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アダム・リッポンくんロングスピーチ全文
あああ、ひと月以上ブログを放置してしまいました。仕事やら何やらで上海ワールドの前あたりから時間がまったくとれず、そうこうしてるうちに今季の競技も終了。スケーターさんも世のスケオタさんもどんどん先へ進んでいるというのに、国別の録画もほとんど見れてないし、買ったスケート誌も読めないまま積みあがっていくばかり…。
そんなていたらくなのに、その間、訪れてくださった方には本当に申し訳ありませんでした。忘れずにいてくださってありがとおおおお〜ううう(;_;)

で、やっと少し時間が取れそうなので、過去に気になってはいたけれど翻訳できなかった記事も含め、ぽつぽつ訳していきたいと思います。とっっっくに既出で、いまさら何?という記事もあるかと思いますが、自分的にカタをつけておきたいという気持ちもあり…どうかお許しくださいまし<(_ _)>

さて、そんなリハビリからの復帰第1弾は、アダム・リッポンくんのスピーチです。アダム、5月2日に米国スケート連盟主催のディナー・パーティの席上でスピーチをしたんですね。その場に出席していたらしいアンジェラ・ワン選手がこんなつぶやきをしていました。
  「アダム・リッポンのスピーチに感動のあまり涙。なんてことなのよ。」

そのスピーチの全文がアダムの公式ブログに掲載されています。聞きやすいように短いセンテンスに区切りながら、わかりやすい言葉を選んで話しています。かなり長いですが、ひとりの選手がオリンピックにどれほどのものを賭けているのか、ひしひしと伝わってくるスピーチです。

英語全文は→こちら



2015年5月2日、アダムは米国スケート連盟のGoverning Council(運営評議会)で開かれた「アスリートとOBのためのディナー」の席でスピーチをおこないました。アダムは去年から米スケ連のアスリート諮問委員会(Athletes Advisory Committee)の一員になっていますが、その委員会のピラー・ボスリー議長の依頼を受けたものです。以下はスピーチ全文。これまでの彼のスケートの歴史が、彼自身の言葉でまとめられています。

*     *     *     *     *

今夜、ここ、Governing Councilでスピーチをする機会をいただけて、とても光栄に思っています。僕はこれから、オリンピックについての自分の夢と、それが今の自分にとってどんな意味を持つのか、話してみたいと思います。ここまでの1年間は、まさにジェットコースターのよう(にアップダウンの激しいもの)でした。けれども、その中から自分自身についてたくさんのことを学びました。そんな僕の物語をお話ししたいと思います。僕がスケートを始めた頃からずっと親しくさせていただいている皆さんの前で、今日このスピーチができることは、僕にとって本当にすばらしいことです。

僕は6人兄弟の一番上です。母はシングルマザーです。僕が他の選手とちょっと違うのは、僕の家族にはフィギュア界に関わりのある人間が誰ひとりいないこと、それでも僕はフィギュア界にいる、ということなんだと思います。
僕がスケートを始めたのは、10歳の誕生日を迎える直前でした。僕はもともとペンシルバニア州生まれなので(家族は今でもここに住んでいます)母は毎年、僕らをスケートに連れていくのが常でした。僕はそれが大嫌いでした。無理矢理リンクを2週させられて――それだけで約1時間もかかってしまうんですが――その時点で僕はもう、母にソフト・プレッツェルと温かいココアを買ってよ、とおねだりしていたんです。
何かが変わったのは1999年の冬のことでした。もしかすると、いわゆるミレニアム騒動のせいだったのでしょうか? 理由はわかりませんが、この冬、何かが起こって、僕はリンクから離れられなくなったんです。あまりにもスケートが好きになってしまい、誕生日のプレゼントとして、地元のリンクのスケートクラスに通わせてもらうことにしたほどした。

ここで何年か早送りします。初めて、自分はオリンピックへの夢に近いところにいるんだ、と実際に感じたのは、最初の世界ジュニアのタイトルを取ったときでした。それまで努力してきたことが、すべて報われた気がしたんです。たぶんこのときやっと、人々が僕の母のことを、「わが子を長年、家の外で生活させるなんて頭がおかしいんじゃないだろうか」と思わなくなったんだと思うし、父が息子にとってスケートは趣味ではないんだと初めてわかったのも、このときだったと思います。自分でも、僕は夢にむかって正しい道を歩んでいると感じられた時期でした。
翌年、世界ジュニアで2度目の優勝をすると、その次の年にはバンクーバー五輪の補欠に選ばれ、四大陸選手権で初優勝し、世界選手権では6位入賞を果たしました。



その後の4年間は僕の時代になるはずでした。そのままソチの表彰台まで波に乗っていけるんだと思っていました。バンクーバーの次のシーズンには、最初の試合となったジャパンオープンで、エフゲニー・プルシェンコと高橋大輔を抑え、男子部門で優勝しました。
その後の4年間は僕のものになるはずだった。ほかの誰でもなく自分がその責任を負っているんだと感じていました。その時期、僕は初めて、試合に出るたびに自分がメダルの最有力だと感じるようになったのです。それまでとは全く違うプレッシャーがありました。みんなをがっかりさせてはいけない、それが自分の義務なんだと感じていました。みんなが期待するような結果を出せなかったら、それは惨敗なんだと思うようになりました。試合でひとつでもミスをしたら、家に帰って、何が悪かったか考え込むようになりました。僕は自分が、人々が僕に対して持っているイメージを裏切っているように感じました。たくさんの不安を抱えながら、それを誰にも打ち明けることができなかったのです。

その後の約2年間は浮き沈みがありました。それでも、次の五輪シーズンが来る頃には、すべてがいい方向に進みつつあるように思えていたんです。そのシーズンのGPSで、初めて試合で4回転を降りました。スケートアメリカでクワド・ルッツを、NHK杯でクワド・トゥを降りたんです。練習でも何もかもうまくいっていました。けれども、コーチのラファエル・アルトゥニアンに、全米選手権まであと2週間というときに、僕がもう固くなり始めていると指摘されてしまったんです。
その年の全米は、僕にとって転換点になるはずでした。ショートもフリーも完璧に滑って、タイトルを取り、初の五輪行きを決めるはずでした。「全米でノーミスで滑るんだ」と、本当に強く思っていたんです。とにかく自分が完ぺきな演技をすることにものすごくこだわっていた。だから、実際に滑っている最中、その夢が自分の指の間からこぼれ落ちていくのが、比ゆ的な意味でも、また文字通りの感覚としてもわかってしまいました。
2014年の全米選手権は、僕がそれまで経験した中で最悪の試合になりました。全人生をかけてオリンピックの出場権を得ることを目指してきたのに、あのざまだった。オリンピックチームの一員になると誓って4年、僕はオリンピックの夢を絶たれ、自分の演技を恥じていました。フリー後、自分が大失敗してしまったと知りながら、キスクラでラファエルの顔を見たときのことを覚えています。
その後3日間、僕はずっと泣いていました。人生で一番大事な試合が終わってしまって、たくさんの友人たちがオリンピックをつかんでいくのを眺めていた――そのとき、はっきりとわかったんです。僕は彼らと一緒には行けないんだと。
 
自分はたったひとつ、オリンピック選手になることだけを望んでいました。それがかなわなかった今、自分が敗残者のように感じました。母が車でリンクへ送り迎えしてくれた長い時間が無駄になってしまった。氷の上で過ごしたすべての時間も無駄になってしまった。家族や友達やコーチたちが僕のために犠牲にしてくれたこと、そのすべてがまったく無駄だったのだと思いました。この時点で、僕はもう終わっていました。スケートにかかわることはもう何もやりなくなかった。
でも、不思議なことに、スケートを自分から遠ざけようとすればするほど、スケートは僕の癒しなのだと気づいていったんです。

それは少しずつ、ゆっくりと起こりました。まずリンクに行って、5分間滑る――それが自分にできるいっぱいいっぱいでした。でも、翌日行ってみたら、もうちょっと滑れる。さらに翌日はもっと長く滑れる。そんな1日数分間という時間、僕は力いっぱいスピードを出して滑り、顔に風を感じていた――それが幸せだったんです。本当に衝撃的で、自分でもとまどってしまったんですが、ただ氷の上にいることが僕を楽しくさせるんです。まるで氷の上が自分の家みたいでした。安全で、自由な場所。本当の自分でいられる場所だと感じたんです。

ただ、ではスケートで何をするかというのは、まったく別問題でした。僕には何のアイデアもありませんでした。再び試合に出られるのかどうか、まったくわからなかったんです。でも、そこでチャンスがめぐってきました。僕の友達で2010年の五輪選手である長洲未来のために、SP・フリー両方のプログラムの振付をやることになったのです。未来のプログラムを手がけられるのは、すごく楽しみで、光栄なことでした。むしろ、彼女がなぜ僕を信頼して振付をまかせてくれたのか、信じられないほどでした。でも僕は、彼女のために全力で仕事をしようと思いました。
そんなとき、次のチャンスがやってきたんです。やはり友達であるアシュリー・ワグナーが、SPの振付をやってくれないかと言ってきたのです。またしても僕の友人たちが、彼女たちの競技用プログラムを手伝わせてくれるほど僕を信じてくれたことに、本当にびっくりしてしまいました。全米以降初めて、氷の上にいていい気分になれたんです。そして、滑りたい、練習をしたい、と思い始めたのです。

僕は練習に復帰し始めました。プログラムの練習も開始しました。そうやって試合に戻る準備はできたのですが、それでもまだ、競技に戻ることが正しい決断なのかどうか、よくわからなかったのです。ひょっとすると自分の時代は終わってしまったのか? 知らないうちに自分にとってのハイライトは過ぎてしまって、もう引退して次の道に進むべきときなんだろうか?などと考えてしまったんです。
でも、僕は心を決めました。人生は一度きりなのですから。ラファエルに話をして、「来シーズン滑りたい」と言いました。ラフはこれをすごく喜んでくれました。僕が進路について迷っている間じゅうずっと、彼は僕の自主性を重んじてくれていたけれど、「私はまだ立ち去るときではないと思っているよ」ということを、常にほのめかしてくれていたんです。
フルタイムの練習が始まりました。が、それでもまだ僕は自分に問いかけていました。「これでよかったのか? 僕が現役を続けるなんて、人からはただ馬鹿みたいに見えるだけなんじゃないか?」と。そして、あんのじょうGPシーズンが始まってみると、僕は“自分の決断に自信が持てず、なぜ滑っているのかもわかってない選手”らしい滑りをしてしまいました。
GPの2戦が終わると、今こそ自分をきびしくチェックすべきだと思いました。全米選手権まであと2か月。僕はコーチたちやトレーナーと話し合いをもって、彼らに伝えました。もう悩むのはやめたと。自分を恥ずかしく思うことを、僕はとうとうやめたのだと。このシーズンの最後まで滑ると決めたのだから、僕の全存在をかけて最後までやりぬきます、と。もうためらうことなんて何もありませんでした。なぜなら、その時点で僕には失うものなど何ひとつなかったんですから。

自分にはこう言い聞かせました。全米でどんな演技をして、どんな順位になろうとも、誇りをもって大会を終えよう。自分史上最高にハードな練習を積んで、なんの後悔も持たずにのぞもう。どんな展開になろうと関係ない。なぜなら今自分がオンアイスとオフアイスでやっていることは、僕にできるすべてなのだから。

とうとう(2015年の)全米がやってきました。男子ショートの前日、僕は女子のショートを観戦しようと決めていました。目の前で、僕のふたりの友達がとても美しい演技をしていました。僕が振付したプログラムが、全米選手権で(ショートの)1位と4位になったのです。僕は駆け出しの振付師として、誇らしい気持ちでいっぱいで微笑んでいました。僕自身の試合にむけて勇気をもらったんです。
そして、翌日の男子ショート。僕には失うものは何もなく、ただ思い切りやろうと決めていました。僕自身ではいい演技ができたのですが、結果的にはショート5位でした。最高にハードな練習を積んできた結果が、やっと5位。それは自分で望んでいた、あるいは思い描いていた順位とはほど遠いものでした。

ショートの後、ちょっと時間を置いてから、自分にこう言い聞かせたのを覚えています。僕が自分をどう評価するかは自分で決める。今日の結果になんて絶対に左右されるもんか。何がどうであれ、自分の演技には絶対に誇りを失わない。とにかく2日後のフリーに集中する、それ以外の何ものにも集中をかき乱されないぞ、と。その夜、僕は耳を傾けてくれる人全員にこう言っていました。「Just wait until my long program.(すべては僕のフリーを見てからだ)」毎日練習でできているとおりの演技をやってやる、そう誓っていました。
フリーでは、冒頭の4回転ルッツを着氷。そのあとはひとつずつ着実に実行していきました。ステップのひとつひとつが、練習で1000回も繰り返してきたステップなのです。集中が切れたのは最後のスピンの最後のポジションだけでした。
僕は氷から降りて、得点を待ちました。それはすばらしい得点でした。全米の男子フリー史上最高の得点だったんです。フリーは1位、総合では2位でした。確かに結果は2位ではあったけれど、その日はまるで優勝したような気分でした。



まるでチャンピオンになった気分でした。こういう瞬間のために、僕ら選手は生活のすべてをかけて練習しているんだと、このときにわかったんです。今までの努力が実をむすび、ここまで来るのを助けてくれた人たちと一緒に喜び合える――そんな瞬間のために、僕らは練習を積んでいるんです。僕らの友達も、家族も、コーチたちも、そんな瞬間を心から望んでくれています。それが実現したときというのは、本当にすばらしいものなんです。
そのとき、僕は悟りました。「オリンピックをめざす」ことは実際にオリンピックに出場するよりも大きなことなのだと。たとえオリンピックに出場したことがなくても、オリンピック精神をもって戦うことはできるんです。引退した後も人々の記憶に残り続けるのは、その選手の戦いぶりや他の選手にどう接したかなのですから。

こうしたすべての経験から、僕は心から言えます。スケートってすばらしい。スケートがなかったら今の僕はいません。スケートのおかげで、たくさんのすばらしい人たち――ここに今立っている僕という人間を作ってくれた人たち――と出会うことができました。
スケートは自分の日常生活にも生きる教訓をたくさん教えてくれました。たとえば、けっしてあきらめないこと。自分に限界を与えないこと。失敗は恥ずかしいことではないことや、勝者になれるかどうかは失望にどう対処するかだということ。そして、どんなときでも自分に誇りを持つべきだということ。自分のすべてを出しつくし、力の限りをつくして、自分の最良の部分を示そうとした――そう自分でわかっているなら、自分を誇りに思っていいんです。そして、夢を追うにはものすごい勇気が必要だということも。

トップ選手として、これらの教訓を何千人もの観客の前で学ぶのはつらいことです。でも、転んで、また起き上がるのも人生の一部なんです。どんな状況におちいろうと、その状況に感謝の気持ちをもつこと。それは自分をより強く、よりよく、変えてくれるものだから。
僕は「ひとつのドアが閉まるとき、ほかのドアが開く(=可能性はいくらでもある)」ということわざを強く信じています。いつも心と頭をオープンにしてください。なぜなら、人間には自分で思っている以上の力があるから。そして、次の可能性はきっとすぐそこにあるからです。



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…ゼェゼェ…長かった(^_^;) これだけの長さのスピーチを聞かせられるというのは、頭がよく、話術もすぐれているんだろうなと思います。
貧しい家庭に育ったとは聞いたことがあったのですが、お母様はシングルマザーだったのですね。ただ最初のほうにお父様のお話もちらっと出てくるので、離婚されたのかもしれません。
2014年全米の後はどん底だったんですね。未来ちゃんとアシュリーが振付を依頼したのは、彼女たちの友情だったのかなあ、という気がします。そうやって這い上がってきた2015年全米でも厳しい戦いが待っていた。ショートで出遅れてしまったけれど、もうそこでつぶれないだけの精神力をつけたのですね。

そして…個人的にですが、このアダムのスピーチを読んで小塚くんのことを思い浮かべてしまいました。彼の話もいつか何かの形で聞けたらいいな…。

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:北米男子 | 10:44 | comments(22) | trackbacks(0) | - | - |
コメント

泣きました。

訳してくださってありがとうございました。大変だったでしょう。
(リハビリにしては重すぎたのでは? 笑)
私には見つけることもできない、このような素晴らしい文章を
たらさんのおかげで知ることができ、日本語で読むことができる。
本当に感謝です。
自分が豊かになります。
フィギュアスケーターって素晴らしい!
どの選手にもドラマがありますね。尊敬します。

更新、いつでも楽しみにしてますので、どうぞご無理のないように。


| 観世 | 2015/05/15 1:19 PM |
たらさん素晴らしい翻訳ありがとうございます。
彼のスピーチの存在は知っていたけど、あまりに長いので英語に長けていない自分は途中で読むのを断念していました。
今回全て読めて本当に良かった。

私も彼のスピーチを読んでいてふと小塚君のことが頭をよぎりました。彼も同じ気持ちだったのだろうか、ソチに行けなかった時、今もどんな思いを抱えてスケートを続けているんだろうってとても気になります。彼にもこうやって公の場で思いを語れる場所があったら、聞いてみたいですよね。

リッポン君のこと少し誤解していたかもしれません。
これを読んで彼のイメージが変わりました。
ずっと未来ちゃんとアシュリーはどうして彼にお願いしたのか、お金がないから?なんて考えてしまっていたけど彼を元気づけたかったからなのかもしれませんね。
技術的な課題はあるかもしれないけど、全米の演技は胸を打つものでした。来季も応援したいです。
| kanon | 2015/05/15 3:43 PM |
たらさん、はじめまして。アダムのスピーチの全訳、どうもありがとうござました。
だいたいの内容は英文を読んだ娘から聞いていたのですが、こんなにも心揺さぶられる内容だったとは…,たらさんの素敵な訳に思わず涙です。
今年の世界選手権大会の後のインタビューで、「クワドルッツにこれからも挑戦するか」と聞かれて、「もちろん挑戦するよ!僕はファイターさ!」と答えていたアダム。その時はただただ可愛いと思ったのですが、このスピーチを読んでからあらためて聞いてみると、また違った感慨を抱きました。きっぱりと言い放った彼の決意が清々しく、ずっと応援していきたいと思いました。
| you | 2015/05/15 6:38 PM |
たらさん こんにちは。
世界選手権の時のリッポン君の笑顔を思い浮かべながら、
たらさんの和訳を読み進めて、泣けてきました。
そして、とても読み易く訳してくださって、ありがとうございます。
いつも頼りにしています。

ワールドのテレビ放送で、アシュリー選手の振付にアダム・リッポンと紹介があったのですが、やはりリッポン君だったんですね。
こういう秘話があったとは。。。

まだまだ観ていたい選手です。巻き毛くん。
どんどん顔つきも凛々しくなってイイ青年になりましたね。
| あいらら | 2015/05/15 9:08 PM |
たらさんおはようございます。長文の翻訳ありがとうございました。
ここまで深い絶望から立ち上がっての全米選手権だったとは。少しずつ氷に乗ることで癒されていくくだりは、まさにドラマを見るようです(これはたらさんの文章力に負うところ大)、
アダムのことは漏れ聞いた「わがまま」という噂で斜めに見ていたのですが間違いでした。失敗から学ぶ聡明さとどん底から這い上がり自分と向き合うことのできる一流のアスリートだと感じています。
易しい言葉で語られているのはもしかしたら、ちびっこスケーター達にも自分の経験を伝えたいからかもしれません。だって、数多いスケーターの中で努力の果実を受けとることができるのはほんの一握りなのですから

たらさんの心に留まった記事を、少しずつのせていただけるとのこと、首がきりんさんよりながくなろうとも、待ってます(*^^*ゞお楽しみは、少しずつがいい。
| よのにょ | 2015/05/16 6:10 AM |
たらさん、はじめまして。
日本語で読んでも大変なボリューム、訳すのはさぞ大変だったでしょう。
こうして紹介してくださったことに感謝します。読むことができてうれしいです。

トップに立ち、そして立ち続けることを周囲も自分も求めるようになったとき、気持ちをコントロールすることはひどく難しいのだろうなと。
リッポン選手はそこから抜け出ることができたからあの全米があり、ワールドがあったのだろうと思いました。
彼の笑顔を思い出して感慨深いです。

最近の小塚選手、プリンスアイスワールドの横浜公演ではまだ調子が戻っていないように感じましたが、八戸公演ではとてもいい演技でしたよ。
どんな選択をされるか分かりませんが、いつか語ってくれたらいいですね。
| matu | 2015/05/16 10:55 AM |
>観世さん、こちらではお久しぶりです&いつも読んでくださりありがとうございます!
はい、確かにリハビリ後にはこたえましたw しかも私、仕事遅いので…(^_^;)
でも、ずっと気にかかっていて、早く記事にしなくちゃと思っていたスピーチだったんです。
スケーター個人のドラマって、こんな機会でもないとなかなかファンが知ることはできませんよね。率直に話してくれたアダムに感謝です。
| たら | 2015/05/16 12:35 PM |
>kanonさん、コメントありがとうございます。
スケーターさんってなかなか悩みや苦しみを口にしないけれど、どれほどのものをかかえながら競技しているんだろうなあ、とよく思ってしまいます。
小塚くんは怪我(先天性の故障)が大きいと思うので、アダムとはちょっと違うんでしょうけれど、ともにバンクーバーの時にはソチの星と期待されていただけに…。それに今季のアダムのフリーの選曲が、私にとってはよけいにダブってしまうのです。
私も未来ちゃんとアシュリーが振付を頼んだ理由を知りたいと思っていました。もちろん彼の能力を知ってのことでしょうけど、2人が少し間を置いてほぼ同時に頼んだというのが…ね。
| たら | 2015/05/16 12:36 PM |
>youさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
原文はシンプルな言葉でアダムが想いがダイレクトに伝わってくる文章なので、それが少しでも伝わっていましたら嬉しいです。
アダムってキュートな外見がどうしても目立ってしまうけれど、ルッツに対する強いこだわりがあったり、試合後にはけっこう強い言葉をツイートしたり、アツい人なんだなあと思います。これから凛々しくがんばる姿、見たいですね!
| たら | 2015/05/16 12:36 PM |
>あいららさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
つたない訳ですが、お役に立てましたらとても嬉しいです!
アシュリーたちがリッポンくんにプログラム(しかも競技用のプログラム)の振付を頼ん理由は推測でしかないんですけどね。これだけ「驚いた」と言っているということは、リッポンくん本人にも明らかにはしていないんでしょうねぇ。
天使そのままの美少年から、いつのまにか凛々しい青年になりましたよね!これからもがんばってほしいです。
| たら | 2015/05/16 12:37 PM |
>よのにょさん、おそようございます^^; 大変ご無沙汰してしまいました。早速読んでくださりありがとうございます。
オーサーの教え子だった時には「気分屋らしい」というイメージもあったんですよね。まだ若かったし、本当のことはわからない。
でも、一時期世界のトップクラスだった選手が成績を落としていくことには、一般人には想像できないほどの痛みや苦しさがあると思うんです。逃げずに向き合ったという点で「わがまま」とは対極ですよね。強いなあと思います。
はい、これからもゆ〜っくりだと思いますが^^; どうか末永くおつき合いのほどを。
| たら | 2015/05/16 12:37 PM |
>matuさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

>トップに立ち、そして立ち続けることを周囲も自分も求めるようになったとき、気持ちをコントロールすることはひどく難しいのだろうなと。

本当にそうなんだろうなあと思います。素人にはわからないけれど、きっと素人が想像する何倍もの難しさがあるんでしょうね。
小塚選手情報、ありがとうございます。ソチを逃してからの今シーズン、とても苦しかったんだろうなと思いますが、演技も、語る言葉や表情もずいぶん変わったなあと感じます。
今季の選択を楽しみに待っていたいです。
| たら | 2015/05/16 12:37 PM |
こんにちは

リッポン君がプル様や大輔さんの上に立ったことがあるなんて知りませんでした。
ニカワはどこまでもニカワです。シーズンオフの間に過去の試合もおさらいしないといけません!

以前ネイサンが「好きな選手は?」と聞かれて「パトリックとユヅルハニュー」とちょこっとリップサービスが入った返事をした様ですが ^^;、[尊敬する選手は?」という問いには、すかさず「アダム・リッポン」と答えています。
同じラファコーチの元で自分と格闘するリッポン君を目の当たりにしているからでしょう。ネイサンも昨季は故障との闘いになって、残念ながら不本意な結果しか残せませんでした。来季は尊敬する先輩方と肩を並べられる様になるといいなあ…って的外れなコメントになりました。
アボット君の現役続行の行方と云いジョシュの全米タイトル獲得なるか!?といい、女子も含めアメリカ勢の躍進を期待します!だってだってボストンですもの〜♪アメリカ黄金期復活祈願〜!
| ふみどう | 2015/05/17 6:19 PM |
素敵なスピーチと素晴らしい翻訳。ありがとうございます。

リッポン君というと、くるくる巻き毛の天使君、よくコーチを変える選手。といった印象があり、どなたかも書かれたように、ちょっとわがままなイメージがありました。

でも4ルッツにこだわったり、アスリートなイメージも今シーズ加わりました。それにまた新たなリッポン像がふえました。もっとPCSでてもいいのにと思う演技もありました。
これからのリッポン君がたのしみです。

あと、少し前の昌磨君の記事楽しく読ませてもらいました。
昌磨君についてまた何か新しい記事があったらぜひ紹介してください。
| ぽんぽこ | 2015/05/17 8:28 PM |
>ふみどうさん、こんばんは。
2010年のJapan Openですね。私もこのインタビュー読んで思い出しました。
ネイサンのインタビューって日本のメディアですか?(なんだかこれも読んだことがあるようなないような…最近記憶力ズタズタなもので教えていただけるとありがだいです〜)
ネイサンくん、今季はほんとうに怪我や病気に泣きましたよね。来季は万全の調子を取り戻して、全米でスカっとした活躍を見せてほしいです!
全米もワールドもいいなあ(ああ、行きたい~~;)
| たら | 2015/05/19 3:15 AM |
>ぽんぽこさん、コメントありがとうございます。
そうでしたね。モロゾフ、オーサー、有香さん&ダンジェンと、コーチ変更はけっこう目まぐるしかったですね。確かに性格的に繊細なところはあるのかも…。でも今のアルトゥニアンとは相性がいいみたいですし、盟友アシュリーの存在も大きいのかもしれませんね。
来季はプログラムに恵まれればまたPCSが出そうな気がします。個人的にはフリー振付のジェフがどんな選曲をするのか、すごーく楽しみにしています。
昌磨くんリクエスト、ありがとうございます。来季は彼、大注目ですね。記事に目を光らせておかなくては!
| たら | 2015/05/19 9:26 AM |
オリンピック精神をもって戦うことはできる…の辺りで、涙腺全開しました。オリンピックをメダルに読み替えると、真央ちゃんだって言える事かもしれません…羽生選手がシニアに出たばかりの頃、名前を聞いた人でした。こないだの四回転認定の時に、ずっと頑張ってる人なんだ、って思ったばかりでしたけど、この全文に込められた思い(原文はムリなんですけど)を知る事ができ、銀盤に挑む人達の魂に少しでも触れた気がします。想いの込められた言の葉を、心を込めて訳されたことと存じます。涙が頬をつたうのなんて久しぶりです…。本当に有難うございました。
| yukiko | 2015/05/23 9:53 PM |
>yukikoさん、コメントありがとうございました。週末出かけておりまして、ご返事大変遅くなってしまいました。申し訳ありません。
私もずっと昔から見ているわけではないですけど、数年前は演技や天使のような外見だけでなく、いつも明るくちょっとお茶目な性格でとても人気がありました。実際にはひょうひょうとした端正なお顔の裏で、これだけ葛藤を抱えつつ努力していたんだなあと、私も感じ入ってしまいました。
選手の努力ってなかなか表には出てこないですよね。言葉にしてくれてありがとうって言いたいです。
| たら | 2015/05/26 3:18 PM |
はじめまして。読ませて頂きました。思わず、ツイやらFbに載せてしまいました、、^^;;大丈夫でしょうか?? 彼のここまでの苦しみを知らなかったので驚きつつ、乗り越えてきたからこその強さに惹かれますね、、ちょっと、、泣けてくる内容でした(汗)翻訳、感謝です。ありがとうございました!
| momota | 2015/06/03 3:45 PM |
>momotaさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
ご紹介くださったのですね。ありがとうございます。大丈夫どころか、とても光栄です!
私も彼がどれほど苦しんできたか、このスピーチで初めて知りました。そして、どれほどスケートを愛しているのかも!
| たら | 2015/06/05 2:01 AM |
はじめまして。
リッポン選手のスピーチの翻訳、読ませて頂きました。
どうもありがとうございました。
素晴らしい内容ですね。
訳も素晴らしくて、すごく感動しました。
これだけの内容をまとめてスピーチできるというのは
さすがトップアスリート、
身体能力のみならず頭脳明晰なんですね。
アスリートにはそれぞれに感動的なドラマがあるのでしょうけど
今回たまたまリッポン選手のスピーチを知ることができて
とても嬉しく思いました。
グランプリカナダでは惜しくもメダルこそ逃したけれど
素晴らしい演技だったと思います。
今後このスピーチを知っているのといないのとでは
感動が大きく違うと思いました。
次のロシア大会が楽しみです。
どうもありがとうございました。
| yumikoara | 2015/11/07 3:59 PM |
>yumikoaraさん、はじめまして!コメントありがとうございます。
リッポンくんの頭の良さや言葉選びの正確さに、私もびっくりしたスピーチでした。フィギュアは常に自分と向き合って、たった1人で戦う競技だからでしょうか、頭がよく心が強靭な選手が多いような気がします。
カナダ大会、あと1歩だったのに残念でしたよね。でも昨季から今季にかけて本当に強くなったように感じます。ロシア大会ではメダルのチャンスは十分だと思うので、頑張ってほしいですよね。
更新が遅れがちな当ブログですが、また機会がありましたらどうぞお立ち寄りくださいませ!
| たら | 2015/11/08 7:05 PM |
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