定のロシア大会とフランス大会は楽しみにしているし、12月にソチで開かれるGPファイナル(2014年五輪への試金石になる)にも出られたらと思っているが、これらはオードブルにすぎない。メインは、1月にオマハで開催される2013年全米選手権。2013年世界選手権に出るためには、ここで2位に入ることが必要になる。

「全米選手権、これが一番ハードな試合だよ」とウィアー。「もしもショートとフリーにジャンプをすべて入れて、自分にできることがすべてできたら、僕が2枠のひとつを獲得できない理由は見つからないな」ここで少しだけ間を置いて、「厳しい戦いにはなるだろうね」

ここ数年、ウィアーとアメリカの連盟の間には若干問題があった――そのうちのいくつかについては彼の著書に書かれている――ものの、今は非常にいい関係だという。

「連盟との関係についてはすごく満足してるよ」と、ウィアーは言う。「今回の復帰を発表して以来、僕のことをとても尊重してくれてるし、サポートもしてくれている。世界選手権の2枠に入れたら最高だな。アメリカがソチ五輪で3枠とる手助けをしたいと、心から思っているからね。もしもいい演技ができても2枠に入れなかったら、きっと早めの休暇旅行に出かけちゃうだろうな。あ、でも今季の四大陸は日本だったよね。それなら出てもいいかも
 
ウィアーの次の予定は、今月下旬にコロラドスプリングスでおこなわれるアメリカスケ連の「Champs Camp」。連盟の役員とジャッジの前でショートとフリーを披露し、評価をみるための試合だ。その後は、10月上旬のフィンランディア杯でプログラムを試したいと思っているという。

「コロラドでのテストスケートはとても楽しみにしているよ。偉い人たちから反響をもらえるチャンスだからね」と、ウィアーは言う。

「本気だよ。もし本気じゃなかったから、それをやる意味なんて全然ないだろう? 自分がやってることに対して、僕は真剣そのものだ。本気で競技したい。勝つか負けるか――それが僕の重大事なんだ。GPファイナルに出たい。ソチのオリンピック・アリーナで滑りたいんだよ

********************************************

 興味深いこと満載のインタビューですが、とくにびっくりしたのは…ニコライ・モロゾフ!!!!
な、なんとレディー・ガガの曲を使った新SPの、ステップ部分の振付がモロゾフとな!!!!
ただし、ジョニーはあくまで「彼はアドバイザーだよ」と言っていますが(どっかで聞いたセリフですね!大輔さんww)、やはりソチ五輪に向けて、モロゾフの手腕は有用ではあるんでしょうね。ガリーナコーチのいうとおり、ルールを活用するのは大得意ですし。
それにしても、ジョニー+レディー・ガガ+モロゾフ=??? うわー、怖いもの見たさですが、これは見たい!!!!!

JUGEMテーマ:フィギュアスケート 
カテゴリ:北米男子 | 16:38 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
マリポサ・ガラの羽生くんSP&織田くんEX
カナダ・オンタリオ州のバリーという町で毎年開かれるチャリティショー「Maroposa Gala」。(公式サイトは→こちら
このショーを観戦されたカナダの方が、羽生くんと織田くんの動画をTumblrにアップしてくださいました!!
ありたがたや〜。
携帯電話で撮影されたものらしく、画像はいいとは言えませんが、ふたりが今年の新プロを海外で初披露した貴重〜な動画です。編集禁止、再投稿禁止、とのことですので、リンクのみ貼らせていただきます。

動画主さんがここをご覧になることは100%以上ないでしょうけど、一応お礼を…。
Thank you so so much for uploading the videos, Ms. CRYSTALCHANDELLURE!!


羽生くん 新SP
http://soumajin.tumblr.com/post/29342614475/yuzuru-hanyu-x-mariposa-gala-i-did-not-record

振付はジェフリー・バトル。曲は、北アイルランド出身のハードロック&ブルースギタリスト、ゲイリー・ムーアの「Parisienne Walkways」(邦題は「パリの散歩道」)。



――とは以前から伝えられていたのですが、先日のトークイベントでジェフが、「2曲くっつけてみたらぴったりだったんだ」と言っていたんですよね。(やっつけですがイベントのレポは→こちら) なになに?2曲を編集したものだったの?もう1曲は何?と気になっていたのですが、やっとわかりました!ブルースの古典「フーチークーチーマン」だったのですね!


*羽生くんが実際に使用しているのはこのジェフ・ヒーリー版。動画の5:48あたりからの部分を編集したもののようです。ジェフリー・バトルの編集テク、さえてますね〜!

新SPが「パリの散歩道」と聞いたときには、羽生くんとのあまりのイメージのギャップに、「え、ええええぇっ?」となったものですが、動画見てびっくり。これ、悪くないじゃないですか。いや、すごくいいんじゃないですか!!??
曲は2つともちょっと古臭いイメージがあったけれど、これがフィギュアと組み合わさるとかえって新鮮。しかも男性的なベテランスケーターでなく、まだ17歳の、マッチョとは程遠いルックスの羽生くんが滑るというのがなんとも絶妙…。(ジェフの発想、すごいわー)
この動画だけではまだわからないところが多いけれど、私は好きだなあ。というか、知ってる限りの羽生くんのプログラムの中で、もしかして一番好きな「作品」になるかも!?という感じさえしてますっ!!


写真は初披露となったTHE ICEから。行かれた方がほんとうらやましい…(;_;)

去年の高橋大輔さんの「ブルース・フォー・クルック」と一見ちょっと似たイメージですが、あちらが「セクシーブルース」だとすればこちらは「ドヤブルース」。EXかと思うほどの観客アピール、3度も指さしているのは試合で言えばジャッジ席あたりでしょうか、とにかくドヤ顔で押しまくる感じです。
特筆すべきは、彼は姿勢が悪いとずっと言われていたのですが、それがずいぶん改善されてる!また、去年まではややガチャガチャした印象になることがあったけれど、それがかなり消えて、堂々とした優雅ささえ漂わせてしまってる!プログラムひとつでここまで変わることができるとは、いやあ、羽生くんの進化のスピード、恐ろしいわ。
これから滑りこんで、試合の明るい照明のもとでどんなプログラムになっていくのか…すごく楽しみです!!

(今回初めて知ったのですが、ゲイリー・ムーア、去年の2月に心臓発作で亡くなっていたんですね。享年58歳。遅ればせですけどご冥福をお祈りします。天国からこのEX見てくれたかしら。合掌)


織田くん 新EX
http://soumajin.tumblr.com/post/29412385068/nobunari-oda-x-mariposa-gala-this-was-taken

振付は宮本賢二。曲はフランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」。先日インタビューで言っていたように、織田くん自らこの曲を使いたいと宮本氏に提案したとのこと。



わあ、なんだかこれは…幸せなEXですねえ。スタートから、思わず顔がほころんでしまう幸福な空気がいっぱい。織田くんの表情は見えないけれど、きっとすごくニッコニコしてるんだろなあ…。
リンクサイドの最前列は、テーブルに座ってドリンクを飲みながら観戦できるようになってるんですね。そんなゴージャスでくつろいだ雰囲気の会場に、このプログラムがよく合っていて、お客さんもすごく楽しんでる。
高い3Aに、きれいなタノ・ジャンプ。まだちょっぴりぎこちない感じはあるものの、織田くんのジャンプとスケーティングはやっぱり美しい!演技が終わったとたんに沸き起こる歓声に、思わず涙しちゃいましたよ!



このショーのあと、公式サイトである関西大学のHPにこんなメッセージを載せてくれています。
 

こんにちは。信成です。
昨日、カナダでいつもお世話になっているアイススクールが行う「mariposa charity gala」に参加しました。今年で23年目、寄付総額はなんと一億円にもなるそうで、ショーの素晴らしさだけでなく、こういった活動に参加できる事を心から光栄に思います。今回は、このアイススクール出身のブライアン・オーサーコーチが指導するトップレベルの選手達も参加し、さらにハイレベルな素晴らしいショーでした!僕は、「氷の甲子園」と同じく「New York,New York」を滑りました。関大で滑った時の反省点を活かして滑る事が、少しはできたかなと思います。最後のサルコゥだけはみ出そうでしたが、なんとかリンクに収まりました。久しぶりのスポットライトでのスケートは、やっぱ最高だなぁ〜としみじみ。
カナダに来た一週間目は、いつも時差の調整期間なので身体もイマイチですが、今回は初めから良い練習ができている感じがして、気持ちも上向きです。残り2週間頑張ります。それでは! 
2012年08月12日


織田くん、ほんといい子だなあ(また涙)。いい練習ができていますように!

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:羽生結弦 | 05:05 | comments(4) | trackbacks(1) | - | - |
浅田真央「いい時もつらい時も経験したけれど、スケートから多くのことを学んできました」
真央ちゃん…というか、最近は「真央さん」と呼びたくなることが多い、浅田真央選手。そんな真央さんの久しぶりのインタビューが海外から入ってきました。
真央さんの話す言葉って、すごく飾り気がなくてシンプルだけど、すごく深いというか、事実を的確にとらえていたり、感情がこもっていたりすることが多い気がするんですよね。シンプルなだけにかえって翻訳は難しいのですが。(と先に言い訳してしまう…汗)
International Figure Skatingというサイトに8月19日付でアップされた今回の記事も、そんな言葉がちりばめられた記事でした。

元記事はこちら→Olympic Focus for Mao Asada By Susan D. Russell

「浅田真央、オリンピックに向けて」

忙しい夏を過ごした日本のスター、浅田真央。彼女は今、これまで積んできた努力が数か月後には大きな成果となって返ってくることを望んでいる。

浅田にとって昨シーズンは、オンアイスでもオフアイスでも困難の多いものだった。シーズンはじめは好スタートを切った。NHK杯で銀、ロシア杯で金メダルを獲得して、グランプリファイナルの切符を手にした。

だが、GPFの開催地ケベックシティで、ショートの前日、浅田は母親が入院し危篤におちいったことを知らされた。ただちに日本に帰国したものの、母親の死には間に合わなかった。

その数週間後、彼女は悲しみから立ち上がり、5回目の全日本タイトルを手にするとともに、世界選手権の出場権を勝ち取った。だが結局、6位と不本意な結果に終わった。「私にとってつらいシーズンでした。でも今は来シーズンに集中して、新しいプログラムに取り組んでいます」と浅田は言う。

夏の間、彼女はハンガリーのブダペストに3週間滞在し、バレエの名手として知られる振付師・フィジカルトレーナーのゾルタン・ナジの指導を受けた。

ショートプログラムはカナダの振付師ローリ・ニコルに依頼。浅田によると、陽気で楽しいプログラムだそうだ。ニコルは新しいEXの振付もおこなった。

フリーの振付は、浅田の前コーチ、タチアナ・タラソワが手がけた。

ショートは楽しい音楽、フリーは美しいクラシック音楽です」浅田はそう言って、どちらの曲名についても今は明言を避けた。

昨シーズンはトリプルアクセルを成功させることはあまりできなかったが、今年は入れていきたいと思っているという。

この夏、浅田は日本でアイスショーに出演しつつ、そのほかに時間をとって夏休みに出かけたという。「日本の森林リゾートに出かけました。楽しかったですよ、温泉につかったり、おいしいものを食べたり、静かな森を散歩したり、野菜を植えたり、乗馬をしたりして」

ここ最近は、過去の成績に満たない結果に終わることもあったが、今でもスケートが大好きだし、可能な限り力を伸ばしたいという意欲は変わらない、と浅田は言う。「自分がどこまでやれるか、試してみたいんです。自分のスケートを、技術面でも芸術面でも、もっと高いレベルに引き上げたいと思っています

彼女の2009-10シーズンのフリー「鐘」は、あまり好きではないという人も多いプログラムだが、浅田は自分のこれまでのプログラムの中で一番気に入っているという。「その時自分にできる最高の演技ができたので、一番好きですね」

2010年バンクーバー五輪では望みどおりの結果にはならなかったものの、彼女にとっては今でも思い出深い時間だという。「バンクーバーの街も、オリンピックという経験も、すごく大切な楽しい思い出です」

彼女の今の目標ははっきりしている。2014年ソチ五輪で金メダルをとること。それ以降のことは何も考えていないという。「そこで現役生活が終わるのかどうか、今はわかりません。ソチでの結果によるのかな」

2011年には、自身の高級着物ブランド「MaoMao」を立ち上げ、大成功を収めているという。「着物は大好きです、日本女性が昔から着てきたものですから。とてもきれいだし豪華ですし。着物の柄は、私が好きな古典とモダンをミックスしたもの。雪の結晶の柄もあれば、子供用では私のシルエットをロゴにした、とても独特な柄もあります」

浅田は今21歳。初めて出場したノービスの大会で優勝を飾ってから、ちょうど10年になる。そこから今日までの道のりは神さまの導き(revelation)だった、と彼女は言う。「ひとつの言葉や文章では言い表せない、たくさんのことがありました。いい時もつらい時も経験したけれど、スケートから多くのことを学んできました」

「チャンピオンを夢見てこれから出てくるスケーターたちへ、私からのアドバイス。それは、毎日一生懸命練習しているのは、自分がスケートが大好きだからなんだということを決して忘れないで、ということです」

行ったことのない場所に行くことが大好きだと浅田は言う。日本以外で一番のお気に入りはイタリアだそうだ。「ジェラートとかピザとかティラミスを食べるのが大好き。生まれて初めてモツァレラチーズを食べたのもイタリアでした」

「でも、休暇をとるならハワイが大好きですね。小さい頃は何度も行ったし、バンクーバーの後にも行きました。ハワイはいつもワクワクさせてくれるし、いろんなことができる。決して退屈しない場所です」

**********************************************

 ううう、真央さんの演技と私生活はなるべく切り離して考えたいと思っている私ですが、この10年を振り返った言葉と、若いスケーターへのアドバイスの部分では、思わず爆泣きしてしまいました。(でも、そのあとすぐ食べ物の話に突入してしまうところがやっぱり真央ちゃん❤)
彼女は子供の頃からスターになってしまったせいか、心情を表に出すことはめったにないですが、だからこそよけいに、短い言葉の中にたくさんの記憶やら気持ちやらがぎゅーっとつまっている気がします…って、私などがあまり多くを語っても意味ないですね。このへんにしときます。

ちなみに、revelationは「天啓、天の導き」という意味で、「気づき」といったニュアンスでも使う言葉ですが、実際に真央さんはどんな日本語を使ったのでしょう。すごく気になるところです。

JUGEMテーマ:フィギュアスケート 
カテゴリ:浅田真央 | 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
羽生結弦 昇りゆく日本のホープ
ふだんは有料購読のフィギュア雑誌「International Figure Skating」ですが、2012年10月号でなんと羽生くんの記事が無料で公開されました!
(きっとこれを機に購読してくださいということでしょうね。英語での購読手続きってなかなか面倒ですけど、みなさんがんばって購読してみましょーね!私もがんばります…汗)
これがまた、新コーチ、ブライアン・オーサーへのインタビューもたっぷりでものすごく充実している上に、写真もすばらしくて…❤ もうきっと読まれた方も多いと思いますが、このブログにも載せたい!という一心で訳してしまいましたっ❤ かなり長いですけど、どうぞ〜。


 
「羽生結弦 昇りゆく日本のホープ」
原題:Yuzuru Hanyu JAPAN'S RISING SON
*rising sun(日の出の太陽)とson(若者)をかけたタイトルですね。
 
――小さな子供だった頃、羽生結弦はフィギュアスケートのスターになることを夢見ていた。家庭のテレビで、同じ日本の選手たちが世界の観客の前で演技しているのを見ながら、自分もトップクラスの仲間入りがしたいと思っていた。日本代表チームの一員になること、メダルをとること――当時はすべて夢物語としか思えなかった。だが、かつては単なる夢でしかなかったことが、今現実となっている。


 羽生結弦がジュニアの大会にデビューした2008-9シーズン、彼はスケートのレーダーにかろうじて引っかかる小さな点にすぎなかった。彼が誰かさえほとんど知られていなかった。日本のジュニアタイトルは取ったものの、世界ジュニアでは12位どまりだった。
 だが、次のシーズンには、出場した大会すべてで金メダル。ジュニア・グランプリ・ファイナル、そして2010年世界ジュニアで優勝すると、この力に満ちた若者は一気に注目を集めるようになった。日本にまた新たな天才が現れたのだ。
 
躍進

 翌シーズン、シニアデビューした羽生は、初出場の四大陸選手権で銀メダルを獲得。そのシーズン表彰台にのぼった唯一の国際大会だった。

 翌年の昨シーズンは、ネーベルホルン杯優勝でスタートした。2位のチェコのスター、ミハル・ブレジナに15点以上の大差をつけ、圧勝の金メダルだった。
 だが、グランプリシリーズ初戦の中国杯ではそううまくはいかなかった。「ミスをしてしまったせいで4位でした。いいシーズンのスタートではなかったですね」と彼は言う。
 そこから立ち直り、2戦目のロシア大会では金メダルを獲得。だが、自分の演技には失望していたという。「ロシア大会では勝てましたけど、1位になってもうれしくなかったですね。ショートとフリーの両方で4Tの着氷に失敗してしまったから。自分の演技にはあんまり満足できなかったな」
 グランプリファイナルに進出し、そこでは4位という結果となる。「あの大会ではショートでは4回転が決まったけれど、フリーでは失敗してしまった。[←これ、逆ですね。ショートで失敗、フリーで成功でしたよね] それでも自分が上達したと感じられたし、自分のスケーティングが成長していることを示せたので、自分ではうれしかったです」
 だが、全日本選手権での演技は望んでいたものではなかった。「だめでしたね。グランプリファイナルと同じミスをしてしまいました。自分は変わったんだ、成長したんだということをみんなに見てもらいたかったけれど、ミスをしてしまったせいで、それができなかった」

 この年は四大陸選手権には派遣されなかった。日本の連盟が、世界選手権まで彼を休ませ、準備期間をとれるよう考えたためだ。この時期、羽生は思いがけないものから刺激を受けることになる。
「2011年の大震災のあと、世界中のファンから手紙をいただいていたんですが、スケジュールが忙しかったのであまり読めていなかったんです。全日本から世界選手権までの2か月の間に、ようやく落ち着いて全部読むことができました。これが、ぼくの考え方をまったく根底から変えてしまった。手紙を読んで、自分はファンから支えられているんだなあと、すごく気づいたんです。スケーティングを改善しなくちゃならない、今よりステップアップして、もっと安定して勝てるようにならなきゃって。あの手紙は僕にとってすごく大きなモチベーションになりましたね」

 そのとおり、彼はステップアップする。世界選手権ではショートで7位だったものの、フリーの演技は会場を熱狂させ、観客を立ち上がらせた。男子フリーで沸き起こった2回のスタンディングオベーションのうちの1回だった。
「自分がメダルを取れるとは思ってなかったので、すごく驚きました。ブライアン・ジュベールがノーミスだったから、僕より上に行くと思ったんです。でも結果が出てみると自分が3位、もうびっくりでしたよ。自分で満足できる演技ができたし、僕にとってはこのことのほうが重要でした。世界選手権でメダルを取ったなんて、ずいぶん長いこと実感がわかなかったな」
 ショートの前日の練習中、4回転ジャンプを跳ぼうとして足首を怪我していたことを考えると、この結果はさらに驚きだ。「足首で下りちゃって、捻挫しちゃったんです」と彼は言う。
 なんとしてもエキシビションで滑りたかった。「世界選手権までにショーにたくさん出て、EXを何度も滑っていました。世界選手権に出るとき、僕の目標は上位5位に入ってエキシビションに出ることだったんです。結果的には出られましたね」と彼は笑った。
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