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たらのフィギュアスケート日記大好きなフィギュアスケートについて語っています。
男子シングルに偏る傾向あり。 たまに海外記事も翻訳してご紹介します。 |
アメリカの元フィギュア選手、ジェニファー・カークのブログより、5月29日付の記事「An Unrealized Dream」の後編です。(前篇は→こちら)
from The Skating Lesson: sports teach us more than winning and losing
Posted on May 29, 2012 An Unrealized Dream
「果たせなかった夢」(後編)
不幸なことに、そんな罪悪感がよけい摂食障害を悪化させることになった。1日3時間の氷上練習に加えて、ジムで2時間トレーニング、しかもほとんど何も食べていなかった。これほどカロリーを摂取しないでいると、張りつめていたゴムひもはパチンと切れて、自己管理なんてものはどこかへ飛んでいってしまう。私の体は燃料を必要としていた。このことが、激しい大食い、嘔吐、そしてさらなる飢え、というサイクルを引き起こしていた。
大食いしているとき、食べ物を胃袋いっぱいにつめこんでいるときには、私は幸せだった。満たされ、愛されていると感じていた。食べ物は胃だけでなく心まで満たしてくれたのだ。私にとって愛とは、常に条件次第のはかないもの、何か成果をあげなければもらえないものだった。子供のころ、私が上手にスケートできたり大会で優勝したりすると、母はお菓子やプレゼントをくれて、ものすごくやさしく接してくれた。けれども、転んだり表彰台に乗れなかったときには、きつくしかられ、口をきいてくれなくなった。17歳で母を亡くしたあとも、私はミスをすることを恐れた。ミスをすれば愛が取り上げられてしまうと思い込んでいたからだ。一方、食べ物は母とちがって、私が勝とうが負けようが気にすることはない。ミルキーウェイが舌の上でとろけ、オレオが歯と歯の間でさくっとくだけるときのあの幸福感は、いつも変わらないものだった。けれども、すべての糖分を摂取しつくし、ごみ箱がお菓子の包み紙でいっぱいになると、私はすぐさまその愛と幸せの感覚を、とりすぎたカロリーとともに排出した。胃の中の食べ物を吐きだし、また空っぽの感覚に戻るのは気持ちがよかった。それは苦痛に似ていた。そして苦痛は、いつも愛をもたらしてくれるものだったのだ。
今ふりかえると、私が自分の体を痛めつけるようになったのは、母のしつけのせいが大きかったことがわかる。大人が子供に、あなたの価値は成績によって決まるのよと言い続ければ――言葉に出して言うかどうかにかかわらず――子供は間違った価値観をもつようになる。こうしたしつけを受けた子供は、いい成果をあげなくては、自分には愛ややさしさを受ける価値がないのだと思いこんでしまうのだ。しかも、何か失敗すれば、それは親の失敗になってしまうから、子供は自分が負けたくやしさとともに、親をがっかりさせてしまったという、もっとやっかいな苦痛に対処しなくてはならない。こうして子供は、自分の価値やもらえる愛は、成績によって決まるんだと信じ込むようになる。特にフィギュアスケートというのは、選手にはコントロールできないところで成績が決まってしまうスポーツなので、選手はスケート以外で何かコントロールできるものを探し求めるようになるのだ。私自身も、自分の幸せなんかよりもスケートとその成績のほうが大事だと思い込んでいた。だから、誰かに打ち明けたり助けを求めたりは絶対にできなかった。私の価値は、メダルをとれるかどうか、周囲の人を満足させられるかどうかにかかっていると信じ切っていたのだ。
引退を決める2、3か月前、父とコーチたちが私の摂食障害に気づいた。だがかれらは、私にケアや治療を受けさせようとはまったくしなかった。このことで、私はますます確信した。フィギュアスケートは私の人生のそのほかのことよりずっとずっと重要なのだと。かれらがなぜ私を競技から離れさせ、治療を受けさせることをしぶったのか、ある程度は理解できる。(トリノ)オリンピックまでもう1年を切っていたし、トップアスリートのレベルになると親もコーチも選手の育成に莫大なお金を費やしているからだ。親は子供のキャリアのために何十万ドルもかけてきたし、競技レベルが上がるにしたがって雇うコーチも変わってくる。それでもなお、やはり親やコーチは、選手の生活がどうなっているのか注意を払うべきだし、選手のキャリアよりもまず健康を考えるべきだと私は思う。同時に、選手が悩みを打ち明けられるよう、何でも話せる関係をつくって、常に選手と連絡がとれるようにするべきだ。もしも私と父やコーチたちとの間に、もっとコミュニケーションの手段があったら、私が自分の体にどんな仕打ちをしていたか、どれだけ苦しんでいたか、伝えることができたんじゃないかと思う。
親やコーチだけが選手の健康問題の責任者だとは言いたくない。とくに、私の両親やコーチを責める気はない。だって、これは私がやったことだから。自分の体を傷つけたことはすべて私の責任だ。でも、これだけは言いたい。親も子供も――私たちみんな――知るべきなのだ、その人の行動や成績よりもその人自身が一番大事なのだと。私は引退する1年前から大人としての責任を担いながら暮らしていたが、本当に大人になれたのはスケートをやめたときだった。引退なんて間違っていると数えきれないほど言われたけれど、私は自分自身を信じて治療を受け、自分の健康と未来を守ることにした。スケートをやめるのは怖かったけれど、そのおかげで自分を信頼すること、自分を大切にすることを教わったのだ。
Also from Jason Brown: "As of now... the hair is staying in a ponytail!"
— Sarah and Drewさん (@SarahandDrew) 6月 12, 2012
「ジェイソン・ブラウンからもう一言、『今のところ…髪はポニーテールのまんまだよ!』」