ジャパン・タイムズ 安藤美姫 ロングインタビュー

今月3日、ジャパン・タイムズの記者・ジャック・ギャラガーさんが安藤美姫さんにインタビューした記事がアップされていました。もうとっくに読まれた方も多いかもしれませんが、これがめっちゃ長い! 仕事の合間にちょこちょこ訳していたらこんなに時間がかかってしまった…。

ギャラガー記者はほかの日本メディアではあまり見ない、独自の視点から記事を書かれることが多く、時に彼の好みや主観がたぶんに含まれることもあって、「自分のブログでやって(笑)」と思ってしまうこともあるんですが、毒舌も辛口意見も対象スケーターやフィギュアという競技への深い関心があるからこそなんだろうな、と私は感じています。まあ自分の感覚と合わないと思うことも時にはないこともないけれど、均質的で情報量が少ない記事が多い他メディアよりは、ずっとおもしろく読ませていただいています。

 

さて美姫さんインタビュー。

現役引退後も公私ともに世界をまたにかけて、フィギュア界の主たる登場人物であり続けている美姫さんですが、華やかさの一方で、ずっとぶれずにコーチへの夢を持ち続けているんですね。そしてハビの存在に本当に助けられたのですね…。

 

(元記事)

Release and renewal: Ando’s life full of joy, challenges BY JACK GALLAGHER JAN 3, 2017

 

 

「解放と再生:安藤の人生は今、喜びと挑戦に満ちている」

 

引退したアスリートたちは、試合にともなうさまざまな制約から解放され、違う道へと進む者も多い。ビジネス界に入る者、テレビの世界に入る者、コーチや監督になる者もいる。

 

過去2度世界女王に輝いた安藤美姫の場合、それらのすべてだ。

 

毎月数日は各地を移動しているという彼女の多忙なスケジュールを見れば、元スケート界のスターはかつてよりもっと人気者になったようだ。

 

先月29歳になった安藤だが、スケートやそれ以外の活動で、世界と日本のあちこちでその姿を見かけるようになった。ローマやマドリードのアイスショーに出演し、スペインやオランダのスケート合宿にコーチとして参加し、かと思えば東京や札幌にいる。それらすべてが、名古屋生まれの安藤の新たな忙しい人生の一部だ。

 

2度の五輪出場の経験もある安藤は、2013年の全日本選手権後に引退した。その後、フィギュア選手だった日々から次のステップに移行するために、幼子の母親でありながら多忙なスケジュールをこなしてきた。これにさらに世界選手権2連覇中のハビエル・フェルナンデスとの長距離恋愛も加わって、彼女の生活は目いっぱいの状態だ。

 

僕は昔から安藤に対して深い称賛の念をいだいてきた。従順さをよしとする日本において、安藤は彼女らしいやり方をつらぬき、保守的な慣習や年功序列のシステムの枠にはめられることを拒否してきた。

 

Ice Time(ジャパン・タイムスのフィギュアコラムの名称)との単独インタビューで、安藤は自身の仕事、恋愛、夢、そして未来について語ってくれた。

 

安藤によると、その第二の人生は大して計画を立てることもなく始まったらしい。彼女の知名度や人脈によって、ただ自然に発展していったのだという。

 

「フィギュアは今すごく人気ですし、私は元フィギュア選手だったから、テレビ界の方々が私に興味をもってくださったんです。競技していたときとは違うキャラクターを持っていると言ってくれて。私のほうもできるだけスケジュールを入れて、知名度を維持したいと思っていました。でないとすぐに忘れられてしまいますからね」

 

テレビに頻繁に出るようになった安藤だが、1つの分野にとどまりたくはないという。

 

「単にテレビタレントでいたくはないんです。私の本業はフィギュアスケーターです。私がテレビ番組に出られるのは、かならずスポーツがらみの理由です。いろいろなイベントに参加できるのも、スポーツまたはフィギュアスケートのおかげなんです」

 

特に多忙なのは春と夏だという。

 

「春夏はスケートのショーで忙しいから、テレビのお仕事をするのは難しいですね。ある都市でショーとリハーサルをやって、家に帰ってきて、2日後にはまた違う都市に出かける、という感じなので」

 

安藤のSNSを見ると、彼女は国内外のさまざまな場所で仕事をしている。これらの機会がどのように訪れたのか聞いてみた。

 

「お仕事についてはいろいろな経路で声をかけていただいています。私は公式Facebookを持っていて、私とまったくツテがない方はFBでメッセージをくださいます。テレビ界の方々はお互いに知り合いなので、情報を共有し合っているんです。スケート関係のお仕事の場合は、私は日本にも海外にもたくさんの友達がいるので、彼らはインスタグラムやツイッターのDMを通して連絡をくれます」

 

安藤の娘・ひまわりは、彼女がソチ五輪をめざして現役に復帰すると発表した後の2013年4月に生まれた。このニュースは驚きをもって迎えられ、メディアに騒動を巻き起こした。

 

「正直に言うと、98パーセントの方が否定的にとらえていましたね。現役選手でありながら出産、とテレビのニュースになりましたし、それに五輪イヤーでもあったし。また、一般の方々からすると、アスリートとして敬意がないと思われたんです。すでに現役復帰を発表したあとでしたから。多くのスポーツ関係のコメンテーターが復帰は不可能だろうと言っていました」

 

それほど多くの人が否定的なリアクションをした本当の理由は何だと思いますか?とたずねてみると、安藤はこう答えた。

 

「当時思ったのは、私がアスリートなのに未婚のまま子どもを産んだこと。それが理由だったんでしょうね」

 

自分が妊娠していることを知ったときは彼女自身驚いたという。

 

「5か月目に入るまで妊娠に気づいていなかったんです。つわりも全然なかったし、まったくふだんどおりでした。でも血液検査をしてみたら…。そのときもスケートをしていたので驚きました。でも、それは幸せなことでした」

 

安藤はさらに、女性アスリートが正常な月経サイクルを維持することの難しさについても語った。

 

「(女性の)アスリートの場合、妊娠しにくくなることがあります。私たちは苛酷なトレーニングをしているので、赤ちゃんをもてない場合があるんです。私にとってスケートはすごく大切なものですが、スケートをやめた後も長い人生が続くんだと考えるようになったんです。将来ふつうの生活を送るようになれること、それが私には一番大切なことでした。赤ちゃんを授かったのは運命だと考えて、それを受け入れようと思ったんです」

 

僕は爐劼泙錣”という名前の由来について聞いてみた。

 

「ひまわりはいつも太陽のほうを向いています。私は花に対して、例えばバラならきらびやかで強くて美しい、桜はきれいでかわいい、といったイメージをもっています。ひまわりという花は、見るたびによいエネルギーをもらって、自分が強くポジティブになれるんです。娘がひまわりみたいになれたら――ひまわりのようにたくさんの愛のほうを向いてくれたら、と思いました。娘に会った人はだれでも――私のファンの方々も私の家族も、だれもが娘からよいエネルギーをもらえる、そんな人になってほしかったんです」

 

現在横浜に住んでいる安藤は、忙しいスケジュールの中で可能なかぎり娘と一緒にいられるよう努力しているという。

 

「お仕事があるときは母が面倒をみてくれていますが、アイスショーのときは一緒につれていくんです。テレビやイベントのときは母に頼みます。それが私の仕事だと娘はわかってくれています」

 

* * *

 

安藤はその華々しいキャリアの中で多くの輝かしい実績を収めてきた。2004年には世界ジュニアで優勝、全日本ジュニアとシニアでそれぞれ3度優勝している。中でも、スケート史上今でも破られていないとある業績によって、多くの人々の記憶に刻まれている。

 

2002年、オランダのハーグでおこなわれたJGPFで、安藤は女子スケーターとして史上初めて4回転サルコウを着氷した。それから14年以上たった今でも試合で4回転を降りた女子がだれもいないことを考えると、この業績の偉大さがわかるだろう。

 

世の中の安藤への関心が高まり始めたのはこのときだったと、彼女はふりかえる。

 

「あの4Sを試合で降りたとき以降、人々は初めて私の話をするようになったんです。その当時、私はフィギュアスケートのことをよくわかっていませんでした。フィギュアは大好きでした。コーチと一緒に氷の上を滑るのがすごく楽しかった…それだけだったんです。私にとって4回転はふつうのジャンプでした。まず1回転ジャンプを習って、そして2回転、3回転。次に来たのが4回転だったんです」

 

なぜこれほど長い間、この歴史的なジャンプを跳べる選手が現れないのか考えたことはあるかたずねると、彼女はこう答えた。

 

「あのとき以降、ほかのスケーターが(4回転を)跳ぶかどうか考えたことはなかったですね。どんなことでも不可能なことはないと思いますが、採点システムがしょっちゅう変わるので、新しいことにチャレンジすることは非常に難しいのです」

 

ここ15年ほどで日本でのフィギュアスケート人気は劇的に高まった。安藤はこのことを次のように的確に説明してくれた。

 

「私が4Sを跳んだとき、日本ではフィギュアはメジャーなスポーツではありませんでした。4Sを跳んだことが特別なこととは思わなかったのは、このせいでもあったんだと思います。当時私は14歳で、何が起きているのかまったくわかっていませんでした。(JGPFのリンクで)何か英語のアナウンスが流れてきて、私の名前が聞こえました。でも当時は英語はわからなかったので、大したことだとは思いませんでした。そしたら次の日、日本の通信社の人がやってきて、『あなたが安藤美姫さんですか?』って聞くんです。『はい』と言うと、彼は4回転のことを聞いてきて、『あなたは4回転を跳んだ世界初の女性なんですよ』と。でも私としては、もっとうまくなるための練習のつもりで跳んだ感じだったんです」

 

安藤とのインタビューで最も興味深く意外だったのは、彼女がコーチングに強い関心をいだいていることだった。

 

「コーチになることは、9歳でスケートを始めたときからフィギュアスケーターとして一番の夢でした。むしろコーチになりたいからトップスケーターとして競技していたようなものです」

 

彼女は幼い頃、優秀な競技者になることが将来コーチへの道につながると信じていたという。

 

「いい選手になることができたら、もっとスケートを学ぶことができるし、海外も見ることができますからね。私はアメリカに行きました。ロシア人のコーチにも教わったし、アメリカ人のコーチにも教わりました。今はカナダ人であるデビッド・ウィルソンによく振付をしていただいています。たくさんのことを学んできましたし、それが将来の私の夢に役立つと思っています。ただ、今は自分はコーチだとは言いたくないです。いろんな国へ行ってスケーターたちを教えてはいますが、『私はコーチです』と言ってしまったら、プロスケーターをやめたことになってしまいますから。今はすごく忙しいので、いつもリンクにいることはできません。つまり、私はコーチではなく、お手伝いをしているだけなんんです。アドバイザーみたいな感じです」

 

若いスケーターたちにスケートを教える活動は、ふとしたきっかけから始まったという。

 

「前に岩手県に行ったときでした。岩手のチャリティーショーに参加していたんですが、コーチの先生がたに教え子さんたちを見てもらえないかと頼まれて、『もちろん。時間があるときなら喜んでやりますよ』と答えたんです。それがコーチングにかかわるきっかけでした」

 

* * *

 

若いスケーターのコーチングを始めたことで、彼女の元コーチと再びつながりができたという。

 

「以前メインコーチとして見ていただいていた門奈裕子先生のお手伝いとして(名古屋で)子どもたちを教えているんです。今年は何人かの振付もするようになりました。去年の夏、アンドラでのハビの合宿に名古屋から3人のスケーターをつれていったこともいい思い出です。彼女たちにとっても、私にとっても、いい経験になりました。彼女たちは日本から出たことがありませんでした。とても才能ある子たちなんですが、私からするとジャンプのテクニックは優れているけれど、スケーティングスキルや感情表現という面では全然ダメなんです。日本から海外に出るほうが、より多く感情表現に接することができます。海外の子どもたちは日本の子たちに比べて感情表現が豊かですから」

 

安藤が初めてシニアの世界選手権で優勝したのは2007年のことだ。彼女自身、若いスケーターと接することで自分の未知の部分を発見させてもらっているのだという。

 

「私は世界女王になりましたけど、今は違う人生を送っています。コーチとして、プロのスケーターとして、そして人間として、まだ自分自身について学んでいる途中なんです」

 

若いスケーターに対しては、無理じいはしないけれどその選手の殻から外へ引き出そうとしているのだと、安藤は言う。

 

「特に日本の子どもたちは内気でおとなしいんです。まずその子の性格を理解しようとして、それから私のことを世界チャンピオンではなく、リンクに1週間やってきて何か新しい楽しいことを教えてくれる先生のひとりとして見てもらえるよう、気をつけています」


安藤はスケートを始めて間もない頃に父親を交通事故で亡くしている。そのとき、コーチによって希望を与えてもらったのだと、彼女は感情をこめて語ってくれた。

 

「私がコーチになりたいと思ったのは、最初に教わった先生のおかげでした。初めてスケートを教えてくれたのは堀江里奈先生というコーチでした。彼女が『練習してフィギュアスケーターになってみない?』と聞いてくれて、私は『はい、なります』って答えました。そのときにはすでにスケートが好きになっていましたから。堀江先生は優しくていい先生でした。特に父が亡くなった後は、彼女の笑顔がいつも輝いていて。私は毎日先生の笑顔が見たかったんです。先生といろんな話をして、スケートを教わりました。彼女みたいになりたかった。いつも笑顔で、何かすてきなことを一緒に感じ合える人になりたかったんです」

 

もうずいぶん昔の話だが、その当時どう感じたのか安藤は明確に憶えていた。

 

「自分がフィギュアスケーターになるなら、彼女みたいなコーチになりたいと思ったんです。私に夢を与えてくれたのは堀江先生でした。私はチャンピオンになりたいと夢見たことは一度もありません。コーチになりたかったんです」

 

安藤はその長いキャリアの中で、いいときも悪いときもさまざまな経験をしてきたが、僕にとって最も印象的だったシーズンのひとつは、あのすばらしかった2010-11シーズンだ。
バンクーバー五輪で5位になった後、安藤は充電のため1年間休養すべきどうかどうか考えていたという。

 

「そのシーズンは競技したい気持ちはまったくなかったです。バンクーバー後、コーチだったニコライ・モロゾフに1年休んでリフレッシュしたらどうかと言われていました。ところが彼はその後、ワールドが再び東京でおこなわれる予定であることに気づいたんです。そのとたん、『1年の休養はとりやめだ。きみの国でワールドをやるんだから、そのために滑るべきだ』って言うんです。私はもう頭も心もすっかり休む気でいました。彼とはずいぶん喧嘩しましたね。試合に戻るなんて私には考えられなかった。その年、私はエキシのプログラムを3つ作っていました。試合に戻る気持ちになれるまでは試合用のプログラムはまったく作りませんでした」

 

なりゆきが変わったのは日本に帰ってきて、スケーターたちが翌シーズンにむけて準備を整えているのを目にしてからだった。

 

「日本でショーに出演した後、多くのスケーターが来季の準備をしているのを目にしました。それで、私は何か新しいこと、他のだれもやってこなかったことにトライしようと決心したんです。そこでやったのが、フリーの後半に5本のジャンプを入れることでした。私はスケーティングスキルの面でヨナやその他の選手たちより劣っているとわかっていました。彼らとは何か違うことをしたい――そう思って、強いジャンパーになったんです。自分自身のためにこれをやりきるんだと目標を立てました。そうしたら結果は自然についてきたんです。1位、1位、1位と」

 

そのシーズン、安藤はGPFをのぞくすべての出場試合で優勝した(プログラム変更直後だったGPFでは5位に終わった)。彼女の演技はまさに圧巻だった。東北大震災の影響で東京からモスクワに移された世界選手権では、キム・ヨナを制して優勝し、このシーズンのクライマックスを迎えた。

 

そのシーズンで印象深かった場面のひとつは、モスクワワールドの表彰台の真ん中に安藤が金メダルをつけて立ち、その横で2位のキムが感情をおさえきれず泣いていたシーンだ。安藤はバンクーバーの女王に勝ったのだ。

このときのことで何を思い出しますか?と聞くと、安藤は次のように答えた。

 

「彼女がどういう思いでいたのかはわかりません。そのシーズン、彼女はGPSに出ていませんでした。復帰していきなりワールドに出てきたんです。オリンピックの後ずっとトップ選手でい続けるのは相当大変なことだっただろうな、と思います。あのとき、彼女はそのプレッシャーから解放されていました。いつかどこかで彼女とぜひ話してみたいです。けれども、彼女が本当に個人として話をしてくれたことは一度もなかったですね」

 

* * *

 

ここ数年、安藤の人生に起きたさまざまなことの中で、もっともインパクトがあったのは25歳のフェルナンデスとの恋愛だったという。フェルナンデスは安藤が長いこと閉じこもっていた殻の中から彼女を引っぱり出してくれたのだという。

 

「彼とつき合い始めて2年になります。彼は本当にポジティブな性格で、本当にやさしい人なんです。私が日本でどんな生活を送っているかもわかっています。パパラッチのせいで私はいつもマスクかメガネをつけているんです。彼と初めて会ったのは2008年、2人がモロゾフの教え子だったときのことでした。だから彼の性格はわかっていました。すごく楽しくて親切な人です。彼は私の人生を変えたんです。彼が私に言いました、『なぜ隠れなくちゃならないの? なんで秘密をかかえていなきゃならないの?』って」

 

日本で長いこと有名人であり続ければ、さまざまな制約がつきまとう。繊細な性格の安藤はそのせいで傷ついていた。

 

「もう長い間、自分の生活というものはないんだと感じていました。私はなぜ隠れなくちゃならないの? なぜ秘密をかかえなくてはならないの?って」

 

フェルナンデスとの交際も最初は簡単にはいかなかったのだと、安藤は打ち明けた。

 

「彼にとって私とつき合うことは難しい決断だったと思います。私には赤ちゃんがいましたし、住む場所も遠く離れていますから。私は現役を引退し、彼はまだオリンピックを目指している。彼にはすごく難しいことだったでしょうね」

 

2人の交際はどのようにして実ったのだろうか?

 

「彼のほうから私に、つき合えるかどうかやってみないかと言ってきたんです。私はすごく嬉しかった。そのときにはもう彼のことが好きになっていましたから。2人がトロントにいたとき、私たちは交際を発表しました。それまで誰も交際のことは知りませんでした」

 

安藤はフェルナンデスの人生観に接したことで、リラックスできるようになったと感じている。

 

「日本の文化や習慣について彼に話したんですが、彼はこう言ったんです。『きみは自分自身を変えるべきだ。そうしないと人生も何もなくなってしまうよ』と。こそこそ隠れて、秘密をかかえていては喜びはないと。そこで私は『わかったわ』と答えました。彼を信頼していたから。今は楽になりました。ありのままの自分で外に出かけるようになりました。以前よりストレスがなくなりましたね。『きみもふつうの人間なんだって、みんなも思ってくれるようになるよ』と彼は言ってくれたんです」

 

フェルナンデスはさらに、娘のひまわりについても、もっとオープンになるべきではないかと提案した。安藤は当時、おおやけの場に公開する写真では娘の顔を隠していた。

 

「彼は『なんで娘と一緒に出かけないの?』って聞くんです。私は、パパラッチに娘の写真を撮られて雑誌やネットに載せられるのがいやだから、と答えました」

 

そんな安藤にフェルナンデスは、自分のまわりにめぐらしたガードを取り払えば、もっと人生をシンプルにできると説得したのだという。

 

「そして、私たちは家族として1枚の写真を投稿しました。すると、娘の顔がおおやけになったことで、パパラッチにとっては珍しいものではなくなったんです」

 

フェルナンデスのアドバイスに対して安藤が深い感謝の念を抱いていることは、僕の目から見ても明らかだった。

 

「彼は本当に私の人生を変えたんです。今は私の立場上、できる限り彼をサポートしなくては、と思っています。私も同じ状況を経験してきましたから。彼が世界チャンピオンになる前に私もそうでしたからね。彼はいまや、どのように課題に対処していけばいいかなど、多くのことを理解しています。去年は私も、モチベーションという点で少しは彼の助けになれたかな、と思っています。ただ彼を尊敬し、支えていきたいと思っているんです」

 

おふたりでスケートのテクニックや戦略を話し合うこともあるんですか?

 

「私たちはフィギュアスケートの話はしないんですよ。私は昼間にスケートの話をするのは嫌なんです。ショーの間とか、練習中ならいいんですけど。ハビも同じです。リンクにいるときにはとても集中しているけれど、リンクから降りたらスケートのことは話したがらないですね。他のこと、例えば休暇のこととか、試合のあとにどこかに出かける話とか、行ったことのない場所を訪ねてみたいとか、彼はそんな話をするのが好きですね」

 

話をしなくとも、フェルナンデスがあげてきた実績を見ればおのずとわかると、安藤はいう。

 

「私から彼にいうべきことは何もありません。彼はすばらしいスケーターですから」

 

いつか彼女がフルタイムのコーチになり、若い選手たちに同行してGPSを回るような日が来るのだろうか。その見通しについてたずねると、安藤はこう答えた。

 

「ハビとの関係がどうなるかによりますね。彼はきっとプロのスケーターになるでしょう。今はわかりませんが、以前は彼もコーチになりたいと言っていたんですよ。もしも私たちが将来も一緒にいて、いい関係を続けていけていたら、そのときにふたりで決めるんだと思います。私たちがどこへ行って、どこでコーチをし、どこで生活していくのかをね。でも、どこかの時点、どこかの場所で私はコーチになっているんだろうな、と思います。そのときには拠点となる場所を見つけているでしょうね」

 

 

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2010-11シーズン。インタビューにあるようにこのシーズンの美姫さんは本当に強かった。

2010全日本フリー。剛と柔が共存する強靭な演技、直後の足ドン!、モロゾフ近いぞ、今は懐かしいお塩実況とともにどうぞ。

 

 

3.11東北大震災からわずか1か月半後に、急きょ東京からモスクワに舞台を移して開催された2011ワールド。それまでの「ジャンパー」というイメージをくつがえすしなやかな表現力を、このシーズンの彼女は身につけていました。

中でもエキシのアンコールで滑った「レクイエム」がすごかった。当時Jスポの解説をしていた田村岳斗さんが、演技後一瞬絶句して、「ジャンプがなくてもスケーティングと演技でここまで見せられるとは…いやあすごい」と感心していたのを憶えています。私もテレビで見ていて、生まれて初めてフィギュアで泣いた演技でした(今はトシのせいか涙もろくなってしょっちゅう涙腺ゆるんでますけど^^;)

 

 

インタにもありますが、このシーズンはもともと休養するつもりでエキシを3本作っていたんですよね。3本のうちなぜかあまり人気がなかったらしく、滑る機会が少なかったプログラムがこれ。今でも美姫さんのエキシで3本指に入るほど好きです。またこういうプログラム滑ってほしいな。

 

 

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カテゴリ:安藤美姫 | 18:50 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
安藤美姫 復帰戦のネーベル、SP2位で好発進!
ここのところ仕事やら仕事やら仕事やらで、更新がずーっと滞ってしまいました…。
そうこうするうちにJGPは佳境、いよいよネーベルホルン杯も始まって、全然情報に追いつけていませんが、とりあえず安藤美姫選手!
急きょ決まった大会でどんな演技を見せてくれるのか、世界中のフィギュアファンがかたずを飲んで見守っていた感がありましたが、みごとな演技でしたね! 五輪出場要件であるミニマムポイントも軽〜くクリア。いやあ、すっごい身体能力と精神力の持ち主なんだなあと改めて感じ入ってしまいました。
このSPについての記事が、9月26日付でおなじみのIcenetworkにあがっていましたので、ざっと訳してみたいと思います。

元記事→Ando makes successful return to competition



「安藤、競技にみごと復帰」
母親になった安藤「マイウェイ」で意見表明、キムはGPを棄権

安藤美姫は、自分のやり方(her way)を貫いている。

2年半ぶりの試合となった2013年ネーベルホルン杯で、二度のワールドタイトルをもつ安藤美姫は、SPで完璧に近いジャンプを決め、確かな演技で59.79をマークして、日本のオリンピック代表候補として名乗りをあげた。

SPの曲は「マイ・ウェイ」。ポール・アンカが作詞した、人間の個性を歌いあげた賛歌で、アメリカではフランク・シナトラの歌として有名な曲だ。25歳の安藤は、娘を出産してわずか6か月にもかかわらず、状態のよさを示した。

冒頭の3Lz-2Loのコンビネーションはセカンドループが回転不足と判定されたが、続く3Loと2Aはきっちりと決めた。スピンでは少しポイントを失い、3つのスピンのうち2つがレベル3、残る1つはレベル2とされた。ステップシークエンスはレベル3だった。

彼女のSPのパーソナルベスト67.98には遠く及ばないが、オリンピックと世界選手権出場に必要とされるミニマムTESである20を大きく超えてTES30.13をマークした。土曜日におこなわれるフリーでもミニマムTES36を越えなくてはならない。

「今朝の練習では全然緊張していなかったんです。でも衣装を着たとたん、“ああどうしよう、試合なんだ”って思っちゃって」SPの後、明らかにほっとした表情を浮かべた安藤は、ミックスゾーン(取材用スペース)で記者たちに英語でそう語った。

「演技をしている間、お客さんが拍手をしてくれたのが、プログラムを最後まで滑りきる後押しになりました。コーチのValter Rizzoが、各エレメントに集中するよう言ってくれました。彼のおかげでいい感覚で滑ることができました」

SPの振付をおこなったのは、1988年五輪アイスダンス金メダルのナタリア・ベステミアノワと、その夫で元ヨーロッパチャンピオンのイゴール・ボブリンだ。フリーはストラビンスキーの「火の鳥」で、振付はリー=アン・ミラー。

安藤は7月はじめ、テレビのインタビューで実は娘を出産していたことを告白し、日本のメディアに騒動を巻き起こした。プライベート上の観点から、娘の父親が誰かは明らかにしない道を選んだ。娘の名前は日本語で「ひまわり」という意味だ。

「SPを滑る前、私は自分の赤ちゃんのことを思っていました。ここドイツに一緒に連れてきているんです。今は私の母が世話をしてくれています。(娘のことを考えると)幸せな気分になるんです」

「スピンや感情表現の面でもっと向上しなくてはならないことはわかっています。でも4月に出産してから、練習できた期間がとても短かったんです。出産後ひと月でリンクに戻りました。今日の演技が終わったときにはすごく嬉しかったけれど、もっと感情を強く表現するべきでした」

イタリア人コーチのRizzoは、ネーベルホルン杯の直前の1週間、彼の本拠地であるミラノで安藤のコーチングをおこなった。Rizzoは以前、2011年まで安藤のコーチだったニコライ・モロゾフのアシスタントとして、安藤の指導にかかわった経験がある。日本では、安藤を子供時代にコーチングしていた門奈裕子がコーチをつとめている。

「2年以上競技していなかったにしては、非常によい最初の演技だった。明日どうなるか見守っていきたい」とRizzoは語った。

これで安藤がこの大会で優勝する可能性も出てきた。ISUの役員が記者たちに語ったところによると、現五輪金メダリストである韓国のキム・ヨナは、足の怪我のため6週間氷に立てないため、今季のGPSアサインであるスケート・カナダとエリックボンパール杯を欠場することになった。もしも安藤がネーベルホルン杯で優勝し、250ポイント獲得すれば、安藤はISUの非公式GPS補欠リストの女子トップ5に入ることになり、キムの代わりにカナダとフランスに招待される可能性もある。

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  かなり緊張していたらしく、最初は動きもちょっと固いかなあという印象でしたが、URをとられたとはいえルッツを含む3つのジャンプをほぼ完ぺきに決めたのは、さすがとしか言いようがありません。後半は記事にもあるように、お客さんのあたたかい雰囲気に励まされて、いい笑顔が出ていましたね〜。
さっそく動画を上げてくださっている方々、いつもありがとうございます。




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カテゴリ:安藤美姫 | 09:57 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
え、カロ引退を検討?
最近すっかり不規則な生活が定着してしまったワタクシですが、またまた変な時間にtwitterをのぞいていたら、
明け方にこんなビッグニュースが…。icenetworkの7月6日付の記事です。

元記事はこちら→Kostner may retire, Ando committed to competing



「コストナー引退を示唆、安藤は競技復帰へ」
昨季と昨々季のふたりの世界女王、対照的な方向へ

現世界女王のカロリーナ・コストナーが、イタリアの雑誌に対して、現役引退を検討していると語った。一方、2011年世界女王の安藤美姫は、今秋のグランプリシリーズに出場する意思を改めて明らかにした。

「世界で最高のステージに上り詰めることができたので、私は幸せです。(ふつうの)生活を取り戻す道を選ぶかもしれません」コストナーは週刊誌「Gente」にそう語った。「これは難しい決断です。もう2、3週間、じっくり考えてみたいと思っています」

コストナーはキャリアで最高のシーズンを終えたところだ。昨季はグランプリファイナル、ヨーロッパ選手権、そして世界選手権でいずれも金メダルを獲得した。
だが、今は25歳。現役選手の中では最も高齢なほうになる。

「この10年間、私は自分のすべてをフィギュアスケートにささげてきました。友人や愛情にさく時間を犠牲にして、ひとつひとつの勝利のためにとても苦労してきたんです」

今後はコーチになりたい、また大学に戻って学位を取りたいと思っているという。
「その後はある夢を持っているんです。それは演劇やオペラにすべての時間を使って専念したい、ということです」

安藤はグランプリシリーズに参戦へ

今週、東京で授賞式に出席した安藤は、この秋のグランプリシリーズに出場し、グランプリファイナル優勝を目標にかかげたいと、「スポーツ報知」の取材で語った。
また、最近まで滞在していたスイスですでにショートプログラムの振付を終えていること、ショートに3回転‐3回転のコンビネーションジャンプを取り入れたいと思っていることを明言した。2014年のソチ五輪まで現役を続けるのかという質問には、明確な答えを避けた。

昨季は完全休養していた24歳の安藤は、今季は中国大会とフランス大会へのアサインが決まっている。

先月、彼女は「China Daily」の取材でこう語っていた。「今年はまだ試合に出る準備が整っていないんですが、グランプリシリーズに出場したくなった場合に備えて(ISUの)書類にはサインしました……まだ競技に向かう気持ちができていないけれど、契約書にサインしたから、精一杯がんばるしかないですね。どうなるか様子を見てみます」


icenetworkでは、この写真にこんなキャプションをつけています。「キム・ヨナの復帰はライバルのキャリアプランに影響を与えるだろうか?だとしたら、コストナーと安藤は対照的な反応を見せたことになる」うーむ…。

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 なんとなんと!カロリーナはついこの間、ドリーム・オン・アイスで素敵な新EXを披露してくれたばかりだったのですが…。
まあ、ヨナの復帰が理由ということはないでしょうけど、ワールド優勝でひと区切り、という気持ちなのかもしれませんね。
それにしても…「演劇とオペラ」?ええっと…女優か歌手になるってことでしょうか?それとも劇作家?この記事、イタリア語からの英訳らしく、ややわかりにくいところもあるので、続報を待ちたいと思います。

美姫ちゃんのことは、日本では数日前に報道されていましたね。twitterでの不安的なつぶやきや、記事にもあるChina Daily誌へのコメントなど、ここのところ気持ち的に揺れていたみたいですが、とうとう決断してくれたことはファンとしてとてもうれしいです。
だいたい、本当にダメなときはツイートもできないですからね。「鬱ツイート」は元気な印!ww
ショートはランビエール振付らしいですね。どんなプログラムで、どんな演技を見せてくれるのか、今からすごく楽しみです。応援してますよー!!

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あの日から1年



今日は3月11日。あの日から1年がたちました。
たくさんの、たくさんの方が命を落とされました。いまだ行方のわからない方もいます。
そして、多くの方が家族や友人や仕事や生活を奪われました。
原発周辺には今でも恐怖と絶望の中で暮らしている方たちがいます。

この日について、何か書こうとしたのですが……書けそうもありません。
被災者でもないのに胸がいっぱいになってしまい……だめですね。

なので、一フィギュアスケートファンとして、安藤美姫さんの動画を貼っておきたいと思います。
震災でモスクワ代替開催となった去年の世界選手権でのエキシビションです。
EXを見て泣いたのは、この時が初めてでした。今でも見るたびに涙腺が壊れてしまいます。


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今、苦しんでいる方たちが、できるだけ早く笑顔をとりもどせますように。



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