デニス・テンのアルマトイ五輪招致ラストスピーチ@IOC総会

2022年冬季五輪レース、終わりましたね。北京には本当におめでとうございます!…なんですけどね、個人的にはデニス・テンくんがもう何年も前から、ずっとずっと一生懸命がんばってきたのを見てきたからなあ。彼の努力が報われたらいいな、と思ってました。
北京、アルマトイ双方ともたくさん苦労・努力してきたんだと思うけれど、選考というのはむごいものですねぇ。

しかし! 投票の前の最終プレゼンテーションの場に立ったデニス、本当に立派でした! あのスピーチを世に残しておかないのはもったいないです!
というわけで、聞き取り訳やってみました。例によって聞き間違い、誤訳などなどあるかもしれませんが(もし気づいたら教えてください〜<(_ _)>)、あの超ド緊張の場面で会場をヒューマンなやわらかい雰囲気でつつみこんだスピーチの、その雰囲気の一端だけでも伝わりましたら幸いです。
ではどうぞ〜。

*IOCからアルマトイのプレゼンの動画がアップされました。デニスのスピーチは27:32あたりから。
貼りつけができない設定のようですので、リンクだけ。→
こちらです。
 


「バッハ会長とIOCメンバーのみなさん、紳士淑女のみなさん、おはようございます。
ローザンヌでの私のスピーチでは、まず歴史のお話をしましたが、今日、私たちも歴史を作っています。なぜならカザフスタンが史上初めてIOCにファイナルプレゼンテーションをしているのですから。この歴史的瞬間に参加できて誇りに思います。

歴史は勝利者たちによって書かれると言います。それは正しいのかもしれませんが、勝利という言葉をひとつの定義だけで見るのは間違いだと思います。私たちは全員、この招致運動そのものがとてつもない勝利だと確信しています。ここクワラルンプールで、みなさんと一緒に、この場所に立てていることが勝利なのです。

さて、あるちょっとした秘密をお伝えしたいと思います。アスリートとして、私は今日、ある勝利を手にしました。もしもこのコンペティションで勝てたなら、もっと意味を持ってくるであろう勝利です。この会場を見渡すと、スポーツに貢献されてきたたくさんのお顔を拝見することができます。皆さんにはそれぞれ、スポーツがどれほど自分の人生を変えたか、どれだけの名声を手にしたか、語る言葉があるでしょう。スポーツも名声をもたらします。

ここで私自身の歴史をお話しさせてください。私は小さい頃、よく言えば「とても活発」な子供でした。私の両親は違う言い方をするでしょうけれど(笑)。私はいろいろなスポーツをやっていました。空手にテコンドー、テニス、水泳、飛び込みなど。けれども、みなさんがご存知ないことがあります。私が最初に何かの賞をいただいたのはスポーツではなかったのです。合唱隊で歌を歌ったことでした。あ、誤解なきように。私は今でも歌が好きですし、かなり上手でもあるんですよ(笑)。でもその当時でさえ、私は自分のエネルギーを注ぎ込むべきもの、自分が成功を目指すものはただひとつ、スポーツだけだとわかっていました。

私は17年前、5歳のときにスケートを始めました。そうだ、ところで、この話を最近、あるIOCメンバーにお話ししたんですが、彼は笑ってこうおっしゃったんです。「デニスくん、わしはきみよりも年寄りのネクタイを持っているよ」おもしろいお話だなと思って(笑)。(会場で笑顔の役員たちが映る)17年前のカザフスタンでは、リンクは冬場しか営業していませんでした。屋外リンクだけだったからです。冬のカザフというのはかなり寒いのです。それがこの国に本物の雪がたくさんたくさん降る理由のひとつです。やがて、カザフ初のショッピングモールが建設されました。その中に屋内リンクがありました。初めてスノースーツを着ずにスケートができるようになったのです。

その最初の頃、私はスケートの試合のことなど何も知りませんでした。私はジャンプを跳ぶための器具もついていない(←この辺あやふやです)古いスケート靴をはいていました。 私は競技用のスケート靴さえ持っていませんでした。私が持っていたのは、側面の革がふにゃふにゃになってしまい、ジャンプを跳ぶには柔らかすぎる、古い靴1足だけでした。これを改良するために、私の父はペットボトルを半分に切って、靴の両サイドにつけて、ジャンプを跳べるようにしてくれました。
【←読者の方が私のあやふや訳を直してくださいました。ジャンプが飛べる競技用の靴がなかったため、ペットボトルを半分に切ったものを靴の内側に入れて足首を補強した、ということなのですね。桃象さん、どうもありがとうございます!<(_ _)>】
その後、8歳のときには私はロシアのオムスクで、初めて国際大会に出場しました。そこへ行くのに列車で3日かかりました。私はまだペットボトルがついたスケート靴をはいていて、練習場所はショッピングモールのリンク、プロのコーチもいませんでした。それでも決勝に進めたんです。自分でもびっくりしたことを覚えています。同時に、ロシアの子供たちのスケート靴を見て、自分の靴を恥ずかしく思ったことも覚えています。果たして結果は? なんと優勝したのです。そこから歴史が始まりました。

こんなことを長々とお話ししたのは、2022年アルマトイ五輪が私にとって、そしてカザフスタンにとって、どれほど重要なのか説明するためです。現代はもう17年前ではありませんが、今もなおこの国では若いアスリートたちを育てるためにもっとよい環境が必要なのです。どうしてこんなことをお話ししているのかって? なぜ私の話が重要なのかって? それは、私たちの国が冬季スポーツにおいてどんなことを成し遂げられるのか、そして、もしもふさわしい資源と機会さえあれば、この国にはどれほどの能力があるのか、よく示す実例だと思うからです。それが私がこの招致運動に参加することにした理由だったのです。

私はヒーローなどではありません。ただ自分のオリンピックの夢を追いかけてきただけです。私はオリンピックを夢見るたくさんのカザフスタン人アスリートの一員として、ここに立っているのです。そして、どこかの凍りついた湖の上で、ペットボトルに支えられた靴をはいて、たったひとりで滑り回っていたあのちびっ子のために、ここに立っているのです。ご清聴ありがとうございました。」



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いっさい紙を見ないどころか、その場で即興で話しているんじゃないの?と思ってしまいそうなナチュラルさ。さすがに緊張していたと思いますが、あの場でジョークで会場をなごませつつ、自分の個性も出しつつ、こんなにやわらか〜く話ができるのは(もちろん英語も流暢!)本当にすばらしかったです。
ネクタイの話をしたとき、会場に居並ぶお偉いさんが笑顔になっていたのがよかったですね。デニスのフレンドリーさ、頭のよさは、あの会場のだれの心にも響いたんじゃないかしら? デニスのスピーチだけで票が動くほど甘いもんではないでしょうけれど、デニスに代表されるカザフチームの雰囲気のよさは、きっとIOCにも、テレビで見た世界の人たちにも、とてもいい印象を残したと思います。
 

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カテゴリ:アジア(日本以外)男子&女子 | 08:31 | comments(10) | trackbacks(0) | - | - |
デニス・テン インタビュー カザフ、音楽、祖先、そして愛…
約1か月前に母国カザフスタンで自分のアイスショー「Denis Ten and Friends」を大成功させたデニスですが、その最新インタビューが北米系のフィギュアブログに掲載されました。聞き手はカナダ人ブロガーのライアン・スティーブンスさん。
新プロなどの情報はありませんが、あまり知られていなかったデニスのいろいろな面が見える、なかなかおもしろいインタビューだと思います。
(中で日韓関係にかかわる少しナーバスな話題が出てきますが、インタビュー全体を読めば彼には偏見や悪意などまったくないことがわかると思います。どうか誤解のありませんように!

元記事はこちら→Interview With Denis Ten



「デニス・テン インタビュー」

ディック・バトンにクリスティ・ヤマグチ、ポール・ワイリー、ナタリア・ベステミアノワ、ヨゼフ・サボフチク、メーガン・デュハメル、エレーナ・ベチケ、ベアトリクス・シューバ、ティム・ウッド…いずれもすばらしい人格の持ち主である五輪メダリストたち。私は幸運にもインタビューを通して彼らと知り合う機会を得てきたが、そんなリストにまた1人、インタビューのチャンスに恵まれた選手の名前を加えることができて、私は本当に光栄だと思っている。
それは現・五輪銅メダリストのデニス・テン。世界選手権銀メダリスト、カザフスタン王者に輝くこと3回、母国ではスケート大使として知られ、魅力的な演技が持ち味の彼は、2014年ソチ五輪でカザフスタンに初めてのメダルをもたらした。このインタビューを読んでいただければ、彼がとても知的で魅力的な人柄であることに、みなさんもきっとびっくりされるだろう。
現在過去未来のスケートのキャリアから、音楽的背景、祖先であるたミン・グンホの話まで、デニスはなんでも気さくに話してくれて、とても楽しいインタビューとなった。きっとみなさんにも気に入っていただけると思う。


Q:五輪と世界選手権でカザフスタン初のメダリストという快挙を成し遂げましたね。あなたにとってそれはどんな意味をもつのでしょう? その結果、母国での生活は大きく変わりましたか?

デニス:ありがとう! もちろんそれは、僕と僕の家族やコーチたち、そしてカザフスタンという国にとって、とても大きな意味をもつことでした。以前はフィギュアスケートというものはカザフに存在していなかったんです。僕がスケートを始めたときの練習場は屋外リンクでしたし、その後ショッピングモール内のリンクで練習するようになって、10歳までそこで滑っていました。今振り返ると、僕がここまで来るまでに長い道のりがあったんだなあと感じます。そして、その間ずっと全力でサポートしてくれた両親に、すごく感謝しています。
2011年にカザフで開催された冬季アジア大会で、僕が金メダルを取ったのをきっかけに、フィギュアは人々に知られるようになっていきました。政府は高い国際基準にマッチしたすばらしいアイスリンクを次々と建設し始め、国民はこの美しいスポーツを見るだけでなく、自分で滑ってみることができるようになったんです。2011年以降、カザフのスケート人口は急激に増えました。あるカザフ最大級のリンクでは、これまで20万人を超える人が一般滑走に訪れたとされています。首都のアスタナだけでも7つのリンクがあって、最近はスケートを習おうという人で混雑しています。子供たちはスケートが大好きなんですよ。ここまで発展した光景を見るのはすごくうれしいですし、多くの若いスケーターに尊敬される選手として、自分が試合でいい結果を出さなくてはならない立場であることを、僕はよく理解しています。これが、カザフで僕が単なるアスリートではなく、フィギュアスケート大使でもある理由なんです。

Q:選手として、あるいは人間として、自分の強みや弱点は何だと思いますか?
 
デニス:難しい質問ですね。今ままで多くの困難があったし、特にここ2年は怪我に苦しみました。そのせいでしっかり練習が積めず、国際大会で不本意な結果になることもあった。ところが、僕はとても重要な大会になると、そのときどんな状態であろうと精神を強くもつことができるんです。いつだってそうでした。音楽学校に通っていた時代も、そして今、スケートでも。それが僕の最大の強みでしょうね。

Q:今後については? 今まで同様、新しいプログラムをつくって全力で前進していくのか、あるいはプロのショースケーターの道を進むんですか?

デニス:昨シーズンが終わった後、次に何をするか決めるまでしばらく時間がかかりました。さっきも言いましたが、ここ2年怪我に苦しんでばかりだったから。特に昨シーズンは悪夢のようでしたよ! 次から次へと怪我が襲ってくるんですから。ソチ五輪のわずか2週間前、かかとの靭帯が完全に損傷してしまって、ほとんど歩くことさえできなかったんです。これには本当に参りました。さらにその2、3週間前にスケート靴が壊れてしまったことは言いましたっけ? 辛抱強く接してくれたキャロルコーチには、本当に頭が下がります!
ソチの後は、ちょっと時間をかけて怪我を癒しながら、競技以外の活動をやっていました。すごく忙しかったですね。ショーに出たり、多数のメディアに対応したり。そして2度目となる自分のショーの準備をして、ぶじ大成功で開催することができました。このショーの後には、カザフ国内で、若いスケーターとコーチのための5日間のセミナーも開きました。こうしたすばらしい活動をやったことで、今後4年間また競技を続けたいという気持ちがわいてきたんです。
ご存知と思いますが、僕の地元のアルマティは2022年冬季五輪の候補地に立候補しているんです。僕は招致委員会の大使になっていて、いつかカザフで五輪が開催されてほしいと、すごく思っているんです。チャンスは十分あると思います。最近、よく人に聞かれるんですよ。「もしカザフが招致に成功したら、2022年まで滑ってくれますか?」って。どうなんでしょうね。今のところ、僕の目標は2018年の平昌五輪です。

Q:あなたは音楽学校に行って、合唱団で活動されていましたよね。2002年に韓国で開かれたWorld Choir Games(合唱オリンピック)では銀メダルを獲得されました。音楽はあなたにとって大切なものでしょうか? ふだんよく聞いている曲は何ですか?
 
デニス:僕の母はプロのバイオリン奏者です。母はカザフ国立音楽学校を卒業して、僕が産まれるまで世界中で演奏していました。だから、子どもの頃からずっと、僕が成長していく中で音楽が大きな位置を占めていたんです。僕も音楽学校に入って、ピアノと合唱を学びました。残念ながら、スケートの練習でモスクワに移ることになったため、5年生までしか通えなかった。昔はソルフェージュ(基礎練習)が大嫌いだったけど、今は恋しいですね。
ソチ五輪の後、しばらく自由に時間が使える時期があって、ちょっとずつ音楽に戻ることにしたんですよ。友達にカザフでよく知られている作曲家のRenat Gaissinという人がいるんですが、ものすごい才能の持ち主なんです! 僕のショーの音楽を作曲してくれたのは彼です。じつはこの夏、僕は自分で作曲した曲をレコーディングしたんですが、それを彼に手つだってもらったんです。ごく個人的な曲だし、今後世に出るような作品ではないと思うけれど、彼は「独創的だね」と言ってくれた。おかげで、いつか音楽学校に戻ろうという自信がちょっぴり強くなりました。

Q:これまでスケート界で最高のコーチ&振付師と組んできましたね。フランク・キャロルにタチアナ・タラソワ、ステファン・ランビエール、ローリー・ニコル。彼らはそれぞれ、あなたのスケートに何を与えてくれ、あなたをアーチストとして成長させてくれたのでしょう?

デニス:たくさんのすばらしいコーチたちに教わることができて、自分は本当に世界で一番幸運なアスリートだと思っています。彼ら全員からさまざまなことを教わりました。僕がスケートに専念するようになったのは、ロシアでエレーナ・ボドレゾワとタチアナ・タラソワの指導を受けたおかげです。すばらしい時間だったし、2人に教わったすべてのことに感謝しています。本当にかけがえのない経験でした。
スケーターとして成長できたのは、フランク・キャロルと、ローリー・ニコル、ステファン・ランビエールのおかげです。フランクは僕が今まで会った中で最も礼儀正しく、頭のいい人です。ローリーはフィギュアの振付の世界の大御所で、そんな彼女ともう4年も連続して組めていることは、とても光栄なことですね。ステファンは僕が尊敬し続けているスケーターです。彼に初めて会ったとき、彼はそれまで出会った中で最も才能に恵まれたスケーターだ、とわかったんです。彼がやることって、彼でなくちゃできないことばかりなんですよ。すべてのトリプルジャンプを逆回転でも跳べたりとかね。想像できますか? 2012年以来、僕のエキシのプログラムはすべてステファンに振付けてもらっています。

Q:競技フィギュアの世界ではぐくんだ友情について聞かせてもらえますか? 今までつき合ったり共演したりした中で、一番すてきなスケーターは誰ですか?

デニス:まずはステファンですね。僕にとって彼はスケーター・振付師であるだけでなく、すばらしい友達でもあるんです。偉大な業績を残したけれど、今も変わらずとても優しく、気さくな人です。2人ですごく楽しい時間を過ごしてきたし、彼との思い出は本当にかけがえのないものですね。カロリーナ・コストナーもとてもすてきな人で、僕のいい友達です。シーズンの間ずっと連絡を取り合って、互いに励まし合っているんですよ。他にも名前をあげたい人はたくさんいるけれど、あなたのサイトのスペースがなくなっちゃうんじゃないかな!

Q:あなたが一番好きなスケーターを3人あげるとしたら? その理由は?

デニス:アレクセイ・ヤグディン…伝説的なスケーターです。今も昔も僕のアイドル。同時にすばらしい友人でもあります。ステファン・ランビエール…さっきも言いましたが、彼はものすごく才能豊かな優れたスケーターだと思っています。真のアーチストなんです! そしてユナ・キム。ただただ好きですね。

Q:無人島に何か3つだけ持っていっていいとしたら、何を持っていきますか?

デニス:スケート靴じゃないことは確かですね。難しい質問だな。太陽光発電機と、ナイフと…友達をひとりかな。

Q:あなたの高祖父(祖父の祖父)は、韓国が日本の支配と戦った時代の独立運動家だったミン・グンホですね。そのことについて話してもらえますか?

デニス:すごいことだと思います。子どもの頃、僕は高祖父のことをよく知りませんでした。もちろん自分の家が韓国系であることは知っていたけれど、2010年まで祖先の話をしたことは一度もなかったんです。
2010年1月、四大陸選手権が韓国の全州市で開かれましたが、その約ひと月前、韓国のテレビ局KBSがミン・グンホとその子孫についてのドキュメンタリーを制作していて、僕にも取材の申し込みが来たんです。そのとき初めて、祖母がミン・グンホのことを話してくれて、僕はすっかり興奮してしまった! 自分の家系に本物の英雄がいたなんて!
四大陸が終わった後、僕は取材班と一緒に原州市にあるミン・グンホの墓を訪れました。それは山の上に広大な敷地が広がる、特別な場所でした。彼の愛国心をたたえて1999年に市によって建てられた記念碑にも行きました。このことがきっかけで世界の歴史、特に朝鮮戦争に興味をもつようになったんです。
以前、ファンの方がミン・グンホについて書かれた記事を韓国語から英語に訳したものを送ってくれたことがあって、僕はアメリカに移ったばかりのころ、よく夜にそれを読んでました。ミン・グンホの軍隊は国で一番の規模と士気を誇っていました。堤川をはじめ韓国全土で戦いました。記念碑にはこう書いてあります。「高潔・公正な人となりで、部下におおいに尊敬された。また強い意志と卓越した指導力をもった指揮官で、人望を集めた」彼は亡くなった後の1962年に、韓国の独立に尽くした功績をみとめられて、市民に与えらる章としては韓国で最も名誉ある「建国勲章」を授けられました。
そんな歴史を学んで僕は初めて、僕の第2の祖国である韓国のために彼がどれほど貢献したのか、彼がいかに偉大で賢く、勇敢だったかを知ったんです。じつは以前、まだ祖先のことを知らなかったころ、出演したショーで「日本」と書かれた鉢巻を渡されて、それを頭に巻いたことがあったんですが、はじめのころは「恥ずかしいことをしてしまった」と思ったこともありました。ミン・グンホの経歴をより深く知るようになり、「もし彼があれを見て、僕にがっかりしてしまったらどうしよう」と思った。はじめのうちはちょっと悩んでいたんです。でもやがて、戦争は終わってものごとは変わったのだから、と思い直しました。それ以来いつも、彼のことを頭に置いて滑っています。彼の子孫にふさわしい、彼が誇りに思ってくれるような人間になろうとしています。

Q:みんなが知らない隠れた一面、というのはありますか?

デニス:ほとんどの人は僕のことをすごく真面目な人だと思っているけど、それは違います。完全に誤りです。

Q:スケートで一番好きなことは何ですか?

デニス:変に聞こえるかもしれないけど、スケートで楽しいと思うことはたったひとつだけ。しかも、僕自身の気持ちとは関係ないことなんです。僕は人々に喜びを与えることが好き。自分がやっていることをみんなが喜んでくれている姿を見ると、自分は何かのために役立っているんだなあ、という気持ちになるんです。僕は愛のために滑っているんです。

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デ、デニスって今何歳でしたっけ?とあわてて確認してみたら、先月誕生日を迎えたばかりの21歳。立派ですね〜!
母国のフィギュアを1人でしょって立ってる、という意味では韓国のキムヨナと似ていますが、デニスはカザフ初の冬季五輪メダリストですからね。ヨナよりもさらにすごいものがあるのかもしれません。
「自分は真面目人間なんかじゃないよ!」という彼ですが、語る言葉は”カザフの皇太子”そのものですね。十代のころから公人としての自分の役割を認識していたのは本当に立派。その土台には「愛のために滑る」(←すごいせりふ!)という意識があったんですね。
日本うんぬんのくだりはちょっとドキッとする方もいるでしょうけど、昔の(確かザ・アイスで?)日の丸の鉢巻を巻いた写真が韓国で問題視されたことがあったようで、もしかしするとそんなことも意識しているのかもしれません。
愛のために滑るカザフの皇太子、今季こそ怪我のないように! そして、はよ新プロ情報を!(屮゚д゚)屮 自分で作曲したという曲も聴いてみたいなあ…

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ウィルソンからキムヨナへの はなむけの言葉 【ATS2014記者会見より】
ソチ五輪で引退を発表したキム・ヨナの最後のショー、「All That Skate2014」が終わりました。
その最終公演のあとにおこなわれた記者会見の写真です。





みんな涙涙涙…ですね。特に、現役時代の前半には涙を見せることはほとんどなかったヨナさんが、真ん中で大泣きしています。韓国の記事によると、振付師のデビッド・ウィルソンが語った言葉を聞いて、キム・ヘジンなどほかの選手が泣きだし、それを見てヨナさんもこらえきれなくなったそうです。

そのウィルソンの言葉を、ファンフォーラムの方が韓国語から英語に訳してくださっていました(→こちら)。英語→韓国語→英語→日本語なので元の言葉からは若干ずれているかもしれませんが、とてもあたたかく、素敵な言葉でした――


彼女がお別れの演技をするのを見ていて、僕はほろ苦い気持ちになりました。
ヨナはこれから、人生で一番大事な時期を迎えようとしているんだと思います。
そして僕は今、ヨナのためにうれしく思う気持ちと寂しい気持ちがいりまじった感情を抱いています。
僕は彼女のことをとても誇りに思うし、今まで彼女と一緒に過ごしてきたことを幸せに思っています。
ヨナがATSショーで、自信にあふれ、おだやかに、美しく優雅に演技しているのを見られたことは、僕にとって大きな喜びでした。
すばらしい時間であり、人生の思い出でした。

これまで振付師として22年間やってきた中で、とりわけ特別だと思う人間関係が2つあります。ひとつは僕の親友であるセバスチャン
【←ウィルソン自身の振付師でもあったセバスチャン・ブリテンのことでしょうか?】、もうひとつがキム・ヨナとのものです。
ヨナを抱きしめたいです。称賛と励ましの気持ちをもって、「よくがんばったよ」と言いながら。

ヨナがトロントを去ったあと、僕は彼女のことがとても恋しくて、まるで赤ん坊のように泣いていた時期がありました。
僕の母がこんな話をしてくれたことがあります。
母が僕を育ててくれた理由は、僕を自分のそばに置いておきたいからじゃない、僕を世界に送り出すためなんだと。
これこそまさに、今僕がヨナに対して持っている気持ちです。
彼女の明るい未来を、彼女がどんな人生を送っていくのかを、僕はとても楽しみにしています。
これまでヨナとの間に結んできたパートナーシップは、僕にとってほかの何よりも大好きなものでした。

あなたの振付師としてあなたと一緒にいられたことは、僕の人生で最高の経験のひとつでしたよ。




ヨナが「トロントを去ったあと」、ウィルソンは寂しくて大泣きしていたと…。
名だたる選手と仕事をしてきたウィルソンですが、彼にとってヨナは特別な存在だったんですね。そしてヨナにとっても、引退のときに泣きながら抱き合うのは歴代のコーチではなく、振付師のウィルソンだった…。ちょっと感慨深いものがあります。

試合では鉄のメンタルっぷりを発揮してきたヨナですが、バンクーバー五輪での国と国民からのプレッシャーは半端なものではなかったと、のちにオーサーも語っています。そのオーサーとも気まずい別れ方をし、自分の意志に反して国のために現役を続けざるを得なかった中で、ウィルソンはずっとそばにいてくれた…。ヨナの演技は、質の高さとは別にいつも似たような印象という意見は確かにありましたし、私もほかの振付師とのプログラムを見てみたかったですが、ヨナとウィルソン――普通の「師弟関係」とはちょっと違う、特別な関係だったのかもしれませんね。

ショーの動画から、最後のプログラムとなった「Nessun Dorma」だけお借りします。


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カテゴリ:アジア(日本以外)男子&女子 | 04:44 | comments(16) | trackbacks(0) | - | - |
ハン・ヤン ソチ五輪フリー後インタビュー 【中国のTV番組より】
自分でもあきれるほど更新サボってしまいました(泣) いや、けっしてサボってばっかりだったわけではなく、途中まで書いたのにアップできないまま時間がたち結局ボツにしてしまった記事も多々あり…はい、言い訳ですね。その間、訪れてくださった皆様、申し訳ありませんでしたm(__)m

さて、復帰第1弾はハンヤン!です。ソチ五輪の男子フリー翌日に中国のCCTV(中国中央電視台)で放送されたインタビュー番組に、中国のファンの方が英訳をつけてくださいましたので、ありがたく訳させていただきたいと思います。
ハンヤンのインタビューと言っても、話しているのはほとんどコーチのジアさんと司会者なんですが…。ハンヤンくん、自撮り写真では雄弁なのにリアルでは口下手ですね〜(*´∀`*)

こちらがその動画。最初に30秒ほど広告が入ります。(左上に貼ってあるのはハンヤンが愛する猫の『美女ちゃん』ですね)



司会者:ソチから「冬季五輪Fengyn Meeting」(←番組名でしょうか?)へようこそ。今日はハン・ヤン選手と彼のコーチのシューグァン・ジアさんをお招きしています。ようこそ!
私たちはソチ五輪で、中国ナンバー1のフィギュア選手を目撃しただけでなく、大きな躍進を目にしました。ジア・コーチ、ソチでの試合をすべて終えた今、昨日のハン・ヤン選手の演技をどう思いますか? 私は大躍進という言葉を使いましたが、あなたのお考えは?

ジアコーチ:自分の力を示せたと思います。ハンは今まで長いこと努力してきましたが、今回の大会でその努力が報われました。また、この五輪をきっかけに多くの人に名前を知られることになったので、これは彼のキャリアにおいて新しい始まりになるでしょう。将来いろんな面で役立つと思います。

ハン・ヤン:僕は(この五輪で)順位とか、大躍進しようとか、特に目標は決めていませんでした。とにかくベストを尽くしたいと思ってました。本当ですよ。本当にそれしか思っていなかったんです。(笑)

司会:コーチとしてはハン選手のために綿密に計画を練っていたんでしょうね? この五輪で何を目標としてたんですか?

ジア:今から約1年前には、私たちはもう冬季五輪に目標を定めていました。五輪をねらえる選手は2人いて、私たちは精一杯努力してそれをつかもうと決意しました。今回、五輪を終えて思うのは、五輪の出場枠を獲得した後にもっと体系的な練習ができていたら、ここでもっといい演技ができていただろう、ということです。それこそ大躍進できたかもしれないと。ハンは中国男子の冬季五輪史上、最高の順位につけましたが、私は100%満足はしていません。演技の後、私は彼に言いました。「あなたが世界ジュニアで優勝した時に比べたら、私はそんなにうれしくないわよ」と。そう、私たちはちょっぴりがっかりしていたんです。

司会:ええ、私は素人ですが、あなたがたが失望されていたことはわかりました。ハン選手、一番がっかりしたのはどういう点ですか?

ハン:ソチ入りする前、僕はベストの状態ではなかったんです。調整があまりうまくいっていませんでした。

司会:ソチの前というと、具体的にはいつごろ?

ハン:ええと、1か月前ぐらいですね。五輪のことを考えすぎたのかもしれません。もっといい演技がしたかったです。



司会:ジアコーチ、彼は反抗したりするんですか?

ジア:(笑)ええ、時々は。

司会:反抗する時、彼はどうなるんでしょう? 言いつけどおり練習しないとか? それとも機嫌が悪くなるとか?

ジア:彼はちょっぴり感情が不安定になっていました。

司会:私にはおだやかで物静かな若者に見えますが? 感情が不安定になるとどうなるんでしょうか?

ジア:彼にはちょっと攻撃的なところがあるんです。ときどき、まるで「氷上のチベット犬」みたいになることがあります。感情を吐き出しているときの彼は誰にも止められないんです。感情的になってしまって。

司会:感情を他人に向けて吐き出すんですか? それとも自分に対して?

ジア:彼自身に向けてです。調子が出ないとき、彼は自分自身にとても厳しくなります。そして、それがすべて表情でわかってしまうんです。

司会:全部顔に出てしまうんですね?

ジア:そう、すべてが一気に出ちゃうんですよ。(笑。ハンヤンも笑う)

司会:先ほど1か月前にそれが起きたと言いましたが、ジアコーチは心配だったのでは?

ジア:もちろんです。私もとても不安でした。できることはすべて試しましたし、ハンを助けるために何をすればいいのか友人たちに聞いたりもしました。その後、精神分析医に診てもらったところ、競技不安障害(competitive anxiety disorder)かもしれないと言われました。でも、彼にそんな話ばかりしているわけにはいきません。もっと精神的に傷つく恐れがあるからです。だから、私には彼を励ますことしかできませんでした。その頃はきつい状況でしたね。

ハン:今そのことを考えると、時間がたつのは早いなあと思います。でも、その当時は拷問のようでした。

司会:ソチに来て、少しはよくなったんですか?

ジア:ええ、ソチ入り後、状況は改善しました。まわりにいる他の選手たちに刺激を受けて、彼も少しずつ試合モードに適応していきました。私たちもソチに来て以降は安心しました。
 
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カテゴリ:アジア(日本以外)男子&女子 | 13:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
キム・ヨナ新プロ発表!しっとりSPとタンゴのフリー!
ツイッターで今日の午後、教えていただいた情報です。(我ながらすばやい更新です!←自画自賛w)
ついに来ました、ディフェンディング五輪金メダリスト、キム・ヨナ選手の新プロ情報!!
…というわりには、それほど「おおおっ!」というような選曲ではなかったのですが(^_^;)

取り急ぎ、Yonhapnews Agencyというサイトに英語でアップされた記事を、ざっと訳してみたいと思います。元記事(8月26日付)はこちら→Kim Yu-na announces new programs for upcoming season
 
*もともとの情報元は韓国サイト「スポーツ朝鮮」に掲載されたこの記事のようで、こちらのほうが若干詳しい情報が載っています。韓国語→日本語の自動翻訳なので正確ではないかもしれませんが、振付のウィルソンのコメントのみ、こちらの記事から拾って足しています。(文字を青色に変えた部分です)



「キム・ヨナ、新シーズンのプログラムを発表」

月曜日、世界女王に2度輝いたキム・ヨナが、今シーズンの新プログラムを発表した。

所属するオール・ザット・スポーツ(ソウル)を通して発表した。ショートは「Send in the Clowns」。「ウェストサイドストーリー」や「スウィーニートッド」などで有名なアメリカのミュージカル作曲家スティーブン・サンドハイムが、1973年にミュージカル「A Little Night Music」のために書いた曲だ。
フリーはアルゼンチン・タンゴの巨匠、アストル・ピアソラが1959年に作曲した「Adios Nonino」。

キムは今季、10月と11月のGPS大会に出場し、来年2月のソチ五輪で2大会連続の金メダルに挑む予定だ。
2011-12シーズンはまるまる休養し、将来のことを考えていたというキムは、すでにこの2013-14シーズンが現役最後のシーズンになることを明らかにしている。
昨季は2012年末に小さな大会に出場して、世界選手権への出場資格を満たす技術点を出し、カナダで開かれた2013年世界選手権で2度目の優勝を果たした。

「Send in the Clowns」は、キムが初めて聞いたときからずっと滑りたかった曲だという。「Adios Nonino」はショートとは「正反対」のタンゴ音楽だが、こちらも「大好きな曲のひとつ」だそうだ。16歳でシニアデビューした2005-6シーズンと、翌2006-7シーズンに滑ったショート「ロクサーヌのタンゴ」以来、久しぶりのタンゴとなる。

「現役最後のシーズンに、いつかプログラムで使ってみたいとずっと思っていた曲を選ぶことができて、とてもうれしいです。フリーは今まで滑ってきた中で、おそらく最も難しいプログラムになると思いますが、この選曲には満足しています」キムはそうコメントした。

オール・ザット・スポーツによると、振付はショート、フリーともに、7年前からキムの振付を担当しているデビッド・ウィルソン。

(以下、韓国語のサイトから抜粋)
ウィルソンは、ショートの「Send in the Clowns」について、「5-6年ほど前にこの曲を初めて聞いたとき、キム・ヨナがこの曲に合わせてスケーティングをするのを思い描いたことがある。その時はこの曲を提案しなかったが、今回ヨナがこの曲を好きだと言うのを聞いて "今だ"と思った」と国際電話で語った。ヨナのパワフルかつ叙情的な演技スタイルにぴったりの曲、 と説明した。
「Adios Nonino」については、「この曲は、豊かな感情を持っているだけでなく、魅力的な雰囲気の中に軽快さがある。強く、劇的ながら繊細な懐かしさがあり、変化に富んだ曲で、誰でも簡単に表現できる曲ではない。この曲を演技で表現できるフィギュア選手はキム・ヨナだけだ」とコメントした。

今季のGPSは、10月25-27日に開催されるスケート・カナダと、11月15-17日のエリック・ボンパール杯(TEB)に出場予定だ。
スケート・カナダでは2012年世界選手権銅メダルの鈴木明子、今年の全米選手権銀メダルのグレイシー・ゴールドらと、TEBでは全米2連覇のアシュリー・ワグナーらと対戦する。
今季のグランプリ・ファイナルは12月6-8日に日本の福岡で開催される。

キムのGPS出場は2009-2010シーズン以来となる。このときにはTEBとスケート・アメリカで優勝し、グランプリ・ファイナルも制した。
正確な技術と芸術性を兼ね備えていることで知られるキムは、金メダルを獲得した2010年バンクーバー五輪で出したショート(78.50)、フリー (150.06)、そして総合(228.56)のすべてで世界最高点を持っている。

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 フリーの「Adios Nonino」は意外でした! もっと凝った選曲でくるか、これぞロシア!という曲、あるいは2シーズン前の「オマージュ・トゥ・コリア」のような集大成的な曲を持ってくるかなと思っていたんですが、タンゴの、しかもけっこうよく使われる曲とは!
でも、記事にもあるように、タンゴはシニアデビューの16歳のとき以来2度目なんですね。成熟した大人の女性としての魅力を存分に見せつけるプログラムになりそう…かな?
「フリーは今までで一番難しいプロ」という言葉が気になりますね。ジャンプの難度を上げてくるのかどうか…ゴクリ。

ショートは「サフゾルのピエロプロ」と聞いて、ああ、あの曲か、と思い出しました。このピアノのバージョンと同じかどうかはわかりませんが、こちらのほうはしっとりした、抒情性豊かなプログラムになりそう。衣装やメイク含め、どんなイメージを打ち出してくるのか、楽しみです。



JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:アジア(日本以外)男子&女子 | 17:02 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
いよいよハン・ヤン登場!JGPスロベニア大会 【追記】男子SP結果
あの男が帰ってくる……。

昨季、深いエッジワークと4Tを含む高難度ジャンプで、ジュニア・グランプリ・ファイナルを除くすべての国際試合で金メダルをかっさらい、2012年世界ジュニアでは222.45点という高得点をたたきだしたハン・ヤン。

最近では、中国版ツイッター「ウェイボー」で次々と自虐ネタと自分撮り写真(その多くが半裸という…w)をくりだし続け、シニアも含めた男子スケーターの世界で突出した存在感をただよわせる中国のハン・ヤンが、いよいよ今季初めて国際試合に登場してきます!


           数多い自分撮り写真のごく一部。真剣なまなざしがたまりませんw

今日開幕するJGP第5戦、スロベニア大会。
男子にはハン・ヤンのほか、2012年世界ジュニア銀メダリストで、すでに今季のJGPレークプラシッド大会で圧勝しているアメリカのジョシュア・ファリス。
初戦のクールシュベル大会で金メダルを獲得した中国のボーヤン・ジン。(以上すべてクワド持ち…驚!)
そして日本からは、レークプラシッドで2位だった田中刑事に、去年JPG初挑戦で表彰台にのった宇野昌磨も名を連ねる、まさに「死の大会」となっているんです!
(SP男子滑走順は→こちら

まあ、ハン・ヤンくんとジョシュアくんのパーソナルトベストがあまりにも高いので、金メダル争いはこの2人というのがおおかたの予想ではあるでしょうけど……
初戦ではまだ力を発揮できなかった昨々季の世界ジュニア銀メダリスト、わが田中刑事くんにもぜひぜひがんばっていただき、実力のほどを見せつけてほしいものです。
がんばれ、刑事くん!!!

さて、そのハン・ヤンくんですが、スロベニアの現地ブレッドに到着して、さっそくウェイボーに怒涛の写真アップ。


美しいところですね〜。


そんな美しい光景を台無しにするにふさわしいハン・ヤンくん♪


両手に花。世界ジュニアチャンプはモテモテですな〜

試合直前というのに、あいからわずこんなおバカな自虐ネタも。
*中国花样滑冰迷(@love_china)さんというのは、Twitterで中国関連のフィギュアスケートの話題をたくさんつぶやいてくださっているアカウントさん。このつぶやきのおかげでハンヤン・ファン激増中という噂も? いつも大変お世話になっています!m(__)m
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カテゴリ:アジア(日本以外)男子&女子 | 10:47 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
キム・ヨナ復帰!ソチ五輪に出る!そしてその先へ…
大輔さん&モロゾフ再タッグ以上の激震はないだろうと思っていましたが、きましたきました、このオフ最大級の激震かもしれません。あのキム・ヨナが「ソチに出る」というのですから!
もうすでに日本のメディアにも数多く記事が出ていますが、一番充実していて、ヨナ自身の声も一番拾っているかなと思ったThe Korea Timesの記事(7月2日付)を取り上げたいと思います。



元記事はこちら→Figure skater Kim Yu-na to return to competition, retire after Sochi Olympics
「フィギュアのキム・ヨナ競技に復帰、ソチ五輪後に引退へ」

月曜日、フィギュアスケートのスター選手キム・ヨナは、競技に復帰し、ロシアのソチでおこなわれる2014年冬季五輪に出場すると発表した。引退が近いのではないかと取り沙汰されていた月日に終止符を打つことになった。

記者会見は、ソウルのナショナルトレーニングセンターで急きょ設定された。21歳のキムは、2010年のバンクーバー五輪で金メダルを獲得して以降、モチベーションを保つのが難しかったことを認めた。ふだんはロサンゼルスに練習拠点を置いているが、競技へのモチベーションは意外にも、競技生活を離れている間にソウルでトレーニングをおこなった際、後輩の韓国人選手たちから得たのだという

「はじめは若い選手たちのいい練習仲間でいれたらいいなと思っていただけでした。ところが、彼らの練習熱心さに私のほうが刺激を受けたんです。やり続けようという意欲ももらいました。それで、自分にはまだやり残したことがある、それをやらなくちゃいけないと決断したんです

バンクーバー五輪の約1か月後、キムは2010年世界選手権に出場して2位となった。その後、じつは感情的な落ち込みで苦しんでいたことを告白し、2010-11シーズンをまるまる休場した後、2011年世界選手権に出て再び2位になった。

もう1年以上競技から離れており、その間、営利目的のアイスショーに出演するだけだった。彼女は、「ただすべてのことから逃げ出したかったんです。1日だけでもいいから」と語った。

バンクーバーのあと、フィギュアスケーターとしてそれ以上の目標を見出せませんでした。それでも、ファンからの期待は大きくなるばかりでした。それがすごく重荷だったんです。調子を維持するためにこれ以上どれほど猛練習しなくてはならないか、まったくわからなかったし、もし試合でミスをしたら多くの人々をがっかりさせてしまうんだろうなと

しかし、彼女の中の勝負心が最後には打ち勝つことになった。

自分の中の目標を下げて、ただ自分自身のために滑ることを目指してもいいんじゃないかと思ったんです。もしこのままプレッシャーや恐れに負けてキャリアを終えてしまったら、あとで後悔するだろうと思いました

キムが世界選手権で優勝したのはただ一度(2009年)。それから1年後のバンクーバーで金メダルを勝ち取って以降、彼女の今後についてはずっと憶測の的であり続けてきた。この月曜日まで、彼女はアマチュアとしてさらに五輪や世界選手権に出場するとも、プロになってアイスショーのツアーに参加するとも、どちらとも明言を避けてきた。

先月、上海で開催されたショーに出演したキムは、自分の今後についてはこのオフが終わる前に決断するでしょうと、記者会見で述べていた。

彼女はすでに、選手生活を終えたあとのキャリアも見据えているという。ソチ五輪以降はIOC(国際オリンピック委員会)の委員になることを目指したいと語った。

また、スポーツ外交の仕事をしたいという夢を持っていることも明かした。2018年平昌五輪の招致活動で名誉大使として活動した際に、この夢を抱いたという。昨年7月に南アフリカ・ダーバンで開かれたIOC総会では、投票前にキムがおこなったスピーチが、平昌がミュンヘン(ドイツ)とアヌシー(フランス)を破って選出されるのに大きな役割を果たしたと高く評価された。

「ソチは終わりではなく新しい始まりだと思っています。私にとって、新しい夢と挑戦に向かって進むための新たなスタートになるでしょう」

韓国には現在、二人のIOC委員がいる。サムソン会長の李健煕(イ・ゴンヒ)と、元テコンドー五輪金メダリストの文大成(ムン・デスン)だ。

キムは、2、3年前の好調時の状態に戻すためには、現在の活動をやめて取り組むことになるだろうと明かした。いずれにせよ、まっさらの状態から再スタートを切りたいと考えているという。

ソチでは一から出直したいと思っています。目標は必ずしも“現チャンピオンとしていい成績を収めなくてはならない”ではなく、ただベストをつくすことに置きたいと思っています。オリンピックに戻るだけですばらしいことなのです

これほど長い間、競技を離れていたことについては、後悔はしていないという。

「アイスショーにも何度か出ましたし、大学でふつうの生活を味わうこともできました。私にとって、それは貴重な時間でした。ずっと長い間できなかったことを楽しむことができましたから

キムは韓国のフィギュア選手として初めてオリンピックと世界選手権で金メダルを獲得した。ISUグランプリシリーズでも何度も優勝し、グランプリファイナルでは3度優勝している。

韓国で最も人気のあるアスリートのひとりであり、以前からテレビCMにも数多く出演している。

技術と表現力を兼ね備えた選手として知られ、バンクーバー五輪でマークしたショート(78.50)、フリー(150.06)、総合(228.56)はいずれも、2004年に現行の採点システムが導入されて以来女子の歴代最高得点となっている。


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カテゴリ:アジア(日本以外)男子&女子 | 13:36 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
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