福間洸太朗「アイス・レジェンド2014」インタビュー @Absolute Skating
すみません、FaOIはテレビで見ただけなのに、1回チャリティコンサートに行っただけなのに、今ごろ福間さん沼にずぶずぶハマってしまってる私ですが、みなさんお元気でしょうか(゚∀゚;)

ステファン・ランビエールのこちらのインタビューでも話題に出てきた、ステファン初のセルフプロデュース・ショー「アイス・レジェンド2014」。昨年12月18日に開催されたこのショーのレポが、なぜか半年以上もたった今月6日に、Absolute Skatingにアップされました。
リハーサル風景から各スケーターのプログラム解説まで詳細かつ長大なレポなのですが、この記事の最後に福間さんの単独インタビューが掲載されていました。ショーの前日のリハーサル中に取られたもののようですが、これが思いっきりスケート愛にあふれた、すごくフレッシュなインタビューなのでした〜。見落していた自分、バカバカ!><

元記事はこちら→Ice Legends 2014 July 6, 2015 By Reut Golinsky
この記事から福間さんのインタビュー部分のみ訳してみました。



「福間洸太朗、チャレンジする用意はできている」

アイス・レジェンド2014では、スイス人アーティストのランビエールと、日本人アーティストで才能あふれる若きピアニストである福間洸太朗が、美しいコラボレーションをおこなった。2人は、音楽やスポーツやアートは異なる文化同士を近づけることができるのだと証明してくれた。筆者は、リハーサル中に洸太朗と話すチャンスを得た。スイスについて、音楽について…そしてフィギュアスケートについて、とても興味深いおしゃべりをすることができた。

Q:このショーは日本とスイスの国交樹立150年を記念したものですね。あなたとスイスの間には、個人的にどのようなかかわりがあるのですか? それはいつ始まったのでしょうか?

福間:僕が最初にスイスを訪れたのは2000年の夏のこと、音楽の勉強のためヨーロッパへ移り住む1年前のことです。フランスのクールシュベルにある音楽学校に入学する前に、3日間ジュネーブの知人の家に滞在したんです。短い滞在でしたが、街の美しさと洗練された雰囲気にはとても感銘を受けました。それから数年たって、ジュネーブやモントルー、クラン、チューリッヒ、ベルンといったスイスの都市で演奏をするようになって、美しいものをさらにたくさん知るようになりました。

Q:では、フィギュアスケートとかかわるようになったきっかけは何だったのでしょう? あなたは熱心なスケートファンなのですよね?

福間:正確にいつ、とは憶えていないんですが、テレビでフィギュアスケートを見ていた記憶はあります。特に、伊藤みどりさんが銀メダルを取った1992年アルベールビル五輪のことはよく覚えています。家族全員でテレビを見て、大声でみどりさんに声援を送ったものです。彼女は冒頭のトリプルアクセルでは転んでしまったけれど、プログラムの終盤でみごと成功させました。あれは驚異的だったな。
でも、じつはそれ以前に、僕の父は30代の初めの頃、今は高名なコーチである佐藤信夫先生にフィギュアスケートを習っていたんです。ごく短期間だったらしく、ジャンプもスピンもできませんでしたが、僕がたぶん5、6歳の頃、父はリンクに僕を連れていってくれて、基礎的なことを教えてくれました。そういうわけで、スケートには個人的に強いかかわりがあるんです。僕は前に滑るか、後ろにゆっくり滑ることしかできないけれど、スケートを見るのは大好きですね! もっと滑れたらいいんですけど!
だから、僕にとってこのショーの舞台にいられること、このプロジェクトに参加して、ワールドクラスのすばらしいスケーターたちとコラボレーションができることは、言葉にならないほどうれしいことなんです。
もうひとつ、1994年に日本の幕張で開催された世界選手権で、佐藤有香さんが優勝したときのことも覚えています。当時、僕は12歳でした。それがスケートを熱心に見始めるきっかけになったのかもしれないな。1995年の世界選手権ではルー・チェンが、翌年はミシェル・クワンが優勝したことも覚えています。これには強いインパクトを受けました。

Q:あなたが口にするのは女性のスケーターばかりというのがおもしろいですね。

福間:そうですね、男子の試合も見ていましたよ。これは本心なんですが、僕が一番好きな男子スケーターはステファンなんです。スケートの芸術性という点で、彼は音楽のすべてを大事にしています。彼が滑るのを見ていると、自分が弾いているわけでもないのに、音楽が聞こえてくる。これはとても特別なことなんです。
スケートの技術的な面においては、エルビス・ストイコが強く印象に残っています。試合で4-3のコンビネーションを跳んだのは彼が最初でしたよね。1996年から97年のシーズンに。僕はその試合をテレビで見ていて、すごくびっくりしてしまいました。そして(1997年世界選手権で)2位はトッド・エルドリッジでしたよね。そう、その頃はとても熱心にスケートを見ていた時期でした。
ところが、2001年に、僕はパリに留学するために日本を離れました。日本でもかなり本気でピアノを習っていたのですが、自分がプロのピアニストになれるかどうか自信がなかったんです。日本から出てしまえば、もうそれ以外の職業のことを考えるすべはありません。プロのピアニストになるために、僕は自分にできることをすべてやりました。そのためとても忙しく、それ以降の数年間はフィギュアの試合はまったく追えませんでした。2004年に荒川静香さんが世界選手権で優勝したとき、僕はフィギュアに戻ってきたんです。2006年のトリノ五輪は全部見ましたよ! それ以来、時間があるときは必ず、YouTubeかテレビでほとんどの試合を見ています。

Q:試合やショーを生で見たことはありますか?

福間:はい、一度だけショーに行ったことがあります。去年の7月、ステファンが幕張のショーに招待してくれたんです。【筆者註:福間洸太朗は今年、このショー「ファンタジー・オン・アイス」にピアノ奏者として出演している】プロのフィギュアのショーを生で見たのはあのときだけですが、すごかったですね! アーティストとしても非常に刺激をもらいました。もちろんテレビで見ていてもすばらしいけれど、生は全然違います。スケーターたちから感情やエネルギーがものすごく伝わってくるんです。

Q:音楽を聴いてそこから受け取るものは人によって違いますよね。動きを感じる人もいれば、色彩を感じる人もいます。あなたの場合は?

福間:僕も動きが見えることがありますし、色彩や、時には今までに訪れたことのある特定の場所の景色が見えることさえあります。音楽を聴くとき、僕はいろいろなことを想像します。僕にとって欠かせないことなんです。そしてそれが、ステファンをとても尊敬している理由でもあります。彼が音楽を表現している様子を見ると、いろんな風景が思い浮かぶから。ただ「振付でこうやれと決まっているからやる」とか「ここでジャンプ飛んで、ここでスピンして」じゃない。彼は僕らに何かを伝えようとしています。物語を伝えようとしているのです。
もちろん、このショーに出ているスケーターは、ステファンだけでなく全員が音楽を大切にしているすばらしい方ばかりです。だから、個人のプログラムだけでなくフィナーレの群舞でも、みなさんと仕事をするのはとてもおもしろいですね。

Q:ステファンにどれか1曲滑ってほしいと頼めるとしたら、どの曲を選びますか?

福間:それは美しい質問ですね。でも、答えるにはもっと時間が必要だな…。個人的にはロマンティックな曲で滑るところが見たいけれど…でも、彼の得意なもののひとつはコントラストだと思うんです。ゆったりとしたパートがあって、それがとても速く、激しくなっていくような曲かな。彼にはすばらしいスピードもありますからね。じつは、実際に彼に会ってみると意外に背が低いことにびっくりしました。滑っているときの彼はものすごく大きく見えますから! あの体の動かし方が彼を大きく見せているんでしょうね。

Q:フィギュアのショーがコンサートとかなり違うことは、もうおわかりでしょうね? 騒々しくなることもあるし、曲の途中で拍手や歓声が起こることもあるかもしれません。そういったことに対して対策はされていますか?

福間:ええ、大いに違うでしょうね。苦労するだろうなと予想しているのはそれだけではありません。まず、もちろん気温です。これほどの寒さの中で弾くのは初めてですからね。観客からのノイズもあります。スケーターがジャンプやスピンをしたときに起こる歓声。音響もコンサートホールとはずいぶん違います。ほかに何かあるかな? そうだ、今日は大丈夫だったんですが、昨日鍵盤を触ってみるとぐしょ濡れだったんですよ! きっとリンクの湿気のせいでしょうね。すごく滑りやすくて、怖かったですよ!
このショーで僕は全部で8つの曲を弾くんですが、おもしろいのはスケーターの意見やアイディア、音楽への考え方がそれぞれ全く違う点です。たとえば、(安藤)美姫には、演技中のある特定のポイントで自分と目を見合わせてほしい、と言われました。プログラムの前半はゆっくり弾いて、後半はだんだん速く弾いてほしいと言う人もいます。サロメ(・ブルナー:ステファンの振付師)には、ガーシュインの「3つの前奏曲」について、第2楽章からつながる部分に数節、数音足して、プログラムの尺を長くしてほしいと頼まれました。そこで僕は数音足して、ステファンが予定された場所でスピンを終えて、そこから次のパートに入れるようにしたんです。原曲が長すぎて、僕がカットしなくてはならなかったこともありました。
だから僕は、曲にものすごく神経を使って、ふだん弾き慣れていない新しいバージョンに意識を集中していなくてはいけないですね。あまり考えないで原曲のまま弾いてしまったら、スケーターは困惑してしまうでしょう。「これは何? これでどう滑れって言うの?」と(笑)。
アイスショーで演奏することは、とてつもなく大変なチャレンジです。でも、僕はその用意はできていますし、明日チャレンジできることが楽しみでたまらない! 誰にとっても、とても貴重な、とても刺激的なショーなのです。
 
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ステファン・ランビエール 振付、ショー、スケート学校…@Icenetwork
近年ショースケーターとしてますます輝きを増し、アジアでの怒涛のショー出演を終えたばかりのステファン。そんなステファンのインタビューが、先週Icenetworkにアップされていました。
振付の仕事も目白押しで、いったいいつ練習してるんでしょ?と思っていたら、「休暇はほぼゼロ」だと。やっぱり美しい白鳥は水面下で懸命に足を動かしているんですねぇ。

元記事はこちら→'I prefer investing in my sport and my art' Posted 7/15/15 by Vladislav Luchianov




ジュネーブやローザンヌ、ベルンといったスイスの街角で、有名なスイス人スケーター、ステファン・ランビエールと遭遇するのはかなり難しいだろう。別に彼がファンから逃げ隠れしているわけではない。彼の毎日、毎週、毎月のスケジュールが、大きな空港のフライトボード並みに立て込んでいるからだ。ひとつ違うのは、ランビエールのボードには「遅れ」や「欠航」の文字はないということ。まるでスイス製の腕時計のように、すべてがきっちりと時間どおりに進んでいるのだ。

この夏、ランビエールはあちこちの国々で複数のアイスショーに出演している。旅の合間をぬって、世界のトップスケーターのために新しいプログラムの振付もおこなっている。カロリーナ・コストナー、エリザベータ・タクタミシェワ、デニス・テンもその1人だ。彼の教え子たちは、ランビエールと一緒に氷上で数日過ごすだけで、彼のクリエーティブなエネルギーが自分の体内に流れ込んでくるのを感じるのだと言う。

「ステファンは技術を巧みにあやつることができるの。ただただ天才だと思うわ! 彼は一緒に仕事をしていてとても楽な人で、楽しい時間だったわ」
世界チャンピオンのタクタミシェワはそう言う。彼女はスイスに1週間滞在して、ランビエールと共に新しいSPとフリーの振付をおこなった。

2006年トリノ五輪銀メダリストのランビエールは、豊かな創造力と、フィギュアへの強い愛情を持っている。彼はコーチングや振付師だけでなく、さらに活動の場を広げている。アルプスの中心地にある村シャンペリーで、スケート学校「スイス・スケーティング・スクール」を創設したのもそのひとつだ。将来的にはトップレベルの選手たちのトレーニングセンターになれば、と彼は願っている。開校は今年の8月。多くのスケーターが夏の合宿に訪れる予定だ。

ランビエールはIcenetworkとのインタビューで、忙しいスケジュールの調整法や、トップ選手たちとの仕事、スケート学校のことや若い選手へのアドバイスなど、さまざまな話をしてくれた。

IN:すごいスケジュールですが、ステファン・ランビエールという人は1年のうちわずかでも休息は取れるのでしょうか? 孔子に「自分の好きなことを仕事にしなさい。そうすれば一生“仕事”をしなくてすむから」という言葉がありますが、あなたはこの言葉に従っているのですか?

ランビ:そうですね、ある意味ではそうなのかもしれません。現役引退後、僕は幸いにもショースケーターや振付師、コーチ、ショーのプロデューサーや演出家など、フィギュアスケートにおける自分の夢を実現する機会をたくさんいただいてきました。大好きなことを仕事にできるのは恵まれたことです。でも、かといって“仕事ではない”というのは違いますね。ものごとが偶然起こったり、問題が自然に解決したりするのをただ待っているわけにはいきません。僕は毎日仕事をしています。休暇はほぼゼロです。でも自分で選んだことに後悔はまったくありません。成功を目指して仕事をするほうが満足感はより大きくなるものです。

IN:昨シーズンのスケート界について、全体的な印象や感想を教えていただけますか? また、振付師としてどの選手の演技が最も気に入りましたか? その理由は?

ランビ:オリンピックの翌シーズンというのは、いつも見てもおもしろいものです。新しいスケーターが上位を狙えるチャンスが増えますからね。選手にとっても、他のシーズンより振付面、技術面で冒険ができますし、今後のシーズンに備えて自分のポジションを確保することができます。【←この選手は注目だなと認識してもらう、という意味だと思います】昨シーズンは多くの選手がうまく対処したと思います。
振付という点では、パパダキス&シゼロンのSPとフリーの両プログラムが最も印象的でした。どちらも非常に美しく、2人の素晴らしい技能と個性的なスタイルに完璧にマッチしたプログラムだったから、彼らがランキングを大きく上げたのはまったく当然なことでした。宮原知子も僕のお気に入りの1人です。彼女のフリー「ミス・サイゴン」は非常に優雅で、強力なプログラムでしたね。

IN:2012年のインタビューであなたは、「今はプログラムの難度が過去に例がないほど高いレベルになっている。だが、不幸なことにそのせいで芸術性がやや失われている」と述べていましたね。あれから3年の間に変化はあったでしょうか?

ランビ:選手は多くのルールに適応し、レベルを取ろうとしなくてはなりません。そんな状況で独創的であろうとするのは、ますます難しくなっていると思います。ルールは毎シーズン変わりますし、テクニカル・パネルが注目するポイントもどんどん新しくなって、どの選手もそれを取り入れようとします。その結果として、ほとんどのペアとシングルの選手が同じようなリフトやステップ・シークエンスやスピンをやることになってしまいます。
2014-15シーズンの場合、それはスピンへのイリュージョンの入り【イリュージョン・スピンはいわゆるウィンドミル・スピンの別名だそうです。ウィンドミルスピンのようにフリーレッグを斜めに傾けてスピンに入ること】でした。しかも、ほぼ半数は出来がよくないのです。
ただ、そんな中でも、数字のことをちょっと忘れて、いい演技をして観客やジャッジに感情を伝えることができたら、それはきっと伝わるのです。そんな演技は自分でわかるもの。選手はアスリートとして、自分がメダルを取れそうだ、勝てそうだ、というときは自分でわかるんです。幸い、このことは今も昔もずっと変わらないんですよ!

IN:アメリカのサマンサ・シザリオは表現力や独創性で知られる選手でしたが、この5月に21歳で引退を発表しました。自分の持ち味(観客のために演技することや、音楽を生き生きと伝えることなど)は現在の新採点システムでは得点にならないから、とうことです。今後、このような理由で若くして引退する選手が増えると思いますか?

ランビ:増えることはないと思いますね。スケーターはアスリートです。みんな勝ちたいんです。そして、勝つためにはルールを受け入れ、制約がある中で最大の力を尽くさなくてはなりません。もちろん、現状が合わないと思えば、いろんな選択肢を取るのは選手たちの自由です。引退の理由は選手によってさまざまあっていいと思います。個人的には、これからもアイスショーが発展していってほしいと思いますね。ショーこそスケーターが本当に自由になれる場所だから。もしISUがうまく調整してくれれば、プロ選手による試合もいい選択肢になるでしょうね。

IN:最近では、2015年世界チャンピオン、エリザベータ・タクタミシェワの新しいSPとフリーの振付を手がけましたよね。彼女との仕事についてどうでしたか?

ランビ:リーザとの仕事は本当に楽しかったです。彼女は現時点で技術的に最強であるだけでなく、心の中に熱い炎をもっている人です。彼女の目を見ればとても負けず嫌いなことがわかります。フィギュアにおいて、強い個性というものは非常に大切なのです。彼女とはSPとフリー両方の振付をやりました。SPの曲は明らかにできませんが、フリーはグリーグの「ペール・ギュント組曲」(Edvard Grieg's Peer Gynt suite)です。
彼女のコーチであるアレクセイ・ミーシンは、教え子のプログラム作りに熱心にかかわろうとする人です。もうちょっと選手の自由にやらせてあげたらいいのに、とは思うけれど、それが彼のやり方ですし、僕は彼を大変尊敬しています。
リーザとの振付の仕事はとても楽しかったですね。リンクの外でも一緒に過ごして、プールに行ったり、モントルーの湖畔を一緒に散歩したりしました。1週間の振付作業の結果、非常に高度でありながらも、リーザの長所を生かすことができる、強力な2本のプログラムができあがりました。今シーズンの彼女の演技を見るのを楽しみにしています。

IN:この夏、他にはどんな選手と仕事されているのでしょう?

ランビ:春から夏にかけて、今年は限られた時間しか作れませんでしたが、それでも数名の選手たちと仕事することができました。シャンペリーでリーザに振付をしている間に、ミーシンのもう1人の教え子であるアレクサンドル・ペトロフにもSPを振付けました。
デニス・テンとカロリーナ・コストナーも1週間、振付に来ましたよ。デニスには、ショパンのすばらしいピアノ曲を使ったプログラムを作りました。彼が滑るのを見るのが待ちきれないですね。このプログラムが競技用プロになるかもしれません。
僕にとって最高だった出来事のひとつが、カロリーナの新エキシを作ったことでした。曲はアルビノーニの「アダージョ」(Adagio in G minor)。彼女のスケートには本当に感嘆しています。そのポジション、軽やかさ、腕の動きの美しさ。まったく別次元の人ですよ。
 
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トマシュ・ベルネル 動画インタビュ〜♪ @ figureskating-online
『2014-15新プロ情報』の記事へのリンク→よろしければぜひご活用くださいませ〜♪

国際派フィギュア記者として有名なタチアナ・フレイドさんのサイト「figureskating-online」に、トマシュ・ベルネルさん…さん、なんですよね、もう(涙)…の動画インタビューがアップされました。
これがとってもとっても素敵なインタビューで…ていうかトマシュがかわいすぎて❤…英語の聞き取りは全然得意じゃないんですが、掲載したい一心でトライしてしまいました。抜け、漏れ、聞き違いetcあるかと思いますが、だいたいの意味はつかめていると思いますので、どうかお許しを〜。
(もしも間違いなどに気づかれましたら、ぜひご指摘いただけたら助かります<(_ _)>)

元サイトの動画はこちら→Video Interview with Tomas Verner in Oberstdorf, July 2014

7月とあるので、日本で出演した「仙台Together on Ice」〜「別府エキシビション」から帰って間もなくの時期ですね。
聞き手はもちろんタチアナさん。つき合いの古いタチアナさんだからこそ、トマシュもこんなリラックスした笑顔で話してくれたのかなあ、と思います。
表情がすごく素敵なので、動画もせひご覧ください〜。あと、英語すごく上手!



「トマシュ・ベルネル インタビュー 2014年7月 オーベルストドルフにて

Q:チェコのトマシュ・ベルネルさんです。トマシュ、まずは引退した後、どんな気持ちですか?

トマシュ:ええと、失礼、僕がまぬけってこと?【←いきなりretiredとretardedをわざと聞き間違える、というお茶目っぷりでスタートです(*´∀`*)】いやいや、自分がまぬけじゃないといいな。
率直に言うと、かなり疲れていたよ。スケートをやめた後はちょっと休息することになるかなと思っていた。ゆっくり睡眠をとったり、自分の好きなペースで活動したりね。でも、実際はそんなことには全然ならなくて、引退直後からスケートを続けていたんだ。ショーにいくつか出たり、大学の課題をやったり、チェコのフィギュア界を立て直すプロジェクトに参加したり…とにかく何かの役に立とうとがんばってるよ。

Q:長くて華やかなキャリアを送ってきましたよね。あなたにとってキャリアのハイライト、一番大切な思い出は何ですか?

トマシュ:一番大切な思い出のひとつは、スケートに復帰して、さいたまワールドに出場したこと。そこでやっと自分で満足いくショートプログラムが滑れたこと。傑出した演技ではなかったけれど、練習でできていたとおりのいい演技ができた。コーチたちの喜ぶ姿が見られてすごくうれしかったし、お客さんもすばらしくて、あの瞬間をマジカルなものにしてくれた。
でも、生涯で一番お気に入りの思い出というなら、ユーロで銀メダルを取ったときだな。大きな大会でメダルを取ったのはあれが初めてだった。前の年は確か10位だったかな。そこから8つも順位を上げてトップグループの仲間入りをし、銀メダルを取った。あれが今までで一番の思い出だよ。

Q:自分で一番気に入っているプログラムは何ですか?

トマシュ:いい質問だね。みんなはきっと、僕がユーロで優勝したときのプログラムだろうって考えるだろうけど、「グリーン・デスティニー(Crouching Tiger)」はそれほど気に入っていなかったんだ。一番好きだったのは、英語でなんてタイトルがついてたっけ? 2007年のワールドで滑ったフリー。「レクイエム・フォー・ドリーム」だったかな。とてもおもしろい、凝ったプログラムで、あの試合のときの僕の感情によく合っていたんだ。僕にとってはとても成功したプログラムで、この先ずっと忘れることはないものと思う。
ショートはローリー・ニコルに初めて振付けてもらったプログラム。スイングで、2008年のSPだったかな。(「ジプシー・スイング」)一番楽しくて、同時に一番キツかったけど、大好きなプログラムだよ。

Q:キャリアの中では苦労された時期、挫折された時期もありましたよね。一番大変だったのはいつでしょうか? それをどのように乗り越えましたか?

トマシュ:とてもいい言い方をしてくれるんですね。キャリアの中に大変だった時期がある、と言ってくれるなんて優しいな。実際は、僕のキャリアはほとんどずっと大変で、ところどころいい時期もあった、というのが事実なんだけど。でもこれはスポーツだからね。みんながみんな、いつもチャンピオンになれるとは限らない。僕もその典型みたいなもので、僕は好調が長続きしないんだ。よくなったと思ったら落ちて、またよくなったと思ったらまた落ちる。でも、もし自分がずっと好調、またはずっと不調だったら学べないようなことを学べたと思うから、両方経験できたのはよかったよ。
今はもう終わったことだけど、以前、僕は何度も死んできたんだ。最初は2008年(の世界選手権)。SPで4位につけて、メダルをねらえたくせに、結局15位まで落ちてしまったとき。それから、バンクーバー五輪があった2010年の五輪イヤーにもう一度死んだ。あれはひどい年だった。
そして、カナダのロンドンでまた死んだ。そう、去年の世界選手権では、やることなすこと何ひとつうまくいかなかった。自分に起こっていたことに対して、「これはフェアじゃない」と感じていたんだ。一生懸命練習してきたし、コーチも全力でやってくれたのに、すべて無駄だったと思ってしまった。でも、それは間違っていたんだ。「まわり対自分」と考えるべきじゃなかった。僕は間違った方に結果を出そうともがいていた。そうではなく、ただフィギュアスケートをするべきだったんだ。他の選手を意識せず、他者と競い合おうとしなければ、フィギュアは美しいスポーツになる。競ってはいけないんだ。自分がやるべきことをやる、自分ができる最上のことをやらなくてはいけない。そのことがわかったのはずいぶん後のことで…もう手遅れだったんだけどね。

Q:手遅れではなかったわ。最高の状態でキャリアを終えたんですから。アスリートとしてのキャリアで学んだことで、今後の人生に生かせる一番大切なことは何ですか?

トマシュ:まずは鍛錬することだね。1年を通して自分を厳しく鍛錬して、毎日投げ出すことなく練習を続け、自分を向上させること。そうしなければ成長は止まってしまうし、その間にほかの選手にどんどん抜かれてしまう。
2番目はあきらめないこと。調子がいいときも悪いときもあきらめちゃいけない。ただ努力を続けること。人生は予測がつかないものだから、次に何が起こるかわからないからね。ページは簡単に入れ替わるもの。数週間後にはトップに立てているかもしれない。それを学んだよ。
そしてもうひとつ学んだのは、友達に感謝すること。友情を大切にしていれば必要なときに助けてもらえる。状況がよくない時にもね。そんな経験を通して、人を見極めるすべを身につけたよ。よく知らない人のことは簡単には判断しないよ。でも今は、ちょっと知り合ったらすぐに判断できるようになった。

Q:今は「アイスドーム」でコーチをされていますね。初めてリンクのボードの向こう側に立つのはどんな気持ちですか?

トマシュ:そう、本格的な合宿のコーチをつとめるのはこれが初めてだ。その前に数日間のセミナーもやったんだけど、こっちは楽だったよ。ただ子供たちのために集中すればよかったから。でも今は3週間の合宿の間、たくさんのことをやり続けなくてはならない。とても疲れるよ。なぜなら僕は、子供たちのためと自分が1日を生き抜くため、どっちのためにどのくらい力を注げばいいのか、そのバランスがわからない人間なんだよ。つい子供たちに全力を注いでしまうから。彼らを励ましたり、モチベを上げてあげたり、疲れちゃった子には喜びを見つけてあげたり。君たちが氷の上にいるのは君たちがスケートが大好きだからだよ、ってことを思い出させてあげたり。今の僕にはとても大変なんだ。でも、この3週間でバランスがわかってくるんだと思う。教えるべきことを教えつつ、自分もダメにならないバランスがね。

Q:じゃあ、このままコーチ業につくこともあるんでしょうか?

トマシュ:どう答えていいのかわからないな。正直に言うと、コーチになるのはちょっぴり怖いんだ。大変な仕事だから。リンクを確保するだけでなく、親御さんだったり子供たちだったり、いろいろな不確定要素がある。結果がどうなるかわからないものに心血を注がなくてはならない仕事だしね。
それに、子供たちってか弱いものだから、責任も生じてくる。技術やジャンプを教えるだけでなく、いい人間になることも教えなくちゃならない。それが一番大事なことだから。単にスリーターンとかロッカーとかブラケットとか、そういう問題じゃないんだ。大変な仕事だよ。僕にそれだけの能力があるかわからない。でもこの夏、それをやってみているんだ。
それと今年はMBA(経営学修士)も取得できる予定。どんな形でもスポーツに関わっていきたいと思っているよ。この世界を去りたいとはまだ思わない。毎日リンクに立つわけではないかもしれないけどね。

Q:では、修士号を取った後は何を?

トマシュ:この間、モナコのF1グランプリでおもしろい人と知り合ったんだ。世界でも有数のスポーツチームやアスリートのマネージメント会社の社長なんだ。彼に電話をかけて、「ちょっとインターンで働かせてください」と言ってもいいかもね。どうなるかな。とにかくどんな形でも絶対にスポーツにかかわっていきたいんだ。

Q:ショーにも出演するんですよね?

トマシュ:うん、じつはけっこうたくさんのショー契約をかかえているんだ。全部話していいのかわらないな。直近のプロジェクトは、チェコでのショーなんだ。テーマはロシアのおとぎ話。「Nu, pogodi!」というロシアの漫画のお話なんだ。僕は登場人物ではなくナレーター役なので、各エピソードをつなぐ役割をつとめることになる。公演は今年の9月から12月まで。それが12月に終わったら、すぐにエフゲニー・プルシェンコのプロジェクトにと取り掛かる。これについてはまだ話していいかわからないから、今は秘密にしておくけど、エフゲニーと仕事できることはすごく楽しみだよ。

Q:今日はどうもありがとう。またあなたの姿を見られることを楽しみにしています。あなたがコーチでも、ショースケーターでも、はたまた会社社長になっても。

トマシュ:社長か、ひょっとするとテクニカル・スペシャリストの道に飛び込んでいるかもしれないよ。どうなるだろうね。僕自身楽しみだし、選択肢はいつもオープンにしておきたいんだ。でも、今後2年は僕の姿をたくさん見られるのは確かだよ。心配しないで。




きゃvネコ トマーシュ! この笑顔、この茶目っ気、このフランクな話し方、そしてときおり見せる暗い内面…これはモテるわ!!

キャリアで最高の思い出のひとつに、あのさいたまワールドのことをあげてくれてます。アップダウンの激しい、苦労の多いキャリアを乗り越えての、あのすばらしいSPだったんですもんね。ううっ(;_;)
子どもたちに指導する大変さを語るトマシュ…誠実で頭がよくて、すごくいいコーチになれそうだけど、繊細すぎる部分もあるのかも。スケーターとしては秋にチェコ・ショー、そしてその後になんと、プル・ショーの計画が!? 
とりあえず「今後2年は僕の姿をたくさん見られるよ。Don't worry!」ってことなので、楽しみにしておきたいと思います^^

JUGEMテーマ:フィギュアスケート
カテゴリ:ロシア&ヨーロッパ男子 | 12:34 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
どうなるロシア男子!? プルシェンコvsコフトン
ヨーロッパ選手権の真っ最中ですが、ロシア男子のソチ1枠をめぐって、ユーロの舞台、ブダペストでもかなり話題になっているようです。
ロシア男子のソチ五輪出場枠は「1」。今季のGPSで結果を出してGPFにも進み、さらに先月、ロシア選手権でプルシェンコをやぶって優勝したマキシム・コフトン選手が有力なのかと思いきや、そう簡単にはいかないのがおそロシア…。
エフゲニー・プルシェンコ選手が「いや、自分を出すべきだ」と発言し、ロシア内ではソチでメダルをねらうにはプルシェンコのほうが、という声も強いようです。



残念ながらロシア語の記事はさっぱり読めないので、英語圏の記事になりますが、まずは現在どんな状況なのか、ユーロの男子SP後にアップされたカナダのCBCの記事から、プル&コフトンの部分だけ抜き出してみたいと思います。

元記事→http://olympics.cbc.ca/news/article/javier-fernandez-takes-commanding-lead-european-championship.html

ヨーロッパ選手権に出場しているロシア男子は3人とも、微妙な立ち位置にいる。彼らがここでベストな結果を出しても、ソチ五輪に出場できるロシアの1枠に入るには不十分かもしれないからだ。

ここ10年間、ロシア最高の男子スケーターであり続けてきたエフゲニー・プルシェンコは、1月21日に、ロシアスケート連盟から派遣された委員会の前で非公開のテスト演技をおこなうことになっている。ここで彼がカリスマパワーを発揮すれば、(プルシェンコがソチに出るべきだと)委員会を納得させてしまうかもしれない。

プルシェンコは最近、コフトンを批判している。昨年の世界選手権でコフトンが下位に沈んだためにロシアが1枠になってしまったと言い、コフトンには海外での経験が不足していると指摘しているのだ。しかし、先月のロシア選手権では、コフトンはプルシェンコに勝って優勝した。

この問題についての不安がヨーロッパ選手権での演技に影響したか(コフトンはSPでミスが出て暫定4位)と聞かれると、コフトンはそれを否定した。
「僕はどんな挑発やコメントや噂話にも耐性をつけなきゃならないんだ」ロシアの「R-Sport」の記者に対して、コフトンはそう話した。「僕がスケートをしている限り、こういうことは今後もずっと起こるんだ。だから、僕にとってはどうでもいいのさ」


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コフトンくんのコメントが哀れすぎる…(;_;)
プルシェンコはロシアのインタビューで、「自分が団体戦に出て、個人戦はコフトンに譲るよ」と言ってみたり、「いや、やっぱり個人戦にも自分を出すべきだ。コフトンは経験不足だし、彼がロシアの枠を減らしたのだから」などと発言しているそうで。やはりプルシェンコも必死のアピールということなんだと思いますが、なかなか強烈ではあります^^;
で、それなら僕もアピールさせてもらうよ、ということなのかどうか、コフトンくんは最近、Twitterのプロフィールを "Член Олимпийской сборной России" (Member of the Russian Olympic team) と書き換えて、これがまたロシアの連盟の反感を買ったそうで…。

ただし、実際問題として、怪我もち・手術明けのプルシェンコが団体戦と個人戦をすべて1人で戦うのはさすがに無理だろうということで、コフトンと分け合うことが可能なのかどうかが焦点になっているようです。
以下はおなじみのIcenetworkから、その辺りを分析した記事です。ちょっと話がややこしいのですが…。

元記事→http://web.icenetwork.com/news/2014/01/17/66781884/the-plushenko-case-to-skate-or-not-to-skate?tcid=tw_share

ブダペストで開かれている2014年ヨーロッパ選手権。そこに、ロシアの皇帝エフゲニー・プルシェンコの姿はないものの、リンクのあちこちでは彼の話が議論になっている。たくさんのスクリューやプラスチックが埋め込まれた彼の背中は大いに話題を呼んでいるが、最も問題になっているのは、プルシェンコが五輪に出るのか出ないのか、ということだ。

ロシアにとって、状況はやや複雑だ。というのも、ロシア男子の五輪枠がたった1枠だからだ。おそらくロシアで一番有名なアスリートであるプルシェンコを出すべきか? あるいは、知名度では大きく劣るものの将来性抜群の18歳、マキシム・コフトンを出すべきか?

ブダペストでみんなが理解しているのは、プルシェンコは団体戦の出場を希望しており、個人戦はコフトンにゆずろうとしている、ということだ。しかし、ルールに従えばこれは不可能だ。ルール上は、プルシェンコが団体戦のショートとフリーに出るなら、個人戦のショートとフリーにも出場しなくてはならない。

ISU(国際スケート連盟)のオッタビオ・チンクエンタ会長は、ブダペストで定例会見を開いたが、ロシアの記者から質問が相次いで、会見の多くはプルシェンコ問題に費やされることになった(プルシェンコの名前そのものは出されなかったが)。

「ある選手が怪我のため出場できないという診断書が届いたらどうなるのか?」
「診断書はそれぞれの国で発行されたものでいいのか? それともIOC(国際オリンピック委員会)またはISUの医者が書いた診断書でなければならないのか?」
「期間中に故障したり病気になったりした場合と、長年かかえている故障が悪化した場合とでは扱いは違うのか?」

チンクエンタはすぐさま最後の質問に答えた。団体戦に出るチームは、できる限りその国の最強のメンバーでなければならない、と。
「もしその選手が長年同じ故障をかかえているのなら、その選手を出場させるべきではない」


チンクエンタは、ISU事務局長のフレディ・シュミットの助けを借りながら、ISUコミュニケーション第1844号にそのことが明記されている、と答えた。
コミュニケーション第1844号にはこう書かれている。
「個人戦に1人(または1組)しか出場できない国の場合、2月5日に開かれる団体戦ミーティング後は補欠の選手(またはペア)を出場させることはできない。例えば、もしも診断書があっても、団体性のショートに出た選手(またはペア)を、怪我や病気を理由にフリーでほかの選手(またはペア)と交代させることはできない」
「個人戦(男子、女子、ペア、ダンス)のエントリーについては、2月10日午前10時に開かれる個人戦ミーティングが終わる時刻までなら、上記と同じ理由(怪我または病気)によって選手の入れ替えを決定することができる」
「入れ替えが決定した後はそれを取り消すことはできない」

つまり、団体戦の場合、2月5日のミーティング以降は選手の入れ替えはできない、ということになる。
「その時刻を過ぎれば、どんな診断書も無効になる」と、チンクエンタは言った。「その場合、そのチームは4人(組)ではなく3人(組)の選手の合計得点で争うことになる」

ようは、プルシェンコが団体戦のショートに出て、フリーを欠場せざるをえないことになった場合、ほかの選手を出すことはできず、ロシアの男子は空席、ということになる。これはロシアチームにとっては痛手だ。

そうすると、次は質問はこうなる。「プルシェンコは団体戦に出場後、健康上の理由から個人戦を欠場し、かわりにコフトンが個人戦に出ることは可能なのか?」

ルール上では、それはできない。特にロシアの場合は不可能だ。なぜなら、コミュニケーション第1844号に書かれているように、かわりに出る選手は「出場資格のある選手としてすでに現地いる」者でなければならない。そして、ロシア男子として出場資格のある選手は1人のみ、プルシェンコかコフトンかどちから1人になるからだ。

だが、会見でのチンクエンタの回答を聞くと、実際の答えはそれほど明快ではない。
IOCが定めた2014年冬季五輪のための「遅延選手代替原則(Late Athlete Replacement Policy)」でも、それほど厳格には決められていないようだ。そこには次のように書かれているからだ。「緊急の健康上の問題が起こったとき、またはケースごとに査定されるその他の例外的な状況になったとき、同じ競技の同じカテゴリーに限って、IOCは選手の入れ替えを許可する。ただし、これが適用されるのは、その競技の連盟と協議し、IOCまたはIOCの医療専門家によって適切とみなされた場合のみである」


「ケースごとに査定される」というところに、可能性はわずかにある。もしそうでなければ、出場資格をもち団体戦に出場する選手は、病気や怪我をしても、2月5日以降はほかの選手に個人戦をゆずることができなくなってしまう。
例えば、2006年のトリノ五輪では、アメリカのミシェル・クワンが怪我のため出場できなくなり、第一補欠だったエミリー・ヒューズが急きょ飛行機でトリノに飛び、出場することができた。こうしたケースはソチ五輪では不可能になってしまうからだ。

プルシェンコの問題はまだ完全に解決されとはいえず、さらに解明していかなくてはならないだろう。

選手本人の安全も議題にされるだろう。もしもプルシェンコの背中に埋め込まれた金属類が彼の身体の安全や彼の将来をおびやかすリスクがあるならば、プルシェンコ自身も、ロシアのスケート連盟も、ISUも、彼を五輪に出場させる前によく考えなくてはならない。
 

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うーん、わかりにくい! なんだかわかったような、わからないような!?(私の訳がまずいせいでしたら申し訳ありませんm(__)m)
一生懸命まとめてみると、団体戦では、選手交代できるのは競技2日前の2月5日までなので、ショートとフリーで選手を替えることは不可能。それなら団体戦にプルを出し、個人戦にコフトンを出すことはどうかというと、建前上は望ましいことではないが、ルールを細かく見れば不可能ではないかもしれない、ということでいいんでしょうか?

そしてやはり、ロシアにとってプルシェンコは、五輪に出せるものなら出したい選手なんですねぇ。
21日にプルシェンコだけを対象にした非公開のテストスケート(非公開、というのがまた…!)をして、代表は25日に発表されるんだそうです。
コフトンくんがこのユーロで優勝、あるいは僅差で2位ぐらいにつけられれば、強いアピールになると思いますが、ギリギリ表彰台ぐらいではどうなるのか…。
どっちにしろ、今夜のフリーでがんばって、強いコフトンを見せつけてほしいです!


【追記】……ということで、ユーロ男子終わりましたね。コフトンくんは結局5位。しかも、ユーロに出ているロシア男子3人のうち最下位という、ソチへの見通しとしてはけっこう最悪の結果になってしまいました・゜・(ノД`)・゜・
ボロノフさん、メンショフさん的には本当にめでたいし、個人的に大好きなハビエルくんが復調の2連覇を達成!というのに、なんだか気分が晴れません…ううう(;_;) どうなるんでしょ?

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カテゴリ:ロシア&ヨーロッパ男子 | 20:04 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
プルシェンコの新フリーは「ロミオとジュリエット」!by宮本賢二!
大輔さん&モロゾフ・コーチ再タッグの衝撃も冷めやらぬうちに、またまたフィギュア界の政界再編(?)のニュースが飛びこんできました。なんとプル様の新プロを、あの宮本賢二氏が…!!
おなじみのicenetworkより6月22日付のこちらの記事です。


イタリア・ピンツォーロのリンクでのスリーショット。なんだか不思議に笑えてしまうお写真。お三方ともご満悦の様子w

「プルシェンコ、フリーはシェイクスピア」
“ジェーニャ”イタリアで宮本賢二とともに“ロミオとジュリエット”振付中

エフゲニー・プルシェンコは、来季の新しいフリープログラムになじみ深い作曲家を選んだ。ニーノ・ロータによる、おなじみの1968年の映画版「ロミオとジュリエット」の曲だ。金曜日に、ロシアのR-Sportが伝えた。

世界王者に3度輝いたプルシェンコ、そのコーチのアレクセイ・ミーシンによると、プルシェンコは現在イタリアのピンツォーロで、日本人振付師の宮本賢二とともに新しいフリープログラムに取り組んでいるという。宮本は元アイスダンサーで、これまではほとんど、高橋大輔や安藤美姫をはじめとする日本人スケーターの振付を手がけてきた。

「振付はとてもうまくいっている」とミーシンはR-Sportに語った。「ジェーニャの機嫌にもスケートの調子にも、私は非常に満足しているよ」(ジェーニャというのはエフゲニーのロシア語の愛称だ)

現在29歳のプルシェンコは以前にもニーノ・ロータの曲を使ったことがある。2004-05シーズンと2005-06シーズンのフリー「ゴッド・ファーザー」だ。2006年のトリノ五輪では金メダルを獲得している。

ミーシンはまた、プルシェンコが2月に受けた膝の手術は大成功だったとも語った。
「彼は健康そのものだ。彼を悩ませているものは今、何もないよ」

プルシェンコは、2010年の(バンクーバー)冬季五輪でエヴァン・ライサチェクに続いて2位となって以降、1シーズン休養していた。その後2011-12シーズンに復帰すると、9度目のロシアタイトルと7度目のヨーロッパタイトルを獲得した。

4月には、パスカーレ・カメレンゴが、プルシェンコとミーシンとともに4日間、サンクト・ペテルブルクにある彼らの練習拠点に滞在し、ショートプログラムの振付をおこなうとともに、スケーティングの修正も指導した。



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なんと「ロミオとジュリエット」!なんという王道の選曲!こちらの記事によると、振付を宮本氏にと提案したのはミーシン・コーチだったようですが、選曲もやはりミーシン氏?それとも宮本氏なんでしょうか?



17歳ぐらいだったと言われるロミオを、30歳になろうとするプル様がどう熱く、甘く演じるのか…?非常に恐ろし…いえ、ワクワクします!来季のロステレがますます怖い…いえ、楽しみですね!

しかしそこで、どうしても気になってしまうのが、プルシェンコの新プロを手がける2人の振付師がカメレンゴ氏と宮本氏であるということ。だって…高橋大輔選手のドリームコンビじゃないですか!
もちろんお2人とも数々のスケーターの振付をされてはいますが、バンクーバーの「eye」と「道」はいまだに私にとって夢のようなプログラムなもので…。しかも、カメレンゴ氏にいたっては「大輔のソチのプロについてはもうアイデアがある」みたいなことを言っていたのに…。

ま、でもスケーターと振付師の意外な取り合わせから、どんな傑作プロが生まれるのか、それはすごく楽しみだし、宮本氏が世界的に有名になるのはうれしいこと。宮本氏にはもっと海外のスケーターとも仕事してほしいなあと思っていましたから。オフシーズンのドキドキハラハラは、まだまだ続きますね!(大輔さん、早く情報くださーい

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カテゴリ:ロシア&ヨーロッパ男子 | 03:36 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
ブライアン・ジュベール ソチに出る!宣言@goldenskate
母国でのワールドで4位、惜しくも表彰台を逃したブライアン・ジュベール。
私はなぜか、彼はワールド後に引退するんだろうなと、ずいぶん前から思っていたんです。(なんでなんでしょ?ソースが思い出せないんですが…思い込みだったのかもしれません)
ところがなんと、昨日4月8日付の記事で、「俺はソチに出るぞ!」宣言をしています!!!
少々長いですが、訳してみましたので、どうぞ〜。

元記事はこちら→Brian Joubert: Reloaded
Golden Skate April 8, 2012 - by Tatjana Flade
 
「ブライアン・ジュベール リローデッド」


フランスのブライアン・ジュベールは、2002年のヨーロッパ選手権で国際的なシーンに彗星のように現れて以来、ファンの一番お気に入りのスケーターであり続けてきた。
そのデビュー戦でみごと銅メダルに輝いてから10年。ここ2シーズンは、このベテラン選手にとってタフな時期が続いていた。
今年27歳のジュベールは、好不調の波と故障に悩まされ、表彰台に上がれないことのほうが多くなった。今季は背中の故障でグランプリシリーズを欠場。シェフィールドで開催されたヨーロッパ選手権では10年連続で獲得してきたメダルをついに逃し、8位という残念な結果に終わった。
 
だが、多くの人が彼を見限り始めた中で、3度ユーロ王者に輝いたジュベールは力強く立ち直り、先週フランス・ニースでおこなわれた2012年世界選手権ではみごと4位となった。

ジュベールはようやく彼らしさを取り戻した。パワフルでエネルギッシュ、特におなじみの「マトリックス」のフリープログラムでは観客を沸き立たせた。フリーの演技終了後には、喜びのあまり、ひざまずいて氷にキスをした。
僕にとって、気持ち的に今まででベストの部類に入る世界選手権だったよ」とジュベールは語った。「自分でも意外だった。いつもはフランスで試合に出るのは好きじゃないんだ。でもニースでは観客が応援してくれてるって感じた。これは僕にとってとても重要なんだ。もう一度ポジティブな感覚を取り戻したかった。フランスのワールドでは、いいスケートがしたいと心の底から思ったんだ」
 
2007年の世界王者・ジュベールは、銅メダルの羽生結弦に6.48点及ばず4位に終わったが、観客はジュベールが表彰台にのるべきだと感じていた。だが、彼自身はがっかりしてはいないという。
僕にとって一番大事なのは、いい演技をすることなんだ。ショートでもフリーでも。そして再び自分自身を見つけ出すことなんだ。1位になれたかもしれないし、3位か、11位だったかもしれない…順位なんて二の次だ。得点だって重要じゃない。もちろん銅メダルをとれたらフランスのためにも、お客さんのためにもよかったんだろうけど、この大会での目標はそういうことではなかったんだよ」
 
復活は予想外のものだった。ジュベールの2011−12シーズンは背中の故障で幕を開け、グランプリシリーズに出場することはできなかった。怪我が完全に治る前にフランス選手権に出場し、そこでは優勝するものの、ヨーロッパ選手権ではうまくいかなかった。
「シェフィールドでのユーロはタフだったね。最終的には自分のためになったけど。自分としては準備万端だったし、いい試合ができると思っていたけれど、結果は悲惨だった」

その時ジュベールは、自分とコーチのヴェロニク・ギヨンが正しい方向を向いていないことを悟った。
「コーチとディスカッションして、彼女の指導方法について質問をしたんだ。その後、僕らはすべてを変えた。時期的にはワールドで完ぺきな演技――ショートとフリーでクワドを2回入れて――をするには時間が足りなすぎたけど、いい基礎を見つけるには充分だった。それから2週間ほどで、自分が世界王者だったりワールドでメダルをとったりしてた頃の感覚が戻ってきたんだ
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カテゴリ:ロシア&ヨーロッパ男子 | 04:18 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
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