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エレーナ・イリニフ「ニキータが私の元を去ったのは初めてではなかった」後編
エレーナ・イリニフ&ニキータ・カツァラポフの衝撃のカップル解消から1か月。ロシアのサイト『sport-express.ru』に掲載されたエレーナのインタビューの【後編】です。(前編はこちら
英訳(Figure Skating Universe)から日本語訳したものなので、若干のズレがあるかもしれません。それでも、“俺たちのエレーナ” の健気&一途&純情っぷりがひしひしと伝わってきますぜ…(;_;)



エレーナ・イリニフ インタビュー
「カツァラポフは以前にも私のもとを去ったことがあったの。7年前に」【後編】


Q:(ニキータ・カツァラポフとの)破局は、何か前ぶれがあったの?
エレーナ:いいえ。ソチ五輪の3日後にモスクワに帰ってきて、私たちはソチ後初めての練習に出たの。そのときの気持ちを憶えているわ。まるで空を飛んでるみたいな気分だった! メダルが取れたからどうとか、そういうんじゃないの。私たちが今まで長い間がんばってきたこと――猛練習とか、2人のスタイルや踊りや演技――それらがすべてうまくいき始めたのよ。お互いに言葉をかわす必要さえなかったわ。ただ見つめ合いながら、うっとりするようなエッジさばきをし、お互いが同じ気持ちでいることがわかる。とても楽しかった! そのときにはコーチさえ必要ない気がしたわ。
なのに、(さいたまワールドのために)日本へ発つ前日に、私はニキータが違うパートナーとトライアウトをしたことを知ったの。ショックだった。

 
ソチFD後、タラソワの元になだれこむエレーナとニキータ。すばらしい瞬間でしたね…(;_;)

Q:それを知って、コーチやニキータとあなたとの関係に変化はあった?
エレーナ:意外なことだけど、何も。誰もがまるでなにごともなかったかのようにふるまっていたわ。私は事情を知ってしまったことを誰にも告げられなかった。こわかったの。

Q:何がこわかったの?
エレーナ:たぶん心の奥底で、それが本当ではありませんようにと願っていたんだと思う。でも、やがて例の記事(2人のカップル解消とニキータのトライアウトについての記事)がインターネットにアップされてしまった。(ワールドの)SDの前日の夜にね。
私は即座にモロゾフに電話して、ワールドには出場したくないと言ったの。それから(ロシアの)連盟にも電話をかけた。連盟側は、記事は事実ではない、君たちの演技に悪影響を与えるために嘘を書かれたんだろうと言ったわ。だから、君は出場しなくてはならないと。

Q:でも、あなたはそれが事実だと知っていたわけね?
エレーナ:そうよ。私が理解できなかったのは、どうしてあんなに下手なやり方しかできなかったのか、ということなの。選手権大会の直前に、私に内緒でトライアウトをさせるなんて。“裏切り”という言葉は使いたくないわ。これはニキータの人生だし、彼が自分で決めたことだもの。でも、まともに考えたら、私たちはあのワールドで勝つべきだった。私たちが全力で取り組むべきことはそれだったのよ、優勝候補と言われていたんだもの。今までのキャリアの中で、私はどんなことについてもニキータを責めたことはないわ。でもただ一度、ワールドでのあの失敗だけは、彼は責められるべきだと思う。彼が何を考えてああしたのか、私は今でも理解できないわ。

Q:あなたの前のコーチ(モロゾフ)は五輪前に言っていたわね。もうロシアにいる気はないと。あなたたちのこれからのことについて、彼と相談した?
エレーナ:いいえ。五輪シーズンの間は私たちはとても忙しく、競技に集中していたから、ほかのことについて会話する時間はなかったの。私たちがユーロ、五輪、ワールドにあれほど万全の状態でのぞめたのは、それが理由だったと思うわ。ニキータのトライアウト相手についてのニュースは、私にひどいショックを与えた。私はなぜ日本に行くのか、わからなくなってしまったの。ワールドに出るか出ないかなんて、もうどうでもいいじゃないって。

Q:優勝できる可能性があったにもかかわらず、モチベーションを失っていたのね?
エレーナ:ソチ五輪で2つのメダルを取ったあとよ。まったく失くしていたわ。



Q:昔、(アレクサンドル・)ズーリンがあなたたちのコーチだった時代、ニキータが非常にまずい状況になったとき、ズーリンに助けてもらったことがあったわね。その出来事の後、ニキータはこう言った。「これから死ぬまでずっとズーリンに感謝する、僕はけっして彼を裏切らない」と
エレーナ:そうね。

Q:なのに、それから2、3か月後に、あなたたちはコーチをモロゾフに変更した。何があったの? 2人の親たちがそう決めたの?
エレーナ:もちろん、決定には親たちも参加したけど、それで親たちを責めるのは間違いよ。ニキータと私も、もう自分たちの言動に責任をもてる年齢になっていた。私たちも一緒に決めたことだったんだから。
私自身は、ズーリンと、彼が私たちのためにやってくれたすべてのことに、今でもとても感謝しているわ。世界ジュニアで優勝したのも彼がコーチだったときだし、私たちをシニアレベルに引き上げてくれたのも彼だった。私は彼とはとても仲良しだったから、別れるときはすごくつらかったわ。
私は試合に小さな聖像【…でいいのかな?英語ではiconです】を持っていくの。競技をしている間はいつもリンクサイドにそれを置くようにしているんだけど、ある試合のとき、それが許可されなかったことがあった。私はひどく落ち込んで、泣きそうになっていた。そしたら、サーシャ(ズーリンの愛称)が黙って私の手から聖像を取り上げると、彼のシャツのポケットに入れてくれたの。その大会で私たちは優勝した。そのときから、彼は私のお守りの番人になったのよ。試合の前に彼がポケットに聖像を入れてくれるたびに、守られるている気持ちになった。彼が与えてくれたあの気持ちには、これから死ぬまでずっと感謝し続けるわ。

Q:2010年にあなたとニキータはカップルを解消して、ニキータがヤナ・ホフロワと組むんじゃないかと、という噂が立ったとき、あなたはどう思った? 噂の影響はあった?
エレーナ:もちろんよ。トリノ・ワールドのSD後にミックスゾーンに行くと、記者たちは演技のことなど全然聞かず、「あなたのパートナーが来季ホフロワと組むのは本当ですか?」と聞いてきた。私は心の中で「まずフリーを滑らせて。聞くならそのあとに聞いてちょうだい」と思っていたことを覚えてるわ。かなりいやな気分だった。その時点で私とニキータはすでにけっこう長く組んでいたし、少しは実績を上げていた頃だったから。もちろん、力をつければつけるほど、目標は上がっていって、パートナーと一心同体だと思えるようになるんだけど。

Q:あなたはニキータと組んでいたころの話を、とても感情をこめて話すのね。そんなあなたを見ていると、これを聞かざるをえないわ。もしもニキータが戻ってきたとしたら、あなたはすべてを忘れて彼のもとに戻る?
エレーナ:私たちは2人一緒にいろんなことを経験してきた。なのに別れてしまったことを、私はとても残念に思っているわ。とりわけ、2人でソチ後の将来についてたくさん話し合っていたから。アイスダンスのトップのカップル2組が引退しようとしている今、私たちはようやくどんな目標でも持てるレベルに達したところだった。将来の計画がたくさんあったの。今はもう、2人の旅は終わったんだとしか思えないわ。
今はコーチの(エレーナ・)クスタロワのグループに入れて嬉しいの。ソチ五輪の前の短期間、ニキータと私は彼女の指導を受けたことがあって、そのときの指導がとても印象深かったの。モロゾフが何かの大会に出かけていて、私たちはほかに見てもらう人が必要だった。クスタロワは、そんなときに助けてもらうのにぴったりなコーチだったわ。彼女がリンクサイドに立って助言をしてくれるだけで、とてもためになった。彼女はほかのカップルのコーチなのに、まるで自分の子どもたちを教えるように私たちに接してくれた。そのおかげで、期待していた以上に向上できたわ。

Q:(ニコライ・)モロゾフが帰ってきたとき、そういう様子を見て彼は何か気にしていなかった?
エレーナ:彼が私たちのことをクスタロワに頼んだんだもの。ニコライは自分自身の仕事が大好きなの。昼夜なく1日中でも働ける人よ。ブレードの研磨もできるし、選曲や編曲も自分でできる。衣装のアドバイスもできるし、プログラムの振付もする。その一方で、こうしたことを全部自分ひとりでやろうとすると、各分野にはもっと優秀な専門家がいるんだってことを理解しなければならないの。特に高度なことが必要になった場合にはね。私はいつも、いろんな人に学べる機会があればその機会を楽しんでいたわ。
でも、モロゾフはすばらしい精神分析医でもあるのよ。ときには型破りな方法をとることもあるけど、すべては結果を出すためであり、彼はそこへ必ず到達するのよ。だから、私はある時点から、彼の気が1日に何度も変わることを気にしなくなったわ。とはいっても、まったく理解不能な行動に出ることもあるんだけど…。



Q:あなたのお母様が養子をとったとき、あなたはやきもちを焼いたりはしなかった?
エレーナ:全然。あれは急に決まったことだったの。つまり、前々から準備していたわけではないってこと。それまで2年間、母は友達と一緒に毎週末、孤児院をたずねていたの。主な目的は、子どもたちを経済的に助けるというよりも、生活のめんどうを見ること。例えば、料理が大好きな子がいたんだけど、今彼はシェフを目指して勉強しているわ。つまり、いい職につけるように指導してあげること。女の子たちには石鹸や化粧マスクの作り方など、女の子っぽいことを教えているわ。
やがて私は、いつかうちの家に養子にやってくる子がいるんじゃなかって、思うようになった。そう思うのが自然だったのよ。私は全然嫌じゃなかった。私は母に言ったわ。「うちの暮らしは今までよりもっと苦しくなるかもしれないけど、その子は孤児院よりうちにいるほうがずっといいでしょ」って。そういうわけで、私には2歳の弟ができたの。今は6歳になったわ。

Q:弟さんはスケートはするの?
エレーナ:ああ…彼にはぜひホッケーをやってもらいたかったんだけど…彼には全然その気がないのよ。ある日、彼のホッケー教室を見に行ったときのこと。先生がパックを投げたら、生徒たちがいっせいにそのパックを追い始めたのね。ところが、弟は一歩も動かない。私はリンクに飛びおりて、なぜ走っていかないのって言ったら、彼、大人みたいな顔で私を見て、「なぜ走るの? どこを走れっていうのさ? たくさん人がいるの、わからないの?」なんて言うのよ。

Q:あなたの新しいパートナー(ルスラン・ジガンシン)について、ご家族はどう思ってる?
エレーナ:ルスランとの最初の練習に母もついてきたの。母がなんて言うか、私はびくびくしてたわ。スケートで何か気に入らないことがあると、はっきり言葉に出して言う人だから。だから、私はすごくがんばった。途中で母のほうを見たとき、母はこっちを見てうなずいていたの。それがすごく力になった。たちまち自信がわいてきたわ。

Q:新しいプログラムにはもう取りかかっているの?
エレーナ:おおざっぱには。

Q:振付師はもう決まっているのね?
エレーナ:まだよ。私なりにどんなプログラムを滑りたいかアイデアはあるわ。それと同時に、目指す演技ができるようになるまでは、きっと大変だろうってこともわかってる。

Q:ソチ(の団体戦)で金メダルを取ったことで、人生の目標はかなったのかしら? 今後、新パートナーとどんな苦労があったとしても?
エレーナ:金メダルは自信を与えてくれたわ。でも同時に、金メダルには責任もついてくる。努力を怠ることは許されないわ。それに、フィギュアスケートにおける自分の目標を全部達成したとは、私はまだ思えていないの。

Q:今までのコーチはほとんど男性でしたが、今度は女性コーチ2人ね。
エレーナ:すごく楽しみよ! 女性コーチに教われたらなって思っていたの! 男性コーチはたいてい男子選手のほうに力を入れるものよ。それが彼らのなじみのやり方なんでしょうね。だから、男性コーチの元では男子選手のほうがよりうまくなるのよ。

Q:今は男性パートナーをリードしているのはあなたのほうよね。ふつうカップルでは男性がリーダーになるけど、今の状態はうまくいってる?
エレーナ:今の私たちの時点では、私のほうが経験を積んでいる、というのがお互いの理解になってるわ。ただし、女性としての経験からすると、パートナーに強く出すぎてはだめね。人生においても、スポーツにおいても、仕事上でもね。



…ああ、エレーナ、一途すぎる(;_;)
このインタビューを読む限り、エレニキ(イリカツと言う人もいるけど私はエレニキ派です…いや、「でした」か…)解散の理由はニキータにある、ということですね。エレーナとしては、ソチのメダルを経てとうとう本物のダンスカップルになれたんだ、と思った矢先に突然なぜ?これからのことも2人で話し合ってたじゃないの?…だったんですね。
今後ニキータ側からの記事が出れば、また印象も変わるかもしれないけれど、なんとなくもう出てこないのかなあ。それにしても、2人の関係においては、最初からニキータのほうが圧倒的に強かった、というのは驚きでした。(どう見てもエレニキの華はエレーナだったでしょ!)
とりあえず、新パートナーのルスラン君とうまくいきますように。祈ってるぜ、エレーナ!

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:アイスダンス | 04:39 | comments(14) | trackbacks(0) | - | - |
エレーナ・イリニフ「ニキータが私の元を去ったのは初めてではなかった」前編
いつまでたってもアイスダンスにはまったく疎い私(汗)ですが、去年11月、GPSエリック杯を現地で見て、遅ればせながら惚れ込んでしまったのが、エレニキまたはイリカツこと、エレーナ・イリニフ&ニキータ・カツァラポフでした。
その後、ソチ五輪でみごと銅メダル! 来季からいよいよ世界チャンピオンを目指して!――とだれもが思っていた矢先のカップル解消。しかもニキータがほかの選手と組みたがっていたことを、エレーナは先日のワールドの直前に知らされたという…。
そんなやるせない事件から1か月たった5月7日、ロシアのサイト『sport-express.ru』にエレーナのインタビューが掲載されました。このインタビューを、北米のフィギュアフォーラム『Figure Skating Universe(FSU)』で、TAHbKAさんという方が英訳してくださったので、訳してみたいと思います。長いので、今回は前半のみ。それでもかなり長いですが、エレーナの人柄がわかるステキなインタビューだと思います。
(ロシア語がわからない上にアイスダンスの知識も乏しいゆえ、もしも間違いなどありましたら教えていただけるとありがたいです…<(_ _)>)

FSUの記事はこちら→Vaytskhovskaya's interview with Ilinyh `Katsalapov already left me once, 7 years ago' for sport-express.ru



エレーナ・イリニフ インタビュー
「カツァラポフは以前にも私のもとを去ったことがあったの。7年前に」【前編】


4月はじめ、彼女はパートナーを失ってしまった。世界ジュニアチャンピオンとなり、五輪で金メダルと銅メダルを獲得した後、彼女とずっとカップルを組んできたニキータ・カツァラポフが、違うパートナーと組む選択をしたのだ。彼女にとってこれはショックだった。けれども、それからひと月たって、イリニフはこう言った。
「私は長いこと、ニキータのパートナーの座を手に入れようとがんばってきた女の子だったわ。それはもう終わったの。もう人生の次の段階に進んでいかなくては。ぐずぐずと不必要なことをやっている段階ではないのよ」

彼女が10日間の休暇に出かける直前に、私はモスクワで彼女と会い、話を聞いた。

Q:あなたがアメリカ(のシュピルバンドとズエワのところ)で練習し始めた頃のことから聞きたいの。そもそもなぜアメリカに行くことになったの?
イリニフ:忘れたわ。知り合いに紹介されて、とかじゃなかったかしら。当時、私はパートナーを失っていた。ニキータが違う女の子と組むことになったから。つまり、今年のワールド後の出来事は、初めてのことではないの。今から7年前に同じことが起こっていたのよ。

Q:忘れた、と言ったわね?
イリニフ:なぜアメリカに行くことになったか覚えていないのよ。ニキータと別れたことはよく覚えているわ。私はたった13歳だったけど、ものすごくショックだった。

Q:ニキータとはどのくらいの期間カップルを組んでいたの?
イリニフ:最初は私も彼もシングル選手として、Natalia Dubinskayaに教わっていたの。ところが、彼と私の母親たちが、私たちはアイスダンスに転向するべきだと考えたの。せめてトライしてみるべきだと。ニキータはジャンプがあまり得意ではなかったしね。ちょうどロバチェワとアベルブフが学校をオープンさせた頃よ。
ニキータはいつも目立っていたわ。みんなの注目の的だった。すごく上手だった。だから私には、彼と組むべきかどうか迷う余地は全然なかったわ。それがすべての始まりよ。私はジャンプの練習をやめて、スケーティングやパートナーと演技することを学び始めた…すごく楽しかったな。

Q:主にロバチェワとアベルブフのどちらに習っていたの?
イリニフ:私たちのプログラム第1作目の振付けをしたのはアベルブフよ。彼との振付はとてもおもしろかったからよく覚えているわ。でも、残念ながらアベルブフは毎日リンクに立つことはできなかったの、ちょうど彼が新しいプロジェクトを始めた頃だったから。でも、彼が氷に立ったときは、もうすごかったわ。私たちは毎回、新しいことを山のように学んでいった。そんなとき、ニキータは私と別れることを決めたわけ。

Q:あなたに相談もせず?
イリニフ:私たちはいつも、些細なくだらないことでケンカしていたの。2人とも子供だった。ニキータは、私がパートナーとして物足りない、若すぎると考えていた。私のせいで自分の時間がむだになってるってね。ほんと、くだらないケンカだったわ。



Q:アメリカには誰と一緒に行ったの?
イリニフ:祖母とよ。母は私たちの生活を支えるため仕事をしなくてはならなかったから、ロシアを離れることはできなかったの。祖母と私はアパートを借りて、祖母は運転免許を取ったわ。イゴール(・シュピルバンド)とマリナ(・ズエワ)が教えている選手の中にロシア人の男の子がいて、その子と私でトライアウトをしたけど、うまくいかなかった。それで、私はまた1人で滑っていたの。
その頃、イゴールとマリナの元にはたくさんのシニア選手たちがいたわ。ベルビン&アゴストにバーチュー&モイア、デービス&ホワイト、チョックと彼女の元のパートナー、そしてシブタニ兄妹…。私は一番年下の選手の1人だったけど、イゴールとマリナは毎日、私のために時間をとって教えてくれた。2人はユニークなスケジュールを組んで、いろんな課題を与えてくれたわ。ポージング、振付、柔軟性、氷上でどちらかのコーチと練習し、その後もうひとりのコーチと交代、それからスピン・コーチやリフト・コーチと練習…。

Q:レッスン代はどこから出ていたの?
イリニフ:私の家族からよ。苦労はしたけど、それだけの価値はあったわ。すばらしい知識を吸収することができたと思う。

Q:アメリカにはものがあふれているわね。そんな中で買いたいものを買えるお金がないことは苦にならなかった?
イリニフ:子供の頃からつつましい生活をするのに慣れていたもの。私はカザフスタンで生まれて、両親は私が2歳のとき離婚したの。母はとても強い気性の人で、父の裏切りを許すことができなかったの。彼女は子供をつれて家を出た。だから、豊かな生活をしたことは一度もなかったわ。今はときどき、とても裕福な人たちと会う機会があるけど、そういう人たちって、お金がない生活がどんなものか理解することができないみたいね。私は自分の人生に何かが足りないと思ったことは一度もなかった。スケートやダンスやバレエのクラスが大好きだったし、イゴールとマリナと一緒にいることが楽しくてしょうがなかった。それに比べたら、ばかみたいな服を買えることが何だっていうの?
私の母はよく人に、この子ったら何かをおねだりしたことが一度もないのよ、って言うの。2人でショッピングに出かけても、私は何かを買ってほしいと言ったことはないわ。でも、母は私の心が読めるみたいで、私が何かのおもちゃを心からほしいと思ったときには、いつのまにかそのおもちゃは私の手の中にあったわ。
アメリカで暮らしているときには、遊びに行ったりするような時間はまったくなかった。すてきな家に住んで、車もあった。ほかに何がいるのかしら?

Q:おばあ様が車の運転を始めたときは怖かった?
イリニフ:祖母は車の運転なんて絶対いやだと言い張っていたわ。でもある日、とても年老いたおばあさんを見かけたの。たぶん90歳台ぐらいで、体がふるえ、しわだらけだった。そんなおばあさんが、松葉づえにつかまりながらレクサスまで歩いていくと、それに乗り込んで走り去っていったのよ。私は言った。「おばあちゃん、ほら! おばあちゃんは若いし、美人だし、なんだってできるのに、車の運転が怖いなんて言うわけ?」そしたら祖母は運転を始めたわ。
ソチ五輪の少し前、私は祖母をアメリカに呼んだの。とても来たがっていたとわかっていたから。1週間一緒にすごしたんだけど、これが天の恵みのような時間だったの。祖母とは今まで、まともな話をしたことは一度もなかった。とりたてて祖母と話すことなんてないと思っていたから。アメリカ滞在の最後の日、私は祖母をロシア料理屋につれていったの。2人でただおしゃべりして2時間すごしたわ。たくさんのことを教えてもらった。私自身のこともね。その会話のあとで、思ったの。私は母と祖母とはずっとすごく仲良しだったのに、ほんとになんでもない話しかしてこなかったんだなあって。

Q:英語はすぐに身についた?
イリニフ:ええ、英語はモスクワにいた6歳のときから勉強していたから。でも、それはアメリカ英語ではなかった。アメリカでは「元気?」を"How are you?"ではなく"What's up?"って言うんだと知ったときには、最初は混乱したわ。人の話すことは理解できても、どう答えればいいのかわからなかった。でも、みんな親切に助けてくれた。間違いを直してくれて、正しい言葉を教えてくれたの。だから、すぐにコミュニケーションがとれるようになったわ。(How are you?とWhat's up?が逆になっていましたね。マユさんご指摘ありがとうございます。訂正させていただきました!)

 

Q:カツァラポフがもう一度カップルを組もうと言ってきたときには、どう思ったの?
イリニフ:とってもうれしかったわ。そのしばらく前から、最高のコーチに教わることができているのはすばらしいけれど、みんなパートナーがいる中で自分だけダンスの練習や試合ができないことを居心地悪く感じていたのよ。シュピルバンドに、ロシアに帰ることになったと言ったら、彼は理解して支持してくれたわ。ニキータと私はお似合いのカップルだと言ってくれたのは、彼が初めてだった。まだ私たちが別れてもいないときだったのに。彼は即座に、「行きなさい。それが君の運命だよ」って言ったの。
ところが、モスクワに来てみると、ニキータはまだ何も決めていなかったの。トライアウトのようなものがおこなわれていた。たくさんの女の子をニキータと組ませてね。彼は私たち女の子の中から相手を変えて滑っていた。
そしてやっと、私たちはカップルを組めることになったの。ニキータと私でプログラムの振付をして、組んで最初の1年はとてもうまくいったわ。ロシアナショナルで4位になった。3位のカップルより私たちを世界ジュニアに派遣すべきだという声もあったわ。結局、コーチたちの判断でその年は派遣されなかったけど、翌年の世界ジュニアで優勝した。
その頃はたくさんの変化が起きていたわ。ジュニアレベルで競技している私たちを見て、バンクバー五輪にロシアの3枠目として出場させるべきだと言う人もいた。実際、ジャッジにはいい評価をもらっていたわ。すべてのエレメンツでレベル4だった。それでも、ずいぶん成長したとはいえ、私たちはまだ子供だった。いうまでもなくジュニアとシニアではプログラムも全然違うしね。だから、実際にシニアに上がって、期待どおりの成績を上げられなかったとき、私は悩み始めた。何が悪いのって。
そのとき、私はわかってきたの。シュピルパンドとズエワでさえ才能がすべてだったわけじゃない、長い年月努力をしてきたからこそなんだと。ある試合のとき、メリルが「私とチャーリーはもう16年一緒にやっているのよ」と言っていたのを覚えている。それを聞いた日、私は1日中感動していたわ。デトロイト・スケーティング・クラブの壁に、前歯のない口で笑っている(幼い時代の)メリルとチャーリーの写真がかかっていたことも、よく覚えているな…。
で、ニキータと私ね。ええ、2シーズンの間、私たちはいいプログラムに恵まれたし、素敵なリフトもやったわ。でも、それではチャンピオンにはなれないの。なにか明白に人目をひくなものでなければならない。でも、そのことを悟るまで数年かかった。経験を積み、ミスを重ねてから、ようやくわかったの。

Q:そんなにたくさんミスをした?
イリニフ:ええ、たっぷりと。それは私はかまわないの。他者の失敗を見れば学ぶべきことは十分学べると言う人もいるけど、結局そうではないのよ。つまり、練習後には必ずマフラーをしなくちゃならないことは、実際に風邪をひくまではわからない。食事やほかのことについても同じことが言えるわ。
ジャッジだって、自分の眼前で何年もかかって成長してきた選手と、ただぽっと出てきた選手とでは、評価も違うと思う。いくら才能がある選手でもね。
だから、客観的に見れば、私とニキータのパートナー関係は、今シーズン初めて本物になったのよ。去年の夏の練習のとき、2人の間には驚くべき調和ができていた。私たちは新しいリフトを練習し、すばらしい演技ができるようになった。言葉にしなくてもお互いのことを理解できた。強い絆で結ばれて、すべては2人で一緒にものにしてきた――そんな感覚だった。だからこそ、3月に起こったことはとてもつらかったわ。

(ああ、エレーナ(;_;)…後半に続きます…)

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:アイスダンス | 14:29 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
テサモエ、さっそく始動! SDはジャズ、FDはクラシック!
バンクーバー金メダリストにして、ソチの金メダル最有力2候補のひと組、テサモエ。
おなじみのIcenetworkで、そのテッサ・バーチュー/スコット・モイヤの新プログラムが発表されました。なんと今週末の試合でSDを初披露するそう! 今季は取りかかりが早いですね〜、さすが気合の入り方が違うわ…ドキドキ。

アイスダンスは個人的に一番弱い分野なので(見るのは大好きなんですけどね!なかなかルールがわからなくて汗)、用語ミスなどあるかもしれませんが、どうかご了解ください。ライバルのメリチャリ情報もちょこちょこっと入っています。

もと記事はこちら(8月5日付)→Secret's out: Virtue, Moir disclose program music



「秘密は明かされた:バーチュー/モイヤ、新プログラムの曲を発表」
現オリンピックチャンピオン、ショートはジャズ、フリーはクラシックで


今季、テッサ・バーチュー/スコット・モイヤは早めに始動しようとしている。

現オリンピックチャンピオンである2人は、クイックステップとフォックストロットを入れた今季のショートダンス(SD)を、モントリオールの北に位置するボアブリアンで8月10日に開催されるQuebec Summer Championshipsで初披露する予定だ。

「私たちはもう準備ができていることを示すこと、そしてジャッジから最初の反応を得ることが目的よ」ミシガン州カントンで2人をコーチングしているマリナ・ズエワはそう言った。

8月にジャッジやテクニカルパネルの前でSDを披露することで、各エレメンツのレベル――特に今季のパターンダンスの課題であるフィンステップのレベルを、たっぷりと時間をかけて見直すことができる。最高の結果を得るには、ダンスの各セクションでクリアするべきいくつものポイントがある。

SDの曲はルイ・アームストロングとエラ・フィッツジェラルドの数曲を組み合わせたもの
。まずは"Dream a Little Dream"から始まる。
「次のセクションの曲はジャズっぽい"Muskrat Ramble"で、3番目のセクションはよく知られている"Dancing Cheek to Cheek"だ」モイヤが言った。「フランス系カナダ人の社交ダンスチャンピオン、ジャン=マルク・ジェネルーにも入ってもらっている。彼とは10年前からの付き合いなんだ」

ズエワによるとSDのコンセプトは社交ダンス、ただしひねりをきかせたものだという。
「テッサとスコットのクイックステップとフォックストロットは、ジャズ的なアプローチをしているの。2人は天性のダンサーよ。こういった音楽スタイルは、彼らが互いにやりとりしたり体を使ったりするやり方にぴったりだと思うわ」

バーチュー/モイヤの――そして彼らのリンクメイトでありライバルであるアメリカのメリル・デービス/チャーリー・ホワイトの――振付と音楽はトップシークレットだ。カントンのArctic Edge Arenaでは、リンクサイドの窓の前にカーテンが引かれ、ロビーから練習が見えないようになっていた。選手たちは無線イヤホンをつけて練習することもあった。

「メリルとチャーリーのSDは素早いテンポの、流れとスピードのあるプログラムなの」ズエワは言う。「まるで昼と夜みたい。ふた組はものすごく違うのよ」
デービス/ホワイトの曲については、8月19-25日にコロラド・スプリングスで開かれるアメリカスケート連盟主催のChamps Campの後までは公表しない方針だという。

バーチュー/モイヤのフリーダンス(FD)は、19世紀から20世紀への変わり目に活躍した2人の作曲家、アレクサンドル・グラズノフとアレクサンドル・スクリャービンによる2曲だ。

「FDはSDよりも時間がかかったよ。僕らのために特別に編集された曲だからね」とモイヤは言う。「グラズノフはバレエ音楽“四季”を、スクリャービンは“ピアノ協奏曲嬰ヘ短調”を使っているんだ」

ダンサーのセルゲイ・ヴォロディンが新しいリフトの導入を、オンタリオ州在住のダンスインストラクター兼振付師のジェニファー・スワンが体の動きを、それぞれサポートしたという。音楽を選び、プログラムの監督をおこなったのはズエワだ。

「FDは男女の物語なの。男女関係が人生の四季の移り変わりにつれてどう変わっていくかを描いているわ」ズエワは言う。「珍しい曲ではないけれど、フリーダンスで使われていた記憶は私にはないわ。ワルツを含んだダンス音楽だけどね」
「私の頭の中で長い時間をかけてさまざまな音楽を検討していって、ようやくこの2曲が彼らにとってベストなんだとわかったのよ。この2人の作曲家の相性がいいことは、私自身、大学で学んで知っていたし」

バーチュー/モイヤは、2013年世界選手権の直後からFDの振付に入り、5月に休暇をとった後、6月にリンクに戻ったという。
「私たちのようなペアには、スケート界は毎年何か新しいものを期待するのよね」とバーチューは言った。「とても労力と時間がかかったけど、新しいリフトを5本、ほかにも新しい要素をいくつかプログラムに入れることができたわ」

2008年と2010年に脚のコンパーメント症候群(*オーバーユースや炎症、または打撲・骨折・脱臼などの影響から仕切られた区画内の筋組織に出血が起こり組織内圧が上昇し、動脈の血行障害や筋の線維化や壊死が起こってしまう障害のことらしいです)の手術を受けたバーチューだが、長時間の練習は今のところ特に問題はないという。
「ここで休憩して1時間体を休めるべき、という時は自分でわかるの。全然問題ないし、練習スケジュールにもうまく組み込めているわ」

オリンピック金メダルに二度のワールドメダルも獲得した2人。今季限りで引退するだろうと広く思われてはいるが、バーチューは確定的なことは何も言いたくないそうだ。
「オリンピック後のシーズンに私たちが何をするのか、自分たちでもまだわからないもの。1年1年やっていくだけよ」
「私たちの大きなゴールは、もちろんオリンピックよ」と、バーチューは言葉を続けた。「今度が2度目だし、自分たちが何を目標とすべきかはわかっている。でも、今回のほうが当然プレッシャーは感じているわ、私たちは現・金メダリストだもの」

ズエワによると、バーチュー/モイヤの今季の国際大会初戦は10月はじめのフィンランド杯になりそうだという。その後、スケートカナダとTEBに出場する。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 おお、ワールド直後から新プロの振付にかかっていたとは。パトリック・チャンが国別対抗戦後のインタビューで、テサモエとメリチャリはうまいこと逃げた、みたいなことを言っていたことがありました(笑)が、やっぱり相当がっちり早めのプランを立てていたんですね。さっすが圧倒的金メダル候補!

上記の曲、動画を全部貼りつけると大変なことになってしまうので、リンクだけ。
 SD "Dream a Little Dream of Me" http://youtu.be/j6TmogXhOZ8
      "Muskrat Ramble" http://youtu.be/0vpuFYQwZ5o
      "Cheek to Cheek" http://youtu.be/GeisCvjwBMo
 FD "Season" http://youtu.be/EsxDyKysmaY
      "Piano Concerto" http://www.youtube.com/watch?v=C3hA5J-A5Yw&feature=share&list=PL61EB2C2F4E0B05AE

SD初披露は今週末らしいですが、FDのほうはどうなんでしょ? フィンランド杯までお披露目はあるんでしょうか? そしてメリチャリのB級出場はあるのかな? 今季はトップ選手でB級に出る人けっこういるんでしょうかね?…やっぱり五輪シーズン、ドキドキワクワクですね、いろいろと。
(ところで、まずフィンランド杯からスケカナ→TEBというスケジュールは、羽生くんとまったく一緒ですね。パトリックは今年はJO出ませんが、どうするんでしょーね!?...と、ついつい話を男子シングルに持っていってしまい、すみませんです汗)

JUGEMテーマ:フィギュアスケート

カテゴリ:アイスダンス | 05:01 | comments(11) | trackbacks(0) | - | - |
ウィーバー&ポジェ、ケガを乗り越えて国別対抗戦へ
うかうかしているうちに、もう明日から2013年国別対抗戦! 気になる練習レポートもどんどん入り始めましたね。いよいよだー!
今年、個人的に特に楽しみにしていたのがアイスダンスだったんですが、メリチャリとテサモエは不出場だし、出場予定だったペシャブル、じつは一番見てみたかったボブソロが、怪我のため相次いで棄権…・゜・(ノД`)・゜・
でもでも! ケイトリンの怪我で今季は絶望?と思われていたのに、みごとワールドで感動のカムバックを果たしたウィバポジェ! 彼らにとってはこの国別、お遊びの試合などではないようです!

4月9日付でカナダのCBC sportsに掲載されたこちらの記事です。
元記事→Kaitlyn Weaver, Andrew Poje look to finish challenging season strongly

 
「ウィーバー&ポジェ、苦闘したシーズンをいい形で終わりたい」

ほかの選手たちにとっては、国別対抗戦は長かったシーズンのしめくくりの大会だ。だがカナダのアイスダンス、ケイトリイン・ウィーバーとアンドリュー・ポジェ組にとっては、中断を余儀なくされたシーズンの中で、もう一度試合にのぞむ貴重なチャンスになる。

ふたりはカナダチームの一員として、今東京にいる。ウィーバーがリンクの壁に足から滑りこんで激突し、足首を骨折してから、4か月になる。

カナダではオリンピック金メダリストのバーチュー&モイヤ組に続く力を持つふたりは、怪我明けに出場した先月のロンドンでの世界選手権で5位に入賞した。ウィーバーが練習を再開してわずか2週間だったことを考えれば、これは大健闘だ。しかも、彼女の足首には、腓骨を支えるためのプレートと5本のビス埋め込まれていた。
「今季の状況と私の怪我、そしてカムバックを考えると、(ワールドに)出られたのはすばらしい経験だったわ」デトロイトの練習拠点で、ウィーバーは最近そう語った。「最終的に5位になれたことはとても感動的だった。本当に信じられない瞬間だったわ。私たちがあの状況からあんなふうにカムバックできたことは、私たちの決意の強さとスケートへの愛を本当に表しているんだと思う」

国別対抗戦のアイスダンスは、木曜日にショートダンス、金曜日にフリーダンスが行われるが、バーチュー&モイヤ組を含むワールド上位4組が出場していないため、2人が優勝候補の筆頭と目されている。
「どんな大会であっても、もう一度試合に出ることができて、今季を満足な形で終わることができることを、私たちはすごく幸せに思っているわ」

カナダチームを率いるキャプテンは、世界選手権3連覇のパトリック・チャン。ほかに17歳のケイトリン・オズモンド、ペアでワールド銅メダリストとなったメーガン・デュハメル&エリック・ラドフォード組も出場する。

カナダは、今季の国際戦のポイントでランキングトップにつけている。来年ソチ五輪で初めて導入されるフィギュアの団体戦でも優勝候補になる。今回の国別対抗戦の出場資格を得たランキング上位国は、ほかにアメリカ、日本、ロシア、フランス、中国。
各国から男女シングルに2人ずつ、ペアとダンスにひと組ずつエントリーする。総合得点で優勝した国には賞金20万ドルが与えられる。

ほとんどの選手にとって、この国別対抗戦は長いシーズンのしめくくりとなるが、昨年12月14日に負傷したウィーバーとパートナーのポジェは、まだ調子を取り戻そうとしている最中だ。23歳のウィーバーによると、ワールド以降、怪我からワールドまでの間にやった練習と少なくとも同じ程度の練習は積めてきたという。
「なので、私たちは強い気持ちでいます。余裕があって、自信もあるわ。ワールドでできたことを、またここでやればいい。そう思うとより一層自信になるし、全力でやれば何だってできることが自分たちにはわかったの。ワールドにのぞむときには背負うものもあまりなかったから」

だが、ウィーバーは再び、試合から遠ざかることになる――東京から戻ったらすぐに、プレートとビスを取り除く手術を受ける予定だからだ。
手術を来シーズンの後まで伸ばすこともできた。だが、「これをつけたままだと、スケート靴の中で邪魔になってしかたがない」のだそうだ。「骨折が十分治ったら、できるだけ早く除去手術を受けるつもりよ。これとまたもう1年間付き合う気はないわ。ビスは皮膚のすぐ下に入っているから、このまま滑るのはあまり快適ではないのよね」

こういう形で短くなってしまった彼らのプレ五輪シーズンだが、それでもウィーバー&ポジェ組はソチの有力なメダル候補だ。むしろ、ここ2、3か月の経験からフィギュアに対してまったく新しい見方ができるようになった、とウィーバーは言う。
「私たちは学んだの、毎日がどれほど貴重かということを。私たちは毎日、自分たちが大好きなことをすることができるし、私たちがスケートをするのはそれが私たちが情熱を感じているものだから、そして楽しいから、おもしろいからよ。こう思えるようになったおかげで、もっと楽しくなったし、もっとポジティブな状況になったの」と、ウィーバーは言う。「どんなことでもそれを失うことがありえる、そんな気持ちを知ったことは、すばらしい学びの経験だったわ」

カナダチームからは他に男子のケビン・レイノルズ、女子のガブリエル・デールマンが出場する。

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カムバックのワールドでみごと5位。フリーの「Humanity in Motion」。白い大理石の彫像が、男性のキスで生身の女性に…だが、やがてキスの魔法はとけ、彼女はもとの彫像に…というストーリー。彫像をかかえるようなリフトがすばらしい! もう一度こんなすばらしい演技と、ふたりの笑顔が見れますように!

さて、初日の明日はダンスのSD、男女のショートがおこなわれます。リザルトページは→こちら
練習レポでは中国のハン・ヤンくんが絶好調だとか!? こ、これはショート1位発進もありうるかも!!!??? 楽しみですぅ!!!

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:アイスダンス | 17:07 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
セクシーすぎる「カルメン」〜バーチュー&モイアFD
スケート・カナダで「カルメン対決」となった、金メダルのバーチュー&モイア組(カナダ)と銀メダルのカッペリーニ&ラノッテ組(イタリア)。前者のコーチがマリーナ・ズエワ、後者のコーチがそのズエワと喧嘩別れ(?)したイーゴリ・シュピリバンドということで、ずいぶん話題になっていました。

このバーチュー&モイア組の「カルメン」について、Rosie DiMannoさんというカナダ人コラムニストが記事を書いています。これがかなり、なんと言いますか、ちょっと悪ノリがすぎるというか、しかもカナダ至上主義な記事でして……まあそんな記事だと思って読んでいただけたら幸いかと思います。
 

「バーチュー&モイア、エロチックなフリーで金メダル獲得」


それはスコットとテッサのエロチカだった。

題して『愛のカルメン』。18禁のアイスダンス。大人のためのフィギュアスケート。
 
スタンダードな曲を、まったく新しく想像し直し、大胆に振付した、湯気がたつほどホットなバージョン。みごとに演じきったのは、大人の成熟を見せ始めている2人。もはやチャーミングな演技でバンクーバーの金メダルを取ってしまったかわいらしい2人ではない。
 
フィギュアスケートでさんざん使い古されてきた曲から、どうやって新機軸を引きだすことができるの? そう思っている方は、答えが見つかったことになる。そう、これが答えだ。
 
ドラマチックで、とても親密で、これみよがし。あからさまにセクシーに解釈された「カルメン」は、土曜日の夜のWFCUアリーナで、会場中をクライマックスにたたきこんだ。
 
観客は明らかにYoutubeに投稿された練習動画を見てきたらしい。テッサ・バーチューとスコット・モイアが最初のポーズをとると、音楽が始まる前から、期待にみちた口笛やかけ声が飛んだ。
 
それから数秒後、テッサがその手をスコットの股間のあたりに置いた。スコットが思わせぶりに指をテッサの内腿にはわせると、テッサはまるで何かを熱望するかのように背中をそらせ、ストリッパーのポールダンスさながらに下半身をくねらせた。
 
「セクシーだった? セクシーじゃなかった?」2人のコーチ兼振付師のマリーナ・ズエワは、演技後、記者たちに詰め寄った。「どんなことでもセクシーすぎるということはありえないわ。もちろんセクシーよ、だってこれはカルメンだもの」
 
それは、ボブ・フォッシー(『シカゴ』『スウィート・チャリティ』などのブロードウェイ・ミュージカルの演出家)が演出したらこうなっただろうというカルメンだった。フォッシーお得意の、腰を突きだしたり体をくねらせたりといった動きがいっぱいだった。
 
こんなカルメンは今までなかった。官能的な表現力と、うっとりするほどの技術力。実は、金メダルを獲得した驚異的なフリーの演技が終わってから表彰式までの間に、テッサはわきへ寄って、ちょっぴり吐いてしまったという。それほど肉体的にも気持ち的にも大きな負担がかかるプログラムだったのだ。
 
「そういう要素なくしてカルメンを滑ることはできないと思います」そう語るテッサの黒い衣装は、胸のカットがおへそのあたりまで大きく開いていた。「とても性的で、なまなましさもある。それを私たちは描き出そうとしています。動きのひとつひとつに意図があるんです」
 
そして、そうした動き――華々しく複雑なリフト、リスクをともなうフットワーク、最先端のスピンやツイズル。目もくらむほどのスピード。スコットの首に脚を巻きつけるテッサ。テッサの腹部に顔を押しつけるスコット。
 
使い古された動きはひとつもなく、すべてがスリルに満ち、スタイリッシュだ。
 
「明らかに、僕らのカルメンに対する解釈には性的な面があるね」とスコットは言う。「モダンダンスのダンサーや振付師とたっぷり練習をして、動きがより自然に見えるように努力した。僕らに訴えかけてくるプログラムなんだ」
 
もうひとつ、まるで異なった「カルメン」――こちらは一般向けバージョン――が、2人の演技の直前に演じられた。銀メダルを獲得したイタリアのナショナルチャンピオン、アナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ組だ。だが、こちらのほうは対照的に生ぬるく、おもしろみに欠け――正直、味気ないものだった。
 
ショートダンスでは、驚くべきことにわずか0.01ポイント差だった両ペアだが、フリーではカナダペアがイタリアペアを大きく引き離した。ショートでは、スコットがリフトでもつれてしまい、テッサのスカートの中に顔を埋めてしまったのだ。(「うん、僕は毎日そんな目にあってるからね」スコットはふざけてそう言い、すかさずテッサに「氷の上でね」と言い返された)
 
フリーダンス 104.32  総合 169.41。
 
このショートとフリーをもってすれば、シーズン終わりまでに総合で200点越えできる自信がある、とズエワは言う。
 
「今年はすべてのエレメンツが新しく、とても難しくなっているわ」彼女は強いロシア語なまりの英語で語った。「リフトのポジションも、これまでにない変え方をしているの。2人はオリンピック・チャンピオン、ワールド・チャンピオンなのだから、この競技に新風を吹き込まなければならないもの」
 
今回のフリー演技中、テッサは一度、あきらかなミスをした。つまずいてしまい、何とか転倒せずに持ちこたえたのだ。だが、ズエワは一笑に付した。「ミスですって? ミスがなくて何ができると言うの?」

翻訳すれば、リスクを冒さなければ栄光はない、という意味だ。
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カテゴリ:アイスダンス | 12:22 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
シブタニズのクリントン晩餐会体験記@icenetwork
もうだいぶ前になってしまいましたが、5月1日、アイスダンスのシブタニ兄妹が、ヒラリー・クリントン国務大臣主催の晩餐会に出席!というできごとがありました。
アメリカ初訪問となる日本の野田首相を歓迎してのもので、会場はワシントンDC市内のナショナル・ジオグラフィック協会。ここに、日米にゆかりの深いゲストのひと組として招かれたんですね。
このときの体験記を、アレックスとマイア本人が5月8日付のicenetworkにつづっていました。

元記事はこちら→Shibs rub elbows with dignitaries at D.C. dinner
(このときの写真がこちらにアップされています。→photo gallary

これが、かーなーりー長いんですが、とってもすばらしいんです!
しかし…特にアレックスの絶妙なユーモアと言いますか、微妙なニュアンスが、私の未熟な訳ではなかなか伝わらないかもしれませんが、どうかお許しくださいっ(違いをわかりやすくするために、アレックスは「である調」、マイアは「ですます調」にしています。)では、どぞ〜!

 
「シブタニズ、ワシントンDCの晩餐会で要人と同席」

「スタートレック」などに出演した日系人俳優ジョージ・タケイ氏と。これがマイアとアダム・リッポンが選んだというネクタイなんですね、アレックス。

5月1日、マイア・シブタニとアレックス・シブタニは、国務長官ヒラリー・クリントンの招きで、日本の野田佳彦首相の初の米国公式訪問を記念して行われたワシントンDCでの晩餐会に出席した。

【招待】

アレックス:もしふつうの状況であったとしても、4月25日水曜日はかなりすばらしい日になるはずだった。僕は家族とディナーをとるため、ミシガン州アナーバーの中心街に向かっていた。僕の21回目の誕生日を祝うことになっていたからだ。誕生会のハイライトは、飲酒年齢に達した初のビールを、祖母と分け合って飲む場面になるはずだった。

レストランに着くと、マイアがにっこりして言った。「メールをチェックしてみてよ!」メッセージを見始めたとたん、僕は目を見開いた。国務長官ヒラリー・クリントンが、日本の野田首相を国賓とする晩餐会に僕らを招待するというのだ。その後の約5秒間、僕らの発する言葉は"Wow!"という一語だけだった

スケートは僕らに、世界中を旅するわくわくするような機会をたくさん与えてくれる。今まで、ダンスや音楽、ほかのスポーツやメディアといった、スケートと縁のある世界のすばらしい人々と、出会ったり一緒に仕事をしたりすることができた。それが今度は、外交官や実業界のリーダー、幅広い分野の学者たちと触れ合うという、自分たちの経験領域をまったく新しい方向へ広げられるチャンスをもらったのだ。これは信じられないほどエキサイティングなことだった。祖母がビールを半分こして乾杯してくれているとき、僕は思っていた。これは史上もっともクールなバースデーサプライズに違いないと!

【準備】

アレックス:僕らは即座に招待を受け入れた。電話で手短に打ち合わせしたあと、旅程が作られた。招待状によると、ドレスコードは「ビジネス・アタイヤ」(注:スーツ、ジャケットなどの上着にネクタイ、女性はスーツやワンピースなどのきちんとした服装のことらしいです)。マイヤに手伝ってもらい、ふさわしいネクタイを探して自分のクローゼットを見てみたが、どれも今回の場合には適当ではないような気がした。
晩餐会の前の週末、僕らはアダム・リッポンと一緒に、デンバーで開催されるShowtime on Iceにゲストスケーターとして出演することになっていた。そこで、マイヤがアダムに協力を求め、ショーの合間に3人で近くのショッピングモールに出かけることにした。たどりついたのはデパート「ノードストロム」の紳士服売り場。そこで僕は、自分のネクタイ選びの知識のなさを堂々とひけらかしてしまうことになった。これこそぴったりと思うタイを手にとるたびに、マイアとアダムは大きなため息をついて首をふるだけだった。とうとう僕はあきらめてしまい、マイアとアダムが1本のタイを選んでくれた。

マイア:日曜の夜、デンバーでの最後のショーが終わると、アレックスと私は飛行機でミシガンに戻り、午前2時近くにようやく家に帰りつきました。デンバーでのアダムとの共演はとても楽しいものでした。(私たちのツイートを見てね!)2、3時間後には起きて、また空港に逆戻りすることになることを知りつつ、とりあえず就寝。肉体的には疲れ切っていたけれど、晩餐会がとても楽しみだったから、私たちは前に進むことができました。

ワシントンDCにはアレックスも私も今まで何度も行ったことがあります。うちのアルバムのあちこちには、私たちが幼いころ、リンカーン・メモリアル近くの川辺でピクニックをしている写真がたくさんあります。お気に入りの季節はいつも春先、桜の花が満開になるころでした。

ワシントンDCの空港に降り立ったあとは、そんなに時間はありませんでした。思い出のリンカーン・メモリアルにちょっと足をのばしてから、デュポン広場近くの大好きなレストランPizzeria Paradisoで簡単なランチ。ホテルにチェックイン後、午後の時間をたっぷり使って、晩餐会での会話で話題になりそうな記事を全部読みこんでいきました。アメリカ外交とアジア太平洋地域に関する見出しをグーグルで検索しながら、まさにその日に起こっている出来事が次々とトップニュースになる様子に、私たちはびっくりしていました。

【到着、レセプション】

マイア:招待状によると、会場に6時に到着するようにとのこと。私たちが着いたのはその10分前でしたが、入口にはもうかなりの人が集まっていました。運転手さんが車をおりて、私の側のドアを開けてくれました。足を踏み出したのは、まさにレッドカーペットの上。私はわくわくしながらも緊張していました。アレックスの腕につかまって建物に入っていきながら、そばに彼がいてくれることを心強く感じていました
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カテゴリ:アイスダンス | 10:34 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
マイヤとアレックスの練習風景!
ワールド前の情報日照りのこの時期に、アメリカのアイスダンスペア、マイヤ&アレックス・シブタニアレックスお兄ちゃんが、Twitterでこんなことをつぶやいてくれました!


な、な、なんと、ワールドに向けた練習風景を動画で見せてくれる!ありがとう、アレックス!

その動画がこちらです。(上のつぶやきのunisports.tvをクリックすれば、もっと大きな動画で見られます)
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ふたりにダンス指導をしているのは、コーキー・バラスさん。アメリカのテレビなどで活躍するプロダンサーらしいです。
冒頭、マイヤに頭の動かし方を教えるところでは、「頭を傾けて回して…ポニーテールで彼(アレックス)をひっぱたくんだ!」 リンクサイドでも踊ったり叫んだり…なかなかテンションの高い方ですね。

それにしても、氷上練習のスピードと迫力はすごいですね!
衣装ではなく練習着なせいか、試合のときよりよけいキレキレなように感じます。

このプログラム、上品でしゃれていて、大好きなんです。12月のグランプリファイナルの演技から。


アイスダンスにはテサ&モエ、メリ&チャリという東西(?)の大横綱がいるし、メダル争いもなかなか熾烈でしょうけど、ぜひぜひがんばってほしいです!

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カテゴリ:アイスダンス | 11:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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