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ジャパン・タイムズ 安藤美姫 ロングインタビュー

今月3日、ジャパン・タイムズの記者・ジャック・ギャラガーさんが安藤美姫さんにインタビューした記事がアップされていました。もうとっくに読まれた方も多いかもしれませんが、これがめっちゃ長い! 仕事の合間にちょこちょこ訳していたらこんなに時間がかかってしまった…。

ギャラガー記者はほかの日本メディアではあまり見ない、独自の視点から記事を書かれることが多く、時に彼の好みや主観がたぶんに含まれることもあって、「自分のブログでやって(笑)」と思ってしまうこともあるんですが、毒舌も辛口意見も対象スケーターやフィギュアという競技への深い関心があるからこそなんだろうな、と私は感じています。まあ自分の感覚と合わないと思うことも時にはないこともないけれど、均質的で情報量が少ない記事が多い他メディアよりは、ずっとおもしろく読ませていただいています。

 

さて美姫さんインタビュー。

現役引退後も公私ともに世界をまたにかけて、フィギュア界の主たる登場人物であり続けている美姫さんですが、華やかさの一方で、ずっとぶれずにコーチへの夢を持ち続けているんですね。そしてハビの存在に本当に助けられたのですね…。

 

(元記事)

Release and renewal: Ando’s life full of joy, challenges BY JACK GALLAGHER JAN 3, 2017

 

 

「解放と再生:安藤の人生は今、喜びと挑戦に満ちている」

 

引退したアスリートたちは、試合にともなうさまざまな制約から解放され、違う道へと進む者も多い。ビジネス界に入る者、テレビの世界に入る者、コーチや監督になる者もいる。

 

過去2度世界女王に輝いた安藤美姫の場合、それらのすべてだ。

 

毎月数日は各地を移動しているという彼女の多忙なスケジュールを見れば、元スケート界のスターはかつてよりもっと人気者になったようだ。

 

先月29歳になった安藤だが、スケートやそれ以外の活動で、世界と日本のあちこちでその姿を見かけるようになった。ローマやマドリードのアイスショーに出演し、スペインやオランダのスケート合宿にコーチとして参加し、かと思えば東京や札幌にいる。それらすべてが、名古屋生まれの安藤の新たな忙しい人生の一部だ。

 

2度の五輪出場の経験もある安藤は、2013年の全日本選手権後に引退した。その後、フィギュア選手だった日々から次のステップに移行するために、幼子の母親でありながら多忙なスケジュールをこなしてきた。これにさらに世界選手権2連覇中のハビエル・フェルナンデスとの長距離恋愛も加わって、彼女の生活は目いっぱいの状態だ。

 

僕は昔から安藤に対して深い称賛の念をいだいてきた。従順さをよしとする日本において、安藤は彼女らしいやり方をつらぬき、保守的な慣習や年功序列のシステムの枠にはめられることを拒否してきた。

 

Ice Time(ジャパン・タイムスのフィギュアコラムの名称)との単独インタビューで、安藤は自身の仕事、恋愛、夢、そして未来について語ってくれた。

 

安藤によると、その第二の人生は大して計画を立てることもなく始まったらしい。彼女の知名度や人脈によって、ただ自然に発展していったのだという。

 

「フィギュアは今すごく人気ですし、私は元フィギュア選手だったから、テレビ界の方々が私に興味をもってくださったんです。競技していたときとは違うキャラクターを持っていると言ってくれて。私のほうもできるだけスケジュールを入れて、知名度を維持したいと思っていました。でないとすぐに忘れられてしまいますからね」

 

テレビに頻繁に出るようになった安藤だが、1つの分野にとどまりたくはないという。

 

「単にテレビタレントでいたくはないんです。私の本業はフィギュアスケーターです。私がテレビ番組に出られるのは、かならずスポーツがらみの理由です。いろいろなイベントに参加できるのも、スポーツまたはフィギュアスケートのおかげなんです」

 

特に多忙なのは春と夏だという。

 

「春夏はスケートのショーで忙しいから、テレビのお仕事をするのは難しいですね。ある都市でショーとリハーサルをやって、家に帰ってきて、2日後にはまた違う都市に出かける、という感じなので」

 

安藤のSNSを見ると、彼女は国内外のさまざまな場所で仕事をしている。これらの機会がどのように訪れたのか聞いてみた。

 

「お仕事についてはいろいろな経路で声をかけていただいています。私は公式Facebookを持っていて、私とまったくツテがない方はFBでメッセージをくださいます。テレビ界の方々はお互いに知り合いなので、情報を共有し合っているんです。スケート関係のお仕事の場合は、私は日本にも海外にもたくさんの友達がいるので、彼らはインスタグラムやツイッターのDMを通して連絡をくれます」

 

安藤の娘・ひまわりは、彼女がソチ五輪をめざして現役に復帰すると発表した後の2013年4月に生まれた。このニュースは驚きをもって迎えられ、メディアに騒動を巻き起こした。

 

「正直に言うと、98パーセントの方が否定的にとらえていましたね。現役選手でありながら出産、とテレビのニュースになりましたし、それに五輪イヤーでもあったし。また、一般の方々からすると、アスリートとして敬意がないと思われたんです。すでに現役復帰を発表したあとでしたから。多くのスポーツ関係のコメンテーターが復帰は不可能だろうと言っていました」

 

それほど多くの人が否定的なリアクションをした本当の理由は何だと思いますか?とたずねてみると、安藤はこう答えた。

 

「当時思ったのは、私がアスリートなのに未婚のまま子どもを産んだこと。それが理由だったんでしょうね」

 

自分が妊娠していることを知ったときは彼女自身驚いたという。

 

「5か月目に入るまで妊娠に気づいていなかったんです。つわりも全然なかったし、まったくふだんどおりでした。でも血液検査をしてみたら…。そのときもスケートをしていたので驚きました。でも、それは幸せなことでした」

 

安藤はさらに、女性アスリートが正常な月経サイクルを維持することの難しさについても語った。

 

「(女性の)アスリートの場合、妊娠しにくくなることがあります。私たちは苛酷なトレーニングをしているので、赤ちゃんをもてない場合があるんです。私にとってスケートはすごく大切なものですが、スケートをやめた後も長い人生が続くんだと考えるようになったんです。将来ふつうの生活を送るようになれること、それが私には一番大切なことでした。赤ちゃんを授かったのは運命だと考えて、それを受け入れようと思ったんです」

 

僕は爐劼泙錣”という名前の由来について聞いてみた。

 

「ひまわりはいつも太陽のほうを向いています。私は花に対して、例えばバラならきらびやかで強くて美しい、桜はきれいでかわいい、といったイメージをもっています。ひまわりという花は、見るたびによいエネルギーをもらって、自分が強くポジティブになれるんです。娘がひまわりみたいになれたら――ひまわりのようにたくさんの愛のほうを向いてくれたら、と思いました。娘に会った人はだれでも――私のファンの方々も私の家族も、だれもが娘からよいエネルギーをもらえる、そんな人になってほしかったんです」

 

現在横浜に住んでいる安藤は、忙しいスケジュールの中で可能なかぎり娘と一緒にいられるよう努力しているという。

 

「お仕事があるときは母が面倒をみてくれていますが、アイスショーのときは一緒につれていくんです。テレビやイベントのときは母に頼みます。それが私の仕事だと娘はわかってくれています」

 

* * *

 

安藤はその華々しいキャリアの中で多くの輝かしい実績を収めてきた。2004年には世界ジュニアで優勝、全日本ジュニアとシニアでそれぞれ3度優勝している。中でも、スケート史上今でも破られていないとある業績によって、多くの人々の記憶に刻まれている。

 

2002年、オランダのハーグでおこなわれたJGPFで、安藤は女子スケーターとして史上初めて4回転サルコウを着氷した。それから14年以上たった今でも試合で4回転を降りた女子がだれもいないことを考えると、この業績の偉大さがわかるだろう。

 

世の中の安藤への関心が高まり始めたのはこのときだったと、彼女はふりかえる。

 

「あの4Sを試合で降りたとき以降、人々は初めて私の話をするようになったんです。その当時、私はフィギュアスケートのことをよくわかっていませんでした。フィギュアは大好きでした。コーチと一緒に氷の上を滑るのがすごく楽しかった…それだけだったんです。私にとって4回転はふつうのジャンプでした。まず1回転ジャンプを習って、そして2回転、3回転。次に来たのが4回転だったんです」

 

なぜこれほど長い間、この歴史的なジャンプを跳べる選手が現れないのか考えたことはあるかたずねると、彼女はこう答えた。

 

「あのとき以降、ほかのスケーターが(4回転を)跳ぶかどうか考えたことはなかったですね。どんなことでも不可能なことはないと思いますが、採点システムがしょっちゅう変わるので、新しいことにチャレンジすることは非常に難しいのです」

 

ここ15年ほどで日本でのフィギュアスケート人気は劇的に高まった。安藤はこのことを次のように的確に説明してくれた。

 

「私が4Sを跳んだとき、日本ではフィギュアはメジャーなスポーツではありませんでした。4Sを跳んだことが特別なこととは思わなかったのは、このせいでもあったんだと思います。当時私は14歳で、何が起きているのかまったくわかっていませんでした。(JGPFのリンクで)何か英語のアナウンスが流れてきて、私の名前が聞こえました。でも当時は英語はわからなかったので、大したことだとは思いませんでした。そしたら次の日、日本の通信社の人がやってきて、『あなたが安藤美姫さんですか?』って聞くんです。『はい』と言うと、彼は4回転のことを聞いてきて、『あなたは4回転を跳んだ世界初の女性なんですよ』と。でも私としては、もっとうまくなるための練習のつもりで跳んだ感じだったんです」

 

安藤とのインタビューで最も興味深く意外だったのは、彼女がコーチングに強い関心をいだいていることだった。

 

「コーチになることは、9歳でスケートを始めたときからフィギュアスケーターとして一番の夢でした。むしろコーチになりたいからトップスケーターとして競技していたようなものです」

 

彼女は幼い頃、優秀な競技者になることが将来コーチへの道につながると信じていたという。

 

「いい選手になることができたら、もっとスケートを学ぶことができるし、海外も見ることができますからね。私はアメリカに行きました。ロシア人のコーチにも教わったし、アメリカ人のコーチにも教わりました。今はカナダ人であるデビッド・ウィルソンによく振付をしていただいています。たくさんのことを学んできましたし、それが将来の私の夢に役立つと思っています。ただ、今は自分はコーチだとは言いたくないです。いろんな国へ行ってスケーターたちを教えてはいますが、『私はコーチです』と言ってしまったら、プロスケーターをやめたことになってしまいますから。今はすごく忙しいので、いつもリンクにいることはできません。つまり、私はコーチではなく、お手伝いをしているだけなんんです。アドバイザーみたいな感じです」

 

若いスケーターたちにスケートを教える活動は、ふとしたきっかけから始まったという。

 

「前に岩手県に行ったときでした。岩手のチャリティーショーに参加していたんですが、コーチの先生がたに教え子さんたちを見てもらえないかと頼まれて、『もちろん。時間があるときなら喜んでやりますよ』と答えたんです。それがコーチングにかかわるきっかけでした」

 

* * *

 

若いスケーターのコーチングを始めたことで、彼女の元コーチと再びつながりができたという。

 

「以前メインコーチとして見ていただいていた門奈裕子先生のお手伝いとして(名古屋で)子どもたちを教えているんです。今年は何人かの振付もするようになりました。去年の夏、アンドラでのハビの合宿に名古屋から3人のスケーターをつれていったこともいい思い出です。彼女たちにとっても、私にとっても、いい経験になりました。彼女たちは日本から出たことがありませんでした。とても才能ある子たちなんですが、私からするとジャンプのテクニックは優れているけれど、スケーティングスキルや感情表現という面では全然ダメなんです。日本から海外に出るほうが、より多く感情表現に接することができます。海外の子どもたちは日本の子たちに比べて感情表現が豊かですから」

 

安藤が初めてシニアの世界選手権で優勝したのは2007年のことだ。彼女自身、若いスケーターと接することで自分の未知の部分を発見させてもらっているのだという。

 

「私は世界女王になりましたけど、今は違う人生を送っています。コーチとして、プロのスケーターとして、そして人間として、まだ自分自身について学んでいる途中なんです」

 

若いスケーターに対しては、無理じいはしないけれどその選手の殻から外へ引き出そうとしているのだと、安藤は言う。

 

「特に日本の子どもたちは内気でおとなしいんです。まずその子の性格を理解しようとして、それから私のことを世界チャンピオンではなく、リンクに1週間やってきて何か新しい楽しいことを教えてくれる先生のひとりとして見てもらえるよう、気をつけています」


安藤はスケートを始めて間もない頃に父親を交通事故で亡くしている。そのとき、コーチによって希望を与えてもらったのだと、彼女は感情をこめて語ってくれた。

 

「私がコーチになりたいと思ったのは、最初に教わった先生のおかげでした。初めてスケートを教えてくれたのは堀江里奈先生というコーチでした。彼女が『練習してフィギュアスケーターになってみない?』と聞いてくれて、私は『はい、なります』って答えました。そのときにはすでにスケートが好きになっていましたから。堀江先生は優しくていい先生でした。特に父が亡くなった後は、彼女の笑顔がいつも輝いていて。私は毎日先生の笑顔が見たかったんです。先生といろんな話をして、スケートを教わりました。彼女みたいになりたかった。いつも笑顔で、何かすてきなことを一緒に感じ合える人になりたかったんです」

 

もうずいぶん昔の話だが、その当時どう感じたのか安藤は明確に憶えていた。

 

「自分がフィギュアスケーターになるなら、彼女みたいなコーチになりたいと思ったんです。私に夢を与えてくれたのは堀江先生でした。私はチャンピオンになりたいと夢見たことは一度もありません。コーチになりたかったんです」

 

安藤はその長いキャリアの中で、いいときも悪いときもさまざまな経験をしてきたが、僕にとって最も印象的だったシーズンのひとつは、あのすばらしかった2010-11シーズンだ。
バンクーバー五輪で5位になった後、安藤は充電のため1年間休養すべきどうかどうか考えていたという。

 

「そのシーズンは競技したい気持ちはまったくなかったです。バンクーバー後、コーチだったニコライ・モロゾフに1年休んでリフレッシュしたらどうかと言われていました。ところが彼はその後、ワールドが再び東京でおこなわれる予定であることに気づいたんです。そのとたん、『1年の休養はとりやめだ。きみの国でワールドをやるんだから、そのために滑るべきだ』って言うんです。私はもう頭も心もすっかり休む気でいました。彼とはずいぶん喧嘩しましたね。試合に戻るなんて私には考えられなかった。その年、私はエキシのプログラムを3つ作っていました。試合に戻る気持ちになれるまでは試合用のプログラムはまったく作りませんでした」

 

なりゆきが変わったのは日本に帰ってきて、スケーターたちが翌シーズンにむけて準備を整えているのを目にしてからだった。

 

「日本でショーに出演した後、多くのスケーターが来季の準備をしているのを目にしました。それで、私は何か新しいこと、他のだれもやってこなかったことにトライしようと決心したんです。そこでやったのが、フリーの後半に5本のジャンプを入れることでした。私はスケーティングスキルの面でヨナやその他の選手たちより劣っているとわかっていました。彼らとは何か違うことをしたい――そう思って、強いジャンパーになったんです。自分自身のためにこれをやりきるんだと目標を立てました。そうしたら結果は自然についてきたんです。1位、1位、1位と」

 

そのシーズン、安藤はGPFをのぞくすべての出場試合で優勝した(プログラム変更直後だったGPFでは5位に終わった)。彼女の演技はまさに圧巻だった。東北大震災の影響で東京からモスクワに移された世界選手権では、キム・ヨナを制して優勝し、このシーズンのクライマックスを迎えた。

 

そのシーズンで印象深かった場面のひとつは、モスクワワールドの表彰台の真ん中に安藤が金メダルをつけて立ち、その横で2位のキムが感情をおさえきれず泣いていたシーンだ。安藤はバンクーバーの女王に勝ったのだ。

このときのことで何を思い出しますか?と聞くと、安藤は次のように答えた。

 

「彼女がどういう思いでいたのかはわかりません。そのシーズン、彼女はGPSに出ていませんでした。復帰していきなりワールドに出てきたんです。オリンピックの後ずっとトップ選手でい続けるのは相当大変なことだっただろうな、と思います。あのとき、彼女はそのプレッシャーから解放されていました。いつかどこかで彼女とぜひ話してみたいです。けれども、彼女が本当に個人として話をしてくれたことは一度もなかったですね」

 

* * *

 

ここ数年、安藤の人生に起きたさまざまなことの中で、もっともインパクトがあったのは25歳のフェルナンデスとの恋愛だったという。フェルナンデスは安藤が長いこと閉じこもっていた殻の中から彼女を引っぱり出してくれたのだという。

 

「彼とつき合い始めて2年になります。彼は本当にポジティブな性格で、本当にやさしい人なんです。私が日本でどんな生活を送っているかもわかっています。パパラッチのせいで私はいつもマスクかメガネをつけているんです。彼と初めて会ったのは2008年、2人がモロゾフの教え子だったときのことでした。だから彼の性格はわかっていました。すごく楽しくて親切な人です。彼は私の人生を変えたんです。彼が私に言いました、『なぜ隠れなくちゃならないの? なんで秘密をかかえていなきゃならないの?』って」

 

日本で長いこと有名人であり続ければ、さまざまな制約がつきまとう。繊細な性格の安藤はそのせいで傷ついていた。

 

「もう長い間、自分の生活というものはないんだと感じていました。私はなぜ隠れなくちゃならないの? なぜ秘密をかかえなくてはならないの?って」

 

フェルナンデスとの交際も最初は簡単にはいかなかったのだと、安藤は打ち明けた。

 

「彼にとって私とつき合うことは難しい決断だったと思います。私には赤ちゃんがいましたし、住む場所も遠く離れていますから。私は現役を引退し、彼はまだオリンピックを目指している。彼にはすごく難しいことだったでしょうね」

 

2人の交際はどのようにして実ったのだろうか?

 

「彼のほうから私に、つき合えるかどうかやってみないかと言ってきたんです。私はすごく嬉しかった。そのときにはもう彼のことが好きになっていましたから。2人がトロントにいたとき、私たちは交際を発表しました。それまで誰も交際のことは知りませんでした」

 

安藤はフェルナンデスの人生観に接したことで、リラックスできるようになったと感じている。

 

「日本の文化や習慣について彼に話したんですが、彼はこう言ったんです。『きみは自分自身を変えるべきだ。そうしないと人生も何もなくなってしまうよ』と。こそこそ隠れて、秘密をかかえていては喜びはないと。そこで私は『わかったわ』と答えました。彼を信頼していたから。今は楽になりました。ありのままの自分で外に出かけるようになりました。以前よりストレスがなくなりましたね。『きみもふつうの人間なんだって、みんなも思ってくれるようになるよ』と彼は言ってくれたんです」

 

フェルナンデスはさらに、娘のひまわりについても、もっとオープンになるべきではないかと提案した。安藤は当時、おおやけの場に公開する写真では娘の顔を隠していた。

 

「彼は『なんで娘と一緒に出かけないの?』って聞くんです。私は、パパラッチに娘の写真を撮られて雑誌やネットに載せられるのがいやだから、と答えました」

 

そんな安藤にフェルナンデスは、自分のまわりにめぐらしたガードを取り払えば、もっと人生をシンプルにできると説得したのだという。

 

「そして、私たちは家族として1枚の写真を投稿しました。すると、娘の顔がおおやけになったことで、パパラッチにとっては珍しいものではなくなったんです」

 

フェルナンデスのアドバイスに対して安藤が深い感謝の念を抱いていることは、僕の目から見ても明らかだった。

 

「彼は本当に私の人生を変えたんです。今は私の立場上、できる限り彼をサポートしなくては、と思っています。私も同じ状況を経験してきましたから。彼が世界チャンピオンになる前に私もそうでしたからね。彼はいまや、どのように課題に対処していけばいいかなど、多くのことを理解しています。去年は私も、モチベーションという点で少しは彼の助けになれたかな、と思っています。ただ彼を尊敬し、支えていきたいと思っているんです」

 

おふたりでスケートのテクニックや戦略を話し合うこともあるんですか?

 

「私たちはフィギュアスケートの話はしないんですよ。私は昼間にスケートの話をするのは嫌なんです。ショーの間とか、練習中ならいいんですけど。ハビも同じです。リンクにいるときにはとても集中しているけれど、リンクから降りたらスケートのことは話したがらないですね。他のこと、例えば休暇のこととか、試合のあとにどこかに出かける話とか、行ったことのない場所を訪ねてみたいとか、彼はそんな話をするのが好きですね」

 

話をしなくとも、フェルナンデスがあげてきた実績を見ればおのずとわかると、安藤はいう。

 

「私から彼にいうべきことは何もありません。彼はすばらしいスケーターですから」

 

いつか彼女がフルタイムのコーチになり、若い選手たちに同行してGPSを回るような日が来るのだろうか。その見通しについてたずねると、安藤はこう答えた。

 

「ハビとの関係がどうなるかによりますね。彼はきっとプロのスケーターになるでしょう。今はわかりませんが、以前は彼もコーチになりたいと言っていたんですよ。もしも私たちが将来も一緒にいて、いい関係を続けていけていたら、そのときにふたりで決めるんだと思います。私たちがどこへ行って、どこでコーチをし、どこで生活していくのかをね。でも、どこかの時点、どこかの場所で私はコーチになっているんだろうな、と思います。そのときには拠点となる場所を見つけているでしょうね」

 

 

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2010-11シーズン。インタビューにあるようにこのシーズンの美姫さんは本当に強かった。

2010全日本フリー。剛と柔が共存する強靭な演技、直後の足ドン!、モロゾフ近いぞ、今は懐かしいお塩実況とともにどうぞ。

 

 

3.11東北大震災からわずか1か月半後に、急きょ東京からモスクワに舞台を移して開催された2011ワールド。それまでの「ジャンパー」というイメージをくつがえすしなやかな表現力を、このシーズンの彼女は身につけていました。

中でもエキシのアンコールで滑った「レクイエム」がすごかった。当時Jスポの解説をしていた田村岳斗さんが、演技後一瞬絶句して、「ジャンプがなくてもスケーティングと演技でここまで見せられるとは…いやあすごい」と感心していたのを憶えています。私もテレビで見ていて、生まれて初めてフィギュアで泣いた演技でした(今はトシのせいか涙もろくなってしょっちゅう涙腺ゆるんでますけど^^;)

 

 

インタにもありますが、このシーズンはもともと休養するつもりでエキシを3本作っていたんですよね。3本のうちなぜかあまり人気がなかったらしく、滑る機会が少なかったプログラムがこれ。今でも美姫さんのエキシで3本指に入るほど好きです。またこういうプログラム滑ってほしいな。

 

 

JUGEMテーマ:フィギュアスケート

カテゴリ:安藤美姫 | 18:50 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
コメント
長い長いインタビューの翻訳ありがとうございます!
インタは後でと思って先に動画の方拝見しちゃいました(笑)
2011年のミキちゃんのEXめちゃくちゃ素晴らしいですね。
私も涙腺崩壊しました。振付とミキちゃんの体の動きの音の捉え方が絶妙で指先まで綺麗で感動しました。
2010年以降少しの間フィギュアスケートから離れていたので全然知らなかったんです。もったいないことしたな自分と思いました。

しかし、フィギュアスケートって「ブログでやってと」と思う記者が結構多い気がします。主観的になりやすい競技の特性でしょうか。彼らの主観を上手くスルーして読めば面白い場合もあったりなかったり。
| kanon | 2017/01/08 7:53 PM |
>kanonさん、コメントありがとうございます。
動画見てくださって嬉しいです。貼りつけた甲斐がありました^^
数年前まではテレビもネットも雑誌もフィギュア情報は今よりずっと少なかったから、過去の動画めぐりが楽しみだったんですけど、今は新情報追いかけているだけでいっぱいいっぱいですもんね。
私はいろんな記者さんがいていいと思っています。客観情報だけの記事はありがたいけれど、そういう記事ばかりだと物足りないしつまらないかなあと。
大事なのは「主観の質」だと思ってます。その意味でギャラガーさんのコラムは私は楽しめることが多いです。エラソーに上から語ってしまい申し訳ない…^^;
| たら | 2017/01/09 10:45 AM |
こんばんは。
たらさんが、今回、美姫ちゃんの記事を挙げて下さったことに感謝します。美姫ちゃんは、ハビーとは、モロゾフ教室で出会って、奇しくも、バンクーバー五輪の1年後に、お互いに違う理由でモロゾフ先生の元を離れ、何年間かの後に、再会して交際が始まったことに、2人の縁を感じます。そして、それが、今、お互いのスケートに、プラスに働いているので、良かったです。
たらさんも、先刻ご承知のように、年末の国内戦のSPの大庭雅選手の演技で、振付師にあの美姫ちゃんの名前を発見したときは、美姫ちゃんが振付師デビューをしたことを全く知らなかったので、びっくりポンでした。美姫ちゃんの振付師としてのこれからの歩みに期待しています。
振付師と言えば、美姫ちゃんより少し後で引退された、あっこちゃんは、既に、本郷選手のところで、振付師デビューをなさいました。また、美姫ちゃんやあっこちゃんと同じ時代に競技スケートをされていた、殿と大ちゃんは、まだ、振付師をしているという話は聞きませんが、振付師になった暁には、競技スケーターの方が、殿や大ちゃんの振り付けたプログラムを滑るところを見たいですね。
ところで、大庭選手のSP使用曲が、「ミッション」と聞いたとき、ソチ五輪シーズンに、FSでこの曲を滑った、ナン・ソンさんを思い出しました。彼が、五輪で滑るところを見たかったですが、たらさんも、ご存知のように、引退後はコーチの道に進んで、自分を超える選手を育てたいと仰っていたので、いつの日か、自分の弟子を五輪選手に育て上げて、彼が、五輪のキス&クライに座るところを見たいと思っています。
| Disney 鴨 | 2017/01/09 6:21 PM |
たらさん、長い記事の翻訳ありがとうございます。
美姫さんは沢山の困難の中で競技を続けられましたが、今はそれらの過去を消化できているのだということ、幸せだということ、自分と娘さんのことを肯定的に考えられていることが分かって、涙ぐむような思いです。

ハビちゃんとの関係も、自動的にずっと続くようなものではないからこそ大切にしてるんだろうと思いました。

彼女の夢であるコーチになって、いつかキスクラで生徒さんと共に笑顔でいる所を見られたらいいなと願っています。
| matu | 2017/01/09 7:53 PM |
たらさん、はじめまして

いつも拝見しています。
美姫ちゃんのインタビューの翻訳ありがとうございました。
興味があるけど、勉強不足で読めず…とても助かりました。
ありがとうございました
| ちび | 2017/01/09 10:23 PM |
> Disney鴨さん、コメントありがとうございます。
ナンソンの「ミッション」今となっては懐かしいですね。その後どうしているのかなと思っていました。中国選手のコーチとしてキスクラで変わらぬ笑顔を見られる日が早く来るといいですね。
織田くんはノービスの女子選手を育てているそうですし、私的にはジョシュアがアメリカのジュニア選手のサブコーチをしているのも嬉しいです。
美姫さん&ハビは、最初聞いたときにはめちゃくちゃびっくりしましたけど、2人の話を聞けば聞くほどお似合いのカップルだなあと感じますよね。ハビのメンタル強化は、間違いなく美姫さん効果が大きかったと思いますし。
平昌五輪はリンクサイド&キスクラの面々も楽しみですね!
| たら | 2017/01/10 5:39 PM |
>matuさん、コメントありがとうございます。
最近の美姫さんは本当にかがやいていて、さまざまな困難にもぶれずに努力を続けてきて、自分に自信をつけた女性の強さを感じますよね。
ハビとの関係…確かにそうかもしれませんね。いつかひょいっと急展開するかもしれないし、こればっかりは縁だと思うので、今の充実した関係を楽しんでほしいな、と思います(と親戚のおばちゃんみたいなことを書いてしまいました^^;)
彼女ならきっと優しくて優秀なコーチになるでしょうね。その日が楽しみです。
| たら | 2017/01/10 5:47 PM |
>ちびさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
いたらない訳ですけど、お役に立てたのでしたらとても嬉しいです。
最近ジュンファンくん記事に偏ってしまいましたが、またぼちぼちいろんなスケーターさんを取り上げていきたいなと思っています。よろしければまたコメントいただけると嬉しいです^^
| たら | 2017/01/10 5:49 PM |
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