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ジョシュア、基金を設立。あの笑顔が戻ってきました…

昨日記事を上げましたが、3日前に自身の治療費のためのファンドレイジングを公表したばかりのジョシュアが、なんとメディアに出てきてくれました。

たまに仲間のスケーターのSNSにチラ映りするのを見かける(それも最近はほとんどなくなっていた…)以外、動いているジョシュアを見るのは何か月ぶりでしょうか。

それも……笑顔です! 右目も右半身もちゃんと動いてる! 神様ありがとう!!!!(号泣)涙涙

 

あのファンドレイジングには瞬く間に目標額の2倍を超える募金が集まっていますが、その余剰金で、なんと自分と同じ症状で苦しむ人たちを手助けする基金を設立するんだそうです。

まだ自分自身が後遺症で苦しんでいて、治療費をかせぐこともままならない状態なのに、いったいなんという人なんでしょう――(号泣)涙涙涙涙

 

ジョシュアはコロラド州コロラド・スプリングスに暮らしていますが、この地域の地方テレビ局KRDO.comのニュースです(下の画像をクリックすると動画つきの元ページに飛べます)

ジョシュアのお母さまも登場して、これまでと現在の様子を少しだけ語ってくれています。

 

Local figure skater brings awareness to traumatic brain injury

 

Local figure skater brings awareness to traumatic brain injury

「地元のフィギュアスケーター、外傷性脳損傷のことを知ってほしい」

 

コロラド・スプリングスに住む元フィギュアスケーターが、脳震盪に3度見舞われた経験から、外傷性脳損傷(TBI)のことを知ってほしいと訴えています。彼は「KRDO NewsChannel 13」のシンシア・マルドナド記者の取材に、自身の経験を語ってくれました。

 

ジョシュ・ファリスは世界を舞台に活躍する選手でした。けれども、脳震盪の深刻さへの理解が足りなかったせいで、大舞台に挑戦するチャンスを失ってしまったのだと、彼は打ち明けました。今彼は、ケガの後遺症で苦しむほかのアスリートたちの手助けになれれば、と願っています。

 

ジョシュは16年をかけてフィギュアスケートを習得しました。

「演技がスタートする前に自分の名前がコールされるときには、ものすごく緊張してお腹の中でチョウチョが飛ぶんですよ(緊張をあらわす決まり文句)。で、”よし、緊張はしてるけど、自分にはできる”って思うんです」

 

ところが、技を磨こうと励んでいたとき、今年開催されるオリンピックに挑戦するチャンスを失ってしまったのです。

「4回転ジャンプの練習をしていたときでした。空中から降りてきて、足とは全然違うところで降りてしまいました。ひじから氷にモロに落ちてしまい、首がガクンとうしろにはねたんです」

それが最初の脳震盪をひきおこしました。

 

けれどもその後、自分で認めるように、彼はリンクに戻るのが早すぎたのです。もう大丈夫だと思い、「続く2週間のうちに、さらに2回の脳震盪をやってしまった」のです。

「第6と第7頸椎のヘルニアになり、目も損傷しました」

彼は今、外傷性脳損傷の症状に苦しんでいます。

「眠れない、鬱、不安、複視(ものが二重に見える視覚異常)、過剰刺激(感覚器官に強い刺激を受けて損傷や異常反応が出ること)、自我の喪失…すべて脳の損傷のせいなんです」


母親のエリン・ファリスは息子の苦しむ姿を目の当たりにしてきました。

「息子は本当にどん底まで落ち込みました。あまりにも鬱がひどく、生きようという意欲をもてない時期もあったんです」

 

「脳震盪は静かに広がる病気なんです。多くの人がひそかに苦しんでいます」

もともとは彼の治療費を募るためにゴーファンドミーのアカウントが立ち上げられたが、ジョシュは今、その余剰金を使って地域に貢献したいと考えています。

「ジョシュの名前を使って、TBIや脳震盪の被害者のための基金を設立しようとしています」(エリンさん)

ジョシュとエリンさんは、この基金が彼と同じ症状に苦しむ人がそれを乗り越える手助けになればと願っている。

 

ジョシュの基金にクリックで募金をお願いします。

 

 

 

 

 

自分の演技を見て笑ってる……(´;ω;`)

映像は、銀メダルに輝いた2015年ソウル四大陸のSP「Give Me Love」。このシーズン一気に飛躍をとげ、ここから平昌五輪めざして羽ばたいていこうという矢先だったのですよね、脳震盪は……。

右目の状態が心配だったけれど、以前と変わらぬきれいな目をしてますね。

 

「元フィギュアスケーター」という紹介に、やっぱりな、という思いですけど、それでも少し安心しました。

でも、今もさまざまな後遺症が出ているんですね。医師に完治したと言われたときには症状は消えていたんでしょうから、その後予想外に再発したのか、新たなに怪我をしてしまったのかはわかりません。

やっと決断した現役復帰への扉が、再び閉ざされてしまったショック――生きる意欲を失ってしまったほどの(涙)――も関係しているのかもしれません。その辺のことは他人にはわかりませんが、本当に本当につらかっただろうなと思います。そばについていらしたお母さまも。

 

ファンドレイジングは「ジョシュアの基金」としてこれからも存続するんですね。私もお小遣い程度ですが、今後もぼちぼち寄付を続けていこうかなと思っています。

ジョシュアの善意が届きますように。そして彼の治療がうまくいって、大学にしろ、振付師にしろ、あるいはまったく違う道であるにしろ、彼の願いがかないますように!

 

 

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カテゴリ:ジョシュア・ファリス | 18:29 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
ジョシュア・ファリス 治療のための基金(23歳の誕生日おめでとう…)

一昨日の1月7日の朝、アメリカでは1月6日、ジョシュアから約11か月ぶりのつぶやきがありました。

 

 

この日はジョシュアの23回目の誕生日でした。おそらく勇気をふりしぼってつぶやいてくれたのは、彼の治療費を募るファンドレイジングへのリンクだけでした。

 

 

Josh's Eye and Brain Therapy Fund

「ジョシュの目と脳の治療のための基金」

 

 

およそ2年半前、ジョシュア・ファリスは4回転ジャンプの練習中に脳震盪を起こしました。ジョシュは今年のオリンピック出場を目指していたフィギュアスケーターでした。その練習の日は、彼の人生を永遠に変えてしまいました。

 

何度も検査を受けながら、4か月間を暗闇の中で過ごしたジョシュは、ラスベカスにあるクリーブランド脳クリニックを訪れ、 第6脳神経損傷との診断を受けました。そこからさらに18か月間の治療期間を経て、医師たちはジョシュにスケートに戻ってよいとの判断を出しました。ところが、ことはうまくいきませんでした。再び医師のもとを訪れたとき、彼の右目に損傷があることが明らかになったのです。この右目の障害を補おうとして、第6と第7頸椎の間の椎間板ヘルニアも引き起こしていました。

 

ジョシュは右半身と右目を使うために脳を再トレーニングする必要があり、このために目と脳の特別な治療を受けなくてはなりません。この検査と治療には4300ドルの費用がかかります。ジョシュは脳の損傷のため1日に2時間以上働くことができない上、この治療には保険が適用されません。

ジョシュがこの必要不可欠な治療を受けられるよう、どうか今日、手助けしてくださることをご考慮ください。

 


四葉のクローバー  四葉のクローバー  四葉のクローバー  四葉のクローバー  四葉のクローバー

 

医学の知識はまったくありませんが、できるだけ正確に訳したつもりです。

脳震盪によりいったん現役引退をアナウンスした後、医師のゴーサインが出て、復帰にむけて練習を再開したのが昨年暮れから今年初め。2月にはアレン・コーチが「彼が初めてクワドを跳んだよ!」とインスタをアップしてくれました。今年の春ごろにはチャリティショーで以前と変わらぬスケートと笑顔を見せてくれていました。

ところが、突然ショーの欠場が決まり、そこから長い長い沈黙が始まりした。エントリーしていたNHK杯も、どこからもアナウンスされることなく、ただエントリー表から名前が消えてしまいました。たまに仲間のスケーターが上げてくれていた彼の写真や動画も、ほとんど上がらなくなってしまいました。

その間に……こんなことになっていたのですね。右目の損傷の程度はわかりませんが、補おうとしてヘルニアを発症するほどですから、軽いものではないのかもしれません。さらに、右目だけでなく右半身にも機能低下の恐れがある模様…。

そして、五輪シーズンもいよいよ大詰め、オリンピアンを決める全米選手権が盛り上がりを見せる中、彼は自分の治療費を求めるファンドレイジングを23歳の誕生日に公表したのです。

 

最初のほうの一文、

  「ジョシュは今年のオリンピック出場を目指していたフィギュアスケーターでした」

   Josh was a figure skater with his sight set on this year's Olympic Games.

過去形、ですね……。

 

現役復帰が発表されたときには、本当に本当にうれしかった。それでも全米の地区予選程度かなと思っていたら、なんとNHK杯にエントリーしてくれた。

NHK杯は、彼がブレークする直前の2014年大阪大会(羽生くんがケガから必死の思いで復帰し、ダイスくんが初優勝に輝いたときですね)に出場した試合です。SP「Give Me Love」、フリー「シンドラーのリスト」とも、ミス連発のボロボロの演技で最下位。悲しそうな顔で客席にお辞儀をしてくれたのが、私が最初で最後に生で目にしたジョシュアの姿でした。翌年のNHK杯にもエントリーしてくれて、さあリベンジ!と思ったら脳震盪で引退。そんなNHK杯に再々度エントリーしてくれたんです。

大好きな「Give Me Love」と、披露されることなくお蔵入りしていた新フリー「ローマの松」がとうとう見られる! クワドも取り戻したなら全米の本選にもきっと出られるはず。四大陸か、もしかしてワールドか、ひょっとして五輪だってありえる⁉…って、そんな夢を見られるようになったのが本当にうれしかったんです。

 

いったん完治したと告げられ、復帰を目指して再スタートした後に再び奈落の底に突き落とされた苦しみは到底他人には想像できません。きっと地獄だったと思います。

それでも、こうやってファンドレイジングを発表してくれたということは、少しでも前向きな気持ちになれたんだと信じたいです。

ジョシュアのスケートがまた見たいとずっと思ってきました。今もその気持ちはかわらないけれど、今はそれよりも彼が健康を取り戻して、幸せな人生を送ってくれることを切に祈っています。「待っているよ」という言葉を投げかけるのも残酷すぎるような気がして…。

 

募金は目標額の5000ドルを大きく超えて、今現在11400ドル以上にのぼっていますね。治療にはこれからも時間とお金がかかると思うから、私もこれからも、超微力だけれど、締め切られていないうちは募金を続けていきたいと思っています。

ジョシュアの治療が成功しますように祈りをこめて――。

 

 

 

★以前訳しました現役のころ、「引退」、そして「復帰」と復帰後の記事へのリンクを貼っておきます。よろしければ読んでいただけたらとてもうれしいです。

 

ジョシュア・ファリス「今を生きる」ロングインタビュー @ FSO 2015.03.04

ジョシュア・ファリス、引退。 icenetworkインタビュー 2016.07.02

ジョシュア・ファリス、現役復帰。icenetworkインタビュー 2017.02.09

ジョシュア・ファリス、新プロ発表&Figure Skating Onlineインタビュー 2017.06.07

 

 

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カテゴリ:ジョシュア・ファリス | 13:15 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
ジョシュア・ファリス、新プロ発表&Figure Skating Onlineインタビュー

2年前の夏に脳震盪(それも1度でなく3度の…><)に見舞われ、現役引退を発表。ところが今年2月に引退を撤回し、現役復帰を発表したジョシュアが、自身の公式サイトで来季の新プログラムを発表してくれました!ハートハートゆう★

 

SPはイギリスのシンガーソングライター、エド・シーランの「Give Me Love」。フリーはイタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギの交響詩「ローマの松」。振付はどちらもジェフリー・バトル。

 

SPは2シーズン前、ジョシュアが大ブレークした(全米銅メダル、四大陸銀メダル)2014-15シーズンに滑っていたプログラム。「僕に愛を!愛をください!」と狂おしいほどに叫ぶその姿に、世界の女性ファンがハートをわしづかみにされたプログラムです。

 

 

翌2015-16シーズンには、SPはこの「Give Me Love」を持越し、フリーは同じジェフ振付による新プロ「ローマの松」をひっさげて、いよいよ世界のトップスケーターの仲間入りへ……というときに、まさかの脳震盪による引退(号泣)。

というわけで、一度も披露されることなく幻のプロとなっていたこの「ローマの松」が、とうとう来季の新フリーとしてお目見えすることになるのですね。うひょー、楽しみすぎる!

 

SPはまったく新しいプログラムを見てみたかった気もちょっぴりないではないですが、いったんは引退を決意し、2年近くのブランクがあったことを考えれば自然な選択なのだと思います。。

「Give Me Love」は大好きなプロですし、どん底からはいあがって自信を取り戻したジョシュアが、2年の時を経てどんな「Give Me Love」を滑ってくれるのか、期待でいっぱいです!きらきら

 

 

新しいスタートを切るジョシュアのインタビューが、彼の公式サイトを管理しているFigure Skaters Onlineというサイトにアップされました。インタビュアーはこのサイトの管理人で写真家でもあるリア・アダムズさん。

ジョシュアという人は、青春の苦悩と甘酸っぱさがあふれる抒情的な演技そのままに、シャイなプライドが香る独特の言葉づかいをする人だなあと以前から思っていたのですが、そのあたりは今もちっとも変わっていないみたいですぴのこ:)

 

元記事はこちら→Josh Farris: “My goal right now is to train and just enjoy it”
Posted by Figure Skaters Online On June 06, 2017
By Leah Adams, owner of Figure Skaters Online  Photos by Leah Adams

 

 

ジョシュア・ファリス

「今の目標は練習すること、そしてそれを楽しむこと」

 

今年のはじめ(2月)、2015年全米銅メダリストのジョシュア・ファリスは、現役への復帰を発表した。ファリスは2015年の夏に脳震盪を複数回起こしたことによって、翌2016年夏に引退を余儀なくされていた。だがその後、健康と自信をとりもどし、昨年秋に練習を再開して、来シーズンの現役復帰をめざしてきた。

5月はじめ、オハイオ州コロンバスで開催された『スケート・イット・フォワード』は、ドナルド・マクドナルド・ハウスの主催で今年から始まったチャリティ・ショーだ。ファリスはこのショーのキャストに名をつらねていた。ショーのあとには、地元のスケーターを対象としたスケート教室もおこなわれた。Figure Skaters Onlineでは、このイベントを終えた直後のファリスに話を聞くことができた。

 


Figure Skaters Online (FSO): 『スケート・イット・フォワード』で滑ったばかりですが、久しぶりに観客の前で演技していかがでしたか?

 

ジョシュア(JF):落馬した馬にもう一度乗るのはむずかしいことだけど、同時に簡単なことでもあると思うんだ。きわめてシンプルだったよ。僕は2年間リンクを離れていたけど、たった2年だったとも言えるのだから。僕にとっては大変なチャレンジではあったけれど、またこの世界に名前を加えてもらうことは途方もなく困難というほどではなかったよ。

 

FSO:ジョシュ、あなたの名前が消えたことなんて一度もありませんよ。あなたは自分が忘れられたと思ったのでしょうけど。

 

JF:(笑う)

 

FSO:現役を離れている間に自分がどう変化し、どう成長したと思いますか?

 

JF:だれでも時がたてば成長するものだけど、僕は1年でおそらく10年ぶん年をとった気がするよ。コーチをしたりほかの人たちと仕事をしたことによって、それまでよりナルシストでなくなったと思うし、スケートの外にも広い世界があることを知って、ちょっと謙虚にもなった。それに、自分の定義は自分でしなければ、他人に定義されてしまうことも知ったよ。それが今の僕のモットーなんだ。
【出た! 上の最後の一文、いかにもジョシュアらしい気がします。いろんな解釈があるでしょうけど、『黙っていたら他人に勝手にあいつはこうだと決めつけられてしまうから、自分のことは自分で主張していかなくちゃ』ということなのだと思います。シャイな自分を変えつつあるってことかな?】

 

FSO:ちょっと印象が変わりましたね。自分自身に対して肯定的になったように見えます。

 

JF:脳震盪によって、僕は6か月か7か月、いや8か月ぐらい世間から隔絶していた。そうなったらだれだって内省的になるよ。その期間は悪いことばかりではなかったと思うし、たくさんのことを学んだよ。外見的にはあまり変わらないかもしれないけど、精神的には自分が30代ぐらいな気がしてる。離れていた時間のぶんだけ大人になった気がするよ。

 

FSO:今ふり返ってみて、もし自分がまだ滑り始めたばかりの若いスケーターだったら何を知っておきたいと思います? もっと昔にこれを知っていたらなあ、ということは?

 

JF:そうだな……食べるための仕事は食べるための仕事にしかすぎない。それは自分を決めるものではない。
【またジョシュア語録w おそらくですけど、『生活費をかせぐためにどんな仕事についていようとも、それによってその人の人間性や価値が決まるわけじゃない』ということ? スケーターとして成功できなくてもそれで君の価値は下がらないよ、と言いたいのかな…】

 

FSO:来季は2014-15シーズンのSPであるエド・シーランの「Give Me Love」を継続するそうですが、ご自身にとって大切なプログラムだから、という理由なんですよね。それは歌詞が、という意味でしょうか? それとも振付が?

 

JF:(2014-15は)脳震盪をおこす前に僕が急成長できたシーズンだったし、曲を聞いただけで自信がわいてくるプログラムなんだ。ギターで弾くこともあるよ。とてもなじみの深い曲だし、復帰のシーズンにぴったりのすばらしい曲だと思う。

 

FSO:怪我のことを少しだけ聞かせてください。脳震盪だけでなく、長年の間にいろいろな怪我をされてきましたよね。今、怪我に見舞われている人がいたとしたら、なんと言ってあげますか?

 

JF:怪我はどんなスポーツにもつきものだ。ほとんどの場合は回復することができる。意志をしっかりもって、強く願えばね。そして、ハツパ(イーディッシュ語で「ずぶとさ」)があれば。

 

FSO:急にイーディッシュ語ができるようになったんですか? リハビリ中に習ったとか?

 

JF:(笑う)

 

FSO:(離れている間に)どんな教訓を学んだのか教えていただけますか?

 

JF:プログラムを滑り続けろ、ということかな。以前は、うまくいかないときにはスピンを飛ばして休憩しようとしていたけれど、今はもっと大人になったよ。

 

FSO:さっきのセミナーのとき、あなたは長さ60メートルのリンクのショートサイドから反対側のサイドまで、たったひとけりで滑っていましたね。

 

JF: ただ好きに滑っていただけだよ。

 

FSO: 今でもギターは弾くんですか?

 

JF: ええ。

 

FSO:作曲も?

 

JF:やろうとしてはいるよ、下手だけど(笑う)。もっときちんとレッスンを受けて、ちゃんとした曲を書けたらなと思っている。作曲は僕の趣味であり、逃避の手段でもあるんだ。健康的な逃避さ。自分の部屋で曲を書いているだけで終わっても、僕は全然かまわない。でも、そのうちそれを外に持ち出して、人前で曲を披露したいと思うようになったら、それもいいかな。僕が音楽を愛する理由は、音楽というのは自分が望むとおりのものになってくれるからなんだ。

 

FSO:今年、スケート以外で何かやりたいことはありますか?

 

JF:グレートサンドデューンズ(コロラド南部にある国立公園)に行ってみたいな。僕の旅はなりゆきまかせなことが多いんだけどね。キャンプにも行こうと思ってるし、テキサスにもう何回か行きたいし、家族にも会いに行くつもりだ。

 

FSO:今年の目標は何ですか?

 

JF:みんなが僕に、「五輪に出ることです」って言わせたがってるんだよね。でも、今の僕の目標は練習すること、そして練習を楽しむことなんだ。グランプリシリーズには出たいけど、とにかく目指しているのはスケートをすることなんだ。

 


*筆者註:その後の5月26にGPSのアサインが発表され、ファリスはNHK杯(11月10-12日大阪市)出場が決まった。
 

 

 

 

 

子どもたちを教えているときの穏やかな笑顔が素敵ですね。氷の上に帰ってくることができて、心からよかったなあと思います。

そして……ジョシュア〜、NHK杯を本人が選んでくれたのかわかりませんが、脳震盪前にアサインされていたNHK杯にまた来てくれることになって本当にありがとう〜〜ハート

(絶対絶対チケット当たりますように、神様!どうぞよろしくお願い申し上げます!と今から祈っておく……)

 

JUGEMテーマ:フィギュアスケート

カテゴリ:ジョシュア・ファリス | 16:40 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
ジョシュア・ファリス、現役復帰。icenetworkインタビュー

じょ、ジョシュアの約1年ぶりのつぶやきです…

 

 

ジョシュアが戻ってくる――。

 

2016年の夏、あのすばらしくも悲しい引退インタビューを書いたニック・マッカーベル記者が、今度はすばらしい復帰インタビューを記事にしてくれました。

 

めったに自分の声をSNSに上げないジョシュアですが(それにはシャイな性格以外に理由があったことを、去年の記事で知ったのでした…)じつは家族や友人、コーチ、医師など、まわりの人々からすごく支えられてきたんですね。そして、彼自身がとても強い人であることを、今回改めて知りました。

 

おかえりなさい、ジョシュア。決断してくれてありがとう。神様、治してくれて本当にありがとう。


元記事はこちら→For the love of the sport: Farris announces return
Posted 2/8/17 by Nick McCarvel, special to icenetwork

(時間がなくてざっと訳なのでもし間違い誤訳誤字などあったらすみません)

 

 

 

「スケートへの愛のために:ファリス現役復帰を発表」

 

これは忍耐と勇気と情熱、そして何よりもスケートへの愛の物語だ。主演はジョシュア・ファリス。

 

2015年夏に連続して複数の脳震盪にみまわれたファリスは、今後さらなる脳震盪を起こす危険があるとの理由から、2016年夏に現役を引退した。だが今、脳震盪が完治し、医療チームからのゴーサインも出て、彼は試合に復帰することを念頭にリンクに帰ってきた。

 

そして彼はちっとも変わっていなかった。

 

「僕は自分自身のために滑りたいんです」今週はじめ、ファリスはicenetworkとの独占電話インタビューでそう話した。「結果のためではなく、スケートへの愛のために滑りたい。滑るために滑りたいんです」

 

当面の目標は、ただ氷に乗ること、健康でいること、滑ることだ。長期的な目標はまだ具体的には決まっていないが、それでもファリスは今、コロラドスプリングスの〈ブロードムア・ワールド・アリーナ〉に、クリスティ・クラールとデーモン・アレンをコーチとして戻ってきている。すでに3Aを跳んでいるという。

 

●気持ちの変化

 

僕が最後にファリスと話したのは、彼の人生で最悪の時期が終わろうとしている頃だった。2015年全米選手権で3位となり、世界選手権デビューも果たした(結果は11位)あと、彼は練習で4Tを跳ぼうとして転倒し、頭を打った。その後すぐに、さらに2回の脳震盪にみまわれた。

 

「長く苦しい1年でした」去年の6月、彼はそう言った。「滑り続けるのは危険が多すぎると、正式に判断しました。脳震盪の再発への恐れをいだくことなく生きていきたいんです」

 

ところが、引退発表から数か月後、その判断は間違っていたのではないかと思い始めたという。ファリスはワールド・アリーナでコーチをしていたが、時がたつにつれて症状はよくなっていった。そこで、医師に相談してみた。(引退を決めた当時)医師たちは、完治すれば脳に損傷が残る危険性はなくなると言っていたからだ。

 

「でも、引退を決めたとき、僕はまだ鬱状態にありました。それ以降、考え方が変わったんです。」

 

競技から離れている間、ファリスはプロホッケーの大ファンになっていたのだが、ホッケーのような激しい接触スポーツで、選手たちがどんな犠牲を払っているのかわかったという。氷の上で戦う戦士たちを見て、自分もそうなりたいと思うようになった。

 

「僕は幸運だったんです」とファリスは話した。「治療にかかわってくれた医師たちは、医師のチェックを受け続けるのであれば、現役に戻ってもだいじょうぶだと確約してくれました。ただし、プロホッケー選手になるのでなければ、ですけどね」

 

●決意

 

自分がどれだけスケートを愛していたか、離れてみて初めてわかったのだと、ファリスは言う。昨年9月か10月頃までは引退したことをあれこれ考えることはなかったが、11月はじめに本格的に練習に戻ったとき、次に何をすべきか悟ったのだという。

 

「練習は思っていたよりずっとうまくいきました。感謝祭の直後ぐらいには、『トリプルアクセルが跳べているんだから、もう一度復帰してみても全然かまわないんじゃないか?』と思ったんです」

 

これほど長く休んでいたにもかかわらず、ほとんど状態が落ちていなかったこと。このことによって、ファリス自身や一緒にリンクにいた人たちも、彼が今の男子フィギュアにおいて最高の才能の持ち主であることを改めて知ることになった。

 

「スケートを再開し始めたばかりの頃、リンクにいた人たちに『今までずっと滑っていたの? 週末の休みをちょっと長めにとっていただけみたいに見えるね』と言われたんですよ」ファリスはそう言いながら笑った。「それで気づいたんです。そうか、僕はフィギュアスケーターとしての才能にすごく恵まれているんだなって」

 

感謝祭の休暇でダラスに住む父親ロッドのもとを訪ねたときには、自分の中で気持ちは固まっていた。

 

「父はスケートにかかわるいろんなことで、とても助けになる人です。で、このことを父と話しているうちに、『よし、やってやろう。僕はできる』という気になったんです」

 

クラールとアレンの両コーチにはこれまでも何かと相談してきたが、ファリスはふたりに今の気持ちと決心を伝えた。アレンコーチと話をしたのは12月はじめのことだった。

 

「デーモンのところへ行って、こう言ったんです。『あんなふうに(キャリアを)終わることはできない。戻って戦いたいんだ』と。そしたら、アレンは『わかった』と。彼もクリスティも、僕はまだ終わったわけじゃないとわかっていたんだと思います。僕のまわりにいた多くの人は、まだ僕はスケートをやめるべきじゃないとわかっていました。僕ははじめ、彼らは間違ってる、ただの希望的観測だと思っていました。でも、彼らは正しかったんです」

 

●復帰への長い道のり

 

練習を再開したのが11月はじめ。今はジャンプも毎日跳んでおり、エッジ使いも現役時代より上手く、より深くなっているのだそうだ。オフアイストレーニングや体力づくりにも励んでいるが、これらの面についてはまだ不足していると感じている。

 

復帰戦については、初夏から真夏にかけて行われる大会への参加を考えている。2シーズン休んだことにより有効なポイントはすべて失ったため、アメリカスケ連からGPSのアサインを与えられるには自分から嘆願書を出す必要がある。

 

アメリカスケ連は、ファリスは2015年世界選手権で12位以内だったため、規定によって「復活した選手」として扱うことが可能である、とのコメントを出した。ということは、シニアB大会への出場資格があり、夏の大会への出場をこなせばGPS(最も可能性があるのはスケート・アメリカ)への資格も得ることになる。

 

五輪シーズンに復帰することになるが、目指すものは平昌五輪ではないという。

 

「五輪に出られたら嬉しいかと言われれば、はい、嬉しいですし、手が届く可能性があるかと言えば、あると思います。でも、それが最優先事項かといえば違うんです。僕は自分のために戻ってきたいんです」

 

「この話をしたら、みんなすごく喜んでくれました。僕の周囲の人はみんな、僕がまだ終わりじゃないとわかっていたんだと思います。僕が味わった『トラウマ』を乗り越えられたことを、だれもが喜んでくているんだと思います」

 

●新しいジョシュア

 

そのトラウマについて、ファリスは今、話をすることができる。だが、その数か月間、それは暗い現実だった。脳震盪のため、明るい照明がついた部屋にいることができなかったため、暗く静かなところに何時間もこもっていなくてはならないこともあった。音楽とギター、そして両親やスポーツ心理学者のキャロライン・シルビーと話すことが助けになった。

 

これらの時間が、自分が誇れる人間、試練にみまわれても果敢にチャレンジできる人間へと成長するチャンスをくれた、とファリスは言う。ワールド・アリーナではマックス・アーロンとよく顔を合わせたし、ジェイソン・ブラウンもファリスの状態や回復具合を気にかけて定期的に連絡をくれていたという。

 

ファリスは引き続き母と暮らしており、ワールド・アリーナでのコーチ業も続ける予定だ。クラールとアレンの両コーチがいれば、以前よりもっといいスケーターになれるだろうと、彼は考えている。

 

ファリスはなめらかで変化に富んだスケーティングが持ち味だが、そのキャリア中ずっと、いろいろな理由から試合で力を発揮することがなかなかできなかった。だが、休んでいる間に冷静さを身につけ、メンタルの状態も変化したため、元と同じ悪いパターンにおちいることはないと確信しているという。

 

このことは、クワドについて質問した答えに明確にあらわれていた。

 

「クワドは絶対に挑戦したいと思っています……いや、『挑戦する』はやめておこう。クワドは跳びます。休んでいた時間が、過去の僕の悪い習慣を取り去ってくれていたらいいな。今は自分をきたえ直し、平静でいられるようになったんです。以前は一生懸命やりすぎていました。クワドは簡単なものではないけれど、当たり前のジャンプの一環として取り組まなくてはならないものだと思います。」

 

●確かなもの

 

これまでの2年間をどう表現すればいいのか、まだちゃんとはわからない。だが、今は自分に自信が持てている。それが一番大切なことだと、彼は言う。

 

「この2年が僕の人生の『もっとも暗い時代』だったのかどうかはわかりません。人はだれでも人生で暗い時期を経験するものですし。僕はスケートを離れて、人間として自分自身のことを理解していったんです。何かを失ってみて、それがどれほど大事なものだったのか初めて理解できます。それがこの2年間から得ることができた最大の教訓であり、最大の収穫です。今、僕にはこれからのロードマップ(道路地図、工程表)があります。今はまだ短期的な目標ではあるけれど」

 

これから自分の前に伸びている不確かな道を進んでいく上で、もっとも大切なもの、進んでいく意味をもっとも与えてくれるものは、家族的なつながりだという。

 

「僕には優秀でしっかりしたチームがついてくれています。彼らが『君は滑るために滑る。そのために戻ってくるんだよ』と思い出させてくれました。そう、だから僕は戻ってくるんです。自分のサポートチームのことを、僕はとても信頼しています。彼らが僕を呼び戻してくれたんです」

 

 

3週間前にこの写真をあげてくれたペアのマックス・セトレージ選手のインスタより。

アイスダンスのジョー・ジョンソン選手とともに、この2年間ジョシュアの近況をさりげなく楽しく知らせてくれてほんとにありがとう。

記事に出てきたマックスもジェイソンも、みんなほんとにあったかいなあ…

 

 

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カテゴリ:ジョシュア・ファリス | 10:03 | comments(27) | trackbacks(0) | - | - |
ジョシュア・ファリス、引退。 icenetworkインタビュー

夜、ちょっと酔って帰宅したら、このニュースが待ち受けていました。
かすかに聞こえてくる噂からもしかして復帰は無理なのかもと恐れながらも、ごくたまにジョシュア本人が発信してくれる意志に満ちた言葉から、いつかは戻ってこれる日が来るのではないかと、ずっとずっと思っていました。

 

icenetworkにジョシュア本人に電話インタビューした記事が掲載されましたので、全文訳してみました。
私たちが思う以上に苦痛に満ちた日々を過ごしていたんですね。(程度はまったく違うけれど私も偏頭痛もちなので、痛みのつらさや暗がりにじっとしていなくてはならない気持ちはほんの少しわかります。ジョシュアの苦痛や不安感とは比べものにならないけれど)
それでもインタビュー後半では、これからに向けた前向きな言葉が聞けるのが救いです。そして、ファンについてほんの少しですが語ってくれた言葉……。


ジョシュアの行く先に幸せと成功に満ちた将来が待っていることを心から祈っています。

 

元記事→Long battle with concussions ends Farris' career by Nick McCarvel

 

 


「脳震盪との長い戦いがファリスのキャリアに終止符を打つ」

 

その言葉は、ジョシュア・ファリスの口からなかなか出てこなかった。ようやく口にしたとき、彼は「とりあえず今のところ」という言葉をつけ加えた。
「とりあえず今のところ、僕は競技をやめることを決めました」
それからひとつ深呼吸をして、言葉を続けた。
「僕はいつだって決心を変えられる……医師はそう言っているんです。でも、その危険をおかす価値は今はありません。僕は学校へ行きたい。ほかの人たちの助けになりたいんです」

 

この12か月はファリスの人生においてもっとも苛酷な期間だったと言っても言い足りないぐらいだろう。美しく抒情的な演技で、2015年全米選手権で銅メダルを獲得。全米でトップ3に入ったのはこれが初めてだった。その後、2015年四大陸選手権では2位、続く世界選手権では11位。彼のキャリアの中で最高のシーズンとなった。

 

その後は? その後はすべてが文字通り崩れ落ちた。

 

現在21歳のファリスは、2015年のひと夏の間に3度の脳震盪に見舞われた。これらの怪我は、彼の人生をどん底の暗がりにつき落とした。その暗がりから、彼は今やっと抜け出そうとしている。
最初の脳震盪は4回転トゥループを跳ぼうとしたときに起こった。2度めは1度めから若干早く復帰しすぎたときに起こった。1度目の後のCTスキャンでは異常はなく、症状も現れていなかったのだ。3度めはまったくの不意打ちだった。2度めの脳震盪から間もない頃、車に乗ろうとして頭をぶつけたのだ。

 

「何が起きたとしても、僕のスケート人生は終わろうとしていたんです」
彼は先週、icenetworkとの電話インタビューでそう話した。
「現役を続けるのはリスクが高すぎると、正式に決断しました。後遺症の発症を恐れることなく人生を送りたいんです」

 

恐れ

 

昨年7月にファリスが氷を降りて以来、彼の生活には常に多大な恐怖がつきまとっていた。3度の脳震盪の後、偏頭痛のようなひどい頭痛が起こるようになった。そのたびに暗い部屋に何時間もこもって、自然光も人工の光も避けなくてはならなかった。

 

「長く、苦しい1年でした」
父親のロッドがそばに付きそう中、ファリスは電話を通して語った。
「今から3週間前まで、僕には予定というものがなかったんです。なぜなら予定を立てられなかったから。気力がわかなかったからではなく、脳震盪の症状のせいです。いつどこで発症するかわからないんです。すごく不安定でした」

 

最初はスケートに復帰しようと試みていた。だが、2011年のGPSの欠場を決めた後、ファリスはコロラドスプリングスのオリンピック・トレーニングセンター内にある彼のアパートで、かなり長い期間をたった1人で過ごしていた。その後半年間、友達であるアイスダンサーのジョー・ジョンソン選手と同居した後、4月からは母親とともに暮らし始めた。

 

脳震盪による後遺症のため、いらいらがつのり、やがてそれは鬱状態へとつながった。彼は友達や家族の助けや、注意深いスケジューリング、そして音楽への愛に支えられて、この鬱状態と戦い続けてきた。

 

「最初の2か月ほどは、息子はほとんどの時間、暗い部屋にすわって過ごしていましたね」
父親のロッドが言う。
「彼はほとんど何をすることもできませんでした。すぐ頭痛を起こしてしまうんです。トレセン内のカフェでさえ不安でなかなか行けなかった。それは……もう本当に大変でした」

 

追い打ち

 

なんとか後遺症に対処しようとしていたファリスだが、脳震盪は彼が昔から抱えているある症状をも悪化させてしまった。それは失読症(視覚または発声器官に異常がないのに、文字を理解することができない、または読むことのできない状態)だ。

 

「自分が失読症であることは8歳のときからわかっていました」
ファリスは子どもの頃に一度脳震盪を起こしたことがあった。それが失読症のきっかけになったかどうかはわからないという。

 

ファリスは日々、失読症に対処する生活を送っていた。文字を読んだり書いたりすることが彼には難しかった。そのため2015年に脳震盪を起こす以前から、人と交流することが時に非常に苦痛だった。試合時のミックスゾーンのインタビューや、ファンとの交流会(meet-and-greets)で緊張してしまうのだ。この症状が昨年夏から悪化した。

 

「いろんなことが合わさって、不安におちいってしまったんです。なぜなら、自分の考えを自分が伝えたいと思ったように発することができないから。それでも、かなり改善はされてきました。学習能力がないことへの自信のなさを、音楽が埋めてくれたんです」

 

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カテゴリ:ジョシュア・ファリス | 05:35 | comments(29) | trackbacks(0) | - | - |
ジョシュア・ファリス、クラールコーチが語る脳震盪の詳細@Icenetwork
突然こんなツイートがTwitterのタイムラインに現れたのが、今からほぼひと月前の8月25日。
  「米スケート連盟のレポートによると、ジョシュア・ファリスは脳震盪のため強化合宿を欠席している。脳震盪は完治に向かっている」(スポーツライターのエイミー・ローズウォーターさん)

それ以降、米スケ連やメディアからまったく何の情報もなく、もちろん普段からめったにつぶやかないジョシュア本人も沈黙したまま、ファンがやきもきしているところへ舞い込んできたGPS欠場の知らせ。
そして、やっとやっと、ジョシュア本人がつぶやいてくれました。
  「GPSを棄権することになってしまい、非常にがっかりしています」
「僕は今、着実に回復に向かっていて、できるだけ早く氷の上に戻れるよう願っています。ファン、家族、友達からのすべてのサポートに感謝します」



そして今日、Icenetworkからジョシュアのコーチ、クリスティ・クラールさんのインタビュー記事がアップされました。記事を書いたのは、ひと月前の第一報をツイートしたエイミー・ローズウォーター記者。やはり脳震盪は練習中の転倒によるものだったのですね…。

元記事はこちら→No timetable for Farris' return from concussion



「ファリス、脳震盪からの回復時期は不明」

クリスティ・クラールコーチは、ジョシュア・ファリスが氷上に戻ってくることを心から願っているが、教え子への一番の望みは彼が健康を回復することだという。だが、回復までどのくらいの時間がかかるか、今はわからないそうだ。

米スケート連盟は今週金曜日、2015年全米銅メダリストのファリスについて、脳震盪が完治していないためGPSを2大会とも欠場する、と発表した。ファリスは8月下旬のChamps Camp(アメリカのトップ選手を集めた強化合宿)にも参加しなかった。

「脳震盪はふつうの怪我とはまったく違うものよ」2011年からダモン・アレンと共にファリスのコーチをつとめているクラールはそう話した。「彼がスケートを大好きなこと、スケートをとても恋しがっていることは、よくわかっているわ。でも、脳震盪というのは決して甘く見てはいけないものなの」

表現力豊かなスケーターとして知られるファリスは、2015年四大陸選手権で銀メダルに輝くなど、昨シーズン後半に大活躍し、今年のスケート・カナダとNHK杯でも高い期待がかかっていた。だが、クラールによると、ファリスは7月中旬にコロラド・スプリングスで練習中、4Tで激しく転倒した。その際、「むちうちのように、首ががくんと後ろにのけぞった」という。

「私はその瞬間は見ていなかった。でも、それから約30分たってから、彼が私のところへやってきて、何かおかしな感じがすると訴えたの。それで(米国オリンピック委員会の)トレーニングセンターへ向かったわ」

「彼は頭痛がして、何か違和感があると言った。イライラして落ち着かない感じがすると。それから3週間後、彼はリンクにやってきて2Aを跳んだ。転倒はしなかったけれど、着氷した後に彼は『何かが変だ』と言ったのよ。それ以来、彼はスケートをしていないわ。私たちは治療に積極的に取り組んでいて、彼は今、回復しつつあるところよ。彼はすごく幼い頃、7歳か8歳の頃に一度脳震盪をやったことがあるの。2度目の損傷に耐えられなかったのね」

クラールによると、ファリスはこの時以降、氷に乗っていないという。

クラールはスポーツ科学を研究していることでも知られているが、ファリスには今、「ファンからのサポートが必要」なのだと彼女は強調する。

「私たちはみんな、ジョシュのためにできる限りのことをしたいと思っているわ。彼はとても努力家のアスリートであり、人間としてもすばらしい人だから」

米スケート連盟からのニュースリリースの中で、ファリスは次のようなコメントを出している。「GPSを棄権することになってしまい、非常にがっかりしています。僕は今、着実に回復に向かっているところです。できるだけ早く氷の上に戻れるよう願っています」

ファリスは世界ジュニアで優勝後、2015年にシニアの世界選手権にデビューし11位になっている。米スケート連盟によると、スケート・カナダにはファリスに代わってティモシー・ドレンスキーが出場する。NHK杯の代替選手についてはまだ発表されていない。

最近、脳震盪によって影響を受けたスケーターはファリスだけではない。昨季サイモン・シュナピアとペアを組んでいたディーディー・レンは、今年の初めに脳震盪を起こし、それ以来リンクから遠ざかっている。アイスダンスの現世界チャンピオンのガブリエラ・パパダキスも脳震盪に見舞われ、11月まで試合に出場できない見込みだ。

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……涙。

この記事にはジョシュアの言葉はありませんが、クラールコーチのこの言葉。
「彼がスケートを大好きなこと、スケートをとても恋しがっていることは、よくわかっているわ」 (I know he loves skating and he misses skating a lot)
misses skating a lot ということは、おそらく彼は今、スケートができないことをとてもとても悲しんでいるんでしょうね…。

ジョシュアが、去年大惨敗したNHK杯にふたたび戻ってきてくれることを、私はすごく楽しみにしていました。ジョシュア自身も、またNHK杯に出られることになって嬉しいとつぶやいてくれていました。
  「僕が一番好きなGPSの2つの大会にまた出られることになってラッキーだ! 日本大会のことはとても嬉しいよ。今度こそいい演技ができるチャンスだからね!!」

でも、NHK杯欠場の理由がやはり脳震盪だとわかった今は、とにかく完治して健康な体を取り戻してほしいという気持ちでいっぱいです。
そして、クラールコーチは「今の彼にはファンのサポートが必要」と言っているんですよね。きっとジョシュアはこれからもなかなかツイートしてくれないでしょうけど、なんとかファンとして声を届けたいな…そう思っています。

それにしても、スケートって本当に過酷なスポーツですね。あの硬い氷に日々体を打ちつけているんですもんね。
ガブリエラ選手とディーディー選手も、一刻も早く完治しますように!


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カテゴリ:ジョシュア・ファリス | 02:39 | comments(18) | trackbacks(0) | - | - |
ジョシュア・ファリス 「自分の『声』を見つけて」 @ icenetwork
えーと……3回連続ジョシュアです^^;
で、でも! ワールド前の、ほとんどの選手がシークレットモードに入るこの時期、次々と記事が出てくるのはありがたいことです〜。
筆者はスポーツライターのニック(ニコラス)マッカーベル氏。四大陸を終えたジョシュアとコーチのアレンコーチへのインタビューのほか、振付のジェフやカウンセラーなど関係者のコメントもあって、なかなか読み応えがあります。3月10日付でicenetworkにアップされた記事です。

元記事はこちら→Finding his voice: Farris just realizing full potential



「自分の『声』を見つけて:自身のポテンシャルを自覚し始めたファリス」

それは2015年全米選手権が始まる前日のことだった。会場のグリーンズボロ・コロシアムで、ジョシュア・ファリスはいらだっていた。今シーズンの前半は散々だったし、夏に捻挫した足首の痛みがまだ完全には取れていなかった。そして、それまでずっと自分に自信が持てないことで苦しんできたファリスだったが、今またその悪い感情が、リンクの氷の下で泡だっているような気がしていた。

ところが、この日――20歳にしてシニアで初めてブレークすることになった、あのSP演技の前日――ファリスはいつもやらないことをした。公式練習の曲かけで、すべてのエレメンツをフルでおこなったのだ。しかもノーミスだった。
「僕、やったよ!」
めったに自慢などしないファリスだが、リンクサイドのデーモン・アレンコーチのところへ、息を切らしながら戻ってくると、そう言ったのだという。
それが、すべてが好転した瞬間だった。

あれから6週間近くたった現在、ファリスは3月末におこなわれる自身初の世界選手権に向けて、用意を整えているところだ。全米銅メダルの後は、四大陸選手権で銀メダルに輝き、今の戦略が成功していることをあらためて自覚することになった。
「あの全米での曲かけ練習は、彼にとってものすごく重要な転換点だったんだ」
アレンコーチがそう話すと、ジョシュアもうなずいて言った。
「僕は自分で作ってしまった壁に向かって、ひとりで壁打ちしていたんです。それはそこにある必要のない壁だったんです」
その壁が突然、崩れたのだ。目の前に開けたのは新しい氷上の世界、ワールドクラスの舞台だった。そんな舞台に立つことを自分はずっと恐れていたんです、とファリスは言う。

「ジョシュがブレークしたのは、時間をかけてさまざまなポジティブな行動を起こしてきた成果だったんですよ」
ファリスがカウンセルを受けているスポーツ精神分析医のキャロライン・シルビーは言う。
「全米選手権には、ある特定の『ノイズ』があるんです。ジョシュはそのノイズを、自分をオープンにして、目の前のことをはっきりと見つめるために使いました。そうした上で、自分のやるべきプランを、責任をもって主体的にこなしていったんです」
【↑ノイズは「雑音」ですが、ここでは「集中を妨げたり判断に迷いを生ずるような他人の言動、社会的圧力」(ウィキペディアより)の意味かと思われます。カウンセリングのことはよくわかりませんが、なかなかプロっぽいアプローチですねぇ】

* * *

ファリスは昔から氷の感覚に鋭敏で、まるでリンクの表面から浮いているように見えるような、美しいポジションを描いて滑ることができるスケーターだった。全米選手権では2013年と2014年の2年連続で4位。うれしい成果ではあったが満足はしていなかった。ジェイソン・ブラウンとは10代の間ずっと競い合ってきたが、そのブラウンにもいきなり先を越されてしまった。

でも、今年の全米では、これまでの肉体的・メンタル的な努力がみごとに実を結んだ。すぐ後の四大陸でもそうだった。ファリスは自分のスケートを信じられるようになり、それは結果に表れるようになった。
「アメリカや世界のトップ選手になれると信じている自分と、トップ選手の世界を恐れる自分――僕の心の中に、そんな両方の自分がいたんです」ファリスはそう打ち明けた。「ただ尻込みしていたんだと思います。もしかするとプレッシャーが怖かったのかもしれませんね。でも、今はもう怖くはないです。今は自分が滑りたいように自分を滑らせている、という感じです。自分がブレークできるシーズンがとうとうやってきたんだなあと」

ファリスのSP「Give Me Love」は、情感豊かな、評判の高いプログラムだ。振付をおこなったジェフリー・バトルは次のように話す。
「彼は大人になってきた。成熟してきたんだと思う。人は経験を積んでこそ成熟するものだからね。それに、ジョシュには音楽への感受性がそなわっていて、氷の上で自分が何を感じているのか、観客に何を感じてほしいのか、伝えることができるんだ」

* * *

今から1年前の2014年2月、ファリスはそれまでずっとそうだったように、自信を失ってフラストレーションにまみれていた。おりしもソチ五輪が始まろうとしているときだった。彼は家族や親せきとスキー旅行に出かけていた。
ある夜のこと、彼は暖炉の前にすわり、アコースティックギターをかかえた。そして、みんなに「一緒に歌おうよ」と言って歌い始めた。ところが、みんなは歌を歌うこともなくじっとしている。
「みんなが言ったんだ。わあ、ジョシュ、すごくいい声してるんだねって」
このことは大きなメッセージとしてファリスの中に入ってきた。自分の力を信頼しろ、自分自身を信じるんだと。
「僕はすごくシャイで内向きな人間なんです」とファリスは言う。「歌を歌ったり楽器を弾いたりすることが、僕を自分の殻の中から引っぱり出してくれた気がします。それが、観客に感情を伝える助けになったんだと思うな」

NBCの全米選手権の放送で、解説のタラ・リピンスキーはファリスについてこうコメントした。
「ジョシュは私の知る限り、アメリカでもっともオールラウンドなスケーターの1人だわ。ジェイソン・ブラウンは表現力でとても人気があって、いつも高いPCSを出す選手だけど、私の意見ではジョシュアのほうが上だと思う」
ジョニー・ウィアーもこう言っている。
「ジョシュアは天性のアーチストだね」

ファリスによると、この『表現力』は、昨年春にスターズ・オン・アイスのツアーに参加したことで身についたものだそうだ。ツアーでは、ファリスが長年あこがれてきたスケーターたちと数週間、各地を遠征して回った。
「もしスターズに参加していなかったら、全米と四大陸であそこまでいい演技をすることも、あそこまで力を伸ばせることもなかったと思います」と、ファリスは言う。「スターズではたくさんのことを勉強しました。特に、観客に感情を伝えること、プログラムを売り込むことを学びました」
【↑最後の「売り込む」ですが、原文ではsell the program。フィギュア記事でよく使われるんですが、いまいち訳しにくい言葉です。観客にアピールしつつプログラムの魅力がしっかり伝わる演技をする、といった意味だと思います】

現在、クワドの調子もいいという。世界選手権では引き続きフリーに4Tを入れるほか、SPにもクワドを入れる予定だ。

* * *

「ジョシュはやっと自分に才能があることに気がついて、それを信じ始めたんだ。そしてこの新しい意識が、試合で自分はできるんだという自信につがることを、ようやくわかってきたところなんだよ」
コーチのデーモン・アレンはそう話す。ファリスはアレンコーチの元で、コロラドスプリングスのワールドアリーナを練習拠点にしている。
「ジョシュは天賦の才にめぐまれたアスリートでありアーチストだ。どんなに難しいエレメンツでも、美しいポジションとなめらかな動きで実行できる。これは他の多くの選手にはできないことだよ。ジョシュにはフィギュアというスポーツにおいて無限の可能性があり、男子フィギュアをリードしていけるだけの潜在能力がある…僕はそう感じているよ」

壁がなくなった今、ファリス本人も自分の実力を理解し始めたところだ。昨年秋に11位と惨敗したNHK杯の亡霊はもういない。ここぞというところで力を発揮できないんじゃないかという恐怖心も、もう存在しない。ファリス自身も、実績を上げたことで世界選手権に高い目標を置くようになった。
「四大陸は本当に自信になりましたね。もしもSPとフリーの両方で自分の力を最大限に発揮できたら、トップ5に届くことは可能だと思います。僕にとって初めての世界選手権だから、5位に入れたら立派なものだと思うな」

歌とギターへの愛情も新たなレベルに達しているようだ。余暇に自分で作曲することもあるのだという。
今、自分のキャリアについての曲を作ったとしたら、どんな曲名になると思いますか? そうたずねてみると、彼は笑いながら答えた。
「じつは自分のキャリアについての曲は、もう今までたくさん書いているんですよ。そうですね、『まさしく今だ』とか『これって本当に現実なの?』とかかな」

そのとおり、これは夢などではなく現実だ。そして、このまま順調に進んでいけば、自作の曲の歌詞はますます増えていくことだろう。

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きゃvネコ ちょっと凝った文体の記事なので、わかりにくいところもあるかもですが、とにかくジョシュアが今「大ブレーク中」なのは間違いない!という記事ですね!
シニアに上がってしばらく不振におちいっていたのは、怪我ももちろんあったんでしょうけれど、もともとシャイな性格なのもあって、「自分に自信がもてない」というメンタル要因が大きかった、とのこと。
そんな自分の殻をうちやぶるきっかけになったのが、ソチ五輪の華やぎの外で自信をなくしていた頃、親しい人たちと暖炉を囲みながら、ギターの弾き語りをしたことだった――
という、どこのアメリカ青春映画ですかー!!なエピソードも。
やっぱりフィギュアってメンタル的なものが大きいんだなと、改めて感じた記事でした。

そして、ワールドではやはりSPにクワドを入れてくるんですね。今までは3A 3F-3T 3Lzという構成でしたが、2本目を4T-2Tにするのかな? クワドが入って、あの「Give Me Love」の世界がどうなるのか、今からすごーく楽しみです。

ところで、去年の春にジョシュアが出演した ”Stars On Ice” アメリカツアーでの男性グループナンバーがこれ。この豪華なメンツの中でジョシュア、めっちゃ主役ですねー。そして抜群の音感でノリノリで踊ってます。こういう明るい曲も試合で見たい!



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カテゴリ:ジョシュア・ファリス | 10:51 | comments(13) | trackbacks(0) | - | - |
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