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たらのフィギュアスケート日記大好きなフィギュアスケートについて語っています。
男子シングルに偏る傾向あり。 たまに海外記事も翻訳してご紹介します。 |
昨日記事を上げましたが、3日前に自身の治療費のためのファンドレイジングを公表したばかりのジョシュアが、なんとメディアに出てきてくれました。
たまに仲間のスケーターのSNSにチラ映りするのを見かける(それも最近はほとんどなくなっていた…)以外、動いているジョシュアを見るのは何か月ぶりでしょうか。
それも……笑顔です! 右目も右半身もちゃんと動いてる! 神様ありがとう!!!!(号泣)
あのファンドレイジングには瞬く間に目標額の2倍を超える募金が集まっていますが、その余剰金で、なんと自分と同じ症状で苦しむ人たちを手助けする基金を設立するんだそうです。
まだ自分自身が後遺症で苦しんでいて、治療費をかせぐこともままならない状態なのに、いったいなんという人なんでしょう――(号泣)
ジョシュアはコロラド州コロラド・スプリングスに暮らしていますが、この地域の地方テレビ局KRDO.comのニュースです(下の画像をクリックすると動画つきの元ページに飛べます)
ジョシュアのお母さまも登場して、これまでと現在の様子を少しだけ語ってくれています。
Local figure skater brings awareness to traumatic brain injury
Local figure skater brings awareness to traumatic brain injury
「地元のフィギュアスケーター、外傷性脳損傷のことを知ってほしい」
コロラド・スプリングスに住む元フィギュアスケーターが、脳震盪に3度見舞われた経験から、外傷性脳損傷(TBI)のことを知ってほしいと訴えています。彼は「KRDO NewsChannel 13」のシンシア・マルドナド記者の取材に、自身の経験を語ってくれました。
ジョシュ・ファリスは世界を舞台に活躍する選手でした。けれども、脳震盪の深刻さへの理解が足りなかったせいで、大舞台に挑戦するチャンスを失ってしまったのだと、彼は打ち明けました。今彼は、ケガの後遺症で苦しむほかのアスリートたちの手助けになれれば、と願っています。
ジョシュは16年をかけてフィギュアスケートを習得しました。
「演技がスタートする前に自分の名前がコールされるときには、ものすごく緊張してお腹の中でチョウチョが飛ぶんですよ(緊張をあらわす決まり文句)。で、”よし、緊張はしてるけど、自分にはできる”って思うんです」
ところが、技を磨こうと励んでいたとき、今年開催されるオリンピックに挑戦するチャンスを失ってしまったのです。
「4回転ジャンプの練習をしていたときでした。空中から降りてきて、足とは全然違うところで降りてしまいました。ひじから氷にモロに落ちてしまい、首がガクンとうしろにはねたんです」
それが最初の脳震盪をひきおこしました。
けれどもその後、自分で認めるように、彼はリンクに戻るのが早すぎたのです。もう大丈夫だと思い、「続く2週間のうちに、さらに2回の脳震盪をやってしまった」のです。
「第6と第7頸椎のヘルニアになり、目も損傷しました」
彼は今、外傷性脳損傷の症状に苦しんでいます。
「眠れない、鬱、不安、複視(ものが二重に見える視覚異常)、過剰刺激(感覚器官に強い刺激を受けて損傷や異常反応が出ること)、自我の喪失…すべて脳の損傷のせいなんです」
母親のエリン・ファリスは息子の苦しむ姿を目の当たりにしてきました。
「息子は本当にどん底まで落ち込みました。あまりにも鬱がひどく、生きようという意欲をもてない時期もあったんです」
「脳震盪は静かに広がる病気なんです。多くの人がひそかに苦しんでいます」
もともとは彼の治療費を募るためにゴーファンドミーのアカウントが立ち上げられたが、ジョシュは今、その余剰金を使って地域に貢献したいと考えています。
「ジョシュの名前を使って、TBIや脳震盪の被害者のための基金を設立しようとしています」(エリンさん)
ジョシュとエリンさんは、この基金が彼と同じ症状に苦しむ人がそれを乗り越える手助けになればと願っている。
ジョシュの基金にクリックで募金をお願いします。
自分の演技を見て笑ってる……(´;ω;`)
映像は、銀メダルに輝いた2015年ソウル四大陸のSP「Give Me Love」。このシーズン一気に飛躍をとげ、ここから平昌五輪めざして羽ばたいていこうという矢先だったのですよね、脳震盪は……。
右目の状態が心配だったけれど、以前と変わらぬきれいな目をしてますね。
「元フィギュアスケーター」という紹介に、やっぱりな、という思いですけど、それでも少し安心しました。
でも、今もさまざまな後遺症が出ているんですね。医師に完治したと言われたときには症状は消えていたんでしょうから、その後予想外に再発したのか、新たなに怪我をしてしまったのかはわかりません。
やっと決断した現役復帰への扉が、再び閉ざされてしまったショック――生きる意欲を失ってしまったほどの(涙)――も関係しているのかもしれません。その辺のことは他人にはわかりませんが、本当に本当につらかっただろうなと思います。そばについていらしたお母さまも。
ファンドレイジングは「ジョシュアの基金」としてこれからも存続するんですね。私もお小遣い程度ですが、今後もぼちぼち寄付を続けていこうかなと思っています。
ジョシュアの善意が届きますように。そして彼の治療がうまくいって、大学にしろ、振付師にしろ、あるいはまったく違う道であるにしろ、彼の願いがかないますように!
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一昨日の1月7日の朝、アメリカでは1月6日、ジョシュアから約11か月ぶりのつぶやきがありました。
Josh's Eye and Brain Therapy Fund https://t.co/CBH41QyaS3
— Joshua Farris (@joshDfarris) 2018年1月6日
この日はジョシュアの23回目の誕生日でした。おそらく勇気をふりしぼってつぶやいてくれたのは、彼の治療費を募るファンドレイジングへのリンクだけでした。
Josh's Eye and Brain Therapy Fund
「ジョシュの目と脳の治療のための基金」
およそ2年半前、ジョシュア・ファリスは4回転ジャンプの練習中に脳震盪を起こしました。ジョシュは今年のオリンピック出場を目指していたフィギュアスケーターでした。その練習の日は、彼の人生を永遠に変えてしまいました。
何度も検査を受けながら、4か月間を暗闇の中で過ごしたジョシュは、ラスベカスにあるクリーブランド脳クリニックを訪れ、 第6脳神経損傷との診断を受けました。そこからさらに18か月間の治療期間を経て、医師たちはジョシュにスケートに戻ってよいとの判断を出しました。ところが、ことはうまくいきませんでした。再び医師のもとを訪れたとき、彼の右目に損傷があることが明らかになったのです。この右目の障害を補おうとして、第6と第7頸椎の間の椎間板ヘルニアも引き起こしていました。
ジョシュは右半身と右目を使うために脳を再トレーニングする必要があり、このために目と脳の特別な治療を受けなくてはなりません。この検査と治療には4300ドルの費用がかかります。ジョシュは脳の損傷のため1日に2時間以上働くことができない上、この治療には保険が適用されません。
ジョシュがこの必要不可欠な治療を受けられるよう、どうか今日、手助けしてくださることをご考慮ください。
医学の知識はまったくありませんが、できるだけ正確に訳したつもりです。
脳震盪によりいったん現役引退をアナウンスした後、医師のゴーサインが出て、復帰にむけて練習を再開したのが昨年暮れから今年初め。2月にはアレン・コーチが「彼が初めてクワドを跳んだよ!」とインスタをアップしてくれました。今年の春ごろにはチャリティショーで以前と変わらぬスケートと笑顔を見せてくれていました。
ところが、突然ショーの欠場が決まり、そこから長い長い沈黙が始まりした。エントリーしていたNHK杯も、どこからもアナウンスされることなく、ただエントリー表から名前が消えてしまいました。たまに仲間のスケーターが上げてくれていた彼の写真や動画も、ほとんど上がらなくなってしまいました。
その間に……こんなことになっていたのですね。右目の損傷の程度はわかりませんが、補おうとしてヘルニアを発症するほどですから、軽いものではないのかもしれません。さらに、右目だけでなく右半身にも機能低下の恐れがある模様…。
そして、五輪シーズンもいよいよ大詰め、オリンピアンを決める全米選手権が盛り上がりを見せる中、彼は自分の治療費を求めるファンドレイジングを23歳の誕生日に公表したのです。
最初のほうの一文、
「ジョシュは今年のオリンピック出場を目指していたフィギュアスケーターでした」
Josh was a figure skater with his sight set on this year's Olympic Games.
過去形、ですね……。
現役復帰が発表されたときには、本当に本当にうれしかった。それでも全米の地区予選程度かなと思っていたら、なんとNHK杯にエントリーしてくれた。
NHK杯は、彼がブレークする直前の2014年大阪大会(羽生くんがケガから必死の思いで復帰し、ダイスくんが初優勝に輝いたときですね)に出場した試合です。SP「Give Me Love」、フリー「シンドラーのリスト」とも、ミス連発のボロボロの演技で最下位。悲しそうな顔で客席にお辞儀をしてくれたのが、私が最初で最後に生で目にしたジョシュアの姿でした。翌年のNHK杯にもエントリーしてくれて、さあリベンジ!と思ったら脳震盪で引退。そんなNHK杯に再々度エントリーしてくれたんです。
大好きな「Give Me Love」と、披露されることなくお蔵入りしていた新フリー「ローマの松」がとうとう見られる! クワドも取り戻したなら全米の本選にもきっと出られるはず。四大陸か、もしかしてワールドか、ひょっとして五輪だってありえる⁉…って、そんな夢を見られるようになったのが本当にうれしかったんです。
いったん完治したと告げられ、復帰を目指して再スタートした後に再び奈落の底に突き落とされた苦しみは到底他人には想像できません。きっと地獄だったと思います。
それでも、こうやってファンドレイジングを発表してくれたということは、少しでも前向きな気持ちになれたんだと信じたいです。
ジョシュアのスケートがまた見たいとずっと思ってきました。今もその気持ちはかわらないけれど、今はそれよりも彼が健康を取り戻して、幸せな人生を送ってくれることを切に祈っています。「待っているよ」という言葉を投げかけるのも残酷すぎるような気がして…。
募金は目標額の5000ドルを大きく超えて、今現在11400ドル以上にのぼっていますね。治療にはこれからも時間とお金がかかると思うから、私もこれからも、超微力だけれど、締め切られていないうちは募金を続けていきたいと思っています。
ジョシュアの治療が成功しますように祈りをこめて――。
★以前訳しました現役のころ、「引退」、そして「復帰」と復帰後の記事へのリンクを貼っておきます。よろしければ読んでいただけたらとてもうれしいです。
ジョシュア・ファリス「今を生きる」ロングインタビュー @ FSO 2015.03.04
ジョシュア・ファリス、引退。 icenetworkインタビュー 2016.07.02
ジョシュア・ファリス、現役復帰。icenetworkインタビュー 2017.02.09
ジョシュア・ファリス、新プロ発表&Figure Skating Onlineインタビュー 2017.06.07
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2年前の夏に脳震盪(それも1度でなく3度の…><)に見舞われ、現役引退を発表。ところが今年2月に引退を撤回し、現役復帰を発表したジョシュアが、自身の公式サイトで来季の新プログラムを発表してくれました!
SPはイギリスのシンガーソングライター、エド・シーランの「Give Me Love」。フリーはイタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギの交響詩「ローマの松」。振付はどちらもジェフリー・バトル。
SPは2シーズン前、ジョシュアが大ブレークした(全米銅メダル、四大陸銀メダル)2014-15シーズンに滑っていたプログラム。「僕に愛を!愛をください!」と狂おしいほどに叫ぶその姿に、世界の女性ファンがハートをわしづかみにされたプログラムです。
翌2015-16シーズンには、SPはこの「Give Me Love」を持越し、フリーは同じジェフ振付による新プロ「ローマの松」をひっさげて、いよいよ世界のトップスケーターの仲間入りへ……というときに、まさかの脳震盪による引退(号泣)。
というわけで、一度も披露されることなく幻のプロとなっていたこの「ローマの松」が、とうとう来季の新フリーとしてお目見えすることになるのですね。うひょー、楽しみすぎる!
SPはまったく新しいプログラムを見てみたかった気もちょっぴりないではないですが、いったんは引退を決意し、2年近くのブランクがあったことを考えれば自然な選択なのだと思います。。
「Give Me Love」は大好きなプロですし、どん底からはいあがって自信を取り戻したジョシュアが、2年の時を経てどんな「Give Me Love」を滑ってくれるのか、期待でいっぱいです!
新しいスタートを切るジョシュアのインタビューが、彼の公式サイトを管理しているFigure Skaters Onlineというサイトにアップされました。インタビュアーはこのサイトの管理人で写真家でもあるリア・アダムズさん。
ジョシュアという人は、青春の苦悩と甘酸っぱさがあふれる抒情的な演技そのままに、シャイなプライドが香る独特の言葉づかいをする人だなあと以前から思っていたのですが、そのあたりは今もちっとも変わっていないみたいです
元記事はこちら→Josh Farris: “My goal right now is to train and just enjoy it”
Posted by Figure Skaters Online On June 06, 2017
By Leah Adams, owner of Figure Skaters Online Photos by Leah Adams
ジョシュア・ファリス
「今の目標は練習すること、そしてそれを楽しむこと」
今年のはじめ(2月)、2015年全米銅メダリストのジョシュア・ファリスは、現役への復帰を発表した。ファリスは2015年の夏に脳震盪を複数回起こしたことによって、翌2016年夏に引退を余儀なくされていた。だがその後、健康と自信をとりもどし、昨年秋に練習を再開して、来シーズンの現役復帰をめざしてきた。
5月はじめ、オハイオ州コロンバスで開催された『スケート・イット・フォワード』は、ドナルド・マクドナルド・ハウスの主催で今年から始まったチャリティ・ショーだ。ファリスはこのショーのキャストに名をつらねていた。ショーのあとには、地元のスケーターを対象としたスケート教室もおこなわれた。Figure Skaters Onlineでは、このイベントを終えた直後のファリスに話を聞くことができた。
Figure Skaters Online (FSO): 『スケート・イット・フォワード』で滑ったばかりですが、久しぶりに観客の前で演技していかがでしたか?
ジョシュア(JF):落馬した馬にもう一度乗るのはむずかしいことだけど、同時に簡単なことでもあると思うんだ。きわめてシンプルだったよ。僕は2年間リンクを離れていたけど、たった2年だったとも言えるのだから。僕にとっては大変なチャレンジではあったけれど、またこの世界に名前を加えてもらうことは途方もなく困難というほどではなかったよ。
FSO:ジョシュ、あなたの名前が消えたことなんて一度もありませんよ。あなたは自分が忘れられたと思ったのでしょうけど。
JF:(笑う)
FSO:現役を離れている間に自分がどう変化し、どう成長したと思いますか?
JF:だれでも時がたてば成長するものだけど、僕は1年でおそらく10年ぶん年をとった気がするよ。コーチをしたりほかの人たちと仕事をしたことによって、それまでよりナルシストでなくなったと思うし、スケートの外にも広い世界があることを知って、ちょっと謙虚にもなった。それに、自分の定義は自分でしなければ、他人に定義されてしまうことも知ったよ。それが今の僕のモットーなんだ。
【出た! 上の最後の一文、いかにもジョシュアらしい気がします。いろんな解釈があるでしょうけど、『黙っていたら他人に勝手にあいつはこうだと決めつけられてしまうから、自分のことは自分で主張していかなくちゃ』ということなのだと思います。シャイな自分を変えつつあるってことかな?】
FSO:ちょっと印象が変わりましたね。自分自身に対して肯定的になったように見えます。
JF:脳震盪によって、僕は6か月か7か月、いや8か月ぐらい世間から隔絶していた。そうなったらだれだって内省的になるよ。その期間は悪いことばかりではなかったと思うし、たくさんのことを学んだよ。外見的にはあまり変わらないかもしれないけど、精神的には自分が30代ぐらいな気がしてる。離れていた時間のぶんだけ大人になった気がするよ。
FSO:今ふり返ってみて、もし自分がまだ滑り始めたばかりの若いスケーターだったら何を知っておきたいと思います? もっと昔にこれを知っていたらなあ、ということは?
JF:そうだな……食べるための仕事は食べるための仕事にしかすぎない。それは自分を決めるものではない。
【またジョシュア語録w おそらくですけど、『生活費をかせぐためにどんな仕事についていようとも、それによってその人の人間性や価値が決まるわけじゃない』ということ? スケーターとして成功できなくてもそれで君の価値は下がらないよ、と言いたいのかな…】
FSO:来季は2014-15シーズンのSPであるエド・シーランの「Give Me Love」を継続するそうですが、ご自身にとって大切なプログラムだから、という理由なんですよね。それは歌詞が、という意味でしょうか? それとも振付が?
JF:(2014-15は)脳震盪をおこす前に僕が急成長できたシーズンだったし、曲を聞いただけで自信がわいてくるプログラムなんだ。ギターで弾くこともあるよ。とてもなじみの深い曲だし、復帰のシーズンにぴったりのすばらしい曲だと思う。
FSO:怪我のことを少しだけ聞かせてください。脳震盪だけでなく、長年の間にいろいろな怪我をされてきましたよね。今、怪我に見舞われている人がいたとしたら、なんと言ってあげますか?
JF:怪我はどんなスポーツにもつきものだ。ほとんどの場合は回復することができる。意志をしっかりもって、強く願えばね。そして、ハツパ(イーディッシュ語で「ずぶとさ」)があれば。
FSO:急にイーディッシュ語ができるようになったんですか? リハビリ中に習ったとか?
JF:(笑う)
FSO:(離れている間に)どんな教訓を学んだのか教えていただけますか?
JF:プログラムを滑り続けろ、ということかな。以前は、うまくいかないときにはスピンを飛ばして休憩しようとしていたけれど、今はもっと大人になったよ。
FSO:さっきのセミナーのとき、あなたは長さ60メートルのリンクのショートサイドから反対側のサイドまで、たったひとけりで滑っていましたね。
JF: ただ好きに滑っていただけだよ。
FSO: 今でもギターは弾くんですか?
JF: ええ。
FSO:作曲も?
JF:やろうとしてはいるよ、下手だけど(笑う)。もっときちんとレッスンを受けて、ちゃんとした曲を書けたらなと思っている。作曲は僕の趣味であり、逃避の手段でもあるんだ。健康的な逃避さ。自分の部屋で曲を書いているだけで終わっても、僕は全然かまわない。でも、そのうちそれを外に持ち出して、人前で曲を披露したいと思うようになったら、それもいいかな。僕が音楽を愛する理由は、音楽というのは自分が望むとおりのものになってくれるからなんだ。
FSO:今年、スケート以外で何かやりたいことはありますか?
JF:グレートサンドデューンズ(コロラド南部にある国立公園)に行ってみたいな。僕の旅はなりゆきまかせなことが多いんだけどね。キャンプにも行こうと思ってるし、テキサスにもう何回か行きたいし、家族にも会いに行くつもりだ。
FSO:今年の目標は何ですか?
JF:みんなが僕に、「五輪に出ることです」って言わせたがってるんだよね。でも、今の僕の目標は練習すること、そして練習を楽しむことなんだ。グランプリシリーズには出たいけど、とにかく目指しているのはスケートをすることなんだ。
*筆者註:その後の5月26にGPSのアサインが発表され、ファリスはNHK杯(11月10-12日大阪市)出場が決まった。
子どもたちを教えているときの穏やかな笑顔が素敵ですね。氷の上に帰ってくることができて、心からよかったなあと思います。
そして……ジョシュア〜、NHK杯を本人が選んでくれたのかわかりませんが、脳震盪前にアサインされていたNHK杯にまた来てくれることになって本当にありがとう〜〜
(絶対絶対チケット当たりますように、神様!どうぞよろしくお願い申し上げます!と今から祈っておく……)
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じょ、ジョシュアの約1年ぶりのつぶやきです…
I'm incredibly happy to announce my comeback today!!! I can't wait to show everybody what I'm truly capable of 😊
— Joshua Farris (@joshDfarris) 2017年2月9日
ジョシュアが戻ってくる――。
2016年の夏、あのすばらしくも悲しい引退インタビューを書いたニック・マッカーベル記者が、今度はすばらしい復帰インタビューを記事にしてくれました。
めったに自分の声をSNSに上げないジョシュアですが(それにはシャイな性格以外に理由があったことを、去年の記事で知ったのでした…)じつは家族や友人、コーチ、医師など、まわりの人々からすごく支えられてきたんですね。そして、彼自身がとても強い人であることを、今回改めて知りました。
おかえりなさい、ジョシュア。決断してくれてありがとう。神様、治してくれて本当にありがとう。
(時間がなくてざっと訳なのでもし間違い誤訳誤字などあったらすみません)
「スケートへの愛のために:ファリス現役復帰を発表」
これは忍耐と勇気と情熱、そして何よりもスケートへの愛の物語だ。主演はジョシュア・ファリス。
2015年夏に連続して複数の脳震盪にみまわれたファリスは、今後さらなる脳震盪を起こす危険があるとの理由から、2016年夏に現役を引退した。だが今、脳震盪が完治し、医療チームからのゴーサインも出て、彼は試合に復帰することを念頭にリンクに帰ってきた。
そして彼はちっとも変わっていなかった。
「僕は自分自身のために滑りたいんです」今週はじめ、ファリスはicenetworkとの独占電話インタビューでそう話した。「結果のためではなく、スケートへの愛のために滑りたい。滑るために滑りたいんです」
当面の目標は、ただ氷に乗ること、健康でいること、滑ることだ。長期的な目標はまだ具体的には決まっていないが、それでもファリスは今、コロラドスプリングスの〈ブロードムア・ワールド・アリーナ〉に、クリスティ・クラールとデーモン・アレンをコーチとして戻ってきている。すでに3Aを跳んでいるという。
●気持ちの変化
僕が最後にファリスと話したのは、彼の人生で最悪の時期が終わろうとしている頃だった。2015年全米選手権で3位となり、世界選手権デビューも果たした(結果は11位)あと、彼は練習で4Tを跳ぼうとして転倒し、頭を打った。その後すぐに、さらに2回の脳震盪にみまわれた。
「長く苦しい1年でした」去年の6月、彼はそう言った。「滑り続けるのは危険が多すぎると、正式に判断しました。脳震盪の再発への恐れをいだくことなく生きていきたいんです」
ところが、引退発表から数か月後、その判断は間違っていたのではないかと思い始めたという。ファリスはワールド・アリーナでコーチをしていたが、時がたつにつれて症状はよくなっていった。そこで、医師に相談してみた。(引退を決めた当時)医師たちは、完治すれば脳に損傷が残る危険性はなくなると言っていたからだ。
「でも、引退を決めたとき、僕はまだ鬱状態にありました。それ以降、考え方が変わったんです。」
競技から離れている間、ファリスはプロホッケーの大ファンになっていたのだが、ホッケーのような激しい接触スポーツで、選手たちがどんな犠牲を払っているのかわかったという。氷の上で戦う戦士たちを見て、自分もそうなりたいと思うようになった。
「僕は幸運だったんです」とファリスは話した。「治療にかかわってくれた医師たちは、医師のチェックを受け続けるのであれば、現役に戻ってもだいじょうぶだと確約してくれました。ただし、プロホッケー選手になるのでなければ、ですけどね」
●決意
自分がどれだけスケートを愛していたか、離れてみて初めてわかったのだと、ファリスは言う。昨年9月か10月頃までは引退したことをあれこれ考えることはなかったが、11月はじめに本格的に練習に戻ったとき、次に何をすべきか悟ったのだという。
「練習は思っていたよりずっとうまくいきました。感謝祭の直後ぐらいには、『トリプルアクセルが跳べているんだから、もう一度復帰してみても全然かまわないんじゃないか?』と思ったんです」
これほど長く休んでいたにもかかわらず、ほとんど状態が落ちていなかったこと。このことによって、ファリス自身や一緒にリンクにいた人たちも、彼が今の男子フィギュアにおいて最高の才能の持ち主であることを改めて知ることになった。
「スケートを再開し始めたばかりの頃、リンクにいた人たちに『今までずっと滑っていたの? 週末の休みをちょっと長めにとっていただけみたいに見えるね』と言われたんですよ」ファリスはそう言いながら笑った。「それで気づいたんです。そうか、僕はフィギュアスケーターとしての才能にすごく恵まれているんだなって」
感謝祭の休暇でダラスに住む父親ロッドのもとを訪ねたときには、自分の中で気持ちは固まっていた。
「父はスケートにかかわるいろんなことで、とても助けになる人です。で、このことを父と話しているうちに、『よし、やってやろう。僕はできる』という気になったんです」
クラールとアレンの両コーチにはこれまでも何かと相談してきたが、ファリスはふたりに今の気持ちと決心を伝えた。アレンコーチと話をしたのは12月はじめのことだった。
「デーモンのところへ行って、こう言ったんです。『あんなふうに(キャリアを)終わることはできない。戻って戦いたいんだ』と。そしたら、アレンは『わかった』と。彼もクリスティも、僕はまだ終わったわけじゃないとわかっていたんだと思います。僕のまわりにいた多くの人は、まだ僕はスケートをやめるべきじゃないとわかっていました。僕ははじめ、彼らは間違ってる、ただの希望的観測だと思っていました。でも、彼らは正しかったんです」
●復帰への長い道のり
練習を再開したのが11月はじめ。今はジャンプも毎日跳んでおり、エッジ使いも現役時代より上手く、より深くなっているのだそうだ。オフアイストレーニングや体力づくりにも励んでいるが、これらの面についてはまだ不足していると感じている。
復帰戦については、初夏から真夏にかけて行われる大会への参加を考えている。2シーズン休んだことにより有効なポイントはすべて失ったため、アメリカスケ連からGPSのアサインを与えられるには自分から嘆願書を出す必要がある。
アメリカスケ連は、ファリスは2015年世界選手権で12位以内だったため、規定によって「復活した選手」として扱うことが可能である、とのコメントを出した。ということは、シニアB大会への出場資格があり、夏の大会への出場をこなせばGPS(最も可能性があるのはスケート・アメリカ)への資格も得ることになる。
五輪シーズンに復帰することになるが、目指すものは平昌五輪ではないという。
「五輪に出られたら嬉しいかと言われれば、はい、嬉しいですし、手が届く可能性があるかと言えば、あると思います。でも、それが最優先事項かといえば違うんです。僕は自分のために戻ってきたいんです」
「この話をしたら、みんなすごく喜んでくれました。僕の周囲の人はみんな、僕がまだ終わりじゃないとわかっていたんだと思います。僕が味わった『トラウマ』を乗り越えられたことを、だれもが喜んでくているんだと思います」
●新しいジョシュア
そのトラウマについて、ファリスは今、話をすることができる。だが、その数か月間、それは暗い現実だった。脳震盪のため、明るい照明がついた部屋にいることができなかったため、暗く静かなところに何時間もこもっていなくてはならないこともあった。音楽とギター、そして両親やスポーツ心理学者のキャロライン・シルビーと話すことが助けになった。
これらの時間が、自分が誇れる人間、試練にみまわれても果敢にチャレンジできる人間へと成長するチャンスをくれた、とファリスは言う。ワールド・アリーナではマックス・アーロンとよく顔を合わせたし、ジェイソン・ブラウンもファリスの状態や回復具合を気にかけて定期的に連絡をくれていたという。
ファリスは引き続き母と暮らしており、ワールド・アリーナでのコーチ業も続ける予定だ。クラールとアレンの両コーチがいれば、以前よりもっといいスケーターになれるだろうと、彼は考えている。
ファリスはなめらかで変化に富んだスケーティングが持ち味だが、そのキャリア中ずっと、いろいろな理由から試合で力を発揮することがなかなかできなかった。だが、休んでいる間に冷静さを身につけ、メンタルの状態も変化したため、元と同じ悪いパターンにおちいることはないと確信しているという。
このことは、クワドについて質問した答えに明確にあらわれていた。
「クワドは絶対に挑戦したいと思っています……いや、『挑戦する』はやめておこう。クワドは跳びます。休んでいた時間が、過去の僕の悪い習慣を取り去ってくれていたらいいな。今は自分をきたえ直し、平静でいられるようになったんです。以前は一生懸命やりすぎていました。クワドは簡単なものではないけれど、当たり前のジャンプの一環として取り組まなくてはならないものだと思います。」
●確かなもの
これまでの2年間をどう表現すればいいのか、まだちゃんとはわからない。だが、今は自分に自信が持てている。それが一番大切なことだと、彼は言う。
「この2年が僕の人生の『もっとも暗い時代』だったのかどうかはわかりません。人はだれでも人生で暗い時期を経験するものですし。僕はスケートを離れて、人間として自分自身のことを理解していったんです。何かを失ってみて、それがどれほど大事なものだったのか初めて理解できます。それがこの2年間から得ることができた最大の教訓であり、最大の収穫です。今、僕にはこれからのロードマップ(道路地図、工程表)があります。今はまだ短期的な目標ではあるけれど」
これから自分の前に伸びている不確かな道を進んでいく上で、もっとも大切なもの、進んでいく意味をもっとも与えてくれるものは、家族的なつながりだという。
「僕には優秀でしっかりしたチームがついてくれています。彼らが『君は滑るために滑る。そのために戻ってくるんだよ』と思い出させてくれました。そう、だから僕は戻ってくるんです。自分のサポートチームのことを、僕はとても信頼しています。彼らが僕を呼び戻してくれたんです」
3週間前にこの写真をあげてくれたペアのマックス・セトレージ選手のインスタより。
アイスダンスのジョー・ジョンソン選手とともに、この2年間ジョシュアの近況をさりげなく楽しく知らせてくれてほんとにありがとう。
記事に出てきたマックスもジェイソンも、みんなほんとにあったかいなあ…
JUGEMテーマ:フィギュアスケート
夜、ちょっと酔って帰宅したら、このニュースが待ち受けていました。
かすかに聞こえてくる噂からもしかして復帰は無理なのかもと恐れながらも、ごくたまにジョシュア本人が発信してくれる意志に満ちた言葉から、いつかは戻ってこれる日が来るのではないかと、ずっとずっと思っていました。
icenetworkにジョシュア本人に電話インタビューした記事が掲載されましたので、全文訳してみました。
私たちが思う以上に苦痛に満ちた日々を過ごしていたんですね。(程度はまったく違うけれど私も偏頭痛もちなので、痛みのつらさや暗がりにじっとしていなくてはならない気持ちはほんの少しわかります。ジョシュアの苦痛や不安感とは比べものにならないけれど)
それでもインタビュー後半では、これからに向けた前向きな言葉が聞けるのが救いです。そして、ファンについてほんの少しですが語ってくれた言葉……。
ジョシュアの行く先に幸せと成功に満ちた将来が待っていることを心から祈っています。
元記事→Long battle with concussions ends Farris' career by Nick McCarvel
「脳震盪との長い戦いがファリスのキャリアに終止符を打つ」
その言葉は、ジョシュア・ファリスの口からなかなか出てこなかった。ようやく口にしたとき、彼は「とりあえず今のところ」という言葉をつけ加えた。
「とりあえず今のところ、僕は競技をやめることを決めました」
それからひとつ深呼吸をして、言葉を続けた。
「僕はいつだって決心を変えられる……医師はそう言っているんです。でも、その危険をおかす価値は今はありません。僕は学校へ行きたい。ほかの人たちの助けになりたいんです」
この12か月はファリスの人生においてもっとも苛酷な期間だったと言っても言い足りないぐらいだろう。美しく抒情的な演技で、2015年全米選手権で銅メダルを獲得。全米でトップ3に入ったのはこれが初めてだった。その後、2015年四大陸選手権では2位、続く世界選手権では11位。彼のキャリアの中で最高のシーズンとなった。
その後は? その後はすべてが文字通り崩れ落ちた。
現在21歳のファリスは、2015年のひと夏の間に3度の脳震盪に見舞われた。これらの怪我は、彼の人生をどん底の暗がりにつき落とした。その暗がりから、彼は今やっと抜け出そうとしている。
最初の脳震盪は4回転トゥループを跳ぼうとしたときに起こった。2度めは1度めから若干早く復帰しすぎたときに起こった。1度目の後のCTスキャンでは異常はなく、症状も現れていなかったのだ。3度めはまったくの不意打ちだった。2度めの脳震盪から間もない頃、車に乗ろうとして頭をぶつけたのだ。
「何が起きたとしても、僕のスケート人生は終わろうとしていたんです」
彼は先週、icenetworkとの電話インタビューでそう話した。
「現役を続けるのはリスクが高すぎると、正式に決断しました。後遺症の発症を恐れることなく人生を送りたいんです」
恐れ
昨年7月にファリスが氷を降りて以来、彼の生活には常に多大な恐怖がつきまとっていた。3度の脳震盪の後、偏頭痛のようなひどい頭痛が起こるようになった。そのたびに暗い部屋に何時間もこもって、自然光も人工の光も避けなくてはならなかった。
「長く、苦しい1年でした」
父親のロッドがそばに付きそう中、ファリスは電話を通して語った。
「今から3週間前まで、僕には予定というものがなかったんです。なぜなら予定を立てられなかったから。気力がわかなかったからではなく、脳震盪の症状のせいです。いつどこで発症するかわからないんです。すごく不安定でした」
最初はスケートに復帰しようと試みていた。だが、2011年のGPSの欠場を決めた後、ファリスはコロラドスプリングスのオリンピック・トレーニングセンター内にある彼のアパートで、かなり長い期間をたった1人で過ごしていた。その後半年間、友達であるアイスダンサーのジョー・ジョンソン選手と同居した後、4月からは母親とともに暮らし始めた。
脳震盪による後遺症のため、いらいらがつのり、やがてそれは鬱状態へとつながった。彼は友達や家族の助けや、注意深いスケジューリング、そして音楽への愛に支えられて、この鬱状態と戦い続けてきた。
「最初の2か月ほどは、息子はほとんどの時間、暗い部屋にすわって過ごしていましたね」
父親のロッドが言う。
「彼はほとんど何をすることもできませんでした。すぐ頭痛を起こしてしまうんです。トレセン内のカフェでさえ不安でなかなか行けなかった。それは……もう本当に大変でした」
追い打ち
なんとか後遺症に対処しようとしていたファリスだが、脳震盪は彼が昔から抱えているある症状をも悪化させてしまった。それは失読症(視覚または発声器官に異常がないのに、文字を理解することができない、または読むことのできない状態)だ。
「自分が失読症であることは8歳のときからわかっていました」
ファリスは子どもの頃に一度脳震盪を起こしたことがあった。それが失読症のきっかけになったかどうかはわからないという。
ファリスは日々、失読症に対処する生活を送っていた。文字を読んだり書いたりすることが彼には難しかった。そのため2015年に脳震盪を起こす以前から、人と交流することが時に非常に苦痛だった。試合時のミックスゾーンのインタビューや、ファンとの交流会(meet-and-greets)で緊張してしまうのだ。この症状が昨年夏から悪化した。
「いろんなことが合わさって、不安におちいってしまったんです。なぜなら、自分の考えを自分が伝えたいと思ったように発することができないから。それでも、かなり改善はされてきました。学習能力がないことへの自信のなさを、音楽が埋めてくれたんです」
A rep from @USFigureSkating tells me that @joshDfarris is not at #ChampsCamp15 b/c of concussion and full recovery expected.
— Amy Rosewater (@amyrosewater) 2015, 8月 24
「米スケート連盟のレポートによると、ジョシュア・ファリスは脳震盪のため強化合宿を欠席している。脳震盪は完治に向かっている」(スポーツライターのエイミー・ローズウォーターさん)
I couldn't be more disappointed to withdraw from my Grand Prix assignments.
— Joshua Farris (@joshDfarris) 2015, 9月 26
I am steadily healing and hope to be back on the ice as soon as possible. I appreciate all of the support from my fans, family and friends.
— Joshua Farris (@joshDfarris) 2015, 9月 26
「GPSを棄権することになってしまい、非常にがっかりしています」
I'm lucky I get to go back to my two favorite GP's! So happy about Japan because I have the chance to actually skate well this time!! ;)
— Joshua Farris (@joshDfarris) 2015, 6月 16
「僕が一番好きなGPSの2つの大会にまた出られることになってラッキーだ! 日本大会のことはとても嬉しいよ。今度こそいい演技ができるチャンスだからね!!」