もっと早くアップしたかったんですけど、いろいろと取り紛れてしまいまして…。
12月2日付けでGolden Skateに掲載された小塚くんインタビューです。いつ、どこで取られたインタビューかは書いていませんが、ライターのKondakovaさんはロシア関係が多い方のようですし、ロステレコム杯でフリー終了後におこなわれたものではないかと思われます。
インタビューは日本語通訳を通してのもののようですが、丁寧に言葉を選びながらとつとつと語る小塚くんの口調が伝わってくるような英文だと思います。文中には「元ワールド銀メダリスト」「元全日本チャンピオン」などの経歴がたびたび挿入されていますが、煩雑になるので省略させていただいています。
元記事はこちら→
One step at a time for Japan’s Kozuka By Anna Kondakova
「小塚、一歩ずつ進んでいく」
2014年スケート・カナダでSP演技中の小塚崇彦…いい写真ですねぇ、これ。
昨シーズン、日本の小塚崇彦は、彼のキャリアで最も大きな失望を味わうことになった。全日本選手権で3位になったものの、オリンピック代表には選出されなかったのだ。そのことを今でも引きずっているのだと、彼は打ち明けた。だが、25歳の小塚は、今はそれを乗り越えようと決意しており、ロステレ杯での演技は自分が立ち直るきっかけになるものだったと考えている。
「オリンピック代表になれなかったことには、すごく落胆しましたね」と、小塚は認めた。「目標まであと1歩のところまで来ていたのに、逃してしまった。そのことが今シーズンの自分のスケートにも影響している気がします」
わずかでも立ち直る助けになったことのひとつが、日本で開催された2014年世界選手権への出場だったという。
「世界選手権の代表に入れたことは、僕にとってすごく大きなことでした。あそこで他の選手たちがそれぞれ全力でがんばっている姿を見たこと、それが僕を前に押し出してくれたんです。僕は自分に言いました。『お前はここにいるんだ。やるしかないだろ!』って。今やらないでどうする、と思いました。僕のまわりのだれもが本気でやっていた、だから僕もやったんです。あの試合で僕にあの演技ができたのは、自分がそう望んだからというよりも、あの雰囲気に背中を押されたからだったと思っています」
世界選手権では6位という、まずまずの結果を出せたが、その後、五輪後のシーズンを迎えるにあたって次なる試練が立ちはだかることになる。
「8月まではすべてが順調だったんです。気分もよかったし、スケートに自信が持てて、調子もよかった。このまま前に進めると思っていました。アイスショーに何回か出ましたが、そこでもいい演技ができていました」
ところが、その後すべてがボロボロと崩れていった。
「やるべきことをやって、一生懸命努力しているのに、次から次へと怪我に見舞われたんです。まず首の痛み。腰の痛み。足首を怪我して、さらに肩にも問題が起こりました。いつも必ずどこかを痛めている状態でした。自分ではまったくわけがわかりませんでした。前に進みたいのに、それができない。スケートに集中することができなくなってしまったんです」
この状態は9月から10月いっぱいまで続いた。そのせいでJapan Openとスケート・カナダでの演技に影響が出て、それぞれ6位と8位という結果に終わってしまった。
こうした苦境にあってもなお、小塚は4回転ジャンプを跳ぶことをあきらめなかった。クワドなしでは、今月12月の末におこなわれる全日本選手権で表彰台を狙うことができないと、わかっているからだ。
「それは去年も同じでした。できないなら、出場する意味はないんです」
クワドはモチベーションを保つためにも大切なものだと、小塚は感じている。じつはスケート・カナダを棄権することも考えたという。
「当然、9月、10月ごろにはクワドをきれいに降りれていませんでしたから。現在もまだ、成功率は今ひとつです。もうずいぶん以前から、僕はクリーンなクワドをしっかり跳ぶことができていないんです」
だが、モスクワで開かれた2014年ロステレ杯で、小塚はようやく、4回転を着氷することに集中することができたと感じたという。
「自分の中に新しい何かを感じたんです。それのおかげで自分のエネルギーのすべてをクワドに注ぎ込んで、がんばり続けることができる、そんな何かを感じたんです」
小塚はSPで、クリーンではなかったもののクワドを着氷して、3位につけた。フリーではクワドに2度挑戦し、どちらも転倒して総合6位に落ちてしまったが、それでもスケート・カナダの8位よりは順位を上げた。
次の目標は、全日本選手権でSPとフリーをノーミスで滑ることだという。怪我はあるものの、そのほとんどは大した怪我ではないんですよ、と彼は言う。
「腰の怪我だけはやっかいなんですけどね。腰にはもう何年も悩まされてきました。これは治しようがないんです。コーチや、そのほか僕の身体をケアしてくださる方々がいて、僕のサポートをしていただいています。そんな方々への感謝を表すためにも、今は自分のスケートに全力集中しなくてはならないと思っています。自分にはできる、と思っています」
小塚にはトヨタ自動車からのサポートもある。
「トヨタには僕のスポンサーになっていただき、僕が練習しやすい環境を作っていただいています。トヨタが僕を選んでくださったのは、社員の方が向上心を持ち続け、一生懸命努力されるように、僕にお手本になってほしかったからだと思うんです。粘り強く、強い気持ちでかんばることのお手本として」
「だから、スケート・カナダとロステレ杯であまりいい演技ができなかったことがくやしいです。お粗末なお手本になっちゃいましたね。でも、みなさんの力になれるように、これから努力を続けて、全日本でいい演技がしたいんです」
小塚は現在、中京大学の大学院に籍を置いている。
「生体力学(バイオメカニクス)を勉強しています。ただし今は休学中なんですけどね。講義には出ていませんが、データはすべて自分のコンピューターに保存してあるので、研究は再開できるでしょう」
スポーツ史、特に日本におけるフィギュアスケートの歴史にも興味があるという。
「僕より以前の世代の選手たちのこと、彼らが経験したさまざまなことを学んで、その経験を自分のスケートを向上させることに生かしたいんです。モスクワ(ロステレ杯)では、ロシアの有名なコーチであるスタニスラフ・チュクを記念したポスターが貼ってありました。僕にはすごく興味深かったですね。日本とロシアのフィギュアスケートは密接な関係があると思うので。僕の祖父は連盟の役員で、ロシア語と中国語を話す人でした。若いときはロシアの大会に出場したり、通訳を手伝うことも多かったんですよ」
全日本選手権が終わった後は、特に決めているプランはないと、小塚は言う。
「今年は出場が決まっている試合をしっかりこなしたいと思います。その後どうなるかはわからないですね。例えば冬季ユニバシアードに出たい気持ちはありますけど、基本的にはしっかりと体調を整えて、努力を続けていくだけだと思っています」
ただし、2018年五輪の可能性を完全に排除するつもりはないらしい。
「これから4年の間に何が起こるかなんて、僕にはまったく考えられないです。ただ1歩ずつ、進んでいくだけですね」
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ここのところ、日本でも取り上げられることの少なかった小塚くん。(あるいは彼自身、この狂騒的なフィギュアブームの中で表に出るのを避けているのでしょうか?)
ソチを逃した後モチベーションがかなり落ちていたとか、スケカナの時には足を痛めていたらしいとか、断片的な情報は入るものの、なかなか彼の内面を知ることができなかったので、これはありがたいインタビューでした。
それにしても、小塚くん、海外インタビューでやっと腰(股関節)のことを口にしましたね。海外のフィギュア記事や掲示板で話題になるときも、「彼は沈んでしまったのか」とか「もうピークを過ぎたらしい」などと言われるばかりで、股関節の怪我のことはほとんど認知されていないんですよ。そういうのを見るたびに、彼も怪我なら怪我、靴問題なら靴問題とはっきり言えばいいのにぃ、と歯がゆくなるんですが、小塚くんは極力言わない人なんですよね…。
状態は必ずしもいいとは言えないようですが、気持ちは前向きだと知ってホッとしました。全日本に向けて、できる限り最高の状態にもっていけますように…祈っています!
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