ジョシュア・ファリス、現役復帰。icenetworkインタビュー

じょ、ジョシュアの約1年ぶりのつぶやきです…

 

 

ジョシュアが戻ってくる――。

 

2016年の夏、あのすばらしくも悲しい引退インタビューを書いたニック・マッカーベル記者が、今度はすばらしい復帰インタビューを記事にしてくれました。

 

めったに自分の声をSNSに上げないジョシュアですが(それにはシャイな性格以外に理由があったことを、去年の記事で知ったのでした…)じつは家族や友人、コーチ、医師など、まわりの人々からすごく支えられてきたんですね。そして、彼自身がとても強い人であることを、今回改めて知りました。

 

おかえりなさい、ジョシュア。決断してくれてありがとう。神様、治してくれて本当にありがとう。


元記事はこちら→For the love of the sport: Farris announces return
Posted 2/8/17 by Nick McCarvel, special to icenetwork

(時間がなくてざっと訳なのでもし間違い誤訳誤字などあったらすみません)

 

 

 

「スケートへの愛のために:ファリス現役復帰を発表」

 

これは忍耐と勇気と情熱、そして何よりもスケートへの愛の物語だ。主演はジョシュア・ファリス。

 

2015年夏に連続して複数の脳震盪にみまわれたファリスは、今後さらなる脳震盪を起こす危険があるとの理由から、2016年夏に現役を引退した。だが今、脳震盪が完治し、医療チームからのゴーサインも出て、彼は試合に復帰することを念頭にリンクに帰ってきた。

 

そして彼はちっとも変わっていなかった。

 

「僕は自分自身のために滑りたいんです」今週はじめ、ファリスはicenetworkとの独占電話インタビューでそう話した。「結果のためではなく、スケートへの愛のために滑りたい。滑るために滑りたいんです」

 

当面の目標は、ただ氷に乗ること、健康でいること、滑ることだ。長期的な目標はまだ具体的には決まっていないが、それでもファリスは今、コロラドスプリングスの〈ブロードムア・ワールド・アリーナ〉に、クリスティ・クラールとデーモン・アレンをコーチとして戻ってきている。すでに3Aを跳んでいるという。

 

●気持ちの変化

 

僕が最後にファリスと話したのは、彼の人生で最悪の時期が終わろうとしている頃だった。2015年全米選手権で3位となり、世界選手権デビューも果たした(結果は11位)あと、彼は練習で4Tを跳ぼうとして転倒し、頭を打った。その後すぐに、さらに2回の脳震盪にみまわれた。

 

「長く苦しい1年でした」去年の6月、彼はそう言った。「滑り続けるのは危険が多すぎると、正式に判断しました。脳震盪の再発への恐れをいだくことなく生きていきたいんです」

 

ところが、引退発表から数か月後、その判断は間違っていたのではないかと思い始めたという。ファリスはワールド・アリーナでコーチをしていたが、時がたつにつれて症状はよくなっていった。そこで、医師に相談してみた。(引退を決めた当時)医師たちは、完治すれば脳に損傷が残る危険性はなくなると言っていたからだ。

 

「でも、引退を決めたとき、僕はまだ鬱状態にありました。それ以降、考え方が変わったんです。」

 

競技から離れている間、ファリスはプロホッケーの大ファンになっていたのだが、ホッケーのような激しい接触スポーツで、選手たちがどんな犠牲を払っているのかわかったという。氷の上で戦う戦士たちを見て、自分もそうなりたいと思うようになった。

 

「僕は幸運だったんです」とファリスは話した。「治療にかかわってくれた医師たちは、医師のチェックを受け続けるのであれば、現役に戻ってもだいじょうぶだと確約してくれました。ただし、プロホッケー選手になるのでなければ、ですけどね」

 

●決意

 

自分がどれだけスケートを愛していたか、離れてみて初めてわかったのだと、ファリスは言う。昨年9月か10月頃までは引退したことをあれこれ考えることはなかったが、11月はじめに本格的に練習に戻ったとき、次に何をすべきか悟ったのだという。

 

「練習は思っていたよりずっとうまくいきました。感謝祭の直後ぐらいには、『トリプルアクセルが跳べているんだから、もう一度復帰してみても全然かまわないんじゃないか?』と思ったんです」

 

これほど長く休んでいたにもかかわらず、ほとんど状態が落ちていなかったこと。このことによって、ファリス自身や一緒にリンクにいた人たちも、彼が今の男子フィギュアにおいて最高の才能の持ち主であることを改めて知ることになった。

 

「スケートを再開し始めたばかりの頃、リンクにいた人たちに『今までずっと滑っていたの? 週末の休みをちょっと長めにとっていただけみたいに見えるね』と言われたんですよ」ファリスはそう言いながら笑った。「それで気づいたんです。そうか、僕はフィギュアスケーターとしての才能にすごく恵まれているんだなって」

 

感謝祭の休暇でダラスに住む父親ロッドのもとを訪ねたときには、自分の中で気持ちは固まっていた。

 

「父はスケートにかかわるいろんなことで、とても助けになる人です。で、このことを父と話しているうちに、『よし、やってやろう。僕はできる』という気になったんです」

 

クラールとアレンの両コーチにはこれまでも何かと相談してきたが、ファリスはふたりに今の気持ちと決心を伝えた。アレンコーチと話をしたのは12月はじめのことだった。

 

「デーモンのところへ行って、こう言ったんです。『あんなふうに(キャリアを)終わることはできない。戻って戦いたいんだ』と。そしたら、アレンは『わかった』と。彼もクリスティも、僕はまだ終わったわけじゃないとわかっていたんだと思います。僕のまわりにいた多くの人は、まだ僕はスケートをやめるべきじゃないとわかっていました。僕ははじめ、彼らは間違ってる、ただの希望的観測だと思っていました。でも、彼らは正しかったんです」

 

●復帰への長い道のり

 

練習を再開したのが11月はじめ。今はジャンプも毎日跳んでおり、エッジ使いも現役時代より上手く、より深くなっているのだそうだ。オフアイストレーニングや体力づくりにも励んでいるが、これらの面についてはまだ不足していると感じている。

 

復帰戦については、初夏から真夏にかけて行われる大会への参加を考えている。2シーズン休んだことにより有効なポイントはすべて失ったため、アメリカスケ連からGPSのアサインを与えられるには自分から嘆願書を出す必要がある。

 

アメリカスケ連は、ファリスは2015年世界選手権で12位以内だったため、規定によって「復活した選手」として扱うことが可能である、とのコメントを出した。ということは、シニアB大会への出場資格があり、夏の大会への出場をこなせばGPS(最も可能性があるのはスケート・アメリカ)への資格も得ることになる。

 

五輪シーズンに復帰することになるが、目指すものは平昌五輪ではないという。

 

「五輪に出られたら嬉しいかと言われれば、はい、嬉しいですし、手が届く可能性があるかと言えば、あると思います。でも、それが最優先事項かといえば違うんです。僕は自分のために戻ってきたいんです」

 

「この話をしたら、みんなすごく喜んでくれました。僕の周囲の人はみんな、僕がまだ終わりじゃないとわかっていたんだと思います。僕が味わった『トラウマ』を乗り越えられたことを、だれもが喜んでくているんだと思います」

 

●新しいジョシュア

 

そのトラウマについて、ファリスは今、話をすることができる。だが、その数か月間、それは暗い現実だった。脳震盪のため、明るい照明がついた部屋にいることができなかったため、暗く静かなところに何時間もこもっていなくてはならないこともあった。音楽とギター、そして両親やスポーツ心理学者のキャロライン・シルビーと話すことが助けになった。

 

これらの時間が、自分が誇れる人間、試練にみまわれても果敢にチャレンジできる人間へと成長するチャンスをくれた、とファリスは言う。ワールド・アリーナではマックス・アーロンとよく顔を合わせたし、ジェイソン・ブラウンもファリスの状態や回復具合を気にかけて定期的に連絡をくれていたという。

 

ファリスは引き続き母と暮らしており、ワールド・アリーナでのコーチ業も続ける予定だ。クラールとアレンの両コーチがいれば、以前よりもっといいスケーターになれるだろうと、彼は考えている。

 

ファリスはなめらかで変化に富んだスケーティングが持ち味だが、そのキャリア中ずっと、いろいろな理由から試合で力を発揮することがなかなかできなかった。だが、休んでいる間に冷静さを身につけ、メンタルの状態も変化したため、元と同じ悪いパターンにおちいることはないと確信しているという。

 

このことは、クワドについて質問した答えに明確にあらわれていた。

 

「クワドは絶対に挑戦したいと思っています……いや、『挑戦する』はやめておこう。クワドは跳びます。休んでいた時間が、過去の僕の悪い習慣を取り去ってくれていたらいいな。今は自分をきたえ直し、平静でいられるようになったんです。以前は一生懸命やりすぎていました。クワドは簡単なものではないけれど、当たり前のジャンプの一環として取り組まなくてはならないものだと思います。」

 

●確かなもの

 

これまでの2年間をどう表現すればいいのか、まだちゃんとはわからない。だが、今は自分に自信が持てている。それが一番大切なことだと、彼は言う。

 

「この2年が僕の人生の『もっとも暗い時代』だったのかどうかはわかりません。人はだれでも人生で暗い時期を経験するものですし。僕はスケートを離れて、人間として自分自身のことを理解していったんです。何かを失ってみて、それがどれほど大事なものだったのか初めて理解できます。それがこの2年間から得ることができた最大の教訓であり、最大の収穫です。今、僕にはこれからのロードマップ(道路地図、工程表)があります。今はまだ短期的な目標ではあるけれど」

 

これから自分の前に伸びている不確かな道を進んでいく上で、もっとも大切なもの、進んでいく意味をもっとも与えてくれるものは、家族的なつながりだという。

 

「僕には優秀でしっかりしたチームがついてくれています。彼らが『君は滑るために滑る。そのために戻ってくるんだよ』と思い出させてくれました。そう、だから僕は戻ってくるんです。自分のサポートチームのことを、僕はとても信頼しています。彼らが僕を呼び戻してくれたんです」

 

 

3週間前にこの写真をあげてくれたペアのマックス・セトレージ選手のインスタより。

アイスダンスのジョー・ジョンソン選手とともに、この2年間ジョシュアの近況をさりげなく楽しく知らせてくれてほんとにありがとう。

記事に出てきたマックスもジェイソンも、みんなほんとにあったかいなあ…

 

 

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ジュンファンくん、クリケ取材&医療サポート契約etc

あいかわらず仕事が終わらず、スケートはなかなか見れないわ、生活時間帯はぐちゃぐちゃだわの今日この頃アセアセですが、とりあえず全米男子とユーロ女子まで見終わりました。

で、ものすごーく今ごろですが……ジェイソンのフリーすばらしかったですね! 演技が始まるまでの不安な表情とうってかわって、氷に立ち演技を始めた瞬間からどーっとあふれ出すものがあり、涙が出てしまいました。あの表現者としての才能は何なんでしょう…。

 

さて、ジェイソンではなくまたまたジュンファンです汗

 

世界ジュニアまでジュンファンくん関連の情報は出てこないと思ってたら、嬉しい大間違いでした!

昨日2月2日、韓国のSBSテレビの夜のニュースで、クリケットクラブでの練習の様子を伝えるミニ特集が放送されたもよう。

この動画を含め、1月のナショナル以降アップされて、ヘビロテさせていただいている動画をちょっと載っけさせていただきたいと思います〜(動画主さま方、いつもいつも本当にありがとうございます〜)

 

 

 

SBSのクリケレポ。無人に近いリンクは早朝でしょうか? オーサーとウィルソンと共に振付のブラッシュアップをおこなっているもよう。ナショナルでは靴の問題があったけれど、今は大丈夫そうかな? ちょっと安心。

オーサーとハイタッチする顔がめっちゃうれしそう(笑)

 

 

ウィルソン「ジュンは非常に才能がある。ヨナがそうだったのに似ている。音楽に対するすばらしい耳があり、動きの可動域が広い。体の動かし方がよく、表現する力がある」ふむふむ。ウィルソンはヨナの耳をすごく高く評価していたそうですが、韓国のインタビューとはいえそんなヨナと比べられるぐらい、やはり音感を評価されているんですねぇ。

ジュンファン「技術的なことも重要ですが、ジャンプ以外の要素もとても大切だと思っているので、表現力などの部分を練習しています」(グーグル訳

 

【追記】

追加で出た記事によると、ウィルソンはこんなコメントをしているそう。

「数年前に韓国を訪問した際、若いチャ・ジュンファン選手が練習している姿を見る機会があった。彼はすばらしいスケーターであり、本物のパフォーマーになる資質を持っていると、その時に感じた。彼は表現力の面で、以前のキム・ヨナのような、音楽を完全に理解する力、感情を身ぶりで美しく表現する優れた能力を持っている」

おお〜、数年前というのは、ヨナのショーの練習か、あるいはウィルソンが審査員をつとめ、ジュンファンくんがペアスケートにチャレンジした『キム・ヨナのKiss & Cry』のことでしょうか? もし後者だとしたらなかなか感慨深いものがあります!

また、韓国SBSでは2月9日に今回のクリケ取材の特集放送があるそう……どこでもドアぁ〜 kyu

 

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ナショナル後には韓国の病院との医療サポート契約も発表されましたね。この病院がアップしてくれた動画がすごく高品質な上にやたらめったら可愛くてーアセアセ 

 

 

病院はソウルにある「自生韓方病院」というところで、新体操のソンヨンジェ選手や有名サッカー選手も訪れる病院だそう。

この病院のブログがまた充実していて、これによると、「2018五輪で男子初のメダルに挑戦するチャ選手」がよい成績をおさめられるよう、1月18日に医療支援契約を結んだとのこと。演技に集中できるよう専門の医療スタッフを派遣し、漢方治療や鍼治療、マッサージ療法などで負傷防止プログラムを実施する予定。契約式では病院長から、この病院自慢の漢方薬を贈られたとか。

ここ数年、成長痛やらいろいろ抱えていただけに、心強いですね!

 

 

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動画ではないけれど、オーサーコーチに取材したコラム

 

オーサーはヨナといろいろあったこともあり、韓国選手を受け入れることをためらっていたらしい。だけどジュンファンくんだけは、将来トップクラスの選手になれる逸材と判断し、例外的に受け入れたんだそうです。

その他、ヨナとの経緯なども書かれていてなかなか興味深いコラムです。もしよかったらグーグル翻訳などで読んでみてください。

 

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最後は、いつもお世話になっているAARONさん(ナショナルの朝のサブリンクでの練習動画をアップしてくださった方)の動画です。貼り付け禁止なのでリンクだけ。

韓国ナショナル2017のジュンファンくんの演技以外の全記録と言っても過言ではない動画たち……感謝!

 

★1日目 公式練習→ https://youtu.be/CPFSBZvNFvA

 

★2日目 公式練習+6分間練習→ https://youtu.be/Qy4DW4_IqOI

 

★3日目 6分間練習→ https://youtu.be/igsVb3ZOYUI

 


…さて、朝になったのでお仕事にもどるとしますかね… Aネコ

 

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カテゴリ:チャ・ジュンファン | 05:50 | comments(15) | trackbacks(0) | - | - |
ネイサン、おめでとう。 2017全米

ううう、ネイサンの全米選手権フリー、今日やっと見れました。

珍しく仕事が重なってしまった上に雑事も山積みで、今年は全米も全カナダもほとんど見れていないのです。リア充友人からSNSメッセージが来たついでにユーロが今日からだと知る始末…orz

去年もこの時期に入院しちゃったんですよね。1年のほとんどは暇こいてるというのに、フィギュア的にクライマックスのこの時期に限って仕事が重なるのはなぜなんだ(;_;)

 

…というわけで、遅ればせにもほどがあるけれど、ひと言おめでとうを書いておきたくて。

 

ネイサン、初の全米シニアチャンプ、おめでとう!!きらきら手ぴのこ:)ヤッタvき

 

思えば私が初めてネイサンにイッツフォーリンラブ!したのは、初の全米ジュニアチャンプになった2012全米のエキシだったのでした。

 

 

Jスポで放送されたエキシで、並みいるシニアたちの中でこの少年が一番キラキラ輝いて見えたんですよね。ジャンプはカリッとcrisp!だし、スケーティングは綺麗だし、音感は抜群だし踊れるし、かといって変にませてなくて、洗練されているんだけどすごく素直な演技だなあと。今見ても才能をビシビシ感じるし、第一かわいい^^

翌シーズンにJGPデビューすると、初戦で圧勝。そのまま王者街道をつっぱしるかと思いきや、成長期にともなう足の怪我やらインフルで高熱やらで不本意だった数シーズン。やっとやっと、去年の全米で実力を開花させたと思ったら、骨折…。とうとう世界ジュニアチャンプになる機会を失ったときにはさぞ悔しかっただろうなあと思います。(もちろん今年も年齢的には世界ジュニアに出られるけれど、シニアトップクラスとなってしまった今はもうありえないかな)

今となっては、2013福岡JGPFでジュニア時代のネイサンを生で見れたのが懐かしい…。あのときは3Aですっころんでばかりだったし、演技も内向的な印象だったネイサンが、とうとう全米チャンプに! 感慨深いなあ〜。よくがんばったなあ。

 

 

アメリカのNBCがすてきな動画シリーズをアップしてくれたので、記念に貼らせていただこうと思います。

 

 

「10歳のネイサンから17歳のネイサンへ」初めて全米ノービスチャンプになった2010全米エキシですね。フリーで1ミスしちゃったのが悔しくて、エキシでフリーをまるまる滑ってノーミスしたんですよね。やっぱり根っから勝ち気。

 

 

 

ネイサン「氷に足を踏み出すと自然にグライドする感じが最高。難しいジャンプを着氷すると病みつきになって、もっと跳びたくなるんだ(笑)」

 

 

 

全米SPフル動画。実況「来年の五輪でアメリカ男子が金メダルをねらえるとしたら…プレッシャーはかけたくないが、そんな期待がかかるこのネイサン・チェン」(゚∀゚;)

 

 

 

10歳のときのインタ。激カワな中にすでに将来の事件性を予見するものが…。女性「どのオリンピックであなたが勝つのを見られるかしら?」「ええと…2018年です」(゚∀゚)

 

 

 

ネイサンのプロモビデオみたいな動画。すっかり大人になりましたねー。「僕は基本的にシャイ。だけど氷の上にいるときはまったく違うクールな感覚になる。そうなれるのはスケートだけなんだ。GPFの演技は僕にとって大きな到達点だった。シーズン後半にむけてちょっとプレッシャーにはなるけど、大きなモチベにもなる。僕の一番のゴールは全米、世界、五輪のタイトルを取ること」

(7年前の「五輪で勝つとしたらいつ?」「2018年です」の動画を見ながら)「全然忘れてました(笑) あれから7年後に今みたいになってるなんてクレイジーですね。1試合1試合を五輪への大切なステップとしてとらえていきたい。この全米を勝てる力はあると思います」

最後のラファの "He wants it so bad. He wants to be a champion."(彼はそれをすごく欲している。彼はチャンピオンになりたいんだ)がドラマチックすぎて怖い(゚∀゚;)ですが、いい動画だなあ〜。

 

 

 

全米フリー。ジョニーが「クワドとか最高点とかといったものに加えて、彼はアーティストだ。誰をも惹きつける。彼の目、表情…すべてを持っている」と言ってますが、見るたびにワクワクさせてくれる、この強烈な磁力はものすごいものがあります。

 

 

ネイサンの時代が来るとしたら平昌以降から北京五輪になるかなと思ってましたが、強いスケーターというのは凡人の予想をはるかに超えた進化を見せますよね。ジャンプか表現かという論争など軽く蹴飛ばす進化っぷり。どこまで行くのか楽しみに見せてもらいたいと思います。くれぐれも体のケアだけはしっかりやっていただいて。

とりあえず、今回はブラッシュアップしていたというステップが5クワドの影に隠れちゃった気がしたので、四大陸ではその辺にも期待しつつ…それができたら本当に異次元ですけど!

では、仕事に戻ってきますーーー(-_-)(-_-)(-_-)

 

 

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ジュンファンくん、カナダへ出国前に公開練習

もうナショナルも終わったことだし、世界ジュニアまではいい加減ジュンファンくんの記事はお休みしようと思ってたんですが…^^;

 

 

昨日飛びこんできたこのニュース。韓国ではナショナル優勝者が公開練習をするのが恒例らしく、ジュンファンくんも1月15日のカナダへの出国を控えた12日、ソウルの泰陵(テルン)室内スケートリンクで公開練習と記者会見にのぞんだそうです。

 

数十人のメディアが集まったらしく、例によって韓国メディアからはドバーッと大量の記事と写真がアップされていまして、半分もチェックできていないのですが、把握できた範囲で新情報や個人的に興味深かったコメントをまとめてみたいと思います。(●はソース)

 

 

★クリケでは朝6時に起きて陸上トレーニング、午前7か8時から10時まで氷上練習。昼食後12時から午後3時まで氷上練習。休憩をはさんでまた陸上トレーニング。「家に帰ってからは食べて寝るのが日常です」練習時間は朝6時から午後9時まで。休憩をのぞいても、4時間の陸上トレーニングを含めて1日12時間練習しているんだそう。

★身長は今175僉趣味は特にない。「知識を積むために、これから本を読もうと思っています」テレビの芸能番組も見ない。代わりに、自分がうまくいったときの映像を繰り返し見ている。「試合前にもよかったときの演技を見ながらマインドコントロールをしています。SPは初めて顔の表情の演技に挑んだJGPドイツ大会の映像をよく見ています」

 

★世界ジュニアでは「練習してみて無理そうなら今のままでしょうけど、計画では4Sと4S-2Tを入れる予定です」サルコウ以外に4Loと4Tも練習しており、4Tは4〜5回のうち1〜2回成功するまでになっている。現在、世界の男子フィギュアをリードする羽生結弦については「誰かを越えなければならないと思ったことはありません。ただ自分自身を飛び越えたい気持ちが大きい。そう思えたときにはいつもいい結果が出せたと思います。世界ジュニアでも同じで、今季最後の試合なので、自分の演技をしっかり見せたいという気持ちだけです」 (以上

 

★フリー「イルポスティーノ」について「映画や曲の中のドラマチックな部分を思い浮かべ、この映画の中で描かれた『懐かしさ』を表現しようと努力しています」SBS解説委員は「彼には男子選手特有の力と女性選手の長所である繊細な演技力を兼ね備えた中性的な魅力がある」と評した。 

 

★チョコパイなどのCMモデルとして活動していた小学校2年生の時、演技活動に生かそうと家の近くのアイスリンクでフィギュアのレッスンを受けたことがきっかけで、フィギュアの世界にはまった。「最初は滑っているとき涼しい風を顔に受けるのが気持ちよかった。その次には新しい技術を学ぶのがおもしろくてフィギュアを続けた。そうしたら、いつのまにか選手としての人生が日常になりました」

★最近は体力増強トレーニングをしている。所属事務所の関係者は「階段を駆け上がるなど、ジャンプ力向上に必要な筋肉を育てています」体力補充のために買い食いを奨励し、肉中心の食事を徹底している。今回のナショナルでもショートとフリーの前日の夜に、それぞれカルビタンと豚カルビを食べた。

 

★4Tについて「来季は実戦で入れてみたい気持ちがあります」ジャンプ練習中に指を怪我したことがあるが、ジュンファンはこれを「栄光の傷」と考えている。「フィギュアは手ではなく足するものですからね。あはは。」(以上
 

★ナショナルのときにスケート靴が壊れてしまったため、現在は予備の靴で練習をしている。この日もジャンプは跳ばなかった。「新しい靴が来ると3日ほど練習して、自分の足に合うかどうかテストします。今回は世界ジュニアまで余裕があるので、ゆっくりと見つけようと思います」(

 

★足のサイズが少しずつ大きくなっているようで、現在は26.5僉4愀玄圓蓮屬發型靴靴しい合わなければ、世界ジュニアは既存の靴でのぞむことになるかもしれません」(

 

★ロールモデル(お手本となる選手)は特にいない。羽生とは練習のとき挨拶する程度。2018平昌五輪のむけてまだ特に目標は持っておらず、どんな曲を選ぶかも決めていない。(

 

★羽生と比較されたり、男キムヨナと呼ばれることについては「羽生選手はシニアですし、僕はジュニアです。羽生選手を越えたいという考えはまったくありません。むしろ自分を越えたいです。羽生選手との親交は顔見知り程度です(笑)。男キムヨナという声は正直にいって負担に感じます。ヨナさんは女子選手であり、僕は男子選手です」(

 

 

てれネコ 趣味もなくテレビも見ない、とはよく書かれてますけど、想像以上に修行僧のようなスケート漬け生活。「急成長」と言われるけれど、成長の陰にはやはり不断の努力があったんですね。

スケート靴の問題は、どの選手もかかえていることでしょうけど、心配ですね。成長期の選手はそれだけ足のサイズも変わるわけで…選手もだけど親御さんも大変だ。ナショナルのフリーはテープぐるぐる巻きで滑りきったけれど、今度こそ合う靴が早めに見つかりますように!

 

 

さて、恒例の写真貼り貼りコーナーですw いやあ、練習着ってすばらしい♪

 

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カテゴリ:チャ・ジュンファン | 10:40 | comments(9) | trackbacks(0) | - | - |
祝!チャ・ジュンファンくん、ナショナル・チャンピオンに!

き차준환 첫우승 축하합니다!! 새로운 국가 챔피언!!き

 

「チャ・ジュンファンくん初優勝おめでとうございます!! 新ナショナルチャンピオン!!」

…のつもりなんですけど合ってるでしょうか^^;

 

2017.1.6-8に行われた第71回韓国ナショナル。ジュンファンくんはSPノーミスで、参考記録ながらPB越えの81.83点。フリーは惜しくも終盤の3連で転倒して156.24点。総合ではJGP横浜で出したPB239.47点にせまる238.07点で、みごと初優勝を飾り、晴れて世界ジュニアへの切符をつかみました。本当におめでとう〜!

 

 

SP:動画主さまのファン動画

 

 

 

フリー:動画主さまのファン動画。高画質でキスクラ入り〜ありがたや!

 

フリー:KBS放送バージョン

 

 

 

メダルセレモニー:動画主さまのファン動画。今回もブーケの香りをかぐジュンファンくん(;∀;)

 

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カテゴリ:チャ・ジュンファン | 04:07 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
ジャパン・タイムズ 安藤美姫 ロングインタビュー

今月3日、ジャパン・タイムズの記者・ジャック・ギャラガーさんが安藤美姫さんにインタビューした記事がアップされていました。もうとっくに読まれた方も多いかもしれませんが、これがめっちゃ長い! 仕事の合間にちょこちょこ訳していたらこんなに時間がかかってしまった…。

ギャラガー記者はほかの日本メディアではあまり見ない、独自の視点から記事を書かれることが多く、時に彼の好みや主観がたぶんに含まれることもあって、「自分のブログでやって(笑)」と思ってしまうこともあるんですが、毒舌も辛口意見も対象スケーターやフィギュアという競技への深い関心があるからこそなんだろうな、と私は感じています。まあ自分の感覚と合わないと思うことも時にはないこともないけれど、均質的で情報量が少ない記事が多い他メディアよりは、ずっとおもしろく読ませていただいています。

 

さて美姫さんインタビュー。

現役引退後も公私ともに世界をまたにかけて、フィギュア界の主たる登場人物であり続けている美姫さんですが、華やかさの一方で、ずっとぶれずにコーチへの夢を持ち続けているんですね。そしてハビの存在に本当に助けられたのですね…。

 

(元記事)

Release and renewal: Ando’s life full of joy, challenges BY JACK GALLAGHER JAN 3, 2017

 

 

「解放と再生:安藤の人生は今、喜びと挑戦に満ちている」

 

引退したアスリートたちは、試合にともなうさまざまな制約から解放され、違う道へと進む者も多い。ビジネス界に入る者、テレビの世界に入る者、コーチや監督になる者もいる。

 

過去2度世界女王に輝いた安藤美姫の場合、それらのすべてだ。

 

毎月数日は各地を移動しているという彼女の多忙なスケジュールを見れば、元スケート界のスターはかつてよりもっと人気者になったようだ。

 

先月29歳になった安藤だが、スケートやそれ以外の活動で、世界と日本のあちこちでその姿を見かけるようになった。ローマやマドリードのアイスショーに出演し、スペインやオランダのスケート合宿にコーチとして参加し、かと思えば東京や札幌にいる。それらすべてが、名古屋生まれの安藤の新たな忙しい人生の一部だ。

 

2度の五輪出場の経験もある安藤は、2013年の全日本選手権後に引退した。その後、フィギュア選手だった日々から次のステップに移行するために、幼子の母親でありながら多忙なスケジュールをこなしてきた。これにさらに世界選手権2連覇中のハビエル・フェルナンデスとの長距離恋愛も加わって、彼女の生活は目いっぱいの状態だ。

 

僕は昔から安藤に対して深い称賛の念をいだいてきた。従順さをよしとする日本において、安藤は彼女らしいやり方をつらぬき、保守的な慣習や年功序列のシステムの枠にはめられることを拒否してきた。

 

Ice Time(ジャパン・タイムスのフィギュアコラムの名称)との単独インタビューで、安藤は自身の仕事、恋愛、夢、そして未来について語ってくれた。

 

安藤によると、その第二の人生は大して計画を立てることもなく始まったらしい。彼女の知名度や人脈によって、ただ自然に発展していったのだという。

 

「フィギュアは今すごく人気ですし、私は元フィギュア選手だったから、テレビ界の方々が私に興味をもってくださったんです。競技していたときとは違うキャラクターを持っていると言ってくれて。私のほうもできるだけスケジュールを入れて、知名度を維持したいと思っていました。でないとすぐに忘れられてしまいますからね」

 

テレビに頻繁に出るようになった安藤だが、1つの分野にとどまりたくはないという。

 

「単にテレビタレントでいたくはないんです。私の本業はフィギュアスケーターです。私がテレビ番組に出られるのは、かならずスポーツがらみの理由です。いろいろなイベントに参加できるのも、スポーツまたはフィギュアスケートのおかげなんです」

 

特に多忙なのは春と夏だという。

 

「春夏はスケートのショーで忙しいから、テレビのお仕事をするのは難しいですね。ある都市でショーとリハーサルをやって、家に帰ってきて、2日後にはまた違う都市に出かける、という感じなので」

 

安藤のSNSを見ると、彼女は国内外のさまざまな場所で仕事をしている。これらの機会がどのように訪れたのか聞いてみた。

 

「お仕事についてはいろいろな経路で声をかけていただいています。私は公式Facebookを持っていて、私とまったくツテがない方はFBでメッセージをくださいます。テレビ界の方々はお互いに知り合いなので、情報を共有し合っているんです。スケート関係のお仕事の場合は、私は日本にも海外にもたくさんの友達がいるので、彼らはインスタグラムやツイッターのDMを通して連絡をくれます」

 

安藤の娘・ひまわりは、彼女がソチ五輪をめざして現役に復帰すると発表した後の2013年4月に生まれた。このニュースは驚きをもって迎えられ、メディアに騒動を巻き起こした。

 

「正直に言うと、98パーセントの方が否定的にとらえていましたね。現役選手でありながら出産、とテレビのニュースになりましたし、それに五輪イヤーでもあったし。また、一般の方々からすると、アスリートとして敬意がないと思われたんです。すでに現役復帰を発表したあとでしたから。多くのスポーツ関係のコメンテーターが復帰は不可能だろうと言っていました」

 

それほど多くの人が否定的なリアクションをした本当の理由は何だと思いますか?とたずねてみると、安藤はこう答えた。

 

「当時思ったのは、私がアスリートなのに未婚のまま子どもを産んだこと。それが理由だったんでしょうね」

 

自分が妊娠していることを知ったときは彼女自身驚いたという。

 

「5か月目に入るまで妊娠に気づいていなかったんです。つわりも全然なかったし、まったくふだんどおりでした。でも血液検査をしてみたら…。そのときもスケートをしていたので驚きました。でも、それは幸せなことでした」

 

安藤はさらに、女性アスリートが正常な月経サイクルを維持することの難しさについても語った。

 

「(女性の)アスリートの場合、妊娠しにくくなることがあります。私たちは苛酷なトレーニングをしているので、赤ちゃんをもてない場合があるんです。私にとってスケートはすごく大切なものですが、スケートをやめた後も長い人生が続くんだと考えるようになったんです。将来ふつうの生活を送るようになれること、それが私には一番大切なことでした。赤ちゃんを授かったのは運命だと考えて、それを受け入れようと思ったんです」

 

僕は爐劼泙錣”という名前の由来について聞いてみた。

 

「ひまわりはいつも太陽のほうを向いています。私は花に対して、例えばバラならきらびやかで強くて美しい、桜はきれいでかわいい、といったイメージをもっています。ひまわりという花は、見るたびによいエネルギーをもらって、自分が強くポジティブになれるんです。娘がひまわりみたいになれたら――ひまわりのようにたくさんの愛のほうを向いてくれたら、と思いました。娘に会った人はだれでも――私のファンの方々も私の家族も、だれもが娘からよいエネルギーをもらえる、そんな人になってほしかったんです」

 

現在横浜に住んでいる安藤は、忙しいスケジュールの中で可能なかぎり娘と一緒にいられるよう努力しているという。

 

「お仕事があるときは母が面倒をみてくれていますが、アイスショーのときは一緒につれていくんです。テレビやイベントのときは母に頼みます。それが私の仕事だと娘はわかってくれています」

 

* * *

 

安藤はその華々しいキャリアの中で多くの輝かしい実績を収めてきた。2004年には世界ジュニアで優勝、全日本ジュニアとシニアでそれぞれ3度優勝している。中でも、スケート史上今でも破られていないとある業績によって、多くの人々の記憶に刻まれている。

 

2002年、オランダのハーグでおこなわれたJGPFで、安藤は女子スケーターとして史上初めて4回転サルコウを着氷した。それから14年以上たった今でも試合で4回転を降りた女子がだれもいないことを考えると、この業績の偉大さがわかるだろう。

 

世の中の安藤への関心が高まり始めたのはこのときだったと、彼女はふりかえる。

 

「あの4Sを試合で降りたとき以降、人々は初めて私の話をするようになったんです。その当時、私はフィギュアスケートのことをよくわかっていませんでした。フィギュアは大好きでした。コーチと一緒に氷の上を滑るのがすごく楽しかった…それだけだったんです。私にとって4回転はふつうのジャンプでした。まず1回転ジャンプを習って、そして2回転、3回転。次に来たのが4回転だったんです」

 

なぜこれほど長い間、この歴史的なジャンプを跳べる選手が現れないのか考えたことはあるかたずねると、彼女はこう答えた。

 

「あのとき以降、ほかのスケーターが(4回転を)跳ぶかどうか考えたことはなかったですね。どんなことでも不可能なことはないと思いますが、採点システムがしょっちゅう変わるので、新しいことにチャレンジすることは非常に難しいのです」

 

ここ15年ほどで日本でのフィギュアスケート人気は劇的に高まった。安藤はこのことを次のように的確に説明してくれた。

 

「私が4Sを跳んだとき、日本ではフィギュアはメジャーなスポーツではありませんでした。4Sを跳んだことが特別なこととは思わなかったのは、このせいでもあったんだと思います。当時私は14歳で、何が起きているのかまったくわかっていませんでした。(JGPFのリンクで)何か英語のアナウンスが流れてきて、私の名前が聞こえました。でも当時は英語はわからなかったので、大したことだとは思いませんでした。そしたら次の日、日本の通信社の人がやってきて、『あなたが安藤美姫さんですか?』って聞くんです。『はい』と言うと、彼は4回転のことを聞いてきて、『あなたは4回転を跳んだ世界初の女性なんですよ』と。でも私としては、もっとうまくなるための練習のつもりで跳んだ感じだったんです」

 

安藤とのインタビューで最も興味深く意外だったのは、彼女がコーチングに強い関心をいだいていることだった。

 

「コーチになることは、9歳でスケートを始めたときからフィギュアスケーターとして一番の夢でした。むしろコーチになりたいからトップスケーターとして競技していたようなものです」

 

彼女は幼い頃、優秀な競技者になることが将来コーチへの道につながると信じていたという。

 

「いい選手になることができたら、もっとスケートを学ぶことができるし、海外も見ることができますからね。私はアメリカに行きました。ロシア人のコーチにも教わったし、アメリカ人のコーチにも教わりました。今はカナダ人であるデビッド・ウィルソンによく振付をしていただいています。たくさんのことを学んできましたし、それが将来の私の夢に役立つと思っています。ただ、今は自分はコーチだとは言いたくないです。いろんな国へ行ってスケーターたちを教えてはいますが、『私はコーチです』と言ってしまったら、プロスケーターをやめたことになってしまいますから。今はすごく忙しいので、いつもリンクにいることはできません。つまり、私はコーチではなく、お手伝いをしているだけなんんです。アドバイザーみたいな感じです」

 

若いスケーターたちにスケートを教える活動は、ふとしたきっかけから始まったという。

 

「前に岩手県に行ったときでした。岩手のチャリティーショーに参加していたんですが、コーチの先生がたに教え子さんたちを見てもらえないかと頼まれて、『もちろん。時間があるときなら喜んでやりますよ』と答えたんです。それがコーチングにかかわるきっかけでした」

 

* * *

 

若いスケーターのコーチングを始めたことで、彼女の元コーチと再びつながりができたという。

 

「以前メインコーチとして見ていただいていた門奈裕子先生のお手伝いとして(名古屋で)子どもたちを教えているんです。今年は何人かの振付もするようになりました。去年の夏、アンドラでのハビの合宿に名古屋から3人のスケーターをつれていったこともいい思い出です。彼女たちにとっても、私にとっても、いい経験になりました。彼女たちは日本から出たことがありませんでした。とても才能ある子たちなんですが、私からするとジャンプのテクニックは優れているけれど、スケーティングスキルや感情表現という面では全然ダメなんです。日本から海外に出るほうが、より多く感情表現に接することができます。海外の子どもたちは日本の子たちに比べて感情表現が豊かですから」

 

安藤が初めてシニアの世界選手権で優勝したのは2007年のことだ。彼女自身、若いスケーターと接することで自分の未知の部分を発見させてもらっているのだという。

 

「私は世界女王になりましたけど、今は違う人生を送っています。コーチとして、プロのスケーターとして、そして人間として、まだ自分自身について学んでいる途中なんです」

 

若いスケーターに対しては、無理じいはしないけれどその選手の殻から外へ引き出そうとしているのだと、安藤は言う。

 

「特に日本の子どもたちは内気でおとなしいんです。まずその子の性格を理解しようとして、それから私のことを世界チャンピオンではなく、リンクに1週間やってきて何か新しい楽しいことを教えてくれる先生のひとりとして見てもらえるよう、気をつけています」


安藤はスケートを始めて間もない頃に父親を交通事故で亡くしている。そのとき、コーチによって希望を与えてもらったのだと、彼女は感情をこめて語ってくれた。

 

「私がコーチになりたいと思ったのは、最初に教わった先生のおかげでした。初めてスケートを教えてくれたのは堀江里奈先生というコーチでした。彼女が『練習してフィギュアスケーターになってみない?』と聞いてくれて、私は『はい、なります』って答えました。そのときにはすでにスケートが好きになっていましたから。堀江先生は優しくていい先生でした。特に父が亡くなった後は、彼女の笑顔がいつも輝いていて。私は毎日先生の笑顔が見たかったんです。先生といろんな話をして、スケートを教わりました。彼女みたいになりたかった。いつも笑顔で、何かすてきなことを一緒に感じ合える人になりたかったんです」

 

もうずいぶん昔の話だが、その当時どう感じたのか安藤は明確に憶えていた。

 

「自分がフィギュアスケーターになるなら、彼女みたいなコーチになりたいと思ったんです。私に夢を与えてくれたのは堀江先生でした。私はチャンピオンになりたいと夢見たことは一度もありません。コーチになりたかったんです」

 

安藤はその長いキャリアの中で、いいときも悪いときもさまざまな経験をしてきたが、僕にとって最も印象的だったシーズンのひとつは、あのすばらしかった2010-11シーズンだ。
バンクーバー五輪で5位になった後、安藤は充電のため1年間休養すべきどうかどうか考えていたという。

 

「そのシーズンは競技したい気持ちはまったくなかったです。バンクーバー後、コーチだったニコライ・モロゾフに1年休んでリフレッシュしたらどうかと言われていました。ところが彼はその後、ワールドが再び東京でおこなわれる予定であることに気づいたんです。そのとたん、『1年の休養はとりやめだ。きみの国でワールドをやるんだから、そのために滑るべきだ』って言うんです。私はもう頭も心もすっかり休む気でいました。彼とはずいぶん喧嘩しましたね。試合に戻るなんて私には考えられなかった。その年、私はエキシのプログラムを3つ作っていました。試合に戻る気持ちになれるまでは試合用のプログラムはまったく作りませんでした」

 

なりゆきが変わったのは日本に帰ってきて、スケーターたちが翌シーズンにむけて準備を整えているのを目にしてからだった。

 

「日本でショーに出演した後、多くのスケーターが来季の準備をしているのを目にしました。それで、私は何か新しいこと、他のだれもやってこなかったことにトライしようと決心したんです。そこでやったのが、フリーの後半に5本のジャンプを入れることでした。私はスケーティングスキルの面でヨナやその他の選手たちより劣っているとわかっていました。彼らとは何か違うことをしたい――そう思って、強いジャンパーになったんです。自分自身のためにこれをやりきるんだと目標を立てました。そうしたら結果は自然についてきたんです。1位、1位、1位と」

 

そのシーズン、安藤はGPFをのぞくすべての出場試合で優勝した(プログラム変更直後だったGPFでは5位に終わった)。彼女の演技はまさに圧巻だった。東北大震災の影響で東京からモスクワに移された世界選手権では、キム・ヨナを制して優勝し、このシーズンのクライマックスを迎えた。

 

そのシーズンで印象深かった場面のひとつは、モスクワワールドの表彰台の真ん中に安藤が金メダルをつけて立ち、その横で2位のキムが感情をおさえきれず泣いていたシーンだ。安藤はバンクーバーの女王に勝ったのだ。

このときのことで何を思い出しますか?と聞くと、安藤は次のように答えた。

 

「彼女がどういう思いでいたのかはわかりません。そのシーズン、彼女はGPSに出ていませんでした。復帰していきなりワールドに出てきたんです。オリンピックの後ずっとトップ選手でい続けるのは相当大変なことだっただろうな、と思います。あのとき、彼女はそのプレッシャーから解放されていました。いつかどこかで彼女とぜひ話してみたいです。けれども、彼女が本当に個人として話をしてくれたことは一度もなかったですね」

 

* * *

 

ここ数年、安藤の人生に起きたさまざまなことの中で、もっともインパクトがあったのは25歳のフェルナンデスとの恋愛だったという。フェルナンデスは安藤が長いこと閉じこもっていた殻の中から彼女を引っぱり出してくれたのだという。

 

「彼とつき合い始めて2年になります。彼は本当にポジティブな性格で、本当にやさしい人なんです。私が日本でどんな生活を送っているかもわかっています。パパラッチのせいで私はいつもマスクかメガネをつけているんです。彼と初めて会ったのは2008年、2人がモロゾフの教え子だったときのことでした。だから彼の性格はわかっていました。すごく楽しくて親切な人です。彼は私の人生を変えたんです。彼が私に言いました、『なぜ隠れなくちゃならないの? なんで秘密をかかえていなきゃならないの?』って」

 

日本で長いこと有名人であり続ければ、さまざまな制約がつきまとう。繊細な性格の安藤はそのせいで傷ついていた。

 

「もう長い間、自分の生活というものはないんだと感じていました。私はなぜ隠れなくちゃならないの? なぜ秘密をかかえなくてはならないの?って」

 

フェルナンデスとの交際も最初は簡単にはいかなかったのだと、安藤は打ち明けた。

 

「彼にとって私とつき合うことは難しい決断だったと思います。私には赤ちゃんがいましたし、住む場所も遠く離れていますから。私は現役を引退し、彼はまだオリンピックを目指している。彼にはすごく難しいことだったでしょうね」

 

2人の交際はどのようにして実ったのだろうか?

 

「彼のほうから私に、つき合えるかどうかやってみないかと言ってきたんです。私はすごく嬉しかった。そのときにはもう彼のことが好きになっていましたから。2人がトロントにいたとき、私たちは交際を発表しました。それまで誰も交際のことは知りませんでした」

 

安藤はフェルナンデスの人生観に接したことで、リラックスできるようになったと感じている。

 

「日本の文化や習慣について彼に話したんですが、彼はこう言ったんです。『きみは自分自身を変えるべきだ。そうしないと人生も何もなくなってしまうよ』と。こそこそ隠れて、秘密をかかえていては喜びはないと。そこで私は『わかったわ』と答えました。彼を信頼していたから。今は楽になりました。ありのままの自分で外に出かけるようになりました。以前よりストレスがなくなりましたね。『きみもふつうの人間なんだって、みんなも思ってくれるようになるよ』と彼は言ってくれたんです」

 

フェルナンデスはさらに、娘のひまわりについても、もっとオープンになるべきではないかと提案した。安藤は当時、おおやけの場に公開する写真では娘の顔を隠していた。

 

「彼は『なんで娘と一緒に出かけないの?』って聞くんです。私は、パパラッチに娘の写真を撮られて雑誌やネットに載せられるのがいやだから、と答えました」

 

そんな安藤にフェルナンデスは、自分のまわりにめぐらしたガードを取り払えば、もっと人生をシンプルにできると説得したのだという。

 

「そして、私たちは家族として1枚の写真を投稿しました。すると、娘の顔がおおやけになったことで、パパラッチにとっては珍しいものではなくなったんです」

 

フェルナンデスのアドバイスに対して安藤が深い感謝の念を抱いていることは、僕の目から見ても明らかだった。

 

「彼は本当に私の人生を変えたんです。今は私の立場上、できる限り彼をサポートしなくては、と思っています。私も同じ状況を経験してきましたから。彼が世界チャンピオンになる前に私もそうでしたからね。彼はいまや、どのように課題に対処していけばいいかなど、多くのことを理解しています。去年は私も、モチベーションという点で少しは彼の助けになれたかな、と思っています。ただ彼を尊敬し、支えていきたいと思っているんです」

 

おふたりでスケートのテクニックや戦略を話し合うこともあるんですか?

 

「私たちはフィギュアスケートの話はしないんですよ。私は昼間にスケートの話をするのは嫌なんです。ショーの間とか、練習中ならいいんですけど。ハビも同じです。リンクにいるときにはとても集中しているけれど、リンクから降りたらスケートのことは話したがらないですね。他のこと、例えば休暇のこととか、試合のあとにどこかに出かける話とか、行ったことのない場所を訪ねてみたいとか、彼はそんな話をするのが好きですね」

 

話をしなくとも、フェルナンデスがあげてきた実績を見ればおのずとわかると、安藤はいう。

 

「私から彼にいうべきことは何もありません。彼はすばらしいスケーターですから」

 

いつか彼女がフルタイムのコーチになり、若い選手たちに同行してGPSを回るような日が来るのだろうか。その見通しについてたずねると、安藤はこう答えた。

 

「ハビとの関係がどうなるかによりますね。彼はきっとプロのスケーターになるでしょう。今はわかりませんが、以前は彼もコーチになりたいと言っていたんですよ。もしも私たちが将来も一緒にいて、いい関係を続けていけていたら、そのときにふたりで決めるんだと思います。私たちがどこへ行って、どこでコーチをし、どこで生活していくのかをね。でも、どこかの時点、どこかの場所で私はコーチになっているんだろうな、と思います。そのときには拠点となる場所を見つけているでしょうね」

 

 

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2010-11シーズン。インタビューにあるようにこのシーズンの美姫さんは本当に強かった。

2010全日本フリー。剛と柔が共存する強靭な演技、直後の足ドン!、モロゾフ近いぞ、今は懐かしいお塩実況とともにどうぞ。

 

 

3.11東北大震災からわずか1か月半後に、急きょ東京からモスクワに舞台を移して開催された2011ワールド。それまでの「ジャンパー」というイメージをくつがえすしなやかな表現力を、このシーズンの彼女は身につけていました。

中でもエキシのアンコールで滑った「レクイエム」がすごかった。当時Jスポの解説をしていた田村岳斗さんが、演技後一瞬絶句して、「ジャンプがなくてもスケーティングと演技でここまで見せられるとは…いやあすごい」と感心していたのを憶えています。私もテレビで見ていて、生まれて初めてフィギュアで泣いた演技でした(今はトシのせいか涙もろくなってしょっちゅう涙腺ゆるんでますけど^^;)

 

 

インタにもありますが、このシーズンはもともと休養するつもりでエキシを3本作っていたんですよね。3本のうちなぜかあまり人気がなかったらしく、滑る機会が少なかったプログラムがこれ。今でも美姫さんのエキシで3本指に入るほど好きです。またこういうプログラム滑ってほしいな。

 

 

JUGEMテーマ:フィギュアスケート

カテゴリ:安藤美姫 | 18:50 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
あけましておめでとうございます!…そしてジュンファンくん帰国 【追記】公式練習

きいよいよ五輪シーズンが幕を開ける2017年。

あけましておめでとうございます!き

 

ここのところ(ジュンファンくんネタ以外)サボってばかりでフィギュアブログの体をなしていない当ブログですが、それでもずっと読んでくださっている方には感謝しかありません。本当にありがとうございますぴのこ:)

今年こそは幅広く、かつ高頻度で記事をアップして、平昌までのフィギュア界の流れを追っていくぞ! ジュンファンくんネタばかりでなく! と誓いを新たにしておりますので、本年もどうぞよろしくお願いします四葉のクローバー

 

…と言いつつ、まずはジュンファンくん帰国ニュースです(爆)

 

1月6日からの韓国ナショナルをひかえ、ジュンファンくんとオーサーが元日にもうカナダから帰国しました。ジュンファンくんが出場する男子シニアは7日からなので、ずいぶん早い帰国ですけど、今年のナショナルの会場は四大陸選手権、そして2018年平昌五輪がおこなわれる江陵(カンヌン)アイスアリーナ。昨年12月15日に完成したばかりの会場なので、視察の目的もあるのかも? それにジュンファンくんも10月のランキング大会以降里帰りしてなかったですしね。

 

メダルを獲得したJGPF後初の帰国ということで、空港にはメディアが多数集まったようです。

 

動画ニュースのリンクはこちら→'피겨 왕자' 차준환 "남자 김연아? 내 것만 차분히 하겠다"

(動画右下のカウントダウンが終わったらこの部分の文字をクリックすると動画がすぐ始まります)

 

仁川空港のゲートからおずおず…という感じで出てきたジュンファンくん、花束を受け取ってぺこりと一礼。足をきっちりそろえて立つところが初々しい^^ 髪はJGPFのときよりさらに伸び放題の様子ですねぇ

急成長させた秘訣を聞かれたオーサー、「別に秘訣なんてありません(笑) ただ努力の賜物です。彼はとても頑張っていますし、オールラウンド型のいいスケーターです」 

ジュンファン「男キムヨナというあだ名はちょっと負担です(笑) 試合では順位や点数は気にせず、落ち着いて滑りたいです」最後に「熱心に応援していただきありがとうございます」でぺこり。「新年あけましておめでとうございます」(→記事

 

 

動画ニュースもうひとつ。直貼りできないのでリンクだけ→「男キム・ヨナ」チャジュンファン「平昌までじっくり準備」

 

ジュンファン「ここまでずっとノーミスの練習ができています。試合でも緊張せず落ち着いて滑ることができたらと思っています」

オーサー「私たちはジュンファンにあまり負担をかけないように注意しなくてなりません。彼が自然に成長できるよう見守ることです。しかし、ジュンファンはそこまで到達できると私は確信してます」

【↑この部分「平昌で表彰台に上がると確信しています」と報じているメディアが多いのですが、この動画では"I'm pretty confident he'll be there."と言っています。thereが何を指すのがはっきりとはわかりませんが、前回の来韓では「平昌でベスト8か5もありうる」と言っていましたし、このセリフもあまり急ぎすぎないでとメディアをいさめている文脈なので、ちょっと誤解があるのかな、という気がしています】

ジュンファン「(男キムヨナと言われることについて)正直に言うとそれについてはよくわからないです。僕は男子選手ですし、男子キムヨナと言われるとちょっと負担に感じることもこともあります」

ナレーションによると現地での練習は4日から始まりますと言っているので、もう今日ですね!

 

 

 

ところで今回、オーサーが「ジュンファンは男キムヨナと呼ばれるが、ヨナより羽生に似ている」と言ったという記事がたくさん出ているんですが、どうやら実際のニュアンスはちょっと違うようで…。その点、オーサーの言葉をわりあい正確に伝えているのではないかと思われる記事がありましたので、こちらの記事からオーサーのコメントをまとめてみたいと思います。

 

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カテゴリ:チャ・ジュンファン | 03:36 | comments(15) | trackbacks(0) | - | - |
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