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ジョアニー・ロシェット、ソチへ始動…か!?
まだまだ先と思っていた2014年ソチ・オリンピック。考えてみたらもうとっくに2年をきっているんですね。ということは、選手たちはもう折り返しを過ぎて、いよいよ本格的に準備期間に入るころ…わああ、緊張してきました
そんな矢先、今シーズン終了直後に飛び込んできたのが、5月3日付のこのニュースです。
あのジョアニーが…あのジョアニーが…帰ってくる…かも!

元記事はこちら→Winnipeg Free Press: Rochette pondering return to Olys


「ロシェット、五輪への復帰を検討中」
――カナダのヒーロー、引退を先延ばししてソチ出場か


ジョアニー・ロシェットは今、人生の岐路に立ち、どちらの道に進もうか迷っている。一方の道はオリンピックへの復帰――この場合、2014年のソチ五輪――に、もう一方の道はそうではない人生につながっている。

「もう一度カナダの五輪代表になれたらいいですね。それはもちろん」
2006年のトリノ五輪で5位、2010年のバンクーバー五輪では銅メダリストとなった26歳のロシェットは、そう語った。

もう一度あそこへ戻って、前回より明るい気持ちで、ハッピーなオリンピックを経験できたらと思っています。そうは言っても、オリンピックに出るのは大変な労力なので、今までほどショーに出演したり旅行したりはできなくなりますね。ショーに出るのは大好きなんですが」

バンクーバー五輪では、試合にのぞむわずか2日前に、母親のテレスさんが心臓発作で亡くなった。ロシェットは悲しみに暮れながらも出場し、ショートとフリーでガッツあふれる感動的なプログラムをすべりきり、世界中のファンの心をつかんだ。

「もうずいぶん昔のような気がしますね」
6度のカナダ女王のタイトルをもつロシェットは、今年で7回目となるスターズ・オン・アイスのカナダツアーに参加する予定だ。そのツアーの直前、彼女はフリー・プレスとの電話インタビューでそう言った。

ロシェットは、バンクーバーの閉会式でカナダの旗手をつとめたのち、故郷のケベック州に戻ってひっそりと母の死を悼んだ。その年の世界選手権の出場は辞退した(前年の世界選手権では銀メダルを取っている)が、その後まもなく、アイスショーに出場したり、公の場に出て講演したりといった活動を開始した。
オタワ大学心臓学研究所のスポークスパーソンとして、トレーニングのDVDを出したり、同研究所の「iheartmom」キャンペーンの資金を集めるため、カナダのジュエリーメーカーBirksとのコラボでハート型のペンダントをデザインしたり。スターズ・オン・アイスの公式慈善団体である「ワールド・ビジョン」の主催で、ホンジュラスの漁村を訪れたこともある。彼女がスーツケースを荷ほどきすることはめったになかった。

スターズ・オン・アイスのカナダ・ツアーは3週間あまりにおよぶ予定で、その間12の都市を訪問、5月9日には(カナダ南部の)ウィニペグにも立ち寄る。このツアーにはアイスダンスの五輪と世界選手権の現チャンピオンであるバーチュー&モイヤ組や、ソチでのメダルが期待されるウィーバー&ポジェ組、2008年世界王者のジェフリー・バトル、4度の世界タイトルをもつカート・ブラウニングなども参加する。カートは今年のスターズ・オン・アイスでは「ラブ・アンド・ライフ」をテーマに振付も担当している。

バンクーバー以降、ロシェットは招待試合であるジャパン・オープンに、世界トップの女子選手らとともに二度にわたって出場し、2010年には1位、昨年は2位につけた

「試合に出るのは好きです。でも、もし来季のジャパン・オープンに招待されなくても、この夏は今までより一生懸命トレーニングしたいと思います。ふたたびオリンピックに出場すると決めたときに、準備ができているようにしたいですから」

観光客気分では出場したくありません。最高の状態でのぞみたいです。アスリートにとって、一度メダルを取った後にもう一度オリンピックに戻るのは大変なものです。もっと上を、と思ってしまいますから」

「(どんな決断をするかは)自分が氷の上でどう感じるかによって、わかってくるでしょうね。私はスケートが大好きですし、今でも試合に復帰できるだけの状態ではあると思いますが、それと同時に、人生にはほかの選択肢もあると思うんですよね
彼女は自分自身と議論し続けている。

ロシェットにはすでに、スケート以外の人生計画がある。大学を卒業して、いつか子供をもつという道だ。恋人であるカナダの元アイスダンス選手、ギョーム・グフェレルが、スケートをやめて「ふつうの道」に進んだのを見てきてもいる。

カナダスケート連盟の幹部マイケル・スリプチュクは、スターズ・オン・アイスのツアー中どこかでロシェットと面会し、ISU主催の国際大会への復帰の可能性について話し合う予定だ。彼女が決断をくだす前に、ISUのオリンピック出場要件やカナダ連盟の希望について、十分理解してもらうつもりだという。

「もしジョアニーが2014年の五輪チームの一員になりたいと言えば、われわれは喜んで歓迎します。彼女は偉大な選手ですし、カナダのフィギュアスケートにとってすばらしいお手本であり続けてきました。チームに入ってもらいたいと思うのは当然でしょう?」

「間違いなく彼女はトップ選手のひとりになるでしょう。毎年のジャパン・オープンでそれを証明してきています。彼女の経験と国際試合での戦歴を見ればあきらかです」

ロシェットがISUの試合から遠ざかって以降、彼女の後継者たちはそれに見合うだけの活躍はできていない。やはりスターズ・オン・アイスのツアーに参加予定の2012年カナダ女王アメリー・ラコストと2011年カナダ女王シンシア・ファヌーフは、ともに今季、国際試合でぱっとしなかった。その結果、オリンピックの出場枠が決まる2013年のロンドン世界選手権の枠をひとつに減らしてしまったのだ。

ロシェットなら来年のロンドン世界選手権で10位以内に入り、たやすく2枠を確保できるだろう。だが、今のところ世界選手権は観客として参加するつもり、と彼女は表明している。

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 ずっと引退か、引退か、と言われてきたジョアニーが、ここへきてオリンピック出場を表明…か。
そう、あくまでもまだ「か」ではありますが、どうやらこの夏から本格的な練習を開始するようですね!
これはもうほぼ決まり…か!? ぜひぜひ出場を果たしてほしいです。楽しみ〜!


バンクーバーでのフリー。ミスは少しありましたが、悲劇にめげない力強い演技にスタオベでした。
演技終了後、天に向かって投げキスをする姿が印象的でしたね(;_;)
(しかし、銅のジョアニー、以前から出場を表明している銀の浅田真央さん、ともにソチを目指すとなると、
金の彼女はどうするんでしょっ!? こちらも目が離せません!!!)


JUGEMテーマ:フィギュアスケート 
カテゴリ:北米女子 | 06:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
高橋&トラン インタビュー@goldenskate
最近、海外でも注目度急上昇の成美ちゃん&マービンくん
5月6日付のgoldenskateにふたりの記事があがっていました。4月の国別対抗戦のあとにおこなわれたインタビューのようです。インタビュアーはおなじみのタチアナ・フレイドさん。
元記事はこちら→Takahashi and Tran prepare for next season with new confidence

「高橋・トラン組、新たな自信とともに来シーズンへ」

日本の高橋成美&マービン・トランは4月、2012年世界選手権で銅メダルを獲得し、歴史をつくった。シニアの世界選手権でメダルをとった初の日本ペアになったのだ。
若いふたりはその3週間後、2012年国別対抗戦で日本チームの金メダルにも貢献した。
 
「じつは(世界選手権のメダルは)まだ実感がわかないんです」21歳のトランは語った。「確かにちょっとラッキーだったとは思います。それでも、僕らはメダルを目指して戦った。あそこに立つことができて、それを達成できたことはすごくうれしいです」
世界選手権で銅メダルをとれたことで来シーズンにむけてはずみがつくと思う、そうトランが言うと、20歳の高橋もうなずいた。
メダルを取って、自信が持てるようになりました。以前は練習でも試合でも、ちょっと気おくれしていたんですが、今はもっと自信がつきました。この自信は私たちをさらに成長させてくれると思います
 
世界ジュニアで2度メダルを獲得したふたりは、今回のすばらしい結果がプレッシャーになるとは感じていないという。
「まったく逆です」とトランは言う。「国別の練習をしているとき、僕らは本当に自信を感じていました。今までは有力選手と見なされていても、トップの選手にくらべると何だか場違いな気がしていました。今はしっかりとそこに立って、メダルを目指して戦えると感じています」

それでも、初出場だった2011年の世界選手権では9位。たった2度目の挑戦で表彰台に乗れたことに、ふたりは驚いているという。
「コーチ(リチャード・ゴーティエ)はいつも言ってくれていました、君たちには力があるって」と高橋は言う。「私たちのことを信頼して、いつかメダルを取る、チャンピオンになれるって思ってくれていました。でも私たちでさえ、今その言葉どおりになるとは思ってなかったんです
 
「きっといつか自分たちの時が来るだろうなとは思ってました」トランも言う。「でも、アリオナ(サフチェンコ)とロビン(ゾルコビー)、マキシム(トランコフ)とタチアナ(ヴォロソザル)、そして(チン)パンと(ジャン)トン…彼らはもう長いこと活躍し続けています。僕らの時代の大物たちで、ずっとトップにいる人たちです。ぼくらは彼らの次の世代だと思っていました。でも、今はこの世代の一員なんだと思い始めています
 
高橋&トラン組は、日本のペア競技の新しい1章を開こうとしている。彼ら以前では、ISUの大会で表彰台に乗った日本のペアは、川口悠子&アレクサンドル ・ マルクンツォフ組が、2001年の世界ジュニアで日本初のメダルとなる銀メダルをとっただけだった。
しかし、この日本人とロシア人のペアは、シニアで頭角を現すことはできなかった。ふたりはペアを解消し、川口はアレクサンドル・スミルノフと組んで、ロシア代表として競技する道を選んだのだった。
 
高橋&トラン組の活躍によって、シングルばかりが人気だった日本で少しだけペアも注目されるようになった。世界選手権が終わると、ふたりは日本メディアにひっぱりだこになった。もちろん日本のフィギュアファンも、より関心を持つようになったという。
 
「スローとかリフトのこととか、ペアがどんな競技か知らない人が多かったんです」と高橋は言った。「でも、国別ではたくさんのお客さんがペアを見てくれました。前は“がんばってね”って言われるだけだったのが、“いいトリプルツイストだね”とか“リフトがすごく静かですね”とか、要素や技術的なことを言ってくれるようになった。前よりペアを好きになってくれている気がします」



日本のファンは以前から、フィギュアについてすごく詳しいんですよ」トランも言う。「そこがすばらしいんです。フィギュアで今何が起こっているか、よく知っています。彼らが僕らのフィールドにも注目してくれるようになったのは、すごくわくわくしますね」

トランによると、ジュニア時代、ふたりがジュニアのトップクラスだったにもかからわず、シングルの日本人ジュニア選手たちにばかり注目が集まったことがあったという。
「国別が終わった今、人々の目はペアに向けられつつあるような気がしています。(シングルばかりが注目される)この状況がちょっとでも変わるといいな」

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カテゴリ:ペア | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
シブタニズのクリントン晩餐会体験記@icenetwork
もうだいぶ前になってしまいましたが、5月1日、アイスダンスのシブタニ兄妹が、ヒラリー・クリントン国務大臣主催の晩餐会に出席!というできごとがありました。
アメリカ初訪問となる日本の野田首相を歓迎してのもので、会場はワシントンDC市内のナショナル・ジオグラフィック協会。ここに、日米にゆかりの深いゲストのひと組として招かれたんですね。
このときの体験記を、アレックスとマイア本人が5月8日付のicenetworkにつづっていました。

元記事はこちら→Shibs rub elbows with dignitaries at D.C. dinner
(このときの写真がこちらにアップされています。→photo gallary

これが、かーなーりー長いんですが、とってもすばらしいんです!
しかし…特にアレックスの絶妙なユーモアと言いますか、微妙なニュアンスが、私の未熟な訳ではなかなか伝わらないかもしれませんが、どうかお許しくださいっ(違いをわかりやすくするために、アレックスは「である調」、マイアは「ですます調」にしています。)では、どぞ〜!

 
「シブタニズ、ワシントンDCの晩餐会で要人と同席」

「スタートレック」などに出演した日系人俳優ジョージ・タケイ氏と。これがマイアとアダム・リッポンが選んだというネクタイなんですね、アレックス。

5月1日、マイア・シブタニとアレックス・シブタニは、国務長官ヒラリー・クリントンの招きで、日本の野田佳彦首相の初の米国公式訪問を記念して行われたワシントンDCでの晩餐会に出席した。

【招待】

アレックス:もしふつうの状況であったとしても、4月25日水曜日はかなりすばらしい日になるはずだった。僕は家族とディナーをとるため、ミシガン州アナーバーの中心街に向かっていた。僕の21回目の誕生日を祝うことになっていたからだ。誕生会のハイライトは、飲酒年齢に達した初のビールを、祖母と分け合って飲む場面になるはずだった。

レストランに着くと、マイアがにっこりして言った。「メールをチェックしてみてよ!」メッセージを見始めたとたん、僕は目を見開いた。国務長官ヒラリー・クリントンが、日本の野田首相を国賓とする晩餐会に僕らを招待するというのだ。その後の約5秒間、僕らの発する言葉は"Wow!"という一語だけだった

スケートは僕らに、世界中を旅するわくわくするような機会をたくさん与えてくれる。今まで、ダンスや音楽、ほかのスポーツやメディアといった、スケートと縁のある世界のすばらしい人々と、出会ったり一緒に仕事をしたりすることができた。それが今度は、外交官や実業界のリーダー、幅広い分野の学者たちと触れ合うという、自分たちの経験領域をまったく新しい方向へ広げられるチャンスをもらったのだ。これは信じられないほどエキサイティングなことだった。祖母がビールを半分こして乾杯してくれているとき、僕は思っていた。これは史上もっともクールなバースデーサプライズに違いないと!

【準備】

アレックス:僕らは即座に招待を受け入れた。電話で手短に打ち合わせしたあと、旅程が作られた。招待状によると、ドレスコードは「ビジネス・アタイヤ」(注:スーツ、ジャケットなどの上着にネクタイ、女性はスーツやワンピースなどのきちんとした服装のことらしいです)。マイヤに手伝ってもらい、ふさわしいネクタイを探して自分のクローゼットを見てみたが、どれも今回の場合には適当ではないような気がした。
晩餐会の前の週末、僕らはアダム・リッポンと一緒に、デンバーで開催されるShowtime on Iceにゲストスケーターとして出演することになっていた。そこで、マイヤがアダムに協力を求め、ショーの合間に3人で近くのショッピングモールに出かけることにした。たどりついたのはデパート「ノードストロム」の紳士服売り場。そこで僕は、自分のネクタイ選びの知識のなさを堂々とひけらかしてしまうことになった。これこそぴったりと思うタイを手にとるたびに、マイアとアダムは大きなため息をついて首をふるだけだった。とうとう僕はあきらめてしまい、マイアとアダムが1本のタイを選んでくれた。

マイア:日曜の夜、デンバーでの最後のショーが終わると、アレックスと私は飛行機でミシガンに戻り、午前2時近くにようやく家に帰りつきました。デンバーでのアダムとの共演はとても楽しいものでした。(私たちのツイートを見てね!)2、3時間後には起きて、また空港に逆戻りすることになることを知りつつ、とりあえず就寝。肉体的には疲れ切っていたけれど、晩餐会がとても楽しみだったから、私たちは前に進むことができました。

ワシントンDCにはアレックスも私も今まで何度も行ったことがあります。うちのアルバムのあちこちには、私たちが幼いころ、リンカーン・メモリアル近くの川辺でピクニックをしている写真がたくさんあります。お気に入りの季節はいつも春先、桜の花が満開になるころでした。

ワシントンDCの空港に降り立ったあとは、そんなに時間はありませんでした。思い出のリンカーン・メモリアルにちょっと足をのばしてから、デュポン広場近くの大好きなレストランPizzeria Paradisoで簡単なランチ。ホテルにチェックイン後、午後の時間をたっぷり使って、晩餐会での会話で話題になりそうな記事を全部読みこんでいきました。アメリカ外交とアジア太平洋地域に関する見出しをグーグルで検索しながら、まさにその日に起こっている出来事が次々とトップニュースになる様子に、私たちはびっくりしていました。

【到着、レセプション】

マイア:招待状によると、会場に6時に到着するようにとのこと。私たちが着いたのはその10分前でしたが、入口にはもうかなりの人が集まっていました。運転手さんが車をおりて、私の側のドアを開けてくれました。足を踏み出したのは、まさにレッドカーペットの上。私はわくわくしながらも緊張していました。アレックスの腕につかまって建物に入っていきながら、そばに彼がいてくれることを心強く感じていました
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カテゴリ:アイスダンス | 10:34 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
鈴木明子ロングインタビュー(FSAJ会見)@Japan Times 【追記あり】
最近ずっと海外記事に頼ってばかりの当ブログですが…たまには自分で書かなきゃ、とは思うものの、すばらしい海外記事が多すぎて… はい、言い訳です。

とか言っていたら、またまたすごくいい記事がアップされてしまいました。Japan Timesなので正確には海外記事ではありませんが、これほど情報量の多い記事って、雑誌や本ならともかく日本語のサイトではあまりお目にかかれませんからねえ。ありがたいことです。今回もとーっても長いのですが、最後まで読む価値十分ですよ!!!

もと記事はこちら→Suzuki aiming higher following best season of career
By JACK GALLAGHER Wednesday, May 16, 2012

「鈴木、最高のシーズンを終えてさらなる高みを目指す」


その長いキャリアで最高のシーズンを終えた、世界選手権銅メダリスト、鈴木明子。ふつうなら、もう満足して現役を引退し、プロに転向するかと思われるところだろう。
転向には何の障害もないだろうし、収入もはるかによくなるはずだ。
だが鈴木は、4月に東京で開催された国別対抗戦で日本の勝利に貢献してから間もなく、少なくともあと1年はグランプリシリーズに参戦したいという意思を表明した

「今季はいい結果を残せたので、もちろんすごくうれしいです」東京の日本外国人スポーツ記者協会(FSAJ)での会見で、鈴木はそう言った。「でも演技の面でいえば、すべての演技に満足しているわけではありません。ですので、自分はもっとよくなると思えるうちは、競技を続けたいと思います。現役を続行すること、それが今の時点での考えです
ただし、2014年ソチ五輪まであと21か月となったが、二度目の冬季五輪に挑戦するかどうかはまだ決めていないという
「ソチ・オリンピックについてはまだわかりません。でも、練習を続けて、もっと成長して、ファンのみなさんに私のスケートを見てもらいたいです」
2010年のバンクーバー五輪では8位入賞。同じ日本の浅田真央(2位)や安藤美姫(5位)の後塵を拝した。

ほとんどのトップ選手と同じく、鈴木もごく幼い頃にスケートを始めた。支えてくれたのは豊橋市で2軒のレストランを経営する両親だった。
「最初にスケート靴をはいたのは4歳のときです。その後、6歳からスケートを始めました」
「オリンピックのことを最初に考え始めたのは16歳か17歳、世界ジュニアに出場したころでした。でも健康上の問題(摂食障害)があって、1年間リンクから離れざるをえませんでした」
復帰したときにはバンクバー・オリンピックに出られるとは夢にも思いませんでした。でも、たしかオリンピックの1年前ごろになって、もしかしたら出られるかもと思い始めたんです」

今季の2011-12シーズンは鈴木の当たり年だった。国別の女子シングルとNHK杯で優勝、グランプリファイナルと全日本選手権、GPカナダ大会ではいずれも2位だった。
ほとんどの選手がすでに引退している27歳という年齢を考えれば、すばらしい成績だ。さらに特筆すべきは、自分よりはるかに若い選手たちを倒して好成績をおさめたことだ。

この日、鈴木は多くの話題について語ったが、世界選手権の代表入りを逃すなど、苦しんだ2010-11シーズンを乗り越えて、今季こうした結果を残せたことを、特に誇りに思っているようだ。
「とてもいいシーズンでした。すべてがうまくいきました。若い選手たちはみんな高い技術を持っているので、ついていくのは大変でした。27歳になってもがんばれるのは、競技できなかった1年があったからだと思います。またリンクの上に戻ってきたかった。それがモチベーションのひとつでした
「今でもまだ自分の限界には達していないと感じています。今の自分よりもっとうまくなれるとまだ思っています。それが現役を続けたいもうひとつの理由ですね」

2003-04シーズンを棒にふることになった摂食障害について、彼女が積極的に語ろうとする姿勢はりっぱなものだ。ことに日本は、そうした個人的な問題を公にしにくい国だ。
「自分でおかしいなと気づいたのは、問題が現れ始めてから約1か月たったころでした。体重が5キロも減っていて、これはまずいって気がついたんです。そのころは自分ではどうすることもできなくて、ちゃんと食べることができなかった。それが当時の状況でした」

鈴木は身長158センチ。自分の経験が、同じ問題で苦しんできた、あるいは現在苦しんでいる人々の励みになると信じている。
「一生懸命練習して努力している姿を見てもらったら、私のやっていることが励みになると思うんです。それはすごく素敵なことだと思います。(摂食障害で)苦しんでいる方に、自分がやっていることをあきらめなくてもいいんだということを知っていただきたい。闘病中の方々の力になること、それが私がスケートする理由でもあるんです
「私が健康問題を抱えていたのは、もうだいぶ前のことです。当時はいつも、私の演技よりそのことばかりがメディアに取り上げられていました。健康問題を知ってほしいとは思っていたけれど、同時に私の演技も見てほしかったんです
「でも、試合になれば、私が病気だったことなんて関係ありません。だから、人々が私の健康問題で大騒ぎすることが、当時はとてもいやでした。でも、今は私のスケートを見てもらえるようになりました。まず演技を見て、そして過去の問題を知っていただけるようになった。だから今は、そのことにはずいぶん抵抗がなくなりました」
他の国々では、著名人が過去に自分が苦しんだ問題について広報活動をすることが多い。鈴木も、摂食障害の問題についてもっと取りあげてもらえないかと頼まれたことがあったという
「私はアマチュア選手なので、この問題について公の場で発言していくようなことは、今は難しいだろうと思います。もちろん、現役を引退したらそうした活動にかかわっていきたいですね」
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カテゴリ:鈴木明子 | 10:28 | comments(7) | trackbacks(1) | - | - |
2012-13GPSアサイン出た!極私的感想など…
来季のグランプリシリーズのアサインが出ましたね!

いつもお世話になっているこちらのサイトでは、さっそくすばらしいリストを作ってくださってます。

カテゴリー別 → 男子 女子 ペア アイスダンス
大会別 → スケートアメリカ スケートカナダ 中国杯 ロシア杯 TEB NHK杯

*このサイト、どなたが作っていらっしゃるのか知りませんが、もうすばらしいのひと言です!!
選手の名前をクリックすると、各選手のパーソナルベストや戦歴が一覧になっていて、さらにISUのバイオや過去の得点、出場大会などへのリンクが…。驚異的としか言いようがありません。
毎日本当にお世話になっています。この場をお借りしてお礼申し上げまする m(__)m


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さて、シングルに偏っている当ブログゆえ、男女のシングルのみ、超個人的な感想と一緒にまとめてみましたよっ。
(敬称略です。青字=日本。表記にはあまり一貫性はありません…)

◆スケートアメリカ

男子:ブレジナ、ベルネル、羽生小塚町田、メンショフ、マジョロフ、アボット、ラザーノ、TBA(アメリカ)
女子:メイテ、ヘッケン、マルケイ、今井、レオノワ、ソトニコワ、Vヘルゲソン、フラット、ガオ、ワグナー、

 男子はいきなりハイレベル!昨年のスケアメを制したブレジナと、ベルネル、羽生、小塚、アボットのし烈なメダル争いになるんじゃないでしょうか。中でも今季苦しんだ小塚くんが、来季のリベンジののろしをここで上げることができるかどうか…いや、ぜひとも上げてほしい!上げてくれ〜!!!(号泣)
TBA(未定)が、今回ひとつもアサインをもらえなかった(涙)アーミンくんになるか、はたまた復帰の噂が絶えないライサチェクなのかも興味しんしん。ていうか、ライサが入ったら、し烈度がさらにアップするのでは…((((;゜Д゜)))

◆スケートカナダ

男子:チャン、フィラス、TBA(カナダ)、アモディオ、無良織田、Dテン、ガチンスキー、フェルナンデス、マイナー
女子:ラコスト、オズモンド、TBA(カナダ)、ゲデバニシビリ、村上鈴木、マカロワ、タクタミシェワ、ゴールド、ザン

 今季ひとつもアサインがなかった無良くん(涙)が、来季はカナダとフランスに登場するんですね。よかったぁ!!!(号泣…泣いてばかりですね、ワタシ)日本男子で崖っぷち度が最も高い(これも涙)織田くんは、もう「てめーら皆殺しじゃ!」ぐらいの勢いでいってほしい。ぜひぜひPチャンと互角の戦いをしてほしいです。きっとできる!
そして…ここで初登場なんですね、アメリカの超新星グレイシーちゃん。ひとつ年下のタクタミちゃんとのバリバリの美少女対決が見もの…てか、ふたりの金メダル争いになる可能性さえなきにしもあらず?いやいやいやいや、やっぱりあっこちゃんでしょ〜。

◆中国杯

男子:レイノルズ、グアン、ナンソン、TBA(中国)、ジュベール、コンテスティ、町田高橋、ドミトリエフ、リッポン
女子:耿氷娃、張可欣、TBA(中国)、シレテ、安藤浅田、コストナー、リプニツカヤ、Jヘルゲソン、ナガス

 きました、ここで大ちゃんです。メンバーを見ると、今の好調を維持していれば金メダルはかたい?町田くんにもメダルの可能性が十分あると思うので、がんばってほしいです。
TBAに、今季の世界ジュニアを制したハン・ヤンくんが入る可能性はないのかな?彼は来季もジュニアなんですかね?ジュニアでは実力が図抜けているので、なんだかもったいないですね。
そして…うっわ、復帰のミキティがいきなり真央ちゃん、コストナーと対決!そこへ、ジュニア無双のリプニツカヤがシニアに切り込んでくる!! 唯一のアサインである未来ちゃんも!!! ちょっと女子、すごいことになりそうじゃないですか…((((;゜Д゜)))

◆ロシア杯

男子:チャン、ブレジナ、小塚織田、Dテン、ブッシュ、ガチンスキー、TBA(ロシア)、ドーンブッシュ、ウィアー
女子:コルピ、村上、マルケイ、レオノワ、ソトニコワ、TBA(ロシア)、Vヘルゲソン、ゴールド、ザワツキー、ザン

 なんといっても…男子すげー!!! 日本男子崖っぷちコンビ(ごめんなさい!!応援してるんです!!!勝ってほしいんです!!!!泣)の小塚くん、織田くんに、ロシアの崖っぷち野郎ガチくん。Pチャン、ブレジナに、TBAはおそらく、帝王プルシェンコ来る!!?? さらに…ジョニー・ウィアーだとっ!!?? たぶんジョニーは一番滑走ですよね。もーのっけからリンクを溶かす暑苦しく濃い戦いになりそうですよ、これは(汗)
村上かなちゃんは2戦ともグレイシーちゃんと一緒なんですね。ロシア女子、アメリカ女子ともに強力そうですね〜。

◆TEB

男子:ヘンドリクス、ナンソン、ベルネル、アモディオ、ジュベール、TBA(フランス)、コンテスティ、無良、アボット、ウィアー
女子:張可欣、マロコ、シレテ、TBA(フランス)、コストナー、安藤、コロベイニコワ、リプニツカヤ、タクタミシェワ、ワグナー

 中国杯に続いて、ここでもまた、「コストナー、安藤、リプニツカヤ」。プラス、タクタミちゃんとアシュリーかあ。ここもすごい女の争いになりそうですね。
男子はとりあえず「無良くん、がんば!」です、個人的に(笑)

◆NHK杯

男子:レイノルズ、ロゴジン、羽生村上高橋、ボロノフ、フェルナンデス、ドーンブッシュ、マイナー、リッポン
女子:ジジュンリー、ゲデバニシビリ、浅田今井鈴木、ビリュコワ、マカロワ、シェレペン、シズニー、ザワツキー

 きましたきました、ワールド2位3位、ゆづと大ちゃんのガチンコ対決!もうこのふたりが金銀だと勝手に思ってしまってますが、成長著しいハビくんも要注意ですね。そして、いつもいつのまにか表彰台に立っているマイナーくんも?(笑)
女子も真央ちゃんとあっこちゃんの一騎打ちになるんでしょうか。ワールドで涙の惨敗に終わったアリッサ(号泣)にもがんばってほしいです。この記事によると、アリッサはワールドの2週間後に左のお尻の怪我が判明して、近々手術をするそうで、できるだけ遅い大会のアサインを希望していたところ、N杯ひとつしかもらえなかったとか。未来ちゃんも中国杯だけだし、アメリカのスケ連ってずいぶん残酷ですね〜((((;゜Д゜)))

***********************************************
…そういうわけで、個人的に一番の見どころは、中国杯の女子と、ロシア杯の男子です。
事情があって現地観戦はできそうもないけれど(号泣)、アサイン見てると夢と希望(…と緊張と恐怖 ;゜Д゜)がふくらみますぅ〜。
いやあ、フィギュアって本当にいいもんですね!さよなら、さよなら…(古…)

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:2012-13シーズン | 05:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
高橋大輔@AOI上海2012

中国・上海でおこなわれていたアート・オン・アイス上海2012で、大輔さんが新しいEXを披露しました!なんとピアソラ「ブエノスアイレスの四季」の新バージョン!
…なんてことは、もうファンのみなさんはとっくにチェック済みかと思いますが、会場のファンの方が高画質の動画を撮影&アップしてくださったので。

新EXピアソラ
 *youtube版のリンクは→こちら (toudou.comの動画は時々不安定になるようなので貼っておきますね)


これは…すごい世界ですねえ。振付は宮本賢二さんらしいですが、パートナーを抱くような冒頭の振りから一気に濃密なタンゴの世界へ。最初のジャンプの入りが、もうあっけにとられるほど短い! 途中のステップはちょと無良くんの今季のフリーを彷彿とさせるでしょうか。なんといっても見せ場は中盤、リンク中央で動きを止め、自分を抱きしめるように揺れてから、ゆっくりと氷上に横たわる…こんな演技を(しゃあしゃあと)やってしまうとは、まったくねえ…。

上海では「ロクサーヌ」も滑ったようですね。(上海のお客さん、幸せ者だぞ!)
 *youtube版のリンクは→こちら


この新ロクサ、「スターズ・オン・アイス」で初お披露目だったころは、もっとさらりとした上品な感じでしたが、昔の濃厚ロクサにちょっと戻ったでしょうか。しかも滑りは上質、ジャンプは完璧なのだから、ピアソラでは若干おとなしめだったお客さんも、これはキャーキャー言わざるをえませんわまったくもう。

ところで、このAOI上海では確か撮影は禁止だったはずなんですが…イケない熱心なファンの方々のおかげで、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」には、次から次へと動画や写真があがっています。中国ファンの方々、ほんとありがとうございます〜。

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カテゴリ:高橋大輔 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ジェニファー・カークのブログより「果たせなかった夢」(前篇)
ジェニファー・カークというアメリカの元フィギュア選手がいます。2000年に世界ジュニアを制し、2004年の全米選手権ではあのミシェル・クワン、サーシャ・コーエンについで3位に輝きましたが、翌2005年に突然引退。数年後、引退の理由のひとつが摂食障害だったことをあきらかにしました。

そんな彼女が、この4月から「The Skating Lesson」というブログを開設して、フィギュアスケーターだったころの体験をつづっています。
まだわずかな記事しかありませんが、最新記事が5月29日付でアップされました。これがとても凄惨かつ率直な内容で…じつは私、彼女のことはよく知らなかったのですが、フィギュア選手というのがどれほど過酷なのか、涙なしには読めない記事でした。
とても長いので、前篇と後編にわけて訳してみました。まずは前篇からどうぞー。



from The Skating Lesson: sports teach us more than winning and losing
Posted on May 29, 2012 An Unrealized Dream


「果たせなかった夢」(前篇)

2005年8月16日。2006年の(トリノ)オリンピックのアメリカ代表チームが発表される151日前のこと、私は便器に頭をつっこんでいた。過食症の症状があらわれたのだ。またもや。

私の過食症はみっともないものだった。のどの奥に指をぐいっと差し込んで、便器にむかって「ゲーッ」と叫ぶ。吐しゃ物が顔にはねかかって、乱雑に結んだポニーテールからほつれた金髪をびしょぬれにした。それは私の暗黒の時間だった。ファンも、ジャッジも――誰一人として――知らない時間。吐き終わると、私はバスルームの床に倒れこんで泣いた。涙は断続的にやってきて、私の恥を洗い流し、オリンピックに選ばれないかもしれないという恐怖をやわらげてくれた。床の上で丸くなっていると、やがて自分のすべての感情――食べ物についてとか――が消えて、涙も乾いてゆく。その後、念入りにトイレを掃除するのが常だった。私のもっともプライベートな夜ごとの儀式の痕跡が、すべて消えてしまうまで。

けれども、その夜はちがっていた。

床から立ち上がると、もうすっかり日が沈んで、バスルームはほとんど真っ暗になっていた。私はバスルームの鏡の前のカウンターにすわると、鏡に映る自分の姿にゆっくりと目をこらした。あごのあたりが奇妙にむくみ、目は充血してはれぼったく、肌には皮脂が毛穴に入り込んでできたニキビがいっぱい。鼻から鼻汁がしたたっているのに気づいて、あわてて右手の甲でぬぐった。みじめな姿だった。まるで麻薬中毒者のよう、おびえた小さな女の子のようだった。それは助けを必要としている人間の姿だった。


オリンピックに出たいという子供のころの夢は、もうすぐ手の届くところにきていた。だが、私は毎晩、気がつくと鏡を見つめて、どうすれば自分を傷つけることをやめられるんだろうと考えていた。オリンピックの3枠をめぐって激しい戦いになるのは予想できたが――1位はおそらくミシェル・クワン、2位はサーシャ・コーエン――3番目の枠は空いていて、私は自分がそれを勝ち取れると信じていた。絶対に手に入れたかった。そのために猛練習を積んできた。ところが、自分の心と体のコントロールがまったくきかなくなっていた。どうしても過食をやめることができない。1日3食、きちんと食べ物をかみ、飲み込み、消化することができなかった。そして、最悪なことに、なぜそうなってしまったのか全然わからなかったのだ。

私の夢が私を壊したのか、それとも私が自分の夢を壊したのか――それは絶対に解けないなぞなぞだった。どちらであっても、こんな人生はありえなかった。どんなに否定してみようとしても、この病が自分にどんな結果をもたらしたのか認めざるをえなかった。歯は腐食し、髪の毛はぬけ、体中が栄養と休養とケアを求めていた。この自虐のサイクルから抜け出す唯一の方法は、すべての時間を費やしてこれを治そうとすることだと、私は悟った。そして不幸にも、この病の回復は、つまりスケートをやめること、オリンピックと夢をあきらめることを意味するのだと。

私はポニーテールをほどいて、鏡から顔をそむけた。敗北の苦い味が口を満たし、のどにつまった。スケートをやめたら、私はどうなるのだろう? 夢を失ってどうすればいいの? 私に何が起こるの? たくさんの疑問が頭の中を飛びかった。この摂食障害とフィギュアスケートの外にある世界で、いったい何が待ち受けているのか、私にはさっぱりわからなかった。摂食障害は地獄ではあったけど、奇妙な安らぎを与えてくれるものになっていたし、スケートは私のすべてだった。この11年間毎日、オリンピックの開会式で行進し、自分の国を代表して演技して、ひとにぎりの人しか経験できない世界の一員になることを夢見てきた。私の夢は私が生きる理由になっていた。でも、これ以上ひと晩たりともバスルームの床ですごすことはできなかった。もう自分を傷つけ続けることはできなかった。私の胸に恐怖が重くのしかかってきた。今こそ、この惨状から抜け出して助けを呼ぶべきだと、わかったのだ。

この夜以降、私は二度とリンクに戻らなかった。そして数週間後、現役を引退した。それは私の人生でもっとも悲痛な決断だったけど、最上の決断でもあった。こんな決断を、こんなにも急に、ドラマチックに下すことになろうとは夢にも思っていなかった。そもそも何がきっかけで摂食障害になったのか、私にはさっぱりわからない。私は以前からとても細身で、やせろとは誰からも言われたことがなかった。最初はゲームのような感覚だった。ある期間内にどれくらい体重を落とせるかとか、どこまでやせられるのかとか。でも、本気でやっていたわけではなかった。スケート仲間には体重の問題で苦しんでいる人が多く、自分はああはならないぞと誓っていた。ただ食事に気をつけて、毎週ジムでちょっと追加のトレーニングをしているだけ。別にたいしたことでもないし、アスリートとして強くたくましくなれるだけだと思っていた。ちゃんと自己管理できていると思っていたし、実際に摂食障害の初期のころにはそれができていた。時には日数をごまかしたり、カロリー計算をしないこともあったし、主導権をにぎっていたのは自分だったのだから。けれども、食事に注意をはらい、トレーニングを増やし始めておよそ1年たったころ、事態は変わった。私はコーチを変更し、ロサンゼルスに引っ越した。そこから人生が、いわばカオスになった。
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カテゴリ:北米女子 | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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